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2019年6月15日 (土)

美ビット見て歩き 私の美術ノート *74

毎月楽しみしている、元大阪芸術大学教授の川嶌一穂さんの美ビット見て歩き 私の美術ノートは当尾の里の浄瑠璃寺です。そのきっかけが奈良まほろばソムリエの会で発行した「奈良百寺巡礼」の本で読んだからということですからとてもうれしく思います。川嶌一穂さんはかつて自転車で友達と浄瑠璃寺を訪ねたそうです。わたしなどは、中学だったか遠足で奈良から歩いて浄瑠璃寺を訪ね、のどかな道を歩いて加茂駅まで行き電車で帰りました。浄瑠璃寺はそういう若き日を思い出させてくれる懐かしいお寺ですね。

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *74 川嶌一穂

 

真言律宗 小田原山 浄瑠璃寺(京都府木津川市)

 

写真 新緑に包まれた浄瑠璃寺本堂。池の水面に映る大屋根が美しい。(著者撮影)

 

 本紙でも紹介されたが、奈良まほろばソムリエの会著「奈良百寺巡礼」が京阪奈新書として出版され、大変好評だという。さっそく拝読すると、興福寺などの大寺も、実ははじめて知ったような小さな寺もすべて見開きの2ページに収め、それぞれに写真とデータを添えた読みやすい新書だ。
 中学・高校の先輩、松森重博奈良もちいどのセンター街理事長も執筆されたと聞いて、楽しみにページを開くと、「浄瑠璃寺」を担当しておられた。
 浄瑠璃寺が好きでよく訪れていた若き日を、それで一気に懐かしく思い出した。高校生のときは、友人と東大寺境内町の家から自転車で行ったこともあった。変速も付いてないのに、元気だったなあ。そう言えば、ここ十年二十年は行ってない!
 思い立ったが吉日で、実に久しぶりに近鉄奈良駅からバスに乗った。山門までの道に土産物屋ができていたが、境内に入ると、池を中心として本堂と三重塔の形作る小宇宙は昔のままだった。いやむしろきれいに整っていた。
 外からは簡素に見える本堂だが、中に入ると、来迎印を結ぶ中尊を中心に、定印を結ぶ脇仏が一列に並ぶ威容に毎回新鮮に驚かされる。わたしは正面より少し端に寄って、斜めの角度から九体の阿弥陀仏を見るのが好きだ。うちの年寄は「浄瑠璃寺」と言わずに「九体寺」と言っていたが、数の迫力というのは確かにある。
しかもこちらの阿弥陀様は一体一体かなり違うお顔で、その表情の違いもまた楽しい。現在、残念ながら修理のために二体はお留守だった。
 若い頃は、もっぱら吉祥天女像に心ひかれたが、今回は中尊像の堂々としたお姿に圧倒された。すぐに平等院鳳凰堂の定朝作・阿弥陀如来坐像が思い浮かぶが、洗練された都ぶりの鳳凰堂の像よりも、力強さと慈愛が感じられて好ましい。光背に、楽器を失った飛天がいらっしゃるのに今まで気づかなかった。若い時はいったい何を見ていたのやら。
 気になってスマホのコンパスアプリで確かめると、本堂は東に向いている。ということは、三重塔から池越しに阿弥陀仏を拝むと、西方の極楽浄土を拝むことになる。じっさい春秋のお彼岸の中日には、太陽は本堂内九体仏の中尊の後方へ沈むという。
 満ち足りた気持ちで、池のほとりを歩いて、三重塔に向かう。本堂、九体阿弥陀仏とともにこれも国宝。初層が高く、相輪が大きいのは池から少し高台にあることを計算したからかと思ったが、京都の一条大宮から移築されたという。ほんの少し安定を崩したい都人の美意識なのかもしれない。
 あるべき所に、いつも存在して、歳を重ねて再訪する者を当たり前のように迎えて下さる。何と有難いことか。次はぜひお彼岸のころに訪れたい。

 

=次回は7月12日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

 

メモ
 浄瑠璃寺 京都府木津川市加茂町西小。電話0774(76)2390。JR奈良駅・近鉄奈良駅から奈良交通バス「浄瑠璃寺」行きに30分乗車。「浄瑠璃寺前」下車すぐ。

