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2017年7月15日 (土)

美ビット見て歩き 私の美術ノート *53

奈良新聞に毎月連載され、楽しみにしている、川嶌一穂さんの美ビット見て歩き、私の美術ノートです。今月は、あべのハルカス美術館の「没後70年、北野恒富のなにわの美術図鑑」展です。展覧会は7月17日まで。

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写真右 《星(夕空)》 北野恒富 昭和14年(1939)大阪市立美術館蔵=あべのハルカス美術館HPから拝借

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *53 川嶌一穂

あべのハルカス美術館「没後70年 北野恒富―なにわの美人図鑑」展

 今年も大阪・松竹座の七月大歌舞伎に片岡仁左衛門丈が出演中だ。何年か前にテレビのトーク番組で見たとき、男っぷりの良さと、その美しい言葉に魅了された。毎日のようにテレビから聞こえてくる大阪弁とはまったく違う、品のいい大阪弁だった。
 その中で仁左衛門丈が「大阪」のことを「おおざか」と濁って発音されたとき、一瞬江戸時代の大坂の町にタイムスリップしたような気がした。江戸とも京とも違う「大坂」らしい美人画が見たくなって、先月あべのハルカス美術館を訪れた。
 明治13年(1880)金沢に生まれた北野恒富(きたの・つねとみ)は、小学校を卒業して版下彫刻を仕事としていたが、明治30年、17歳で大阪に出た。大阪では新聞の挿絵やポスターを手がけるが、次第に日本画でその才能を発揮していった。
 今回出ている最初期の作品は、明治40年頃のものだが、本展『図録』巻末の「年譜」によれば、大正初年に「画壇の悪魔派」と呼ばれたという。その頃すでに悪口を言われるほど活躍していたのだろう。
 たしかに大正年間の恒富の作品は、妙に生々しい女性が多く、同時代の岸田劉生『麗子像』、速水御舟『舞妓』や、甲斐庄楠音(かいのしょう・ただおと)『横櫛』などと共通する「デロリ」とした気味悪さが目立つ。
 ところが大正末期から昭和初期にかけて、徐々に作品が変化する。画面はすっきりと整理され、登場人物が品格を備えて立ち上がって来る。若いときに金沢から出てきて以来数十年、ようやく鏑木清方の江戸の粋とも、上村松園の京のはんなりとも違う恒富による「大坂」の美人画が誕生した。
 たとえば『宝恵籠』(昭和6年)、『いとさんこいさん』(昭和11年)などの作品に描かれる女性は、東京より柔らかく、京都ほど気取ってない。言うなれば谷崎潤一郎の『細雪』の登場人物である。じっさい本展「第四章」で説明されるように、恒富は谷崎の小説『盲目物語』と『蘆刈』二作品の挿絵を描き、後に谷崎夫人となる松子の実家とも親しかった。
 写真の『星(夕空)』は、物見台の手すりに腰を預けて花火を見上げる女性を描いた作品。着物の大きな花火模様が本物の花火の光と、また帯の星模様が画中の一番星と響きあう。背景の夜空の暗い青色、着物に描かれた花火の明るい青色、帯締めの深い青色が織りなす絶妙な調和をカラーでお見せできないのが残念だ。
 この作品の描かれた2年後、日本はアメリカとの戦争に突入し、恒富による大阪らしい美人画ももう描かれることはなかった。敗戦の2年後に67歳で亡くなった恒富は、奈良市富雄の霊山寺に葬られた。
 
《訂正》前回、ミホ・、ミュージアム「和ガラスの美を求めて」展紹介の文中、第6段落の「がそれは19世紀になってから製造されるようになった(もので、順序としては)17世紀後半から長崎で…」の()内が抜けていました。お詫びして訂正致します。

 =次回は8月11日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

メモ あべのハルカス美術館 大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1-43 あべのハルカス16階。電話06(4399)9050。会期は7月17日(月・祝)まで。残り少ないのでご注意下さい。

2017年6月11日 (日)

