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2024年4月29日 (月)

お知らせ 鹿鳴人のつぶやきパート2になります。

鹿鳴人のつぶやきも開設以来19年目となります。ココログ使用容量が満杯になりましたので、

新規にパート2を立ち上げることになりました。

 

https://narabito2.cocolog-nifty.com/

が新しいURLになります。

今後ともよろしくお願いします。

 

お知らせ

いつも、鹿鳴人のつぶやきをご覧頂きありがとうございます。

ことし19年目になります。ただ、プロバイダーの容量が満タンに達しました。現在、写真などはアップできません。

したがって、しばらく工事中となります。

継続の鹿鳴人のつぶやきパート2を現在構築中です。

しばらくお待ちください。

2024年3月23日 (土)

3月22日の毎日新聞奈良版に

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3月22日朝。毎日新聞奈良版をみると、

「終戦後投函 兵士へのはがき

写しが遺族の手に

届かなかった「生きていて」」と

戦死した兄への叔父のハガキのことなど大きく掲載されています。

共同通信の取材が、先日の産経新聞の奈良版につづいてのことです。

 

「若くして散った方の無念無惨 少しでも広く伝わるよう願います。

平和が続いてほしい!」

という知り合いの方からメッセージが届いています。

ほんとうにそのように思います。

 

 

2024年3月18日 (月)

届かなかったハガキ 産経新聞の奈良版より

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彼岸の入りとなりました。3月17日の産経新聞の奈良版に大きく取り上げられていますので紹介させていただきます。

(画像はクリックすると拡大します)

 

届かなかった兵士家族の願い

アメリカではがき発見

奈良市の遺族へ

「戦争は人生変える」

終戦直後の混乱

兄の帰りを待つ弟

レイテ島沖で沈没

 

1月に共同通信の若き女性記者の取材をうけました。各社に配信され、産経新聞の奈良支局が記事にしてくれたようです。

八尾・奈良市会議員からの連絡で掲載されていることを知りました。ありがとうございました。

叔父の戦地の兄への一枚の絵はがきは以下の通りです。NHK記者よりその写しをもらいました。

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2024年2月 2日 (金)

国産の甕(かめ)のお嫁入り

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奈良に帰って器まつもりに勤務して49年、そして店は明治4年創業で153年になります。

先日、お客様が、当方の店で国産の久松(キュウマツ)の甕(カメ)を見つけられました。あちこち探し回っていたけれど、ようやく見つけられたとのことです。
というのは、もう数年経つのですが、国産の有名な久松の甕の窯元は、倒産したのでほぼ国産の甕は流通していません。

国産で長年作ってこられて定評があったのですが、中国のメーカーにデザインも真似られて安く作られ(人件費と為替レートの関係でと思われますが)日本の量販店で安く販売されたので、とうとう企業努力もかなわず、倒産されたのです。

したがって、ほぼ国産の甕は日本でいまや流通していないと思われます。

お客様にはたいへん喜んでいただき、当店の在庫を9個すべて買っていただきました。やはり国産の甕は、ラッキョ漬けにしても梅干しにしても醤油造りにしても、味が全然違うそうです。

10升(1斗、18リットル)など。台車3台に載っています。ご自宅へ配達前のお嫁入り前に、記念に写真を撮りました。

以下は以前に撮ってもらった器まつもり店頭風景。看板類は、書道家 長岡光邨氏に書いていただいたもので作成したものです。近頃、長岡文雄(光邨)先生に注目が寄せられており、うれしいことです。

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2024年1月 7日 (日)

厳しい2024年の年明け

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1月1日、午後4時過ぎ北陸地震と津波、死者、安否不明多数。奈良でも震度4で、年明け早々たいへんなことが起こりました。

