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2019年2月22日 (金)

顔真卿  展へ

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先日東京へ行く用事があり、早朝の電車に乗って東京・上野の東京国立博物館を訪ねました。顔真卿展を拝見しました。唐の時代の人です。大きな作品は唯一写真を撮っても良いということでした。会期も24日までと迫っていて、多数の人が観覧されていました。
台北の故宮博物院でもなかなか見られないということで、中国の人も多数見に来られているのが言葉を聞いてわかりました。
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特別展のHPです
→https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1925

2019年2月16日 (土)

2月22日から、奈良市写真美術館では。

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2月22日から4月7日まで、奈良市写真美術館では、奈良の世界遺産という入江泰吉写真展がひらかれます。また第3回入江泰吉記念写真賞受賞記念展。そして第3回ならPHOTO CONTEST「ならを視る」受賞作品展があります。友人の奥田勝紀くんがみごと入選。ならしみんだより1月号の表紙も飾っています。
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入場料500円。ただし70才以上の方など無料。

2019年2月14日 (木)

奈良と東京で。天理大学雅楽部公演

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天理大学の雅楽部公演が、2月25日天理市の市民会館で、3月8日東京の新宿文化センターであるそうです。
HPです→http://gagaku.biz/tenri/

2019年2月10日 (日)

美ビット見て歩き*70「名勝 月ヶ瀬梅林」

正月を挟んで2ヶ月ぶりにいつも楽しみにしている、川嶌一穂さんの「美ビット見て歩き」が奈良新聞に載りました。折しも梅の季節、月ヶ瀬の梅の話です。
そして、直木賞の話。
惜しくも受賞は逃したが、先日の直木賞の候補者5人のうち2人までが奈良女子大附属高校出身だった。文学者によって書き継がれてきたからこそ、月ヶ瀬がある。候補となった今村翔吾さんと森見登美彦さんに、ぜひ今の月ヶ瀬を描いて頂きたいな。」
同感です。おふたりの今後を大いに期待したいと思います。
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美ビット見て歩き 私の美術ノート *70 川嶌一穂
名勝月ヶ瀬梅林
写真 ダムのできる前、五月川の白い砂がまばゆい昭和31年春の月ヶ瀬。(著者蔵)
 奈良市の中心部から、車で東へ1時間ほど走った山間に位置する月ヶ瀬は、江戸時代の末から梅の名所として知られていた。もともと紅花染めの媒染剤である「烏梅(うばい)」を作る実を取るために植えたのが始まりだという。
 津藩(三重県)の儒者・斎藤拙堂が、文政13年(1830)2月に月ヶ瀬に遊び、紀行文「月瀬記勝」を著した。それを大ベストセラー「日本外史」の著者・頼山陽が刊行して以来、多くの文人がこの地を訪れるようになった。「月瀬記勝」は、本欄第9回(平成25年7月)で紹介した、インターネット上の「国立国会図書館デジタルコレクション」で公開されている。酒を呑みながら月の出を待ち、花を愛でた紀行文である。「…水の清きこと寒玉の如し。…両山の花、さかしまにその上にひたす。…一たび中流に棹させば、山水ともに動く…」(原文漢文)。たしかに、行ってみたくなる名文だ。
 その翌年、山陽もやはり梅の季節に月ヶ瀬を訪れた。本欄第38回(平成28年3月)に登場した文人画家・浦上玉堂の息子である春琴も同道した一行7人の旅である。山陽は、「水にそひ村を環る幾簇(いくそう)の楳(うめ)。高低あひ映えて尽く花開く…」という漢詩を作った。五月川の景観が、他にない魅力だったことを伝えている。
 明治に入ってからも、月ヶ瀬は文人憧れの地であり続けた。明治26年(1893)に書かれた饗庭篁村(あえば・こうそん)の「月ヶ瀬紀行」(「旅硯」所収。これも国立国会図書館デジタルコレクションで公開)は、抱腹絶倒の旅物語である。幸田露伴ら、江戸戯作を愛する根岸派の仲間と8人で、東京を出てから5日も6日もかかって月ヶ瀬に辿り着くというのんびりした旅だ。津から柘植までは汽車に乗り、柘植から人力車を雇っている。「見下すかぎり梅にしてしかも真盛りなればただ白雲の谷より上る如くなり…」。当時は長旅だけに、花の時に会うことも大変だっただろう。
 生れついてのスポーツ音痴に文学好きの私としては、ふだん目にする両者の情報量の違いに少々不満である。この二つがもし逆転していたら?テレビのニュース番組の後半は、「では、ブンガクです」と文学専門のキャスターが登場する。「多くの名作が生まれた月ヶ瀬の梅の開花状況はどうでしょうか?現場から中継です…」とまあこんな世の中は、夢のまた夢か。
惜しくも受賞は逃したが、先日の直木賞の候補者5人のうち2人までが奈良女子大附属高校出身だった。文学者によって書き継がれてきたからこそ、月ヶ瀬がある。候補となった今村翔吾さんと森見登美彦さんに、ぜひ今の月ヶ瀬を描いて頂きたいな。
 本欄は今日が今年の第一回。本年もどうぞよろしくお願い致します。
=次回は3月8日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。
メモ 名勝月ヶ瀬梅林 奈良市月ヶ瀬尾山。見頃は例年2月中旬から3月。期間中、奈良交通臨時直通バスが出る(奈良駅から1時間余り)。奈良交通問い合わせは、0742-20-3100。開花状況の問い合わせは、月ヶ瀬観光会館(0743-92-0300)。

