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2017年5月 1日 (月)

呉座勇一著『応仁の乱』

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近頃、周りで読んでいる人も多く、ベストセラーだという呉座勇一著『応仁の乱』を読み始めています。中公新書、300ページ。

応仁の乱

室町後期、諸大名が東西両軍に分かれ、京都市街を主戦場として戦った応仁の乱(1467~77)。細川勝元、山名宗全というときの実力者の対立に、将軍後継問題や管領家畠山・斯波両氏の家督争いが絡んで起きたとされる。戦国乱世の序曲とも評されるが、高い知名度とは対照的に、実態は十分知られていない。いかなる原因で勃発し、どう終結に至ったか。なぜあれだけ長期化したのかーー。日本史上屈指の大乱を読み解く意欲作。

との紹介です。

応仁の乱は京都のことと思っていましたが、奈良でもその影響が大きいことを知りました。室町時代の応仁の乱のこの本には春日大社、興福寺、大乗院、一乗院などが描かれています。ただ一読したくらいではあまりよく理解できてはいません。

書店では最近、この本にかぎらず応仁の乱の本が多いように思います。

2017年4月30日 (日)

堺屋太一著 『団塊の後、三度目の日本』

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表紙の太陽は、日の出でしょうか、あるいは日の入りでしょうか。

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出張先の書店で見つけて早速買いました。
堺屋太一著の予測小説です。
いままで、何冊か堺屋太一の予測小説を読んでいますが最新作です。
発行がこの4月30日です。
いま、2020年の2回目の東京オリンピックに向けて世の中は目標としてよく言われていますが、そのあとの時代はあまりよくわかりません。
2026年ごろに時間を設定して、どうするのかという予測小説です。
一番上の世代のおじいさんは1948年生まれの団塊の世代で70才代の半ば過ぎです。
その息子は中央官僚で50才くらい。

孫は大学生で就職間近です。
316ページ。
毎日新聞出版。1600円+税。

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そういえば、以前にやはり堺屋太一著の『平成三十年』という何もしなかった日本の暗い未来をあらわした青い本と、改革をした明るい未来をあらわした赤い本とがありました。来年はいよいよ平成三十年、どちらの方向に向かっているのだろうか気になります。

2017年4月20日 (木)

『地域商業の底力を探る』

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先日、関西への出張の折、奈良もちいどのセンター街を数年ぶりに訪問され歓談させていただいた、三橋重昭先生からこの3月30日に発行された本『地域商業の底力を探るーー商業近代化からまちづくりへ』をご紹介いただきました。早速白桃書房に注文して送ってもらいました。

「地域商業の文化表現力は崖っぷちに立たされている地域商業の「底力」となるのではないかと問題提起した」

具体的に、地方都市として高松市(香川県)、甲府市(山梨県)、鶴岡市(山形県)、長岡市(新潟県)、都会の船橋市(千葉県)、立川市(東京都)をとりあげて書かれていますが、大なり小なり各地方都市の参考になると思います。白桃書房、定価3400円+税。244ページ。

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2017年3月26日 (日)

ならら4月号

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ならら4月号はちょうど、快慶の特集をされています。税込500円。器まつもり・本店でも販売しています。

2017年3月16日 (木)

『かぎろひの大和路』復刊33号発行される

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いつもじっくりと調べられて書かれている『かぎろひの大和路』復刊33号がいよいよ発行されました。
全国各地の奈良ファンの方にたいへん好評です。
バックナンバーもいつまでもよく買われているそうです。
今回の特集は「藤原氏の光芒」佐保、奈保の道です。
定価300円+税。
全28ページながらとても内容豊富で何度もじっくりと読むことができます。

HPです→http://www4.kcn.ne.jp/~kagiroi/

2017年3月13日 (月)

尾田栄章さん著『行基と長屋王の時代』

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ご紹介いただいていた本を小西通りの啓林堂書店で先日ようやく見つけました。
尾田栄章さん著『行基と長屋王の時代』です。副題として、行基集団の水資源開発と地域総合整備事業と書かれています。現代企画室発行、2400円+税。