1月2日、夕方、羽田空港にて着陸の日航機と海上保安庁の飛行機が衝突し炎上しました。

1月3日、3時過ぎ北九州市魚町銀天街と食堂街で大火事、

まさかと思ったのですが、戸田さんに電話すると、私の友人の「陶器の戸田」さんの店も燃え広がった火事で最後に類焼したとのことです。

大学卒業後、東京で陶器の商社で一緒に修業した友人のひとりが戸田さんであり、その後50年にわたってお世話になっています。

明治16年創業の陶器店の4代目である戸田和雄さんは、自分の代でまさかこういうことになるとは思いませんでした、と語っています。

 

被害に遭われた皆様にお見舞いを申し上げます。

 

今年は厳しい年明けになりました。気を引き締めて過ごしたいと思います。

 

 

(追記)毎日新聞の記事をいただきました。

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北九州・魚町銀天街の焼け跡から「辰」 全焼の老舗陶器店が再起誓う
毎日新聞 2024年01月07日 10時14分

 

北九州・魚町銀天街の焼け跡から「辰」 全焼の老舗陶器店が再起誓う
 北九州市小倉北区魚町で3日に発生した大規模な火災で、魚町銀天街に面した1883(明治16)年創業の老舗陶器店「陶器の戸田」も全焼した。火元とみられる飲食店街「鳥町食道街」に消防が重機を入れて活動するため、その入り口付近に位置する店は翌4日に取り壊された。4代目の戸田和雄社長(74)は、がれきの山と化した店舗を前に「先祖が守ってきた店をこんな形でなくしてしまい、情けない」と目を潤ませた。【成松秋穂】

 

 火災発生当時、自宅にいた戸田さんは、店舗にいた従業員から連絡を受け、テレビの中継で消火活動を見守っていた。火の手が店の方角へ広がっているのが気になり、現場近くへ。規制線の外から見える光景に「もう燃えているかもしれない」と肩を落とした。



 4日朝、消防から「店を解体したい」と電話が入った。夜通しの消火活動で既に火勢は鎮圧していたが、狭い通路に飲食店が建ち並ぶ食道街に、重機を入れて放水を続け鎮火を確認するためだった。



 「見てから返事したい」と答え、消防職員の付き添いで規制線の中へ。骨組みを残して屋根が落ちた店を前に「無理だ」と感じた戸田さんは、解体を許可。かつて自宅を兼ねていた店の最後を見届けた。解体後に掘り起こされた金庫から、溶けた印鑑と棒状の塊になった硬貨が見つかった。それらは火災の猛烈な熱さを雄弁に語っていた。



 解体前、焼け跡からわずかに回収できたものがあった。2024年の干支(えと)「辰(たつ)」にちなんだ竜の置物だ。店頭に商品として並べていたもので、手の届く場所に埋もれているのを長男の圭輔さん(47)が見つけ、許可を得て回収した。白かった竜は熱で黒く変色していたが、辰年生まれの圭輔さんは特別な思いで抱え「同じ場所に店を建て直したい。この置物もお守りとして、大切に飾ろうと思う」と再起を誓った。

 

 

 

2024年1月 3日 (水)

能登大地震

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(TBSニュースより)

新年明けましておめでとうございます
本年も 宜しくお願いいたします

 

元旦の午後4時過ぎ、突然の地震に奈良でも大揺れしました。
一瞬、阪神淡路大震災を思いだし、早く収まってくれと願うばかりでした。
奈良でも震度4だったようですが、幸い無事でした。

 

北陸方面が地震と津波ということで、元旦のテレビは全局地震のニュースが深夜まで続きました。

 

2日に、金沢市と富山市と新潟市の友人に様子を尋ねると、幸い大したことなく無事だったようで一安心しましたが、
能登地方は被害がひどく、時間と共に、その深刻さが伝わってきました。

 

2日には、羽田で小火かとテレビの映像を見ていたら、見たらみるみるうちに着陸機が燃え広がり、
その原因が海上保安庁の飛行機との衝突とか伝えられ驚きました。

 

年初そうそうの地震や事故のニュースに心痛めるばかりです。

 

ある友人は、政権基盤が弱いとき、地震など災害に気をつけなければいけないと言っています。
たしかに、過去を顧みるとそのように思えます。

 

大阪の友人Kさんからメールが届きました。

 

「正月元旦に 大きな地震が能登を襲いました。
当方は 何事もなく大丈夫でした。
皆様はいかがでしたでしょうか?

