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2019年4月14日 (日)

入江泰吉「祈り」展

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入江泰吉記念奈良市写真美術館では、6月16日まで入江泰吉「祈り」展がひらかれています。

写真は1970年頃、「飛鳥石舞台古墳」です。

入江泰吉記念奈良市写真美術館のHPです→http://irietaikichi.jp/

 

2019年4月12日 (金)

京都・北野天満宮 美ビット見て歩き

奈良新聞でいつも楽しみにしている、川嶌一穂さんの美ビッド見て歩きは、京都の北野天満宮です。一度訪ねたことはあるのですが、年中良いところというご紹介です。

また新年号が太宰府ゆかりであることからいま注目されています。大伴旅人、山上憶良、万葉集そして太宰府に左遷された菅原道真など。九州国立博物館もある太宰府にはいちど訪ねたいものだとおもいます。

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クリックすると拡大します。

 

 

美ビット見て歩き 私の美術ノート *72 川嶌一穂

 

京都文化博物館「北野天満宮 信仰と名宝」展

 

写真 「八棟造(やつむねづくり)」と呼ばれる複雑な構成の北野天満宮本殿(著者撮影)

 

総本社・北野天満宮、菅原家発祥の地・奈良市の菅原天満宮、道真終焉の地・太宰府天満宮をはじめとして、菅原道真(845-903)を祭神とする「天神さん」は、全国に一万数千社もあるという。どの天神さんにも必ず道真の愛した梅の木が植えてある。
道真が56歳という高齢で九州の大宰府に左遷されたのは、今で言えば2月のはじめ。まだ寒い京都も、早い梅はちらほら咲いていたかもしれない。赦されて京に帰ることなく、道真は2年後にかの地で没した。
 それから続いた天変地異が道真の祟りと恐れられ、亡くなって二十年後、剥奪された官位・右大臣に復される。さらに二十数年の後に北野天神が創祀された。
 その間の事情を記す、数ある北野天神縁起のうち最古の絵巻である国宝「承久本(じょうきゅうぼん)」(13世紀)は、今回の展覧会の中心だろう。よほどいい顔料を使っているのか、目にも鮮やかな色彩を保ち、大画面に人物や地獄の鬼の群像が生き生きと描かれている。
 道真の六百年忌(1503年)に奉納された土佐光信描くところの「光信本」縁起絵巻は、承久本とはまた違った、大和絵の土佐派らしいしっとりとした描写が好ましい。
 北野天満宮を様々な切り口で紹介する今回の展示の中で興味深かったのは、豊臣家との関係である。応仁の乱以後、荒廃していた境内で、天正15年(1587)秀吉が大茶会を開いた。茶の湯が好きなものは身分によらず「釜一つ、釣瓶一つ、飲み物一つでも引っさげて来るように」と秀吉がお触れを出した野点茶会だ。江戸後期の作だが、「北野大茶湯図」の中で、小屋掛けの茶席にかしこまって座っている太閤秀吉の姿が微笑ましい。
 展覧会は明後日までだが、京都の北に位置する北野天満宮は何度も訪れたい神社だ。
この春、梅の時期に伺い、秀吉の築いた御土居から本殿を見て驚いた。正面からでは分らなかったが、檜皮葺きの屋根が幾重にも重なっている。慶長年間(1607年)に豊臣秀頼が建て替えた社殿で、拝殿と本殿を石の間でつないで一体とし、更に脇殿や楽の間をつないだ複雑な構造だ。三光門とともに、伸びやかな桃山の遺風を今に伝える建築。
この様式は秀吉を祀る豊国廟に採用され、さらに豊臣家滅亡のあと豊国廟を破却した家康を祀る日光東照宮に受け継がれた。
 花が終れば、すぐに御土居の青もみじが美しい季節を迎えることだろう。

 

=次回は5月10日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

 

メモ 京都文化博物館 京都市中京区三条高倉。地下鉄「烏丸御池」駅下車、5番出口から三条通を東へ徒歩3分。電話075(222)0888。会期は14日(日)までなのでご注意下さい。
北野天満宮 京都市上京区馬喰町。JR京都駅から「北大路バスターミナル」行き市バスに30分乗車、「北野天満宮前」下車、徒歩5分。電話075(461)0005。宝物殿の開館日に注意。