2019年5月26日 (日)

ムジークフェスト2019で、「第9」・「ふるさとの四季」歌いました。

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2ヶ月の練習を経て、25日、ベートーベンの「第9」と「ふるさとの四季」のコンサートが奈良県文化会館・国際ホールでありました。

45才のエネルギッシュな海老原光先生の指揮に引き込まれて200人の皆さんと歌うことができました。

ソリストはソプラノ大原末子先生(合唱指導もして頂きました)、アルト西村規子先生、テノール谷浩一郎先生、バリトン岸俊昭先生。オーケストラは奈良フィルハーモニー管弦楽団。

打ち上げ懇親会では多くの方と交流できました。また写真をあちこちからいただきました。感謝。

 

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2019年5月23日 (木)

奈良新聞 国原譜 22日付、さだまさしさんと保山耕一さん

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5月22日奈良新聞の1面の国原譜というコラムにとりあげられていますので紹介します。

「歌手のさだまさしさんが新しいCD「新自分風土記I・II」を2枚同時に発売した。IIは「まほろば編」と銘打ち、奈良を舞台とした過去の曲を収めている。

 初回限定版には春日大社と東大寺で撮影したDVDを付属。その一部でがんと闘いながら奈良を撮り続ける映像作家保山耕一さんがカメラマンを務めた。

 両社寺と深い縁を結ぶさださんだからこそ許された撮影。保山さんは神仏への敬意を表すため、深夜にろうそくの明かりの中、たった一人で歌を奉納するさださんの姿を撮った。

 完成した作品を一言で表すのならば「畏(おそろ)しい」。あえて高画質、高感度のカメラを使わない保山さんの映像は、暗い部分が闇(やみ)となる。

 いにしえより人々は本能的に闇をおそれ、その中に神仏の存在を感じた。きっちりと闇が表現された保山さんの映像も、さださんの歌声とも相まって見る者に神仏への畏敬の念を抱かせる。

 

 暗闇が身近にある奈良は、光にあふれた都会と違い常に神仏の気配を感じられる。保山さんの映像は国のまほろば・奈良の魅力も気付かせてくれた。(法)

2019年5月19日 (日)

目撃!にっぽん「風に舞う花びらのように~奈良 命の映像詩~」

5月19日に朝から放映がありました。関西エリアでの前の映像とは違う新たな映像でした。つい最近の5月6日の吉野山、11日の大阪がんセンターでの上映会なども映し出されました。保山さん体調が今ひとつとのことですが、体調に留意されてますますのご活躍を祈ります。

日曜
午前6時10分~ 午前6時45分
目撃!にっぽん「風に舞う花びらのように~奈良 命の映像詩~」

風に舞う桜の花、ハスにのった小さなカエル…。奈良を舞台に自然の営みを見つめた保山耕一さんの映像詩が人々の心を捉えている。がんを患いながら命と向き合う日々に密着。
風に舞う桜の花びら、ハスにのったカエル…。奈良を舞台に、小さな命の営みを見つめた映像詩が多くの人の心を揺さぶっている。撮影したのは、映像作家の保山耕一さん、55歳。テレビカメラマンとして様々な番組の制作に携わっていたが、がんを患ったのをきっかけに仕事を失った。その絶望の中で見えてきたのは、日常の風景に宿る美しさだった。「こんな自分だからこそ見えるもんがある」。命と向き合い、カメラを回す日々を追う。

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2019年5月11日 (土)

美ビット見て歩き *73

毎月楽しみにしている、川嶌一穂さんの美ビット見て歩きは「万葉集」と新元号「令和」です。
1200年以上前の和歌が今に通じる”新しさ”と書かれています。

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *73 川嶌一穂

「万葉集」と新元号「令和」

写真 福岡県太宰府市・大宰府都督府古跡(偕成社・猪股靜彌文・川本武司写真「万葉風土記(3)西日本編」より)

 