日本書紀や古事記、そして続日本書紀などの文献などをしらべて、図面や現地を訪れて、行基集団がいかに大きな土木工事をしたか、そして長屋王と行基の結びつき、長屋王の後ろ盾があったから行基集団は大きな土木工事ができたと説かれています。
また、尾田さんがフランスのセーヌ川やアジア、エジプト、中東、ブラジルなどの世界中の現場で見られたことを元に行基集団の土木技術の高さを解き明かしておられます。
以前の尾田栄章さんの「セーヌ川」の上流から下流までをくわしく書かれた本もずいぶん前に読みましたが、徹底した現場主義の展開はとても説得力がありますし、自分で考えることの大切さ、納得するまで考えるという姿勢に共感を覚えます。

そして文中の最後に、「故里・奈良での新しい一歩を踏み出す寒い朝、平成28年12月16日  尾田栄章」とあります。

奈良に帰られ、ますますのご活躍を祈念します。よろしくお願いします。

※なお、小西通りの啓林堂では、あまりこの本は品薄で入ってこないといっておられましたが、12日行くと一番奥の奈良や歴史関連の棚にたくさん並んでいました。

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2017年1月13日 (金)

直木賞候補作品『夜行』

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奈良県出身の小説家、森見登美彦の『夜行』を紹介を受けて読みました。すこし不思議な読後感です。1月発表の直木賞の候補作ということです。小学館発行、1400円+税。

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2017年1月10日 (火)

『桜奉行』川路聖謨(としあきら)と『落日の宴』

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10月に養徳社から出版された本です。1800円+税。

幕末奈良を再生した男 川路聖謨(としあきら)。

大国ロシア相手に和親条約締結を成し遂げた幕末の敏腕外交官・川路聖謨(としあきら)その知られざる奈良奉行時代を直木賞作家 出久根達郎が描く。

今回の出久根達郎の「桜奉行」は、川路の前任の佐渡奉行の時代、奈良奉行時代にとくに焦点をあてて書かれたということです。川路は奈良奉行の時代、低迷する奈良の建て直しをしたとのことです。

さばけた奉行ーーあとがきに代えてーー

「川路は46歳の三月、奈良奉行を命じられて、妻子ともども江戸から奈良に赴任した。そして足かけ六年、川路は奈良奉行を勤めた。順調に出世を重ねていた川路にとって奈良への転任は「左遷」といわれる。しかし別に腐った様子はない。むしろはりきって役目に励んだようである。

川路の治績は、たくさんある。犯罪を厳しく取り締まり、特にバクチを重点的に弾圧した。拷問を禁じた。貧民救済の力を注いだ。学問を奨励した。山陵保護に尽くした。」

(中略)

「しかし川路の業績で特筆すべきは、奈良の町に桜と楓を植樹したことではあるまいか。川路が奈良入りした当時は、世相がすさんでいて、風紀も町も寺も何もかも荒れていた。川路は「いにしえの華やかな奈良の都」を再現したいと願った。都の花というなら、桜である。桜は川路の大好きな花でもある。

奈良を桜で埋めつくそう。川路はまず商人に持ちかけた。おそらくこの段階で、どうせのこと、秋の紅葉狩と対にしよう、とおもいついたに違いない。花見と紅葉。どちらも観光客を呼べる。利に聡い商人たちを焚きつけた。奉行の命令一下で事業を起すのでなく、商人たちが自発的に動き出す形をとりたかったのだ。そうでないと、うまく運ばないし、成功しない。桜楓植樹は望外の結果を得た。」

奈良の三条通りのすべり坂をのぼったところに、植桜楓の碑があります。下部には協力した商人たちの名も刻まれています。

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近年、すぐそばに顕彰会の皆さんが、読みやすい碑を建てられました。

