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2022年11月19日 (土)

「今夜も生でさだまさし、あをによし奈良の都はさだ盛り」

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NHK総合テレビの18日深夜に

「今夜も生でさだまさし、あをによし奈良の都はさだ盛り」という生番組がありました。
録画をしていましたが、ちょうどうまく生で見ることが出来ました。
奈良から5年ぶりの生番組ということです。
5年前はたしか奈良国立博物館の仏教美術資料研究センターからの生放送で、あのときはビデオで見ました。

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今回は、奈良の市役所前に出来たNHKの奈良放送局からの放送、東大寺は森本師、西大寺、薬師寺は大谷師ら存じ上げている僧侶、そして映像作家の保山耕一氏もスタジオにおられました。薬師寺でさだまさしさんのライブを来年には実施しましょうと番組で話されていました。

夕方の奈良の番組「ならナビ」の吉田キャスターも登場。ピアノを弾いたり、NHKプラスで全国でならナビを見ることが出来るとのことでした。

さだまさしさんがギターで一曲歌われました。「おんまつり」という曲でした。さだまさしさんは今月春日大社の若宮様の奉納に奈良に来たばかりとのことでした。さだまさしさんは、あおによしなど多くの曲を作ったり、若い頃から奈良が好きだとのことです。

東京にいると時間がせかせかしているが、奈良はボヨーンと時間が流れていて好きだとのことです。

全国の視聴者からはがきをさだまさしさんが読み上げられて番組はつづきました。ラジオでかつてよく聞いたことを思い出しました。

さだまさしさんは、最近、名古屋の東海ラジオで深夜番組をし始めたとのことです。

そして前列に座っておられた、保山耕一さんが登場。さださんと掛け合いで話されていました。

深夜、東大寺で大佛様に奉納で歌ったこと、やはり深夜、春日大社で神様に奉納でさださんが歌い、それを保山耕一さんが映像に撮ったこと、DVDにも冒頭収録されていること。保山さんはさださんに励まされて再び映像を撮り続けていることなど、ふたりのトークは続きました。

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見逃しサービスを以下で見ることを出来ると言うことです。

https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2022111920005

(追記)保山さんから、東海ラジオ情報が届きました。春日大社の奉納や奈良どっとFMのこと、岡本彰夫先生や保山さんのことを話しておられます。

「1時の鬼の魔酔い」(いちじのきのまよい)

https://www.youtube.com/watch?v=7KQ5B1wGveM

 

 

 

2022年11月14日 (月)

美ビット見て歩き ※111中之島香雪美術館特別展

 川嶌一穂さんの「マイ美術館」は学園前の大和文華館とのことです。今開かれている京都国立博物館の茶の湯展でも、大和文華館の所蔵の品がたくさん出ていました。今回は、大阪中之島の香雪美術館特別展です。大阪フェスティバルホールのある建物の西、ウエストにあるとのことです。(画像をクリックすると拡大します)

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *111 川嶌一穂

 

中之島香雪美術館特別展「伊勢物語―絵になる男の一代記」

 

写真 俵屋宗達筆 伊勢物語図色紙「芥川」 大和文華館蔵 江戸時代・十七世紀(中之島香雪美術館提供)

 

 誰にとっても「マイ美術館」があると思うが、私の場合は本欄で以前書いたように、奈良・学園前の大和文華館である。中学高校時代から学校で割引券をもらっては、よく友人と訪れ、大学院の古美術研究旅行でお邪魔した折は、館蔵の野々村仁清作「色絵おしどり香合」を本当に間近で拝見した。

 ゆえに私にとって「伊勢物語絵」と言えば、写真に掲げた大和文華館蔵の俵屋宗達筆「芥川」なのである。およそ25cmx20cmという小さな画面の中で、豪華な狩衣姿の男が芥川のほとりで、背負った女を振り返る。

 露など見たこともない深窓の姫君が、「あれは何?」と男に問いかけたところである。引き目鉤鼻で描かれる二人のあどけない表情が危なっかしい。点在する銀の露は例によって黒く変色しているが、描かれた当初、四百年前にはきらきらと光っていたことだろう。