「万葉集」は1200年以上も前に編まれた歌集で、そのほとんどが「五七五七七」という音の区切りを持つ和歌だ。ということは、遅くとも8世紀には日本語の五音七音の感覚が成立していた。つまり語彙と文法構造がすでに確立していたということだろう。
 しかし日本語には文字がなかった。そこに大陸から半島を経由して、たとえば仏教や律令制度とともに漢字が入ってきたとして、私たちの先祖は、それをどのように受け入れていったのだろう。現代のコンピュータやAIなどとは比較にならない、根源的な知の変革だったはずだ。
 大雑把に言って、そのとき日本人は公文書に中国語を採用した。一方で固有名詞などの日本語は、漢字が表す意味とは全く関係なく、音だけを借りて表記した。いわゆる万葉仮名である。
 つまり日本人は、中国語を採用することで、大陸の知とテクノロジーに直接アクセスできるようになった。と同時に、日本語を表記する文字を手に入れた。
もしも中国語だけを採用していたら、言葉としての日本語はおろか、独自の文化文物を保つことはできなかった。もし後者に特化していたら、日本の知の蓄積は数百年単位で遅れただろう。どちらの場合も、日本の独立はなかった。
 8世紀初頭の「古事記」序文に、「すべて中国語で述べると、心を表現しきることはできないし、全音を万葉仮名で表すと、文が長くなりすぎる」とある。今も「春」を大和言葉で「はる」とも、中国語的に「シュン」とも読むように、漢字の習得に時間はかかるが、先人たちのあっと驚く工夫にただ脱帽だ。
 若い頃は不便だとは思っても、とくに愛着のなかった元号だが、この歳になると、身に添ったいい時間軸だと感じる。新元号「令和」は、はじめて日本の古典から採られたとして話題になっている。しかし典拠となった「初春令月気淑風和…」は、万葉集第五巻「梅花の歌三十二首併(あわ)せて序」の「序」の部分から採られた。大和言葉で詠われた歌の部分ではない。漢文で書かれた序文だから、中国の詩文、たとえば習字でお馴染みの「蘭亭集序」などを手本にしている。
しかし最初の「大化」(645年)から、わが国の年号をずっと中国の古典に求めていたことが、今となっては不思議な気がする。
 この梅見の宴の主催者である大伴旅人は、妻とともに平城京・佐保の自宅に梅の木を植えてから、64歳という高齢で任地・大宰府に旅立った。西日本の防衛の拠点である。冬の長旅が堪えたのだろう、着任後まもなく妻が病死する。宴での旅人の歌「我が園に梅の花散るひさかたの天(あめ)より雪の流れ来るかも」には、亡き妻への想いが込められているように感じる。
 任を終えて奈良の家に戻った旅人は次の歌を詠んだ。「吾妹子が植えし梅の樹見る毎に心むせつつ涙し流る」。これは現代人の悲しみそのものではないか。「万葉集」は古いが故に貴重なのではない。今も新しい故に素晴らしいのだ。

 

=次回は6月14日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

 

2019年4月14日 (日)

入江泰吉「祈り」展

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入江泰吉記念奈良市写真美術館では、6月16日まで入江泰吉「祈り」展がひらかれています。

写真は1970年頃、「飛鳥石舞台古墳」です。

入江泰吉記念奈良市写真美術館のHPです→http://irietaikichi.jp/

 

2019年4月12日 (金)

京都・北野天満宮 美ビット見て歩き

奈良新聞でいつも楽しみにしている、川嶌一穂さんの美ビッド見て歩きは、京都の北野天満宮です。一度訪ねたことはあるのですが、年中良いところというご紹介です。

また新年号が太宰府ゆかりであることからいま注目されています。大伴旅人、山上憶良、万葉集そして太宰府に左遷された菅原道真など。九州国立博物館もある太宰府にはいちど訪ねたいものだとおもいます。

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クリックすると拡大します。

 

 

美ビット見て歩き 私の美術ノート *72 川嶌一穂

 

京都文化博物館「北野天満宮 信仰と名宝」展

 

写真 「八棟造(やつむねづくり)」と呼ばれる複雑な構成の北野天満宮本殿(著者撮影)

 