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植桜楓之碑

寧楽な都となるや古より火災少なし。
是を以て先年の久しきを閲(け)みして、■然としてなお存するもの枚挙に遑あらず。
豈(それ)、大和の国は天孫始闢の地なり。
故に神ありて或は之を佑護するか。
且つ土沃え、民饒かに、風俗淳古にして、毎(つね)に良辰美景に至れば、即ち都人■(たる)を下げる挈(さ)げて興福東大の二大刹に遊び、筵を敷き席を設けて、嬉(たの)しみを遨(あそ)び、娯(たの)しみを歓び、まことに撃壤の余風、太平の楽事なり。
是の時に当たり遠遊探勝するものもまた千里よりして至る。
故に二刹嘉木奇花多し。
而して宝暦中、桜の千株を植うるものあるも、侵就枯槁して今即ち僅かに存するのみ。
今季、都人相議し、旧観に復さんと欲し、すなわち桜楓数千株を二刹の中に植う。
以て高円佐保の境に及ぶ。
一乗大乗の両門跡これを嘉し、賜うに桜楓数株以てす。
是に於て靡然として風を仰ぎて、之を倣うもの相継ぎ、遂に蔚然として林を成す矣。
花時玉雪の艶、霜後酣紅の美、みな以て遊人を娯しませて心目を怡(よろこ)ばすに足る。
衆人喜び甚しくまさに碑を建て其の事を勒せんとして記を余に請う。
余謬って 寵命を承け、此の地に尹(奈良奉行)として五季なり矣。
幸いにして僚属の恪勤、風俗の醇厚に由りて職時暇多し、優游臥(ふ)して累歳を治むるに滞り無し。
獄囹圄時に空しくして、国中竊盗もまた減ずること半ばに過ぐ。
是に由り官賞して属吏に賜う。
而して都人もまた以て其の楽しみを楽しむを得。
況んや今此の挙あるや、唯に都人の其の楽しみを得るのみならず、而して四方の来遊者もまた相ともに其の楽しみを享(う)く。
此れ余の欣懌してやむあたわざるところなり。
然れども歳月の久しき、桜や楓や枯槁の憂い無きあたわず。
後人の若し能く之を補えば、則ち今日の遊観の楽しき、以て百世を閲みして替えざるべし。
此れ又余の後人に望むところなり。
故に辞さずして之を記し、以てこの碑に勒す。
一乗法王為めに其の額に題す。
余の文の■陋(せんろう)観るに足らず。
然れども法王の親翰、則ち桜楓をして光華を増さしむるに足らん矣。

嘉永3年歳次庚戌3月 寧楽尹 従五位 下左衛門尉源朝臣聖謨撰并書

佐保川には川路桜が春になるとみごとな桜の花を咲かせています。

また、かつて奈良奉行は現在の奈良女子大学のところにあったという。今も川路の足跡はしっかりと残っています。江戸時代の末期、奈良に大きな業績を残した人です。

そして私は以前に読んだ吉村昭が書いている『落日の宴―勘定奉行 川路聖謨』 (講談社文庫)が強く印象に残っています。
奈良奉行のあとの勘定奉行の時代を描いています。

開国を迫るロシア使節プーチャンに一歩もひるむことなく幕末を守った男がいた。軽輩の身から勘定奉行まで登りつめ、自らを厳しく律して日露和親条約を締結する。軍事・経済・外交のいずれも劣るわが国を聡明さと誠実さで激動の時代から救った誇り高き幕吏の豊かな人間性を鮮やかに描く歴史長編

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2016年12月25日 (日)

『ならら』1月号より、「奈良もちいどのセンター街」歴史散歩

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画像をクリックすると拡大します。

奈良の情報誌「月刊大和路 ならら」2017年1月号が出ました。なら旅いんふぉ、というページで、「奈良もちいどのセンター街」歴史散歩、箱屋勘兵衛と七人衆の町を訪ねて、とりあげられました。
税込500円。月刊『ならら』のHPです→
http://www.narara.co.jp/

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箱屋勘兵衛と七人衆の町を訪ねて
「奈良もちいどのセンター街」歴史散歩

猿沢池から三条通りを少し西へ。ひときわ目立つ大きな三角屋根が「奈良もち いどのセンター街」の入口だ。奈良でもっとも古いといわれるこの商店街、約
250m
の町並みには歴史スポットが点在している。活気あふれる師走の町に、古 きを探して歩いた。

 道先案内人は奈良もちいどのセンター街協同組合理事長の松森重博さん。 
「奈良まほろばソムリエ」に認定された歴史通で、自身のブログ「鹿鳴人のつ ぶやき」は奈良発信の有名ブログの1つでもある。
 「『もちいどの』は奈良の歴史の舞台の中心地に近く、平城京では東六坊大 路にあたります。江戸時代には三条通りとの丁字路に高札場が置かれ、明治時 代には奈良県、奈良市管轄の道路の起点となる『道路元標』も置かれました。 
ここは多くの人やモノが行き来する商業・交通の要衝の地だったんです」
 「もちいどの」は「餅飯殿」。室町時代にはすでに「餅飯殿」と呼称された 記録が見られるが、それ以前は蕗之畠郷(ふきのはたごう)や富貴郷(ふきごう)

と呼ばれた。

 OK広場の最奥に は吉野から勧請した七辨財天を祀り、76日、7日には弁財天祭りが行われ、宵宮には大蛇と子ども神輿が賑やかに商店街を練り歩く。
 主なる「餅飯殿」の由来は、後の醍醐寺の開祖・聖宝(しょうぼう)理源大師832909 を助けて、箱屋勘兵衛と七人衆が活躍する大峰の大蛇退治譚(たん)である。

