フォト
無料ブログはココログ

2018年2月10日 (土)

美ビット見て歩き 私の美術ノート *59 

毎月楽しみにしている川嶌一穂さんの美ビット見て歩きは、お正月をはさんで2か月ぶりに、奈良新聞に載っています。

武器を飾り美しく、とあり「たがねの華ーー光村コレクションの刀装具」です。

 

Img430

Img431

美ビット見て歩き 私の美術ノート *59 川嶌一穂

大阪歴史博物館特別展『鏨(たがね)の華―光村コレクションの刀装具』

写真 「鬼念仏・笛吹地蔵図目貫」大月光弘作 1組のうち鬼念仏図目貫 江戸時代・19世紀 根津美術館蔵=大阪歴史博物館提供

 昭和30年代、テレビが普及する前の庶民の娯楽と言えば映画、それもうちは東映の時代劇が多かった。冬は奈良の小西通りで夫婦饅頭(回転焼きのこと)を買って行って、頬張りながら見るのがお定まりだった。その回転焼き屋さんを最近見ないな、と思っていたら、少し南に行った椿井市場の中に移転したらしい。それはぜひ行かねば!

 大川橋蔵の月形半平太、中村錦之介の一心太助など思い出すとキリがない。今でも「飛び道具とは卑怯なり」とか、「小次郎、敗れたり」などという映画の中の台詞が、ひょいと口をついて出て来ることがあって、自分でも笑ってしまう。「鯉口を切る」などという表現も、詳しく分らないままに覚えてしまった。

 意外や意外、今は若い人の間で刀剣がブームらしい。伝統はモノが残ること以上に、それに価値を見出すヒトがいて始めて次代に伝えられるものだから、それは嬉しいことだ。 

 明治10年(1877)、大阪島之内で富裕な実業家の長男として光村利藻(みつむら・としも)が生まれた。彼が成人した明治30年というと、維新を担った世代が退場し、江戸文化も日々に廃れていく時代だが、その頃、彼は製造技術の継承も危なくなっていた刀剣や刀装具の収集にのめり込んでいった。 

 しばらくして彼の事業が行き詰ることになるが、幸いにも彼のコレクションは、昨年2月の本欄でも紹介した「鉄道王」根津嘉一郎が一括購入し、今では根津美術館の誇るべき蔵品となっている。 

 写真の目貫(めぬき)は、大津絵から抜け出たようなユーモラスな表情をした鬼を象ったもの。5センチに満たない小さなものだが、胸に下げた鉦を叩く音が聞こえてくる気のする生き生きとした造形だ。目貫は、もともと刀心と柄(つか)を固定させる釘の頭の飾りで、その上に柄巻が施されるが、次第に実用を超えて装飾になっていった。 

 目貫だけではない。会場の刀装具の何と美しいことか。武器である刀を何故こんなに飾る必要があるのだろう。 

 それで思い出したことがある。以前、アメリカ人の入国審査官と飛行機で隣り合ったことがあった。彼は、9・11以後、拳銃の携行が義務付けられ、武器を持つことのストレスがすごいのだと話した。戦いのなくなった江戸時代の武士とて、その気になれば人を殺傷できる刀を常に身に着けることの重圧は大きかったに違いない。その責任を引き受ける矜持の印として、また緊張感を和らげる慰めとして、刀は美しくあるべきだったのではないだろうか。さて、みな様は会場でどう感じられるだろうか。
 

=次回は平成30年3月9日付(第2金曜日掲載)=

・ ・・・・・・・・・・・・・・・

かわしま・かずほ

元大阪芸術大学短期大学部教授。

メモ 大阪歴史博物館 大阪市中央区大手前4-1-32、NHK大阪放送会館隣り。
電話06(6946)5728。
地下鉄「谷町四丁目」駅②号・⑨号出口。
会期は3月18日(日)まで。
火曜日休館なのでご注意下さい。4倍程度の単眼鏡を持っている方はお忘れなく。

 

 

2018年1月29日 (月)

正倉院展の短歌コンクール

すこし面映いのですが、ご報告です。

正倉院展のとき、短歌と俳句のコンクールをされています。

平成29年度、短歌は6回目、俳句は2回目ということです。最近ダメでもともとと、毎年短歌を投稿しているのですが、いつも落選でした。
平成29年も2首投稿したところ、なんと審査員特別賞をいただくことができました。短歌は1,103人から1781首の投稿があったということです。