総本社・北野天満宮、菅原家発祥の地・奈良市の菅原天満宮、道真終焉の地・太宰府天満宮をはじめとして、菅原道真(845-903)を祭神とする「天神さん」は、全国に一万数千社もあるという。どの天神さんにも必ず道真の愛した梅の木が植えてある。
道真が56歳という高齢で九州の大宰府に左遷されたのは、今で言えば2月のはじめ。まだ寒い京都も、早い梅はちらほら咲いていたかもしれない。赦されて京に帰ることなく、道真は2年後にかの地で没した。
 それから続いた天変地異が道真の祟りと恐れられ、亡くなって二十年後、剥奪された官位・右大臣に復される。さらに二十数年の後に北野天神が創祀された。
 その間の事情を記す、数ある北野天神縁起のうち最古の絵巻である国宝「承久本(じょうきゅうぼん)」(13世紀)は、今回の展覧会の中心だろう。よほどいい顔料を使っているのか、目にも鮮やかな色彩を保ち、大画面に人物や地獄の鬼の群像が生き生きと描かれている。
 道真の六百年忌(1503年)に奉納された土佐光信描くところの「光信本」縁起絵巻は、承久本とはまた違った、大和絵の土佐派らしいしっとりとした描写が好ましい。
 北野天満宮を様々な切り口で紹介する今回の展示の中で興味深かったのは、豊臣家との関係である。応仁の乱以後、荒廃していた境内で、天正15年(1587)秀吉が大茶会を開いた。茶の湯が好きなものは身分によらず「釜一つ、釣瓶一つ、飲み物一つでも引っさげて来るように」と秀吉がお触れを出した野点茶会だ。江戸後期の作だが、「北野大茶湯図」の中で、小屋掛けの茶席にかしこまって座っている太閤秀吉の姿が微笑ましい。
 展覧会は明後日までだが、京都の北に位置する北野天満宮は何度も訪れたい神社だ。
この春、梅の時期に伺い、秀吉の築いた御土居から本殿を見て驚いた。正面からでは分らなかったが、檜皮葺きの屋根が幾重にも重なっている。慶長年間(1607年)に豊臣秀頼が建て替えた社殿で、拝殿と本殿を石の間でつないで一体とし、更に脇殿や楽の間をつないだ複雑な構造だ。三光門とともに、伸びやかな桃山の遺風を今に伝える建築。
この様式は秀吉を祀る豊国廟に採用され、さらに豊臣家滅亡のあと豊国廟を破却した家康を祀る日光東照宮に受け継がれた。
 花が終れば、すぐに御土居の青もみじが美しい季節を迎えることだろう。

 

=次回は5月10日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

 

メモ 京都文化博物館 京都市中京区三条高倉。地下鉄「烏丸御池」駅下車、5番出口から三条通を東へ徒歩3分。電話075(222)0888。会期は14日(日)までなのでご注意下さい。
北野天満宮 京都市上京区馬喰町。JR京都駅から「北大路バスターミナル」行き市バスに30分乗車、「北野天満宮前」下車、徒歩5分。電話075(461)0005。宝物殿の開館日に注意。

 

2019年3月10日 (日)

美ビット見て歩き*71金春康之演能会「楊貴妃」

毎月奈良新聞に連載の、楽しみにしている川嶌一穂さんの美ビット見て歩き、今月はお能です。奈良はお能の発祥地であり、よく能が演じられます。奈良春日野国際フォーラム甍は、1988年の奈良シルクロード博覧会の折つくられた県新公会堂が現在そのように呼ばれています。一時ビッグルーフとその屋根瓦の広さからニックネームがつきましたが定着しませんでした。500名収容の立派な能楽ホールが1階にあります。講演会などでも能舞台は特別で、よく講師の方が白足袋をはいてあがられています。影向の松のある神聖な舞台だからでしょう。金春康之さんは以前奈良市の文化の審議会で1年間ご一緒でした。31日には金春康之演能会「楊貴妃」があるそうです。

http://www.i-ra-ka.jp/riyou/sisetsu/noh/

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *71 川嶌一穂

金春康之演能会「楊貴妃」(奈良春日野国際フォーラム甍)

