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2020年11月17日 (火)

美ビット見て歩き 89

いつも楽しみにしている、川嶌一穂さんの美ビット見て歩きが奈良新聞に掲載されていました。

京都の泉屋博古館センオクハクコカン   https://www.sen-oku.or.jp/

の特別展覧会です。蹴上駅から南禅寺境内を歩いて行く道がおすすめとのこと、今の時期はさぞかし良いだろうと想像することです。

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新聞はクリックすると拡大します

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ポスターです→

美ビット見て歩き 私の美術ノート *89 川嶌一穂

「開館60周年記念名品展II 泉屋博古#住友コレクションの原点」

写真 天皇の鳳輦(ほうれん)『二条城行幸図屏風』(部分) 紙本金地着色 六曲一双 江戸時代・17世紀(泉屋博古館提供)

 6年前の野村美術館の回でもご紹介したが、泉屋博古館へもぜひ京都市営地下鉄東西線の蹴上駅で降りて、レンガ造りの小さなトンネルを潜り、南禅寺の境内を歩いて行きたい。これからちょうど紅葉も見頃となるだろう。
 住友は四百年以上前に「南蛮吹き」と呼ばれる銅の精錬技術を開発し、別子銅山を中心として、「世界有数の銅産出国」(石油天然ガス・金属鉱物資源機構HP)だった江戸期日本の銅の生産・輸出を支えた。
 住友家伝来の美術品を収蔵・公開する泉屋博古館は、古代中国の青銅器を中心とする素晴らしいコレクションで知られているが、意外にもそのほとんどが十五代当主・春翠住友吉左衛門(一八六五〜一九二六)によって収集されたものだという。明治維新の混乱期に事業が逼迫したためだ。
 春翠に限らず、数寄者と言われた明治の実業家の多くが中国古銅器を集めた。それは主に煎茶の茶会の折に、茶席や展観席で飾られた。とりわけ中国趣味の西園寺公望の実弟でもある春翠は「煎茶の総大将」と称された。今回の「開館60周年記念名品展」でも、紀元前14世紀の道具から、19世紀清朝の壺まで青銅器が数多く展示されている。
 本展で私が一番楽しみにしているのが『二条城行幸図屏風』だ。泉屋博古館の収蔵品の中では珍しく、江戸期から住友家に伝来したもので、江戸前期の制作だとすると、その保存状態のよさは驚くばかりだ。写真は、そのごく一部で、屋根の上に鳳凰の飾りを載せた鳳輦(ほうれん・天皇の乗り物)である。
六曲一双屏風は、六扇(六枚折り)の屏風を二隻(せき)並べて一組として鑑賞するものだが、とくに本作は合計十二扇の絵柄が一続きに連続する。  
右隻左隻とも、真ん中に棚引くすやり霞(金色の霞)が、上下二段に画面を分けている。行列は上段が右向きに、下段が左向きに進む。洛中洛外図屏風だったら、最初に清水寺の舞台を見つけて、それから徐々に三十三間堂、鴨川と探していくのだが、これはどうにも場所が特定できない。
泉屋博古館編『二条城行幸図屏風の世界』(サビア刊)によると、上段は堀川通りを西側から見て、中立売から二条城へ進む天皇の行幸を、下段は中立売通りを北側から見て、堀川から御所へ参内する将軍の行列を描いているという。実際には、朝に将軍が天皇奉迎のために二条城から参内し、その後に行幸となる。先頭は中宮和子(まさこ)である。
 描かれる天皇は後水尾天皇、将軍は徳川三代将軍家光。時は寛永三(1626)年、元和偃武(げんなえんぶ)からまだ11年しか経っていない。
家康は、早くも大坂夏の陣の終結直後に、禁中并公家中諸法度を二条城において発布している。後水尾帝は二代将軍秀忠の娘・和子の入内を拒否したいがために譲位しようとしたが、容れられなかった(熊倉功夫『後水尾天皇』中公文庫)。しかし、この行幸の3年後に突然譲位を決行し、その後50年にわたり院政をしく。本阿弥光悦ら文化人を庇護して一大サロンを築き、修学院離宮の造営も指示した洗練された趣味の持ち主だった。
 着々と天皇の実質的な権威を奪っていくが、しかしその権威を自らの権威付けに利用する幕府と、財政的には幕府に頼らざるを得ない天皇、両者それぞれの思惑を内に秘めて、豪華な道具立ての中で行列は粛々と進む。それを知ってか知らずか、熱狂する群衆。まことに「見れどあかぬかも」、実物を拝見するのが楽しみだ。
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