本文中の「白玉かなにぞと人の問ひしとき露とこたへて消えなましものを」(「あれは真珠か何かなの」と問われたときに、「露ですよ」と答えて私も消えてしまえばよかったのに)という歌が、この恋の逃避行の悲劇的な結末を象徴している。

 この後、男は荒れ果てた蔵の中に姫君を入れて、入口に立ってお守りしていたはずなのに、夜が明けると姫君は鬼に食われて消えてしまっていた。「鬼一口」という恐ろしい話だ。

 段の終わりに、女は後に二条の后と呼ばれた藤原高子(たかいこ・清和天皇女御)であること、兄たちが高子を取り戻しに来たのを「鬼の仕業」と言ったものだろう、という註のような一節がある。怪異物語として読んでいた読者は、ここで急にリアルな世界に引き戻される。ああ、これは業平の物語なのだと。

実在する在原業平(ありわらのなりひら・天長二年<825>〜元慶四年<880>)は、藤原定家の編んだ「小倉百人一首」に、「ちはやぶる神代も聞かず龍田川からくれなゐに水くくるとは」という歌が収められている。彼を主人公とする「伊勢物語」は、精緻に組み立てられた大河ドラマである「源氏物語」とは違って、一話一話も短く、時の流れも厳密ではない短編小説集である。

その「ゆるさ」が人々に愛されたのか、それとも稀代の色男はやはり「絵になる」のか、これまで多くの「伊勢物語絵」が描かれた。
二年前に本欄で「聖徳太子」展をご紹介した中之島香雪美術館で、「伊勢物語」特別展が開かれていると知って、先日楽しみに出かけた。それほど広くない会場に、ほとんどが拝見したことのない、様々な様式の伊勢物語絵が並び、文字どおり時を忘れた。

本展の開催は、香雪美術館中之島館開設の準備中、村山龍平コレクションの中から十七枚の「伊勢物語図色紙」が「再発見」されたことがきっかけだったという。南北朝時代・十四世紀の作と考えられ、色紙に描かれた物語絵としては現存最古の作品となる。濃い色彩がよく残り、地面に細かな銀箔が撒かれた豪華本である。

描きこまれた濃彩の作品の多い会場に、軽やかで、愛らしくて、思わず頬のゆるんだ伊勢物語絵巻(室町時代・十六世紀)があった。素朴な筆致で描かれた、人物と草花のスケールもおかしい、素人の作かと思ってしまうような作品。がよく見ると、動きも生き生きとして、色彩感覚もおしゃれな、なかなか達者な筆だ。

驚いたのは、「嵯峨本伊勢物語」。慶長十三年(1608)に、豪商・角倉了以が刊行した木活字本である。細かな図柄を、こんなにも細い線で彫り、それを刷るとは、何という高い技術か。この料紙にも装丁にも凝った印刷本は、読者の数を桁違いに増やし、江戸時代の文化の花を咲かせることに大いに貢献したことだろう。

今回、物語絵だけではなく、業平単独の像も数点出ているが、中でも岩佐又兵衛の「在原業平像」(江戸時代・十七世紀)は独特の雰囲気があって面白い。ぼってりとした長い顔の業平は、一筋縄ではいかない男として造型されている。又兵衛はもう一枚、「伊勢物語図第二十四段『梓弓』」も出ていて、物語の悲劇的な大人の事情を人物の表情で語っている。
それぞれの絵にそれぞれの楽しみあり。堂島川はもう秋色に染まっているだろうか。

 

=次回は12月9日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

 

メモ 中之島香雪美術館 大阪市北区中之島3−2−4、中之島フェスティバルタワー・ウエスト4階。電話06(6210)3766。https://www.kosetsu-museum.or.jp/nakanoshima/
四つ橋線「肥後橋」駅4号出口直結。会期は11月27日(日)まで。月曜休館(祝日の場合は翌火曜日)。

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2022年10月 7日 (金)