 

2019年3月10日 (日)

美ビット見て歩き*71金春康之演能会「楊貴妃」

毎月奈良新聞に連載の、楽しみにしている川嶌一穂さんの美ビット見て歩き、今月はお能です。奈良はお能の発祥地であり、よく能が演じられます。奈良春日野国際フォーラム甍は、1988年の奈良シルクロード博覧会の折つくられた県新公会堂が現在そのように呼ばれています。一時ビッグルーフとその屋根瓦の広さからニックネームがつきましたが定着しませんでした。500名収容の立派な能楽ホールが1階にあります。講演会などでも能舞台は特別で、よく講師の方が白足袋をはいてあがられています。影向の松のある神聖な舞台だからでしょう。金春康之さんは以前奈良市の文化の審議会で1年間ご一緒でした。31日には金春康之演能会「楊貴妃」があるそうです。

http://www.i-ra-ka.jp/riyou/sisetsu/noh/

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *71 川嶌一穂

金春康之演能会「楊貴妃」(奈良春日野国際フォーラム甍)

写真 「楊貴妃」シテ金春康之 平成19年 奈良県新公会堂能楽ホール=金春康之師提供

 能は友人に誘われてたまに見るくらいで、だいたい途中で一回は心地よく眠りについていたのだが(すみません!)、6年前に奈良在住の金春流シテ方・金春康之師による能「定家」を拝見してから、とつぜん面白くなった。
 なぜそんなに急にお能が好きになったのかを考えてみると、両親を亡くした時期と重なったことに関係があるように思う。逝ってしまう本人の思い、残される者の思いとは何の関係もなく、突然その日が来る。否応なく人は死ぬ、それを能はくり返し語っている。そのことを、能の真髄を掴み取った康之師が、体現して見せて下さったのではないだろうか。
 奈良で育ったことも大きく影響しているだろう。奈良は能楽発祥の地である。能の大成者、観阿弥とその子・世阿弥(1363?~1443?)は、春日大社・興福寺に奉仕する大和猿楽に属していた。現在の観世、宝生、金春、金剛各流派も、みな大和猿楽に属していたし、能舞台の正面奥に描かれている松は、春日大社一の鳥居脇の「影向(ようごう)の松」である。舞台で演じられる能は、いわば春日若宮おんまつりの弓矢立合が再現されているとも考えられる。
「井筒」「野守」「当麻」など奈良を舞台にした曲は数多いし、それ以外でも曲中によく知っている地名が出て来るので、とても親しみやすい。たとえば、昨夏にやはり康之師のシテで拝見した「浮舟」では、ワキ僧が、初瀬から三輪山、奈良を通って狛から宇治に到着する。距離感も分かるし、何よりも周囲の景色が浮かんでくるのはまさに奈良育ちの特権だ。
 能の流派の中でも金春流は、とりわけ奈良との縁が深い。宗家は東京に移られたが、分家の穂高師や、元禄年間に奈良から転居した広島大鼓金春流の別家ゆかりの康之師らが奈良で活躍されている。
 康之師が毎年春に開かれる演能会が、今年でもう25回になる。今回の演目は、世阿弥のむすめ婿・金春禅竹の作「楊貴妃」だ。楊貴妃は玄宗皇帝の寵姫で、唐の滅亡を招いた文字通り傾国の美女だが、何と今年が生誕1300年とか。早くに演目を決めていた師が、後でそれを知って驚かれたそうだ。きっと仙女となった楊貴妃が、仙界から師にパワーを送ったのだ!
 精神性の高い師の演能は玄人好みと言われるが、昨日きょう能を見始めた私のような素人でも、謡と所作と詞章が一つに溶け合った師の美しい能を、ただ素直に楽しむことができる。
 「楊貴妃」の出典、白楽天作「長恨歌」の一節が浮かんでくる。…天へ行くなら鳥となり/翼を連ねて飛びたいね。地上にいるなら木となって/枝からませて住みたいわ(武部利男訳を一部変更)。春の奈良が待ち遠しい。