=次回は12月11日付(第2金曜日掲載)=

メモ
泉屋博古館 京都市左京区鹿ヶ谷下宮ノ前町24。電話075(771)6411。https://www.sen-oku.or.jp/kyoto
バスなら、京都駅前から市バス100系統に30分乗車、「宮ノ前町」下車すぐ。お勧めは、地下鉄東西線「蹴上」駅下車、1番出口より北へ徒歩20分。会期は12月6日(日)まで。「二条城行幸図屏風」の展示期間は、11月17日(火)〜12月6日(日)まで。

 

2020年10月15日 (木)

保山耕一さん上映会へ

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保山耕一さんの上映会は、最近、相次いで本を刊行された、岡本彰夫さんと興福寺執事の辻明俊さんを迎えての新刊を語るというテーマの、ならどっとFMの公開放送でした。保山耕一さんの「祈り」などの映像が映し出されました。

対談される岡本彰夫先生と辻明俊師。

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辻 明俊師の東金堂の薬師如来への疫病退散のお祈りが最後に唱えられました。参加者も合掌されていました。

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そして興福寺の五重塔を背景に、バスターミナルの屋上での夕暮れから夜にかけてのコンサート。興福寺の夕方6時の鐘が聞こえました。

桃蹊さんの「ASURA ちから」の大きな書が出演の皆さんのメッセージとともに書き上げられました。

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当方最近多用で伝えきれませんので、了解を得て、村上浩司さんの伝える素晴らしいレポートを以下引用させていただきます。村上さんありがとうございます。

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昨日(10月11日)は、
岡本彰夫先生の『日本人よ、かくあれ』と辻明俊師『興福寺の365日』の出版記念イベントでした。
元春日大社権宮司でおられた岡本先生は、ご著書の出版に当たって、
「その昔、お寺から信者の人やお参りにきた方に読んでもらうために渡していた〝施本の文化〟のように皆様に読んでもらえたら」と。
また、興福寺の辻明俊執事は、
「日々の修行、僧侶になったわけ、お寺で起こる不思議な出来事や歴史の話。積み重ねた時の記憶を、保山氏の映像とともに縦横無尽に紡いだ」
とそれぞれ説明されました。


講談師・玉田玉山さん、
アナウンサー・上本京子さん、
シンガーソングライター・大垣知哉さん
によるそれぞれ本の一節の朗読の後、
お二人の対談。
・春日大社と興福寺のご縁の話
・長年途絶えていた法要復活?の話
・声明の話  などなど
いつもの様に時間が足らず、
でもまだまだ話は尽きず、この続きを
来月11月8日(日)に90分ノンストップの対談で再び聞ける事が決定❗️ 楽しみです。
第一部の最後は辻明俊氏による
疫病退散のお祈りに会場全体が包まれました。


そして、屋上に場所を移し、
第二部は「夕暮れコンサート!
興福寺五重塔を望みながら、
多彩なアーティストの方々のライブ演奏🎶。
野上朝生さんの『アーリア・阿修羅バージョン』
をバックに、桃蹊さんの書のパフォーマンスで
幕開けです。
ソプラノの平岩雅子さんは『落葉松』を熱唱。
奈良の秋にぴったり。
ちょうど、興福寺の梵鐘が
雰囲気を盛り上げてくれました。
ピアニスト・すみ かおりさんは、『糸』を弾き語り。
すみさんの歌声、初めて聴かせていただきました。
木塲 孝志さんの二胡と牧野由希子さんによる中阮の
〝中国楽器コラボ〟、
さらには、了水さんによる薩摩琵琶と二胡との
〝日中楽器コラボ〟が圧巻‼️
日が落ちた暗い空間にぴったりの幽幻さ。
そしてラストは、一部のオープンニングを飾った
寧鼓座・和太鼓の木山実樹さんも加わっての
大垣知哉さんの『花となれ』。
あーーー、このメンバーでの、
ここでしか聴けない多彩な楽器による
夢のコラボ。最高でした。
ミュージシャンの方々がそれぞれ演奏後一言ずつ寄せ書きし、再び桃蹊さんが仕上げた書❗️
そこには『ASURA いのち』の文字が‼️
まさに、一部と二部が繋がり、
祈りと、夕暮れの空と、音が繋がり、 
みんなの気持ちが繋がり、
1300年の流れと、今と、『いのち』が繋がり…。
その時、僕の頭の中には、
保山さんの710→2020のオープン映像が、
興福寺を巡る時の流れが、
再び流れていました。