「ひかり拓本」アプリ公開のためのクラウドファンディング

奈良文化財研究所(奈文研)では、以下のようなアプリ公開のためのクラウドファンディングをはじめられたとのことです。

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「ひかり拓本」アプリ公開のためのクラウドファンディング
風化する先祖からのメッセージ、みんなで解き明かすアプリをお手元に
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奈良文化財研究所と文化財活用センターは、研究所創立70周年を記念し、石に刻まれた文字や文様に光を当ててその影から拓本をとる技術「ひかり拓本」をスマートフォンに搭載し、全国の石碑に残された貴重なメッセージを守り伝えていくプロジェクトを始動します。その第一歩として、文化財活用センターと共同で、「ひかり拓本」スマートフォンアプリの開発・公開費を集めるクラウドファンディングを始動します。
目標金額は380万円です。
私たちの先祖からのメッセージを解き明かし、石碑に込められた思いに「ひかり」を当てる本プロジェクトに、ご支援をお待ちしています。

 

【募集期間】
2022年10月5日(水)10:00 ~ 12月2日(金)23:00

 

【目標金額】
3,800,000円(目標を達成しなかった場合は返金いたします。)

 

【寄附金の使途】
アプリ開発・公開費(iPhone、iPadおよびAndroid)

 

【支援方法】
クラウドファンディングサービス「READYFOR」内のプロジェクトページより承ります。

 

プロジェクトページ https://readyfor.jp/projects/hikaritakuhon01

 

【支援コース】
5,000円から1,000,000円まで13コース
 ●早期のご支援に、少ない金額で「ひかり拓本」を堪能できる特典適用コース
 ●「ひかり拓本」を開発した研究員が出張調査し、調査報告会を開催するコース など

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毎日新聞10月6日付も以下のように伝えています。

 

奈良市の奈良文化財研究所(奈文研)などは5日、石碑の文字を判読する技術をスマートフォンで活用できるようにするため、アプリ開発の費用を募るクラウドファンディング(CF)を始めた。

 判読技術は同研究所の上椙英之研究員(46)が2016年に開発した「ひかり拓本」。石碑に刻まれた文字をさまざまな角度から光を当てて撮影し、画像の影のみを重ね合わせることで文字を浮かび上がらせる技術だ。風化した災害伝承碑を判読することにも使われ、災害に強い町作りにも生かされてきた。

 これまではパソコン用ソフトを使っていたが、教育現場などより多くの人に技術を活用してもらおうとスマートフォン向けアプリを開発することにした。スマートフォンと懐中電灯などの光源があれば、小学校高学年程度でも手軽に石碑の文字を判読できるようになるという。

 5日に記者会見した上椙研究員は「研究者だけでは各地にある石碑の調査は対応できない。皆さんに協力していただければ」と話し、将来的には「ひかり拓本」の画像を登録できるデータベースを構築したいとしている。

 アプリの一般公開は23年3月中を目指している。CFの目標金額は380万円。12月2日午後11時まで、CFサイト(https://readyfor.jp/projects/hikaritakuhon01)で受け付けている。【塩路佳子】

以下は奈良新聞より。

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2022年10月 5日 (水)

10月30日、朗読劇「ちひさきもののうた」

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ずいぶん前にいちど拝見しましたが、奈良県立図書情報館では、朗読劇「ちひさきもののうた」発表公演を開催されます。

当朗読劇は、「イストワール histoire 」と銘打ち、大阪ガスネットワーク(株)が主催する、関西に実在した人物や実際に起こった事件などを題材にしたドラマシリーズで、2012年にその第3回として製作されたもので、奈良の名物旅館「日吉館」の女将・田村きよのとこの宿の常連でもあった歌人・書家・美術史家の會津八一をはじめ、日吉館に集まった人々のエピソードをドラマ化したものです。今回は、当館で開催されている朗読ワークショップを通じて集まった舞台経験ゼロの出演者を中心とした朗読劇の発表公演です。公演は、11時《雪組》からと15時《花組》からの2回です。

なお、10月18日(火)~30日(日)まで、関連図書展示「ちひさきもののうた~日吉館とその時代~」展を2階図書展示スペースで開催します。

日時
2022-10-30(日) 11:00 - 2022-10-30(日) 12:30
2022-10-30(日) 15:00 - 2022-10-30(日) 16:30」

入場は無料ですが、カンパお願いしますとのことです。

申し込みは以下のホームページから。https://www.library.pref.nara.jp/event/3927

 

2022年9月23日 (金)