反古紙(ほごかみ)に書かれし戸籍葛飾の柴又と言ふ寅さん思ふ

1月27日、読売新聞の大阪本社で表彰式がありました。

Img417


P10104471 P10104542

短歌、俳句それぞれ一般の部とジュニアの部がありました。読売新聞の正倉院展のHPに載っているとのことです→http://mik2005.jp/shosoin/tanka/

また読売新聞にも載るそうです。

以下図録より。

  P10104253P10104241


一度使った紙背(しはい)紙の裏に戸籍が書かれています。下総、葛飾、いまの葛飾柴又と比定されると書かれています。
葛飾柴又といえば寅さんの映画で何度も見ていますし、3年ほど前には一度実際に訪れました。

表彰式当日、やはりこの戸籍を題材に詠まれている石田精一郎さんにもお会いできいろいろお話できました。石田さんは葛飾柴又ご出身でこの戸籍が出るのを楽しみにされていたということです。

2017年12月 9日 (土)

美ビット見て歩き 私の美術ノート *58 

毎月奈良新聞で楽しみにしている、川嶌一穂さんの美ビット見て歩き 私の美術ノートですが、今年最後は、50年前の高校時代の「手古奈のふる里」についてです。高校時代の友人と行かれたとのこと、こういう思い出は良いですね。見習って、あちこち行きたいものです。たしか旅行のPRで「大人の修学旅行」というのがありました。

Img352

Img353

美ビット見て歩き 私の美術ノート *58 川嶌一穂

手古奈のふる里 千葉県市川市真間

写真 真間山弘法寺仁王門=著者撮影

 

 もう半世紀も前のことだが、私が女子大附高2年生のとき、山口佳恵子先生(現在日本トスティ協会芸術監督)の指導のもと、有志が集まってオペラの自主公演をした。勉強はそっちのけで、夏休みも毎日学校に通って練習に励んだ。プログラムは一幕物の『真間の手古奈』である。衣装は一条高校演劇部に貸して頂き、脚本は音楽之友社から出ていた服部正作曲の音楽台本を使用した。 

 美しい少女・手古奈(他に「手児奈」など複数の表記あり)を巡って男たちが争い、それを苦にして手古奈が入水してしまうという物語を下敷きにしたオペラである。 

 手古奈伝説は万葉集にも詠われている。

 

 勝鹿の真間の井を見れば立ち平(なら)し水汲ましけむ手児奈し思ほゆ 高橋虫麿(巻九―一八〇八)

 

葛飾の真間の井戸を見れば、ここに水を汲みに通った手古奈が偲ばれることだ、という歌意。

 

奈良人は、万葉のふる里は奈良だと無意識に思っている。明日香村に県立万葉文化館があり、県内には万葉歌碑が230もあるのだから(奈良女子大古代学学術研究センター「万葉歌碑データベース」)当然である。
実際は、万葉集に収められた4500余首のうち、約2800首に地名が詠われ、その4分の1が奈良県の地名らしい。もちろん断トツ一位だが、県外の地名がそれ程多いというのは予想外だった。
 

 奈良以外の地名は、巻十四の東歌や、巻二十の防人の歌などに詠み込まれている。防人の歌は、北九州の国境警備のために東国から徴集された防人に、兵部少輔(今の防衛事務次官か)・大伴家持が作らせたものである。
 

先月、かつてひと夏をオペラの練習に費やした仲間9人が集まって、千葉県市川市真間にある手古奈ゆかりの地を訪ねた。市川駅から弘法寺(ぐほうじ)に向かう「万葉の道」には、民家の塀に万葉歌のパネルがたくさん飾られていた。

 

弘法寺は、天平九年(737)にこの地に立ち寄った僧・行基が、手古奈の話を聞いて哀れに思い、その霊を弔うために建立したのがはじまりという。残念ながら明治の火災で堂宇はすべて焼失し、写真の仁王門も昭和の再建である。阿形像は火中より救出され、補修復元された貴重なお姿である。

 

団塊の世代の私たちは、オペラ「手古奈」を演じながら、万葉集やゆかりの地にまったく興味がなかった。長い会社勤めや子育て、介護を経て、今はお寺や古い街並みを散策するのがこの上なく楽しい。ようやく少しは成長したということだろうか!