美ビット見て歩き 私の美術ノート *52

いつも楽しみにしている、川嶌一穂さんの美ビット見て歩き 私の美術ノート *52 が奈良新聞に載っています。今月はわたしも滋賀県の信楽の陶器の産地にいったときなど見学に訪れるミホ・ミュージアムなどのことを書かれています。

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *52 川嶌一穂

 

滋賀県ミホ・ミュージアム「和ガラスの美を求めてー瓶泥舎コレクションー」展

 

写真 ミホ・ミュージアム本館へのアプローチ=著者撮影

 

 滋賀県信楽町の山道をくねくねと進み、ほんとうにこんな所に美術館があるのだろうかと思い始める頃に、ようやくバスは美術館の入口に到着する。しかし本館まではまだまだ。トンネルと橋を渡る長いアプローチは、電気自動車に乗るか、10分ほど歩くことになる。その間、次第に体が木々の緑に染まっていく心地がする。

 遠くからはそれほど大きいと見えなかった本館も、前の階段を登り始めると、起伏のある地形をうまく生かした大きな空間であることが分かる。あのルーヴル・ピラミッドを設計したイオ・ミン・ペイの作品。この建築を見るためだけに訪れる人も多いと聞く。

 ここは宗教団体の創始者の名前を冠した美術館で、充実した展示で知られている。今回の特別展「瓶泥舎(びんでいしゃ)コレクション」展も、江戸時代に対する私たちのイメージを塗り替えるような素晴らしい企画だった。

 「瓶泥舎」、詳しくは「瓶泥舎びいどろ・ぎやまん・ガラス美術館」は、本展準備中に亡くなった大藤範里(だいとうのりさと)さんの集めた和ガラスのコレクションを公開する、愛媛県松山市道後にある小さな美術館である。正岡子規と道後温泉が好きな私は何度となく松山を訪れているのに、寡聞にしてその存在を知らなかった。

 「びいどろ」は、薄い吹きガラスを指すポルトガル語の「ヴィードロ」が、「ぎやまん」は、ダイヤモンドを意味するポルトガル語の「ディアマンテ」あるいはオランダ語の「ディアマント」がなまったもの。つまりびいどろは和製ガラスを、ぎやまんは輸入品か、それに匹敵する上質の和製ガラスを指すものとして使われた。

 これまた不勉強で江戸時代のガラスと言えば、薩摩切子(きりこ)や江戸切子くらいしか知らなかった。がそれは19世紀になってから製造されるようになったもので、順序としては17世紀後半から長崎でびいどろの製作が始まり、18世紀後半から徐々に庶民の暮らしに浸透していったという(本展『図録』)。だとすれば、喜多川歌麿(1753-1806)の「ビードロを吹く娘」に描かれているガラス製玩具・ぽっぺんは、舶来品ではなく和製だったかもしれない。

 今回の展示作品は、日常の暮らしを美しくするために作られ、使われたものだ。江戸の工業技術の高さと、人々の趣味のよさに驚くばかりである。江戸の洗練が明治維新で途切れずに、現代の私たちにちゃんと継承されているのだろうか。何やら心もとない気がする。

 硬質なのに壊れやすいという矛盾を孕んだガラスの美を堪能した初夏の一日だった。

 

 =次回は7月14日付(第2金曜日掲載)=

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かわしま・かずほ

元大阪芸術大学短期大学部教授。

 

メモ ミホ・ミュージアム 滋賀県甲賀市信楽町田代桃谷300。JR石山駅発「ミホ・ミュージアム」行き帝産バス(50分)乗車(9時10分から13時10分まで1時間に1本)。電話0748(82)3411。会期は6月18日(日)まで。会期が残り少ないのでご注意下さい。

HPは→http://www.miho.or.jp/

瓶泥舎びいどろ・ぎやまん・ガラス美術館 愛媛県松山市道後緑台7‐21。電話089(922)3771。予約制。

2017年5月28日 (日)

「朗読」ワークショップ参加者募集!