=次回は4月12日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

メモ 金春康之演能会 3月31日(日)午後2時~5時。奈良春日野国際フォーラム甍(元の新公会堂)。狂言「鬼瓦」、能「楊貴妃」ほか。問い合わせ・申し込みは、金春康之後援会事務局、電話0743(56)3169(10時~17時)まで。観光シーズンなので、道が混みます。時間に余裕をもってお出かけ下さい。

2019年2月22日 (金)

顔真卿  展へ

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先日東京へ行く用事があり、早朝の電車に乗って東京・上野の東京国立博物館を訪ねました。顔真卿展を拝見しました。唐の時代の人です。大きな作品は唯一写真を撮っても良いということでした。会期も24日までと迫っていて、多数の人が観覧されていました。
台北の故宮博物院でもなかなか見られないということで、中国の人も多数見に来られているのが言葉を聞いてわかりました。
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特別展のHPです
→https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1925

2019年2月16日 (土)

2月22日から、奈良市写真美術館では。

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2月22日から4月7日まで、奈良市写真美術館では、奈良の世界遺産という入江泰吉写真展がひらかれます。また第3回入江泰吉記念写真賞受賞記念展。そして第3回ならPHOTO CONTEST「ならを視る」受賞作品展があります。友人の奥田勝紀くんがみごと入選。ならしみんだより1月号の表紙も飾っています。
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入場料500円。ただし70才以上の方など無料。

2019年2月14日 (木)

奈良と東京で。天理大学雅楽部公演

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天理大学の雅楽部公演が、2月25日天理市の市民会館で、3月8日東京の新宿文化センターであるそうです。
HPです→http://gagaku.biz/tenri/

2019年2月10日 (日)

美ビット見て歩き*70「名勝 月ヶ瀬梅林」

正月を挟んで2ヶ月ぶりにいつも楽しみにしている、川嶌一穂さんの「美ビット見て歩き」が奈良新聞に載りました。折しも梅の季節、月ヶ瀬の梅の話です。
そして、直木賞の話。
惜しくも受賞は逃したが、先日の直木賞の候補者5人のうち2人までが奈良女子大附属高校出身だった。文学者によって書き継がれてきたからこそ、月ヶ瀬がある。候補となった今村翔吾さんと森見登美彦さんに、ぜひ今の月ヶ瀬を描いて頂きたいな。」
同感です。おふたりの今後を大いに期待したいと思います。
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美ビット見て歩き 私の美術ノート *70 川嶌一穂
名勝月ヶ瀬梅林
写真 ダムのできる前、五月川の白い砂がまばゆい昭和31年春の月ヶ瀬。(著者蔵)
 奈良市の中心部から、車で東へ1時間ほど走った山間に位置する月ヶ瀬は、江戸時代の末から梅の名所として知られていた。もともと紅花染めの媒染剤である「烏梅(うばい)」を作る実を取るために植えたのが始まりだという。
 津藩(三重県)の儒者・斎藤拙堂が、文政13年(1830)2月に月ヶ瀬に遊び、紀行文「月瀬記勝」を著した。それを大ベストセラー「日本外史」の著者・頼山陽が刊行して以来、多くの文人がこの地を訪れるようになった。「月瀬記勝」は、本欄第9回(平成25年7月)で紹介した、インターネット上の「国立国会図書館デジタルコレクション」で公開されている。酒を呑みながら月の出を待ち、花を愛でた紀行文である。「…水の清きこと寒玉の如し。…両山の花、さかしまにその上にひたす。…一たび中流に棹させば、山水ともに動く…」(原文漢文)。たしかに、行ってみたくなる名文だ。
 その翌年、山陽もやはり梅の季節に月ヶ瀬を訪れた。本欄第38回(平成28年3月)に登場した文人画家・浦上玉堂の息子である春琴も同道した一行7人の旅である。山陽は、「水にそひ村を環る幾簇(いくそう)の楳(うめ)。高低あひ映えて尽く花開く…」という漢詩を作った。五月川の景観が、他にない魅力だったことを伝えている。
 明治に入ってからも、月ヶ瀬は文人憧れの地であり続けた。明治26年(1893)に書かれた饗庭篁村(あえば・こうそん)の「月ヶ瀬紀行」(「旅硯」所収。これも国立国会図書館デジタルコレクションで公開)は、抱腹絶倒の旅物語である。幸田露伴ら、江戸戯作を愛する根岸派の仲間と8人で、東京を出てから5日も6日もかかって月ヶ瀬に辿り着くというのんびりした旅だ。津から柘植までは汽車に乗り、柘植から人力車を雇っている。「見下すかぎり梅にしてしかも真盛りなればただ白雲の谷より上る如くなり…」。当時は長旅だけに、花の時に会うことも大変だっただろう。
 生れついてのスポーツ音痴に文学好きの私としては、ふだん目にする両者の情報量の違いに少々不満である。この二つがもし逆転していたら?テレビのニュース番組の後半は、「では、ブンガクです」と文学専門のキャスターが登場する。「多くの名作が生まれた月ヶ瀬の梅の開花状況はどうでしょうか?現場から中継です…」とまあこんな世の中は、夢のまた夢か。
惜しくも受賞は逃したが、先日の直木賞の候補者5人のうち2人までが奈良女子大附属高校出身だった。文学者によって書き継がれてきたからこそ、月ヶ瀬がある。候補となった今村翔吾さんと森見登美彦さんに、ぜひ今の月ヶ瀬を描いて頂きたいな。
 本欄は今日が今年の第一回。本年もどうぞよろしくお願い致します。
=次回は3月8日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。
メモ 名勝月ヶ瀬梅林 奈良市月ヶ瀬尾山。見頃は例年2月中旬から3月。期間中、奈良交通臨時直通バスが出る(奈良駅から1時間余り)。奈良交通問い合わせは、0742-20-3100。開花状況の問い合わせは、月ヶ瀬観光会館(0743-92-0300)。