 

来年正月はお休みを頂きます。みな様どうかよい年をお迎え下さい。
 

=次回は平成30年2月9日付(第2金曜日掲載)=

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・

かわしま・かずほ  

元大阪芸術大学短期大学部教授。

 

メモ 真間山弘法寺 千葉県市川市真間4-9-1。電話047(371)2242。JR市川駅より北へ徒歩15分。

 

 

2017年11月27日 (月)

信楽・ミホミュージアムへ

所用あり、滋賀県の信楽に行きました。奈良市から車で約1時間。私の好きな快適な道です。そして久しぶりに、ミホミュージアムを訪ねました。開館してちょうど20年とのこと。特別展も開かれており、にぎわっていました。初夏にはよく訪れますが、紅葉の時期は初めてのような気がします。なかなか良いものです。
Cimg1145 Cimg1135
Cimg1133 Cimg1144 Cimg1140 Cimg1136
設計のI.M.ペイ氏はいまもニューヨークで100才で健在ということでした。観光でしょうか、中国系の人もたくさん来られているように見受けました。
Cimg11381_2
 
Img334 Img335

ミホ・ミュージアムのHPです→http://www.miho.or.jp/

2017年11月19日 (日)

「時の雫」  保山耕一さんを支援しましょう

Cimg072812
 氷室神社にて。2017年11月1日
 
癌の治療をしながら奈良の撮影をつづけられている保山耕一さんですが、以下のような書き込みがありましたので紹介します。微力ながら協力したいものです。 
 
 
「奈良には365の季節がある。
季節を詠んだ映像詩
撮影:保山 耕一

撮影を続けていくためにカンパをお願いします。
三井住友BK小阪支店(普)5231131
ホザンコウイチ

カンパのお礼にDVDかBlu-rayディスクをお贈りします。
メールにてご連絡下さい。」
保山耕一さんの素晴らしい奈良の映像はこの11月、365本を達成され、以下のYOUTUBEで公開されています。
そして、16日、毎日新聞奈良版に保山さんのことを詠んだ歌が、やまと歌壇に載りましたので披露します。
                                たた
奈良の美を映像に撮り奈良の良さ伝ふる君の仕事讃へむ
Cimg10582 Img307


18日行われた「奈良と会津1200年の絆」実行委員会のシンポジウムのあと、右端、保山耕一さん。奈良市中部公民館・大ホールにて
23561479_1466759033445846_200189415

16日、奈良女子大学講堂で行われた、奈良女子大学附属中等教育学校生徒への講演と上映された保山耕一さん。以下のように語っておられます。
「国立奈良女子大学付属中等学校での講演会、プレッシャーを感じながらも無事に終わりました。
責任を果たせてホッとした。
質疑応答が終わり、解散した後に数人の生徒が私の周りに集まってきて、いろんな話をすることが出来た。
中には泣いている女生徒もいて、私の言葉と映像を受け止めて感じてくれたことが嬉しかった。
生徒たちは真剣に私の話を聞いてくれた。
心から講演を引き受けて良かったと思う。
関係者の皆さま、本当にありがとうございました。
私が東京で手術を終え、暗闇の中で目的もなく生きていた頃、なら国際映画祭の上映がこの講堂で開催され、私は観客として客席からスクリーンを見つめていた。
その時に、一度でいいからこの会場のような大きなスクリーンで私の映像を上映したかった。そう思っていた。
上映の後は監督によるアフタートークがあり、若い頃に一度は監督を目指したその頃の自分を思い出していた。
術後の経過が悪く、長くは生きられないと、その時は失望のどん底だった。
上映もアフタートークも遠い遠い憧れ。どうすることも出来ない失望。負け組で終わる自分の人生への後悔。いろんな負の感情を持ちながら、この客席に座っていた。
それから3年がたち、まさか自分の作品をこの会場で上映し、講演する人生が待っているなんて想像すら出来なかった。
人生は不思議です。
たとえどん底でも、捨てたもんじゃない。
どんな未来が待っているか、誰にも分からない。
だから、最後の最後まで諦めないで前へ進むべきだ。
講演会を終えてそんなことを思い出していた。」

 

2017年11月11日 (土)