大蛇のために廃れた大峰を再興せよという宇多天皇の命を受けた東大寺僧・聖宝理源大師。

これを助けようと富貴郷の箱屋勘兵衛と七人衆が立ち上がった。一行は餅 と干飯(ほしいい)を持ち、途中の村々にも分け与えながら大峰へ向かい見事大蛇を退治。 
黒滝村の鳳閣寺は理源大師が再興した寺だが、山号の百螺山はこのとき勘兵衛 が大きな法螺貝を吹き鳴らしたことに由来する。勘兵衛たちは餅や飯を届けた ことから「餅飯殿」と呼ばれ、いつしかそれが町名になった。辨財天の隣には 理源大師堂があり、77日に東大寺の僧侶が法要を営む。箱屋勘兵衛の意志を 継ぎ、餅飯殿には現在も餅飯殿大峰山上講が継承される。


 昭和52年の市役所の移転で通行量が減った商店街だが、平成19年に個性的で 意識の高い起業家にチャンスを与える『もちいどの夢CUBE』をオープン。多く 
の卒業生が近くで独立している。

「イベントも積極的に行い客足も戻ってき て、我々自身も〝再興〟を果たしつつあります。また〝通り〟としてのデザイ ンも意識し、同28年には『なら景観調和広告賞』を受賞しました」と松森さん。
 新しい試みで活性化した商店街。
そして町の至るところに、いまもささやか
  な歴史が見え隠れする。

例えば傘を広げては通れないほどの狭い路地「四室之 
辻子」、南市恵比須神社など路地裏に溶け込んだ小さな神社、反対に町なかに 驚くほどの空間が広がる「大宿所」。毎年1215日春日若宮おん祭のさきがけ となる大宿所祭が行われ賑わう。また大福稲荷神社もある。

歴史スポットは、 訪れる人が気がつく数だけある。賑わいをBGMに、もちいどの商店街とその周 辺の路地裏散策を楽しみたい。

2016年12月23日 (金)

「祭礼で読み解く歴史と社会ーー春日若宮おん祭りの900年」

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ことしの春日若宮おんまつりも無事終了しました。ことしのおん祭り以前に「祭礼で読み解く歴史と社会ーー春日若宮おん祭りの900年」という本がでていると新聞書評などでみていましたが、小西通りの啓林堂書店にあり手に入れ読みました。


ことしは881回目のおん祭りということですが、そのあたりの歴史を通して書かれた本が今までなかったそうです。

おん祭りの通史を書くことはなかなかむつかしいということでした。
このたび、安田次郎御茶ノ水大学名誉教授が第1章から第3章まで、幡鎌一弘(はたかま)天理大学おやさと研究所所長が第4章から終章まで担当されて、山川出版社から発行されています。
2000円+税。

創始は藤原忠通という通説として聞いていることは実は違って、やはり興福寺が創始だ、とか。

ひとことで881回といいますが、おん祭りもいろいろな時代にいろいろ変わった点もあります。

平安、鎌倉、室町の時代。

戦国、江戸時代。

明治から戦前まで。

戦後から現在まで。

日本全体の歴史の中での春日若宮おん祭りとしてとらえなおされています。

祭りは人とお金もいることはどの時代も共通していることであること。支える側も変化し、存続が危ぶまれることも何度もありながら、時の人々の努力で続いていることがよくわかります。
明治維新のころ、戦中の努力、戦後進駐軍がいる中でのおん祭りの継続、当時の観光協会会長の谷井友三郎さんの活躍。昭和52年頃の若い人たちによる大名行列の地元民による活性化、など民衆の楽しみであり地元の人たちによって支えられてきたことが明らかにされています。

また餅飯殿町にある大宿所の話。懸け鳥や大和士(やまとさむらい)の話。おん祭りの歌。850回目からの、のっぺい汁の復活、大宿所詣の話などもくわしく書かれています。

通説をふまえながらも、今一度読む必要があると思いました。目次は

第1章、おん祭りの成立

第2章、流鏑馬(やぶさめ)と武士

第3章、田楽と僧侶

第4章、中世から近世へ

第5章、『春日大宮若宮御祭礼図』を読む

第6章、近代の祭り

終章、現代のおん祭

186ページ+年表、資料

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