2019年1月27日 (日)

保山耕一さんの第7回水木十五堂賞の授賞式へ

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1月26日水木十五堂賞の授賞式に行くことが出来ました。時間前から長い列が出来ていて人気のほどがうかがわれました。開会前には1000人はいるというやまと郡山城オールの大ホールが満員でした。授賞式の後の、保山耕一さんの講演は、短いスピーチと映像がつぎつぎに上映されました。合間にお世話になった方々を紹介されていました。
弁護士の馬場勝也さん、国際映画祭委員長の中野聖子さんとともに、はからずもわたしも商店街の会長ということで紹介されましたが、恐縮の至りです。
池口さん、すみかおりさん、氷置晋さんらの映像に合わせたピアノ演奏などがありました。
映像とスピーチとピアノ演奏にすっかり魅了されました。

休憩のあと、審査員の皆さんと座談会がありました。
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すばらしい授賞式でした。保山耕一さん、清水真貴さんおめでとうございました。
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ホワイエでも映像作品が放映されていました。

2019年1月26日 (土)

若草山焼きの写真

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足かけ30年あまり、最初は東京から途中から奈良に移り住まわれて、若草山焼きを撮られた瀬尾重孝さんから、全紙版の大きい若草山焼きの写真をいただきました。
2002年1月13日撮影とのことです。
銀塩カメラでの撮影でこの年の山焼きの写真はこれ1枚です。
今のデジタルカメラと違って一発勝負です。
五重塔の水煙もはっきりと写っています。
また山は煙で焼けているのがわからなくなることがよくありますが、興福寺五重塔を手前に全体がくっきりと写っています。素晴らしい作品です。(禁複製)
しばらく器まつもりで展示しています。
(追記)
1月26日朝の様子。

夜のうちに雪が降ったようで、若草山、高円山ともに少し雪が残っています。

中止かなと思って、観光案内所に電話をしたら、今のところ予定通り実施しますとのことです。

テレドーム 0180-991-707で最新情報はわかるそうです。

 

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2018年12月28日 (金)

読売新聞より 保山耕一さん

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12月24日の読売新聞・奈良版。
「人あり」というタイトルで保山耕一さんが大きく取り上げられています。
読売WEB→

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