美ビット見て歩き 私の美術ノート *57 

Img296_2

いつも楽しみにしている川嶌一穂さんの美ビット見て歩きです。奈良・学園前の大和文華館の展覧会です。終了近し、早速行ってきました。50年ぶりの展覧会ということです。説明の音声ガイドを聞きながら、拝見しました。柳沢淇園は柳里恭と同一人物であることを初めて知りました。


Img297_2

美ビット見て歩き 私の美術ノート *57 川嶌一穂

大和文華館 特別展「柳沢淇園―文雅の士・新奇の画家」

写真 柳沢淇園筆 睡童子図(部分) 個人蔵=大和文華館提供

 日本人は昔から大陸の文物に憧れを抱き、江戸時代の文人の多くは、大陸風に一文字の苗字を名乗った。
たとえば山陽道に私塾を開いた江戸後期の漢詩人は本姓の「菅波」から取って、管茶山(かん・さざん)と称したし、画家・池大雅は、彼の通称名「池野」から一字取った名である。
思えば微笑ましくもあるが、柳沢淇園(やなぎさわ・きえん)も本姓の一字をとって柳里恭(りゅう・りきょう)と号した。
 柳沢家については第26回「柳澤家伝来の名品展」と第40回「六義園」で取り上げたが、淇園(1703~1758)は、柳沢吉保の筆頭家老の家に生まれ、22歳の時に主家の転封によって大和郡山に移った。
江戸の生活が恋しかったのだろう、その頃から随筆「ひとりね」を書いている。遊里で遊び尽くした体験から得たまさに巻措く能わざる随想だが、彼の絵や文字に一点の緩みも見られないのは少し不思議な気がする。
淇園の絵は生活のために売る必要がない、という意味で真の「文人画」と言うべきだろうが、「文人画」と聞いて想像するような、せいぜい淡彩の水墨画ではない。濃密な色彩を施した大陸趣味の道釈人物画や花鳥画がほとんどだ。
 写真は、春まだ浅い頃の書斎を描いたものだろう。虎皮の敷きものは暖かく、机上に活けた春蘭の香りに誘われて、墨を磨ったところで眠ってしまった。目覚めたら稽古を始めようか。それまでしばし幸せな夢を見ることにしよう。まさに文人理想の図である。

本展図録の巻頭論文で、橋爪節也阪大教授が学芸員の中部さんから、淇園展の企画を何度も要請されたと語っている。昨年亡くなった大和文華館学芸部長・中部義隆(なかべ・よしたか)氏は、琳派研究の第一人者・山根有三先生をして「ぼくの後継者」と言わしめた伝説の学芸員である。猥談に紛れて、筋の通らぬ世の中を批判したり、かと思えば客人を難波あたりに案内して「こんなん東京では食われへんやろ」と、若牛蒡の煮浸しを嬉しそうに食べさせたりする根っからの大阪人であった。
五十代半ばで亡くなった氏の人生を貫くものは、作品を見る確かな目と、緻密な論考である。私も拙い論文を読んで頂いたり、「歌って踊れる教授になって下さいね」と激励されたり(?)ずい分お世話になった。外の廊下にまで響く艶やかな声の列品解説がもう聞かれないと思うとほんとうに寂しい。
きっとあちらでも、この絵のように時々居眠りをしながら、研究三昧ライフを楽しんでおられることだろう。遅ればせながら、心よりご冥福をお祈りいたします。

=次回は12月8日付(第2金曜日掲載)=
・ ・・・・・・・・・・・・・・・
かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

メモ 大和文華館 奈良市学園南1-11-6。電話0742(45)0544。近鉄奈良線・学園前駅から徒歩5分。会期は明後日、11月12日(日)まで。残り少ないのでご注意下さい。
Img290 Img291
画像をクリックすると拡大します。




2017年11月 7日 (火)

『鹿政談』エピソード 日経新聞より

奈良の鹿を題材にした、桂 米朝師匠の『鹿政談』は面白くて、有名です。

日経新聞の『春秋』コラムに以前書かれていましたが、その続報が載っていました。奈良奉行が川路聖謨になったいきさつです。20年続いてこのほど閉店した「樹樹」で何度かお会いした、島田善博さんの進言であったということです。すばらしい提案であったと思います。

Img283

 