写真 「楊貴妃」シテ金春康之 平成19年 奈良県新公会堂能楽ホール=金春康之師提供

 能は友人に誘われてたまに見るくらいで、だいたい途中で一回は心地よく眠りについていたのだが(すみません!)、6年前に奈良在住の金春流シテ方・金春康之師による能「定家」を拝見してから、とつぜん面白くなった。
 なぜそんなに急にお能が好きになったのかを考えてみると、両親を亡くした時期と重なったことに関係があるように思う。逝ってしまう本人の思い、残される者の思いとは何の関係もなく、突然その日が来る。否応なく人は死ぬ、それを能はくり返し語っている。そのことを、能の真髄を掴み取った康之師が、体現して見せて下さったのではないだろうか。
 奈良で育ったことも大きく影響しているだろう。奈良は能楽発祥の地である。能の大成者、観阿弥とその子・世阿弥(1363?~1443?)は、春日大社・興福寺に奉仕する大和猿楽に属していた。現在の観世、宝生、金春、金剛各流派も、みな大和猿楽に属していたし、能舞台の正面奥に描かれている松は、春日大社一の鳥居脇の「影向(ようごう)の松」である。舞台で演じられる能は、いわば春日若宮おんまつりの弓矢立合が再現されているとも考えられる。
「井筒」「野守」「当麻」など奈良を舞台にした曲は数多いし、それ以外でも曲中によく知っている地名が出て来るので、とても親しみやすい。たとえば、昨夏にやはり康之師のシテで拝見した「浮舟」では、ワキ僧が、初瀬から三輪山、奈良を通って狛から宇治に到着する。距離感も分かるし、何よりも周囲の景色が浮かんでくるのはまさに奈良育ちの特権だ。
 能の流派の中でも金春流は、とりわけ奈良との縁が深い。宗家は東京に移られたが、分家の穂高師や、元禄年間に奈良から転居した広島大鼓金春流の別家ゆかりの康之師らが奈良で活躍されている。
 康之師が毎年春に開かれる演能会が、今年でもう25回になる。今回の演目は、世阿弥のむすめ婿・金春禅竹の作「楊貴妃」だ。楊貴妃は玄宗皇帝の寵姫で、唐の滅亡を招いた文字通り傾国の美女だが、何と今年が生誕1300年とか。早くに演目を決めていた師が、後でそれを知って驚かれたそうだ。きっと仙女となった楊貴妃が、仙界から師にパワーを送ったのだ!
 精神性の高い師の演能は玄人好みと言われるが、昨日きょう能を見始めた私のような素人でも、謡と所作と詞章が一つに溶け合った師の美しい能を、ただ素直に楽しむことができる。
 「楊貴妃」の出典、白楽天作「長恨歌」の一節が浮かんでくる。…天へ行くなら鳥となり/翼を連ねて飛びたいね。地上にいるなら木となって/枝からませて住みたいわ(武部利男訳を一部変更)。春の奈良が待ち遠しい。

=次回は4月12日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

メモ 金春康之演能会 3月31日(日)午後2時~5時。奈良春日野国際フォーラム甍(元の新公会堂)。狂言「鬼瓦」、能「楊貴妃」ほか。問い合わせ・申し込みは、金春康之後援会事務局、電話0743(56)3169(10時~17時)まで。観光シーズンなので、道が混みます。時間に余裕をもってお出かけ下さい。

2019年2月22日 (金)

顔真卿  展へ

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先日東京へ行く用事があり、早朝の電車に乗って東京・上野の東京国立博物館を訪ねました。顔真卿展を拝見しました。唐の時代の人です。大きな作品は唯一写真を撮っても良いということでした。会期も24日までと迫っていて、多数の人が観覧されていました。
台北の故宮博物院でもなかなか見られないということで、中国の人も多数見に来られているのが言葉を聞いてわかりました。
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特別展のHPです
→https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1925

2019年2月16日 (土)

2月22日から、奈良市写真美術館では。

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2月22日から4月7日まで、奈良市写真美術館では、奈良の世界遺産という入江泰吉写真展がひらかれます。また第3回入江泰吉記念写真賞受賞記念展。そして第3回ならPHOTO CONTEST「ならを視る」受賞作品展があります。友人の奥田勝紀くんがみごと入選。ならしみんだより1月号の表紙も飾っています。
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入場料500円。ただし70才以上の方など無料。

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