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入江泰吉さんの朗読劇を拝見して朗読の力を感じましたが、それを主宰された小栗一紅さんの「朗読」ワークショップがひらかれているそうです。
これからも下記のスケジュールでおこないますので、ご参加くださいとのことです。
次回は6月18日奈良県立図書情報館にて。
事前申し込みが必要です。

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2017年5月13日 (土)

美ビット見て歩き 私の美術ノート *51  奈良・璉珹寺「阿弥陀如来立像」特別開扉

毎月楽しみにしている、川嶌一穂さんの「美ビット見て歩き 私の美術ノート」です。12日奈良新聞に掲載されていました。今月は5月だけ拝観できる 奈良・璉珹寺「阿弥陀如来立像」特別開扉です。
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美ビット見て歩き 私の美術ノート *51 川嶌一穂

 

奈良・璉珹寺「阿弥陀如来立像」特別開扉

 

写真 阿弥陀如来立像(県指定文化財)=璉珹寺提供

 

 奈良町の南にある小さな寺・璉珹寺(れんじょうじ)は、この時期、山門をくぐると紫と白の花をいっぱい着けた匂蕃茉莉(においばんまつり)の甘い香りが出迎えてくれる。「香りのいい外来のジャスミン類」という意味の名前だという。
 本尊・阿弥陀仏は秘仏だったが、今は5月の1か月間公開されるので毎年楽しみにしている。裸身のままの木造仏に胡粉(ごふん)で白く地塗りを施し、袴だけを身にまとうきわめて珍しいお姿をした鎌倉時代の仏だ。
 鎌倉時代の阿弥陀如来立像といえば、本欄で前回ご紹介した、奈良国立博物館で開催中の快慶展でのテーマの一つとなっている「三尺阿弥陀」が頭に浮かぶ。たしかに来迎印を結んだ姿に、聖性と実在性を二つながら備えた快慶仏と共通する造形意思を感じる。ただこちらの本尊の髪型は螺髪(らほつ)ではなく、京都・清凉寺のいわゆる清凉寺式釈迦如来像と同じ縄目渦巻状である。
 蓮台ごと本尊を運ぶ雲の形もとても美しい。臨終のさいに急いで雲に乗ってお迎えに来て下さるので、雲の最後が尻尾のように細くなっている。兵庫県・浄土寺の快慶作阿弥陀三尊像や、京都・永観堂禅林寺の山越え阿弥陀図なども同じ雲の表現だ。浄土信仰の流行する中で阿弥陀仏の来迎を実感するために、生を強調する裸身の像としたのかもしれない。
 ご本尊の次に両脇侍を拝見する。とくに向かって右にいらっしゃる観音菩薩に心引かれる。たっぷりと結い上げた頭髪、涼しげな目元やキッと結んだ口元は異国風だが、幼児のような頬のふくらみが愛らしい。腰を左にひねった動きは、顔の表情の硬さに似合わぬしなやかさだ。
 この観音さまを東京で偶然拝見したことがある。11年前、上野の博物館で仏像展が開かれ、京都・宝菩提院願徳寺の菩薩半跏像を拝見したくて出かけた時のことである。会場で空中に浮遊するかのような半跏像に見とれていると、近くに誰か知っている人のいる気配がした。見ると璉珹寺の観音菩薩像だ。全国から集まった仏像の中でも遜色なく、実に堂々として美しかった。
 美しい仏と花の寺・璉珹寺にはもう一つの顔がある。昭和20年4月1日深夜、台湾海峡で阿波丸がアメリカ潜水艦の魚雷によって撃沈された。いわゆる緑十字船だったにもかかわらず撃沈され、2000余名が犠牲となった。戦後アメリカに対する補償要求を日本政府が取り下げるなど謎の多い事件であるが、前住職のお兄さんも若くして犠牲となった。境内の大きな観音像の前で毎年4月1日に慰霊祭が行われている。全国からご遺族のお参りがあるという。

 

 =次回は6月9日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。
 
メモ 璉珹寺 奈良市西紀寺町45。奈良交通市内循環バス(外回り)紀寺町下車徒歩2分、崇道神社の角を南へ入る。電話0742(22)4887。特別開扉は5月1日から31日まで。午前9時から午後5時まで。