 

大阪もかなり長い間 揺れを感じていました。
次男がお嫁さんと孫を連れて 食事に来ていました。
お茶をしながら 団らんしていた最中でした。

 

かなりの揺れを感じて「地震だ!」と、大人たちが騒いだとたん 4歳半の孫が この様に言ったのです。
「おちついてください。頭を 手で覆って 机の下に隠れてください!」と、避難誘導をしたのです。
保育園で 地震に対しての避難マニュアルをしっかりと言ってのけたのです。

 

テレビやラジオも懸命に非難を誘導している最中でした。
本当にすごいことでした。
揺れが落ち着いて 皆が一呼吸付いたとたんに 本人は緊張が途切れ急に泣き出しました
が まことあっぱれ 保育園での子供たちに対する 指導の徹底にも感心した次第です。

 

我々大人は昨日を機会に家族で緊急時の自分のありようを明確にしなければと 皆で
確認しあっていました。」

とても感心な話で、大人より子どもの方がしっかり学んでいると思う次第です。

 

北陸の友は、ここ数年以内に大きな地震があると思った方が良いのではないかと言います。

 

奈良のある友は、もうしばらく地震はないと思うより、警戒していざという場合の身の回りの

準備をしておいた方が良いと忠告します。

 

素直に聞きたいと思います。

 

 

 

2024年1月 1日 (月)

2024年 あけましておめでとうございます

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あかつきの春日大社に初雪のしんしんと降りて朱の際立ちぬ  松森重博

 

みなさま良い年になるように元気に過ごしましょう。

鹿鳴人のつぶやき、本年もよろしくお願いします。

2023年12月31日 (日)

ありがとうございました。

皆さま、本年はお世話になりました。

ありがとうございました。

来年もよろしくお願いします。

2023年12月 6日 (水)

新アララギ 2023年12月号

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毎月送られてくる、短歌誌「新アララギ」の12月号です。

表紙には

 

生ける者つひにも死ぬるものであれば この世なる間は楽しくをあらな

有名な大伴旅人(巻三、349)の歌です。

 

月刊「新アララギ」には、私はいつもは3首か良くて5首のる程度なのですが、今月はなんと實藤恒子先生の選で8首ものりました。

記念の号となりましたので、思い切って貼り付けておきます。

 

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春日大社では、夏に台風の中、万灯籠が行われ、神職によって祝詞が奏上されました。

・野分突き祈りの詞唱えられ万灯籠は千年続く

 

本居宣長の菅笠日記の講演を聞いて

・宣長は菅笠日記の大和への旅の記録に短歌を残す

 

大阪の狭山池を見学し、講演を聞き、狭山池博物館を見学して

・推古帝より千四百年の狭山池治水に灌漑にいまだ現役

※選者の實藤恒子先生の有り難い評

奈良在住で小谷稔氏亡きあと、奈良の歴史を改めて発信し続けている作者である。
推古帝より千四百年の歴史を持つ狭山池が治水や灌漑に今も現役であることの秀逸さを紹介している。

 

・行基さん重源さん改修されたる大阪の狭山池畔一周歩く

・高さ十五メートルの堤の断面切り取りて博物館に展示されたり

 

東京で古くからの友人に会いました

・西新宿五十階より見渡して若き日思いつ友と語りぬ

・予備校の机に友と出会いしがその後あまたの友と繋がる

 

アメリカから国際電話がありました

・フィリピンで戦死の叔父の遺品いまアメリカに発見と国際電話

 

そしてテーマ詠「祭り」では、もちいどのセンター街の様子です。

弁天祭の神輿を子どもら曳きてゆく商店街に声響かせて

 

 

 

 

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