2020年10月11日 (日)

美ビット見て歩き *88

毎月楽しみにしている奈良新聞に連載の川嶌一穂さんの美ビット見て歩きも米88回目です。この10月は奈良まほろばソムリエの会でよく存じている小倉つき子さんの力作、『廃寺のみ仏たちは、今~奈良県東部編』について書かれています。(画像をクリックすると拡大します)

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *88 川嶌一穂

 

写真 小倉つき子著『廃寺のみ仏たちは、今〜奈良県東部編』表紙

 

 6月に出版された小倉つき子著『廃寺のみ仏たちは、今〜奈良県東部編』は、本紙でも鉃田憲男さんの「明風清音」欄などで紹介されたので、すでに読んだ方も多いだろう。新書版サイズだが、地図や、巻頭の15ページにわたってカラー写真と、ほとんど全てのページに写真が添えられていて分かりやすい。
 「県東部」、つまり桜井、宇陀、山添村、奈良市東部の廃寺と、そこから流出した旧仏を丹念に取材した本書は、まず「粟原寺(おうばらでら)」から記述が始まる。
 桜井市南部の山中に、今は礎石だけが残る粟原寺趾がある。創建の事情が、談山神社に伝わる国宝「粟原寺三重塔伏鉢(ふくばち)」の銘文に記されていた。伏鉢は塔の上部、九輪の下に据える半球形の部分。銘文によると、寺は草壁皇子の菩提を弔うために造営され、和銅8(715)年に三重塔の7層の相輪が進上された。
 鋳銅製の伏鉢の鮮やかに残る鍍金からも創建時の堂宇の豪華さが偲ばれるが、次第に寺は廃れ、諸仏が流出した。「粟原流れ」と言われる仏さまのその後のドラマチックな旅路については、ぜひ本書をお読み下さい。ある仏は延暦寺へ、また長野県の清水寺(せいすいじ)へ、遠くはサンフランシスコにまで旅をされた。
 粟原寺は明治期以前に自然災害など色々な理由で廃寺となった例だが、この後に語られるのは主に明治以降の仏さまの身の上である。例えば、同じく桜井市の南部にある聖林寺(しょうりんじ)のボリューム溢れる、圧倒されるようなお姿の十一面観音立像をご覧になった方も多いだろう。が、この観音像は元々大神(おおみわ)神社の神宮寺であった大御輪寺(おおみわでら)に安置されていたものである。
 「神宮寺」などの神仏習合思想は、別々の文化的伝統に生まれた信仰を混交して、統一する為の工夫であり、またその成果だとも言えるだろう。
 周りを海に囲まれた豊かな自然環境の中で、大昔から素朴な信仰心を育んでいた日本に、体系的な思考と壮麗な構築物を伴った「仏教」という外来思想が、言わば突然入って来た。
仏教の受入れを巡って有力氏族が争ったが、日本人はその両方を選んだ。結果としておよそ千五百年後の令和に生きるわが家も、正月に東大寺と春日大社の両方にお参りして、何の違和感も感じない境地に至ったのである。
 余談になるが、文化庁の宗教統計調査によると、神道系の信者数は現在約8700万人、仏教系の信者数が約8400万人で、合計すると優に総人口を超えてしまう。日本人の宗教観の「いい加減さ」を表す証拠として語られることがあるが、以前は一つのものだったのだから、これはこれで自然なことかも知れない。
 しかし、明治初期に大変なことが起きた。神仏分離令に拠る、いわゆる廃仏毀釈である。このとき先述の大御輪寺も廃絶になり、観音像を信仰し、大切に思う人々が聖林寺にお移しして、今に伝わったのだ。
廃仏毀釈は、異民族に侵略されて仏教寺院が破壊されたのではなく、日本人が自らの手で多くの寺を破壊した。例えば京都では、金属製の仏具の類が溶かされて、京都最初の鉄橋である四条大橋の材料となった。このわずか数年で、全国におよそ九万あった寺院は半分になり、本来なら国宝も今の三倍はあっただろうと推定されている(鵜飼秀徳著『仏教抹殺』文春新書)。
 その原動力の一つが、堕落した江戸仏教への庶民の怒りだとされるが、本書からは、神仏分離令によって荒廃した寺院の建物や仏像を何とか残そうとする人々の姿が浮き彫りとなって見えてくる。
 知らなかったことが非常に多く、読み進むうちに付箋がいっぱいになった。タイトルに「、今」とあるのは、本書に登場する仏さまの将来を著者が心配されてのことだろう。次は「奈良盆地編」を計画中、と本紙の紹介記事にあった。とても楽しみだ。