2019年1月27日 (日)

保山耕一さんの第7回水木十五堂賞の授賞式へ

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1月26日水木十五堂賞の授賞式に行くことが出来ました。時間前から長い列が出来ていて人気のほどがうかがわれました。開会前には1000人はいるというやまと郡山城オールの大ホールが満員でした。授賞式の後の、保山耕一さんの講演は、短いスピーチと映像がつぎつぎに上映されました。合間にお世話になった方々を紹介されていました。
弁護士の馬場勝也さん、国際映画祭委員長の中野聖子さんとともに、はからずもわたしも商店街の会長ということで紹介されましたが、恐縮の至りです。
池口さん、すみかおりさん、氷置晋さんらの映像に合わせたピアノ演奏などがありました。
映像とスピーチとピアノ演奏にすっかり魅了されました。

休憩のあと、審査員の皆さんと座談会がありました。
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すばらしい授賞式でした。保山耕一さん、清水真貴さんおめでとうございました。
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ホワイエでも映像作品が放映されていました。

2019年1月26日 (土)

若草山焼きの写真

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足かけ30年あまり、最初は東京から途中から奈良に移り住まわれて、若草山焼きを撮られた瀬尾重孝さんから、全紙版の大きい若草山焼きの写真をいただきました。
2002年1月13日撮影とのことです。
銀塩カメラでの撮影でこの年の山焼きの写真はこれ1枚です。
今のデジタルカメラと違って一発勝負です。
五重塔の水煙もはっきりと写っています。
また山は煙で焼けているのがわからなくなることがよくありますが、興福寺五重塔を手前に全体がくっきりと写っています。素晴らしい作品です。(禁複製)
しばらく器まつもりで展示しています。
(追記)
1月26日朝の様子。

夜のうちに雪が降ったようで、若草山、高円山ともに少し雪が残っています。

中止かなと思って、観光案内所に電話をしたら、今のところ予定通り実施しますとのことです。

テレドーム 0180-991-707で最新情報はわかるそうです。

 

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2018年12月28日 (金)

読売新聞より 保山耕一さん

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12月24日の読売新聞・奈良版。
「人あり」というタイトルで保山耕一さんが大きく取り上げられています。
読売WEB→

2018年12月21日 (金)

平城宮いざない館へ、水木十五堂賞授与式のこと

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18日から保山耕一さんの映像が変わり、またスクリーンが200インチになったということで、平城宮いざない館へいきました。
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ちょうど、「雪の大和路」が上映されていました。

春日大社。
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東大寺大仏殿。
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宇太水分神社。
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御所・橋本院。
飛火野。
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アップ映像。
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平城宮跡のススキ。
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一緒に皆さんが熱心に見ておられました。28日までとのこと。

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水木十五堂賞の授賞式、講演会、上映会は1月26日、やまと郡山城ホールにて。入場無料。人気があって、中ホールから大ホールになったので、今からでも間に合うということです。
申し込みはやまと郡山市の以下のHPからどうぞ
https://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/govt/torikumi/mizuki/005306.html

2018年12月17日 (月)