2017年5月 4日 (木)

山の辺工房 日本画教室 25周年記念展

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山の辺工房 日本画教室 25周年記念展が5月4から5日、ギャラリーまつもりで開催されています。


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2017年4月15日 (土)

美ビット見て歩き 私の美術ノート *50 川嶌一穂

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奈良新聞14日付の、いつも楽しみにしている川嶌一穂さんの「美ビット見て歩き 私の美術ノート」はいま奈良国立博物館でひらかれている「快慶特別展」です。これだけの快慶の作品が集まるのはまずないだろうと言われています。早速13日わたしも拝観してきました。 

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *50 川嶌一穂

奈良国立博物館特別展「快慶―日本人を魅了した仏のかたち」展

長く戦乱の世が続いた。
南都焼討から5年後の1185年3月、ついに平家が滅亡する。早くも同年8月、焼け落ちた東大寺大仏の開眼供養が行われる。その昔天平の開眼に用いられた筆を正倉院から出して、後白河法皇みずからそれを手に執った。

さらに10年後、ようやく大仏殿の落慶供養会(え)が行われた。後鳥羽院の行幸に加えて、源頼朝率いる数万の兵がこの日のために東国から馳せ参じた。「大伽藍の御供養。光りかがやく春の日の。三笠の山に影高き。法(のり)の御声のさまざまに。供養をなすぞ有難き」能「大仏供養」の詞章がその盛大な様子を彷彿とさせる。

源氏も平家も犠牲はあまりに大きかった。敵味方の死者を悼み、仏法を中心とした平和な国を再興することが生き残った者の使命だと誰しも思ったことだろう。現在開催中の「快慶」展の会場で感じるのはこの一点だ。

そのとき大勧進に俊乗坊重源がいて、頼朝や藤原秀衡が金(きん)を寄進し、巨大材木が周防国(山口県)から運ばれた(「頼朝と重源」展図録)。
そこに肝腎要の仏を造る仏師集団がいたことがどうにも不思議でならない。巨大プロジェクトを短期間で完成させるだけの組織と人が、まるですべての準備を整えて待っていたかのように存在したのだ。
今回の快慶(?~1227年以前)展は、国宝、重要文化財を多数含む文字通り空前絶後の展覧会である。関東をはじめまだ拝見していない仏様も多かった。
本展図録は表紙の大胆なデザインもさることながら、内容が実に充実していて、帰宅後に何度も開いては余韻を楽しんでいる。一人の仏師の造った800年前の仏像やそれにまつわる文書がこんなに多く残っていて、しかもその研究が今なお進化しつつある。こんな国が他にあるだろうか!

私事で恐縮だが平成24年10月に始まった小欄も早いもので今回50回を迎えた。読者のみな様と、自由に書かせて下さる担当の方に心から御礼申し上げます。
出来るだけ違ったものをご紹介するように心がけているが、快慶だけは第6回ボストン美術館展「弥勒菩薩立像」、第20回兵庫県浄土寺「阿弥陀三尊立像」の2回と、第42回「石山寺」の文中で多宝塔の大日如来像(本展にもお出まし)に触れている。ファンの一人として今回また快慶をご紹介できてうれしい。

若い頃は装飾的で優美な快慶が好きだったが、齢を経るに従って、祈りをかたちにした信仰者としての快慶に魅かれるようになった。「芸術家」ならぬ仏師・快慶の手になる諸像は、近代的な意味での「彫刻作品」ではない。
次はぜひ本来あるべき信仰の空間の中で拝見すべく旅に出よう。

 =次回は5月12日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

メモ 奈良国立博物館 奈良市登大路町50(奈良公園内)。電話050(5542)8600。http://www.narahaku.go.jp/ 会期は6月4日(日)まで。月曜日休館(5月1日は開館)。午前9時30分から午後5時まで(入館は閉館30分前まで)。展示替えあり。

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2017年4月 4日 (火)