 

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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

 

=次回は11月13日付(第2金曜日掲載)=

 

メモ
小倉つき子著。京阪奈新書『国宝仏から秘仏まで 廃寺のみ仏たちは、今〜奈良県東部編』(2020年6月刊)=京阪奈情報教育出版▼電話0742(94)4567、定価950円+税。

 

2020年9月13日 (日)

美ビット見て歩き*87

毎月楽しみにしている奈良新聞の川嶌一穂さんの九月の美ビット見て歩きは、京都市京セラ美術館です。今回大幅なリニューアルを終えてコロナ禍を越えて、美術館は公開されたそうです。相当大規模に改修されたようです。平安神宮あたりはよく行きますが、わたしもコロナ禍の今年になってから、京都へ出かけていません。一度出かけたいものだと思います。

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 美ビット見て歩き 私の美術ノート *87 川嶌一穂

 

京都市京セラ美術館開館記念展「杉本博司 瑠璃の浄土」。「コレクションルーム 夏期」。

 

写真 リニューアルなった館の入り口を南側から望む。左は平安神宮の大鳥居。(著者撮影)

 

 来月で8年になる本欄で、京都市美術館は今まで紹介の機会がなかった。振り返れば、昭和39(1964)年の「ミロのヴィーナス特別公開」、昭和40年の「ツタンカーメン展」には家族と、その翌年だったか、「ロダン展」には一人で出かけた。まだ地下鉄もなかったので、奈良から京都市美は遠かった。
 今回大幅なリニューアルを終え、いよいよ公開というときにコロナウイルス禍が襲った。館は様々な変更を余儀なくされるも無事開館に漕ぎ着け、私もトンボ返りだったが春以来はじめて箱根の山を越えた。
 昭和3(1928)年、京都御所で行われた昭和天皇即位の礼を記念して開館した「大礼記念京都美術館」が前身で、そのためか、建築はきわめて荘重。不思議なことにその建物は、前衛的な現代美術の展示をも悠々と受け入れてぴたりと収めていた。はたしてこの建築がどのようにリニューアルされたのか、とても楽しみだった。
 写真は、平安神宮大鳥居の手前から北を向いて入り口を撮ったもの。館の西側を広く緩やかなスロープにして、1階分を掘り下げて作った、地下1階にあたる入り口に誘導する。写真の右から3分の1あたりの地面に小さな三角形の影が見えるが、そこが入り口である。
 新しく出来た地下1階に、入場券売り場、カフェ、ミュージアムショップがあり、大きな階段を上って地上1階の展示室へと進む。地下の活用ということでは、ルーブル美術館中庭のピラミッドが有名だが、今回はそれよりずっと合理的で美しい再生だと思う。さらに東側を開けて、「布団着て寝たる姿」の東山を借景にした庭園を眺められるようになったのは素晴らしい。気が晴々とした。
 新設されたコレクションルームで、館のコレクションの中から四季に合わせて作品が展示される予定で、今は「夏期」展が開かれている。
近代の日本画では美術院系の東京の日本画よりも、大和絵の伝統を継ぐ色彩豊かな京都の日本画に心惹かれることが最近は多くなった。時代で言うと大正期から昭和10年代半ば頃の、伸び伸びとしてしかも凛とした女性を描いた作品が好きだ。「夏期」展にも、勝田哲、秋野不矩、三谷十糸子、堂本印象らの優品が並んだ。
 同時に開館記念展として、北東部に突き出した新館「東山キューブ」で、「杉本博司 瑠璃の浄土」が開かれている。作品以外に杉本のコレクションが数点展示されているが、その中に「法勝寺瓦」(平安時代)があった。法勝寺は11世紀、まさに美術館のある地・岡崎に白河天皇が造営し、応仁の乱以後廃絶した巨大寺院である。東寺の五重塔よりはるかに高い八角九重塔が、市美に隣接する動物園のいま観覧車のある地点に聳え立っていたという。
 今回、京セラが市と50年間の命名権契約を結んで、館は通称「京都市京セラ美術館」となったが、命名権と言えば思い出すエピソードがある。6年前、鎌倉市が海水浴場として親しまれていた由比ガ浜、材木座、腰越の3海岸の命名権を売り出した際、「鳩サブレー」で有名な豊島屋がそれを購入したが、自社の名前を入れずに結局もとの海岸名のままとした。「粋だねぇ」という声が多かった。
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