美ビット見て歩き 69 「西郷隆盛像」

 
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毎月楽しみにしている、川嶌一穂さんの美ビット見て歩きです。上野公園の西郷隆盛像です。

明治150年。西郷隆盛像120年ということです。
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美ビット見て歩き 私の美術ノート *68 川嶌一穂
高村光雲・後藤貞行作「西郷隆盛像」
写真 東京・上野公園の「西郷隆盛像」(著者撮影)
 ことし平成30年は、明治維新百五十年記念の年だったが、NHKの大河ドラマが「西郷どん」だったくらいで、あまり盛り上がらなかったように思う。50年前の百年記念は、政府主催の記念式典が1万人を迎えて日本武道館で開かれたのをはじめ、世を挙げて近代日本の百年を振り返ったと記憶する。
まだ身の回りに明治生まれの人が大勢いたこともあるだろうが、今はスマートフォンに追い立てられて、長いスパンで物を考えられなくなっているのかも知れない。
 かくてはならじ!と、東京・上野公園へ出かけた。もともと上野の山全体が徳川将軍家の菩提寺である寛永寺の敷地で、今も歴代将軍のうち6人が眠っている。本堂裏手の書院には、最後の将軍・慶喜が蟄居した葵の間が保存されているし、江戸初期造営の東照宮や、動物園の敷地内には五重塔も現存する。
 そんな徳川家ゆかりの上野の山に、徳川の世に終止符を打った立役者の一人、西郷隆盛の像があるのは、ちょっとした歴史の皮肉だろうか。像のすぐ裏手に、彰義隊の墓もある。
 明治22年(1889)、大日本帝国憲法発布による大赦により、明治10年(1877)9月、鹿児島・城山で死を遂げた西郷に正三位が贈られ、「賊徒」の汚名が晴らされた。
 そのとき陸軍大将の軍服を着た騎馬姿の西郷像を建てる計画が動き出した。宮城正門外に設置する許可が下りていたが、賊徒であった西郷像を宮城前に置くことに疑義が出て、上野公園に変更された。
 制作を依頼された高村光雲が、サーベルを持った軍服姿の木造雛形を公開すると、これもかつて逆賊の汚名を着た者にふさわしくないとされ、筒袖に草履ばき、帯に兎猟のわなを下げ、猟犬を連れた現在の姿になった。じっさい西郷は兎猟が大好きで、西南戦争中も犬を手放さず、兎猟をしていたので(仁科邦男『西郷隆盛はなぜ犬を連れているのか』草思社)、一番西郷らしい姿に落ち着いたのかも知れない。
 西郷が最期まで持っていたのが、安政の大獄で斬首となった福井藩士・橋本左内からの手紙である。その左内に「仲秋臥病雑詠」という漢詩がある。
「…誰か知る一片清輝の影 かつて澳門の白骨を照らして来るを」。
「澳門」は、ポルトガルに侵略されたマカオのこと。…この美しい月光は、マカオの悲劇を照らして来たことを忘れてはならない、と欧米列強に囲まれた幕末の日本に警鐘を鳴らすのである。江戸城無血開城を成功させた西郷と幕臣・勝海舟の思いも同じであった。
記念撮影のために像に走り寄った小学生が、「あ、泣いてる!」と叫んだ。酸性雨による錆だが、たしかに一筋の涙の跡のように見えた。
=来年1月はお休みを頂いて、次回は2月8日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。
メモ 「西郷隆盛像」東京都台東区上野恩賜公園内。JR山手線上野駅下車。「公園口」改札を出て、公園の中を左手(南)に5分歩く。庶民が見た西南戦争は、石牟礼道子『西南役伝説』(講談社文芸文庫)がおすすめ。今年2月に亡くなった著者・石牟礼さんのご冥福をお祈り致します。

2018年12月 4日 (火)

「ひととき」12月号より 「儀式の解読」

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新幹線のグリーン車中では無料で、あるいはキオスクで販売されているウエッジの「ひととき」12月号です。
元春日大社権宮司であり現在、奈良県立大学客員教授である岡本彰夫さんの文です。
おんまつりの「奈良その奥から 儀式の解読」というタイトルで内容の濃いお話を書かれています。
そして写真は映像作家の保山耕一さんの春日大社の雪のちらつく写真です。
すばらしいコンビです。
11月号に載っていると聞きましたが連載ですね。


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