米朝師匠なりの思い入れがはたらいたのかも――と、この欄で書いたのは3カ月前だ。「鹿政談」という落語で粋なさばきを下す奈良奉行として、幕末の名臣・川路聖謨(としあきら)を桂米朝師匠が登場させたことについての当てずっぽうだった。これに読者から便りをいただいた。

 

▼同封されていた資料によれば師匠はもともと曲淵(まがりぶち)景漸(かげつぐ)という幕臣がふさわしい、と考えていた。大岡忠相(ただすけ)に匹敵する名奉行として、もっと広く知られていい、との思いがあったらしい。そこへある日、奈良県在住の島田善博さんというファンから手紙がとどいた。「鹿政談」の奉行に川路を起用してはどうでしょうか、と。

 

▼川路は実際にながく奈良奉行をつとめ、その善政は今も慕われている。噺(はなし)の筋とは違うけれど、鹿にからんだ裁判で人情に沿ったさばきをしたこともあった。こうした史実をしたため島田さんは推薦したのである。これを受け師匠はみずから史料にあたって噺を練りなおし、川路が活躍する「鹿政談」を世におくり出した。

 

▼地元・奈良のため大きな仕事をした川路を敬愛する島田さんの思いが、米朝師匠を動かしたわけである。そのころ師匠はすでに70代の後半を迎え、書きものをするのも読むのもしんどくなった、とぼやいていた。それでもなお会ったことのないファンの期待にこたえ、あたらしい噺づくりに挑んだ。存命なら今日で92歳だ。

桂米朝師匠の鹿政談のYOUTUBEhttps://www.youtube.com/watch?v=2jSLqV-mky0

2017年11月 3日 (金)

「真珠の小箱」と保山耕一さん

Cimg07231

かつて日曜日の朝のテレビ、近鉄提供の毎日放送の長寿番組として、「真珠の小箱」がありました。とても良い番組でした。

本にもなっていて今でも大切にしています。

映像作家の保山耕一さんから、30年前の懐かしい番組をYOUTUBEで見つけたとご紹介をいただきました。

https://youtu.be/E3_ElwyJGJA

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

https://youtu.be/E3_ElwyJGJA

初めてお水取りを取材した番組をYouTubeで発見。
その時は撮影助手でした。昨日のことのように覚えています。
名張の松明講も映っていますね。貴重です。
これは4回連続でお水取り特集の最後の回だと記憶しています。カメラは間宮さん、照明は湯元さんでした。
...
「真珠の小箱」から「美を求めて」のリレーを懐かしく思い出しました。
この時から、私と奈良の関わりが始まったのです。
そして、これから20年がたち、私は「真珠の小箱」の最終回スペシャルの撮影を任されるのでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

毎月1日に氷室神社で行われている会、ひむろしらゆきサロンに参加してきました。
前半に氷室神社大宮守人宮司の「日の出の春日野散歩」の貴重なお話がありました。
そして甘酒をいただいたのち、後半は、保山耕一さんの映像を拝見してきました。
めったにない濃霧の朝の奈良の映像など、素晴らしい映像でした。
奈良の魅力を撮り続けておられる「奈良、時の雫」も362本とか。
おからだをご自愛いただき、ますますのご活躍を期待しています。

https://www.youtube.com/watch?v=yPiv8kDzSQc&list=PLS5Pw7C3Z4tCwQ10as2VF9Q-6Du_hWEpF

Cimg07271 Cimg07281

2017年10月29日 (日)

11月1日から、プライベート美術館

Img265


11月1日から15日まで、近鉄奈良駅周辺店舗、ほか県内各地でプライベート美術館がひらかれます。

県のHPによれば、以下の通りです。

次のとおり「プライベート美術館」を開催しますので、是非、多くの会場に足をお運びいただき、まちあるきとともにアート作品をお楽しみください。

今年度は、「第32回国民文化祭・なら2017」「第17回全国障害者芸術・文化祭なら大会」の開催にあわせて規模を拡大し、県内70ヶ所で約380点の作品を展示します。また、10月27日(金)~11月5日(日)の期間は、「奈良・町家の芸術祭 はならぁと2017」と連携し、橿原エリアでも展示を行います。詳しくは、別添の会場案内マップをご覧ください。

なお、展示時間は、各会場の営業時間により異なりますので、ご注意ください。

 