 

=次回は10月9日付(第2金曜日掲載)=

 

メモ
 京都市京セラ美術館 京都市左京区岡崎円勝寺町124。京都市営地下鉄東西線「東山駅」より白川沿いに北へ徒歩8分。電話075(771)4334。https://kyotocity-kyocera.museum 「コレクションルーム夏期」は、9月22日(火・祝)まで。「杉本博司 瑠璃の浄土」は、10月4日(日)まで。月曜日休館(祝日の場合は開館)。ウェブか電話(075−761−0239)による事前予約・定員制。HPの一番下にあるYouTubeのアイコンをクリックすると、リニューアル工事中の映像が見られる。

 

京都市京セラ美術館のHPです→https://kyotocity-kyocera.museum/

2020年9月12日 (土)

上野誠先生おめでとうございます。

先日、奈良大学文学部教授の受賞のニュースが流れていました。上野先生おめでとうございます。

奈良新聞のデジタルニュースより。

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上野誠・奈良大学文学部教授(60)の著書「万葉学者、墓をしまい母を送る」(講談社刊)が第68回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞し、7日、東京都千代田区の日本記者クラブで贈呈式が開かれた。同賞は応募総数113作品の中から2作品が受賞。もう1作品はジャーナリストの岩瀬達哉さんの「裁判官も人である」(同社刊)が受賞した。

 

 上野さんの受賞作品は、故郷の福岡県にあった墓をしまい母親を奈良へ呼び寄せ7年間にわたり介護し看取るまでの経験や、家族の歴史などを軽妙な文章の中にも深い愛情を持って描いたエッセイ集。

 

 同クラブの遠藤利男会長は「今の時代に向き合い多くの人の心をとらえている」と評した。

 

 終了後、取材に応じた上野さんは「奈良新聞文化賞(第20回、平成27年)受賞が書くことの励みになり、今回の受賞につながった。60歳の年に受賞したことで今後新しい展開が生まれる気がする」と喜びを語った。

2020年8月28日 (金)

音のかたち 奈良季節を描くピアノ NHK

多くの方からNHKテレビの情報をもらいましたので紹介します。

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音のかたち 奈良 季節を描くピアノ
8月30日(日)午後1:05~午後1;50
NHK総合奈良放送局管内で放映
川上ミネさんのピアノと保山耕一さんの映像で綴る
「やまとの季節七十二候」、奈良の映像詩がなぜ人々の心を
つかむのか。
この夏、春日大社で神様に音楽を奉げる「奉納演奏」を企画された、
川上ミネさんの曲作りの現場に密着。