NHK「100分で名著」10月は折口信夫について。解説は上野誠先生。

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上野誠先生からメールいただきました。

NHKのEテレに「100分で名著」という番組ありますが この10月は折口信夫について 奈良大学名誉教授で現在國學院大學教授の上野誠先生が解説されるという情報です。

先日、収録終わりましたとのことです。

10月3日(月曜日)の午後10時25分からはじまります 月曜ごとに計4回登場しますとのことです。

(拡散お願いします)

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上野誠先生

2022年9月10日 (土)

観心寺の會津八一の歌

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観心寺にて會津八一は歌を残しています。歌碑も建てられたと聞いています。

 

「観心寺の本尊如意輪観音を拝して

さきだちて そう が ささぐる ともしび に くしき ほとけ の まゆ あらは なり」

服部素空氏の解説

歌意
 先に立った僧が捧げ持つ灯りに、この妖しいまでの秘仏の太い眉がはっきりと眼前に迫ってくる。

 

なまめきて ひざ に たてたる しろたへ の ほとけ の ひぢ は うつつ とも なし

 

歌意
 なまめかしく膝の上に立てられている白い肘はとても美しく、まるで現実を越えた夢のようである。

 

 4月18日、年1回の開帳に金堂は人で埋まっている。如意輪観音は、僧が捧げ持つ灯りに怪しげに艶めかしく現れたのではなく、満座の人々が凝視する先に豊かで色美しい姿を堂内に浮かび上がらせていた。それは強烈な印象であり、訪れたことの幸せをしみじみと感じるひとときだった。豊満で美しい仏の顔を飽きることなく眺めていた。 第2首」

服部素空氏の残した會津八一研究より。

http://surume81.web.fc2.com/hitorigoto/81/sa/sa.html#sakidachite

美ビット見て歩き 109

毎月奈良新聞で楽しみにしている川嶌一穂さんの美ビット見て歩きも109回目です。

河内長野市の観心寺と金剛寺、9月11日まで京都国立博物館知新館で開かれ、会期もあとわずかですが、文を読むだけでも楽しめます。

河内長野市とのこと、生駒金剛連峰をすこし越えたところのある、ふたつのお寺、機会を見つけてぜひ行きたいと思います。

(画像はクリックすると拡大します)

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *109 川嶌一穂

 

京都国立博物館特別展「河内長野の霊地 観心寺と金剛寺―真言密教と南朝の遺産―」

 

写真 会場の平成知新館入口(著者撮影)

 

 近鉄奈良駅から難波方面への電車に乗って、富雄駅を越えると新向谷(しんおおたに)トンネル、生駒駅を過ぎるとすぐに新生駒トンネルに入る。それぞれ矢田丘陵と生駒山地を東西に貫くトンネルだ。
 新生駒トンネルを出ると、眼下に大阪平野がパーっと開ける。徐々に高度を下げながら走る、進行方向右側の車窓からの眺めが素晴らしい。昔は大坂城を見つけるのが楽しみだったが、今は先ずあべのハルカスを探す。鳥になったような、ほんの数分間の贅沢。

 地形図を見ると、京都盆地、奈良盆地、和歌山平野が繋がった、言わば広い大阪平野があって、その東から南の縁に生駒山地、金剛山地、和泉山脈という一続きの山系が伸びている。同じ山を奈良は東から、大阪は西から眺めていることになる。その「逆くの字」が折れ曲がる所に観心寺と金剛寺がある。古来、都から高野山への街道の合流地点として栄えた河内長野である。