開催日時:平成29年11月1日(水)~15日(水)※ 一部をのぞく

会  場:県内各地のカフェ、ショップ、社寺など 70ヶ所
主  催:厚生労働省、文化庁、奈良県、第17回全国障害者芸術・文化祭実行委員会、
              第32回国民文化祭奈良県実行委員会

会場案内マップは→
こちら(pdf 4837KB)
プライベート美術館ガイドブックは→こちら(pdf 4312KB)
報道資料は→こちら(pdf 161KB)

2017年10月17日 (火)

美ビット見て歩き 私の美術ノート *56 「地獄絵ワンダーランド」

毎月、楽しみにしている川嶌一穂さんの美ビット見て歩き 私の美術ノート 龍谷ミュージアム・秋季特別展「地獄絵ワンダーランド」は、13日奈良新聞に掲載されました。

Img246

Img247

美ビット見て歩き 私の美術ノート *56 川嶌一穂

龍谷ミュージアム・秋季特別展「地獄絵ワンダーランド」

写真 十王図(部分) 江戸時代・日本民藝館〔展示期間9月23日~10月15日〕=龍谷ミュージアム提供

夏に奈良国立博物館で開かれた「源信―地獄極楽への扉」展に行けなかったので、先日JR京都駅から歩いて「地獄絵ワンダーランド」展に出掛けた。地獄がワンダーランド?といぶかしく思いつつ会場に着くと、観客でいっぱいだった。
今年は、日本人の地獄イメージを形作った『往生要集』を著した源信(げんしん。942~1017)が没してちょうど千年にあたる。紫式部の源氏物語が完成した少し後の、まさに貴族文化が頂点を極めた頃である。しかし自然災害や社会の大変動から来る不安が人々の心に忍び寄っていたのだろう。この頃描かれた「六道絵」は陰惨な場面の連続だ。
鎌倉時代は、大陸から「地獄十王図」が輸入され、日本の絵師たちがそれを手本として十王図を量産した。唐の官服を身につけた閻魔大王、三途の川のほとりで死者の着物を剥いで罪の重さを計る奪衣婆(だつえば)など、今の私たちにも伝わる地獄イメージの原点だ。
面白いのは、ここからの展開。江戸時代「地蔵十王経」という絵入りの経本が出版された。本展図録の解説によると、お経は偽経だそうだが、印刷本は普及の度合いが全く違う。
ここで描かれる地獄では、釜茹でにされている亡者も余裕の表情だ。版を彫る職人も、見る者もおおかた庶民である。庶民は自分の手で魚をさばいたり、蚊やゴキブリと戦いながら日々暮らしている。殺生をした者は「等活(とうかつ)地獄」に堕ちる、と言われても困ってしまう。ユーモアさえたたえた描写は、殺生をしながら生きていくしかない自分、天変地異から逃れられないこの世の中を、「地獄」として丸ごと飲み込んでいく覚悟の表れだろう。
さあ、ここから地獄はワンダーランド!たとえば18世紀後半の大坂の絵師・耳鳥斎(にちょうさい)は、「別世界巻」と題する絵巻で、地獄をとことん洒落のめしている。歌舞伎役者は大根と一緒に大釜で煮られ、芸妓の営業時間を線香で計っていた置屋は、線香と同じように燃やされてしまう。江戸はほんとに面白い。
写真の素朴な「十王図」は、民芸運動の創始者・柳宗悦(やなぎむねよし)の旧蔵。点数は少ないが、白隠(はくいん)、木喰(もくじき)の作品もいいものが出ている。向かいの西本願寺の銀杏は少しだけ黄葉が始まっていた。
子どもの頃、嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるよ、と大正生まれの母がよく言っていた。さすがに信じてはいなかったが、頭の中に強烈なイメージが沸き起こって、口答えしようとする出鼻を挫かれてしまった。地獄の効き目は確かにあった。

=次回は11月10日付(第2金曜日掲載)=
・ ・・・・・・・・・・・・・・・
かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

メモ 龍谷大学・龍谷ミュージアム 京都市下京区堀川通正面下る。電話075(351)2500。京都駅から北西方向へ徒歩12分、西本願寺前。会期は11月12日(日)まで。月曜休館。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Dsc_121311

写真は、この夏、奈良国立博物館で開かれた「源信」展。これぞ地獄。

より以前の記事一覧

2018年2月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28