9月20日(日)午前8:00~午前8:45
NHK総合近畿ブロックで放送


9月25日(金)午前0:00~0:45(木曜深夜)
NHKBS1で放送

2020年8月20日 (木)

なら燈花会2020、保山さんの映像

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春日大社さんからの情報です。

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映像作家の保山耕一さんが中元万燈籠の様子を撮影くださいました。

 

また、東大寺・興福寺・飛火野で行われた「 なら燈花会 」も撮影されています。三社寺の美しい映像詩をご覧ください。

 

▼8月8日 なら燈花会2020 興福寺
https://www.youtube.com/watch?v=POvZ8Tp7Ayw

 

▼8月10日 なら燈花会2020 春日大社 飛火野
https://www.youtube.com/watch?v=t4sq-PmmOc0

 

▼8月13日 なら燈花会2020 東大寺
https://www.youtube.com/watch?v=2IpRQ9NSG74

 

▼8月15日 春日大社 中元万燈籠
https://www.youtube.com/watch?v=-kMoEgW3cKg

2020年8月18日 (火)

30年ぶりに、中田文花さんより。

先日、東大寺観音院を訪ね、吉井勇の歌碑のことを8月4日の「鹿鳴人のつぶやき」

に書いたところ、その歌碑について中田文花さんから教えてもらいました。

そして、中田文花さんは旧姓、木ノ本圭子さんであり、なんと30年前、当方のギャラリーまつもりで日本画の初個展を開かれた方であることがわかりました。

とても多くの方が来場され、とても印象的な個展でした。今でも覚えています。

そして、いま「日本画家、舞楽舞人、歌人、華厳宗に僧籍あり。天平人活動。お水取り、花会式、聖霊会、おん祭を描く。著書『知恩院祈りの美』」の中田文花さんであるということがわかりました。

実に30年ぶりにかつて出会っていたことがわかったのです。
歌人でもあるということから早速、当方の歌集「大和まほろば」をお送りしたところ、フェースブックで以下のように紹介していただきました。(写真は木ノ本さんから。そして当方保管分)

個展の案内はがき

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初個展を伝える新聞記事(画像をクリックすると拡大します)

平成2(1990)年5月9日 読売新聞

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(以下、中田文花さんから。ありがとうございました。)

【歌集『大和まほろば』 松森重博 】
私の初個展は平成2年、奈良の餅飯殿商店街入口にある『ギャラリーまつもり』でした。
30年近い月日が流れましたが、そのご代表の松森重博さんとfacebookで繋がりました。
それは先日の観音院の壺法師の歌碑の投稿がきっかけでした。歌の力です。

 

松森さんは実業家として地元商店街の振興に尽力されながら歌人、ブロガーとしてもご活躍。
ブログ『鹿鳴人の呟き』は松森さんとは知らず、時折拝読していたのでした。
昨年出版された歌集『大和まほろば』(京阪奈情報教育出版)をご恵送賜り、一気に拝読しました。
旅人の歌ではない、奈良に育ち奈良に生きる者にしか詠むことの出来ない日常。その日常は長い歴史に彩られた特別なことが溢れていて、友人達も短歌に登場するのが面白い。

 

大の字に雪残りたる高円の山おだやかに奈良の年明け

 

幼き日ターザンごっこに興じたる南円堂に藤の花咲く

 

ようやくに願いのかない修ニ会にて局の中に声明を聞く

 

実家に帰ったらその個展の葉書や新聞など色々出てきました。個展搬入を手伝いに来てくださった師僧と写真撮ってました。賛助出品もしてくださいました。若い~😂(名前は旧姓です)

 

https://www.amazon.co.jp/…/ref=cm_sw_r_cp_apa_i_m1poFbSZ6Q8…」

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2020年8月16日 (日)

美ビット見て歩き *86

8月の川嶌一穂さんの美ビット見て歩きは、神戸にある「戦没した船と海員の資料館」http://www.jsu.or.jp/siryo/map/、


地道に集めた資料からみる「戦争」です。

ことしは戦争が終わって75年です。
戦後生まれが増えて、戦争のことを風化させてはならない、という努力があちこちで
進められています。
又いま再び戦争への道にあるのでは?という危惧も聞かれます。