歌人・前登志夫さんを偲ぶラジオ放送

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吉野に住まわれた、歌人の前登志夫さんが亡くなられて9年とのこと。案内状を短歌の「ヤママユ」、劇団小町座の小野小町さんからいただきました。

前登志夫を偲ぶ会では、今年はならどっとFMから4月5日放送されるとのことです。

4月5日(水)午後3時から4時まで。
再放送は4月8日(土)午後9時から10時。FM78.8mz。

その時間帯ならインターネットならどこでも聞くことができます。
ならどっとFMのHP→
http://narafm.jp/

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2017年4月 2日 (日)

4月15日から奈良県立美術館では書の源流企画展

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4月15日から、奈良県立美術館では、書道家の榊莫山と紫舟のふたりのシンフォニーということで書の源流企画展がひらかれます。65才以上無料。外国人観光客、留学生も無料です。

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展覧会のHPです→http://www.pref.nara.jp/item/175865.htm#moduleid44968

2017年3月29日 (水)

4月1日から「ようまいり」(個展) 金峯山寺本地堂

写真家の野本 暉房さんhttp://www.lint.ne.jp/nomoto
から案内を頂きましたので、紹介します。
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「梅から桜へと季節は移ろいでいきます。皆様にはご健勝にお過ごしのこととお慶び申し上げます。
私、3月前半は東大寺のお水取りにほぼ毎日、今日から月末にかけては薬師寺の花会式にほぼ毎日通わせていただき、その間に県下の祭りや行事などなど、おかげさまで今の所は元気に機嫌よく過ごさせていただいております。
この度、下記の通り、吉野山金峯山寺にて写真展を行います。
今回は金峯山寺蔵王堂の日本最大秘仏本尊の特別ご開帳にあわせ開催させていただくことになりました。
ちょうど桜の季節で特別ご開帳には期間中に5万人ぐらいは参拝なさる場所での写真展で、大変光栄に思っております。
皆さまにもご高覧賜れば嬉しいです。
吉野の桜は下千本から中千本、上千本、奥千本と咲き上がっていきますので、期間中桜も楽しめます。
写真展名---「ようまいり」(個展)
会場-------金峯山寺本地堂
期間-------4月1日〜5月7日 8:30〜16:30
料金-------蔵王堂拝観者無料(特別拝観料1000円必要)
     (蔵王堂の中ですので拝観料は必要になりますが秘仏ご本尊をこの機会に拝観されることもぜひお勧めします。)
今回の展示では、蔵王堂で行われる法要や行事、大峯山での行などを展示させていただきます。
大峯山など霊山で行き交う時「ようまいり」の挨拶が交わされます。
皆様にも「ようまいり」くだされば幸いです。」

2017年3月27日 (月)

入江泰吉さんのラジオドラマ「みつめればそこに」

咋年12月に行われた入江泰吉さんのシンポジウムで上演されたドラマが、大阪ガスプレゼンツとして3月25日にMBS毎日放送で放送されました。
残念ながらラジオを聞くことはできませんでしたが、インターネットで1週間以内は聞けるようになったということを教えてもらいましたので紹介します。→
http://radiko.jp/#!/ts/MBS/20170325193000

番組のHPです→http://www.mbs1179.com/irie/

解説
奈良の代名詞とも言える写真を数多く残した写真家、入江泰吉。「入江調」と呼ばれるしっとりした作風は、今でも多くの人に愛され、慕われ続けています。まさに奈良の写真の代名詞です。
1992年には奈良市の高畑町に入江泰吉の名前を冠した「入江泰吉記念奈良市写真美術館」が開館し、入江作品をはじめ、かずかずの写真の名作を所蔵、展示しています。
また、入江の住んでいた水門町の家は、現在「入江泰吉旧居」として展示されており、入江の仕事ぶりや毎日の暮らし、交友関係、また、歴史文化への深い理解に裏打ちされた美意識やまなざしに思いをはことができる場として、人気スポットとなっています。
今回の「みつめればそこに」は、そんな入江泰吉が奈良の写真を撮影するようになったきっかけから、彼を支えた家族や仲間の姿を通して、文化を継承していく意義について考えたいと思います。
 

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