今、知りうる戦争のことをできるだけ正しく知って、若い世代に伝えることが必要だと思います。

 

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *86 川嶌一穂

 

戦没した船と海員の資料館

 

写真 昭和20年7月14日 津軽海峡 青森港沖で米海軍機動部隊艦載機から攻撃を受け、回避中の飛鸞丸とおぼしき青函連絡船<米国立公文書館より入手>(戦没した船と海員の資料館提供)

 

 大正13年生まれの亡父は、師範学校在学中に肋膜炎で1年休学した。快復後、昭和20年5月に学徒動員で陸軍予備士官学校に入校し、そこで8月15日を迎えた。朝からジリジリと暑い日だったそうだ。
 「同級生の多くが南方で戦死したが、僕の時はもう南方へ行く船がなかった。病気になっていなかったら、確実に僕も死んでたと思う」。父は毎年今頃になるとこう話した。そして自分は助かったことを、終生申し訳ないと思っていたようだ。
 最近、父の「船がない」という言葉が頭のどこかに残っているのか、吉田滿著『戰艦大和ノ最期』や、大井篤著『海上護衛戦』を読むようになった。全く興味がなかったのに、自分でも不思議だ。
 有名な前著は、戦艦大和から奇跡の生還を果たした著者が、終戦直後にほとんど一日で書き上げた作品。カナ・旧字体の文語体で、大和の最期を克明に描写する。「餘リニ稚拙、無思慮ノ作戰ナルハ明ラカナリ」など作戦自体を批判しながらも、全体としては業務日誌のように感情を挟まないで淡々と記す。なお作品中、大和から投げ出された漂流者を救助する友軍船が、一杯になったので日本刀で腕や手首を斬って取りすがる兵を追い払った、という個所はフィクションらしい。
 『海上護衛戦』は、海上護衛総司令部参謀を務めた著者が、太平洋戦争は戦略計画上の誤算、とりわけ海上交通保護を軽視したことによる人災、とする立場からの、まさに海上補給敗戦史である。父の言った「南方へ行く船もない」事情が次々と語られて、悲惨な事この上ない。
 大和を旗艦とした沖縄海上特攻作戦も、「撃沈されるしかない作戦に要する4000トンの重油があれば、大陸からの物資輸送と、日本海への敵軍潜水艦の侵入を食い止める役に立つ」という著者の進言が容れられなかった象徴的な例の一つである。
 現代でも日本の輸出入貨物の99.7%は船で運ばれている(「横浜みなと博物館」HP)。しかも大戦中は多くの民間人、民間船が徴用された。「日本殉職船員顕彰会」HPによると、軍人の損耗率(死亡率)が陸軍20%、海軍16%であるのに対し、民間船員のそれは何と推計43%にも上る。
 このご時世でまだ伺っていないのだが、神戸にある「戦没した船と海員の資料館」には、大戦中に戦没した軍艦を除く商船約2800隻のうち、1300隻の写真と説明文、1500隻の説明文が展示されている。説明には、所属会社名、総トン数、戦没した時間と位置が記されるが、写真のない船も多い。アメリカ国立公文書館にも行き、地道に資料を集め、公開してこられた。充実したHPもぜひご覧下さい。
写真は、昭和20年7月14日、青森港から函館に向けて航行中だった青函連絡船・飛鸞丸(推定)。午後3時、米空軍艦載機大編隊の攻撃を受け、直撃弾多数を浴びて、3時20分沈没。警戒隊員13名、船員10名が戦死された。終戦まであと1月だった。

 

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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

 

メモ
 戦没した船と海員の資料館 兵庫県神戸市中央区海岸通3−1−6 全日本海員組合関西地方支部内。阪神本線元町駅西改札口より南へ徒歩8分。電話078(331)7588。www.jsu.or.jp 入館料無料。開館は平日午前10時〜午後5時。

 

2020年7月12日 (日)

美ビット見て歩き*85

毎月、奈良新聞で楽しみにしている川嶌一穂さんの美ビット見て歩きは、東京国立博物館の特別展「きもの KIMONO」5ヶ月ぶりの感動というタイトルです。2月以来久しぶりの展覧会は事前予約制などいろいろコロナへの対策をこらしつつ、再開されたとのことです。

奈良県立美術館からも展示品の出品があったとのこと。奈良県立美術館でも7月25日から9月22日まで、「みやびの色と意匠ー公家服飾から見る日本美」という特別展が行われます。

 

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *85 川嶌一穂

 

東京国立博物館特別展「きもの KIMONO」

 

写真 重要文化財「小袖 黒綸子地波鴛鴦模様(くろりんずじなみおしどりもよう)」江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵(特別展「着物 KIMONO」提供)

 

 今年2月、日本橋高島屋の「=風=小品展」に行ったのが最後だった。その翌週、東博の、日本書紀成立1300年特別展「出雲と大和」に行く友人との約束を、怖がりの私から言って取りやめた。それも政府の要請で2月26日に予定より早く閉幕し、見る機会を失ってしまった。
 安倍首相が移動自粛の全面的解除を発表した6月18日以降、美術館再開の情報を探した。すると、4月から6月にかけて開催の予定だった東博の特別展「きもの」が、6月30日からに変わっている。行きたい!
事前に名前、住所、電話番号を記入して、入場の日と時間を指定した「日時指定券」を、スマホやインターネットで予約しておく。クラスターが発生した場合に必要なのだろう。
 マスクの着用が求められ、体温チェックのカメラの前を通って入り、会場入り口で手のアルコール消毒をする。スタッフも全員マスク着用。それでも5か月ぶりの実物を見る美術展は、素直に嬉しかった。
 本展は、後白河法皇が鎌倉の鶴岡八幡宮に奉納したと伝えられる表着(うわぎ)で幕が開く。鳳凰模様の色彩もよく残っている。これだけ高温多湿のわが国で、800年も守り継がれてきた貴重な神服だ。
 その400年ほど後の桃山・慶長期の小袖は、色が多彩に、デザインは大胆に、技法も洗練されて、一気に会場が華やかになる。屏風の中で、庶民が飛びきりお洒落な着物を着ている。長く続いた戦乱の戦費がすべて衣装代に代わったかのような着道楽ぶりだ。
 写真は、17世紀後半の寛文(かんぶん)年間に流行した、動きのある模様が特徴の寛文小袖。黒地に、刺繍のオシドリや絞りの大波、豪華な金糸の波頭がとても斬新で、かつ下品ではない。
 展示はその後も時代に沿ったデザインの変遷を丁寧に追って、驚くような今風のキモノに引き継がれる。奈良県立美術館からも素晴らしい帯と着物が出ていた。
 海外の浮世絵の里帰り展に行くと、初刷りに近い作品が並んでいて、何故こんな素晴らしいものを手放してしまったのかとため息が出る。幕末から明治初期と、敗戦後の二度にわたる大変革期を経験したとは言え、結局は当たり前すぎて日本人がその価値に気づいていなかったのだ。
 東大のキャンベル先生が買い始めてから高値になったと言われる江戸の木版絵入り本や、昭和の着物で同じことが起きていないだろうか?たいてい「もう職人さんもいないので、今はこんないいものは作れません」とアンティーク着物の店の人は言う。
昭和の女子なら覚えている、着物を着るときの特別な心の華やぎ。もっと着物を着て、何とか若い人に繋げて行きたい。着物は、芭蕉の句をもじって言えば「さまざまのこと思い出す着物かな」なのである。
 何年も前からこれだけの作品を展示する準備をし、会期と観覧の手順の変更のためにどれだけの努力をされたか計り知れない。感謝します。

 

=次回は8月14日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

 

メモ
 東京国立博物館平成館 東京都台東区上野公園13−9。JR上野駅公園口より徒歩10分。電話03(5777)8600。展覧会公式サイトhttps://kimonoten2020.exhibit.jp/ 会期は、6月30日(火)〜8月23日(日)。展示替えあり。月曜日休館(8月10日開館、11日閉館)。事前予約制(日時指定券のオンライン予約が必要)。

 

 

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