 河内の観心寺と言えば、仏像好きなら誰しも「如意輪観音坐像」(国宝・平安時代・榧材・乾漆仕上げ・彩色)を思い出すだろう。これも国宝の金堂に、戦前は33年に一度、現在は4月17日、18日の二日間だけ開扉される秘仏として祀られてきたご本尊だ。
 密教仏らしい官能的な美しさを湛えたお像だが、ふくよかな六本の腕は、健康に育った乳幼児のようでもある。ずい分前に観心寺で拝見したとき、千二百年近く前のこんな場面が心に浮かんだーあまりに美しいお像に仕上がって困惑する仏師に、河内の人々が「まあええやないか」と受け入れた!?
はじめて観心寺を訪ねたその日の帰り道、昔ながらの茶店が目に入った。その年の花が遅かったのか、それともいつも平地より遅いのか、4月17日というのにまだ桜が咲いていた。川べりの座敷に座ってぜんざいを食べていると、いきなり風が吹いて、はらはらと川面に花が舞い散った。まるで夢の中にいるようだった。
残念だが、と言うか当然ながら、「如意輪観音坐像」は本展にはお出ましにならない。観心寺からは今回、「伝宝生如来坐像」と「伝弥勒菩薩坐像」など重要文化財が六体お出ましである。ポスターになった「伝宝生如来坐像」は、拳を握った右手を腰脇に置く珍しい姿。二体とも細身で、少し憂いを帯びた端正なお顔だ。

今回、東京の自宅から日帰りで京博を訪れた一番の目的は、「日月四季山水図屏風」(国宝)だった。観心寺から直線距離にして西へ5kmほど行った金剛寺に伝わる、室町時代に作られた紙本着色、六曲一双の屏風である。
 わたしは昔からこの屏風が大好き。丸い山が、モグラの穴のようにぽこぽこと川波の中から盛り上がり、松の木は幹も下枝もくねくねと踊っている。画面の下を埋める川の流れと波頭の生み出す自在な曲線が、山や松と響き合っている。
 実は、この屏風の制作当初の姿を想像するのは意外と難しい。用いられている銀が時代とともに酸化(正確には「硫化」)して黒くなるからである。「日月図(じつげつず)」と言うくらいだから、画面の中に太陽と月が描かれているはず。右隻の山々の間で輝いている金色の太陽はすぐ目に入るが、月はなかなか見つからない。目を凝らすと、左隻の雪山の上に少しメタボの三日月があるのだが、背景と月の銀が黒くなっていて見えにくい。

 当初の画面を再現した図がないかとネット検索すると、民間の研究所がこの屏風を「デジタル復元」していることを知った(「小林美術科学」、「日月山水図屏風」と入れて検索)。復元された屏風を見ると、左隻から右隻に向かって滔々と流れる大河が出現し、左右の絵に、現状ではあまり明確ではない統一感が立ち上がった。

 金剛寺さんへも、ずい分前に一度お邪魔しているのだが、本展で拝見した名品の数々をそのときお寺で見た記憶がない。いったい何を見ていたのやら。

「五秘密曼荼羅図」(重要文化財・鎌倉時代)は、中心の金剛薩埵(こんごうさった)に欲・触・愛・慢の四金剛がまとわりつく形で、「煩悩即菩提」という密教の真理を象徴しているらしい。身体と、身にまとう装身具のこの世的な美しさと、この世ならぬ神秘性が溶け合った優品。
「延喜式神名帳」(国宝・平安時代)も興味深い。現存する「延喜式」巻第九の最古写本で、宮中、京中、五畿七道の順に書かれた、神祇官に登録された官社の一覧である。「大和国二百八十六座、添上郡三十七座、添下郡十座、平群郡二十座」の箇所も展示されていて、奈良の神社名を一つ一つ辿っていくのが楽しい。

他にも、密教法具である三鈷杵型の柄を備えた両刃の剣(国宝・平安時代)など見るべきものが多い。展覧会は閉幕も近いので、またいい季節に生駒・金剛山地を越えて、河内の名寺を訪ねる旅をしたい。

 

=次回は10月14日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

 

メモ
京都国立博物館平成知新館。京都市東山区茶屋町527。電話075(525)2473。京阪電車「七条駅」下車、東へ徒歩7分。会期は明後日9月11日(日)までなのでご注意下さい。https://www.kyohaku.go.jp/ 観心寺。大阪府河内長野市寺元475。電話0721(62)2134。南海高野線または近鉄長野線「河内長野駅」から南海バスに12分乗車、「観心寺」下車すぐ。金剛寺。大阪府河内長野市天野996。電話0721(52)2046。南海高野線または近鉄長野線「河内長野駅」下車、南海バスに23分乗車、「天野山」下車すぐ。「日月四季山水図屏風」は年二回、春秋の数日間のみ公開。今年の秋は、11月3日から5日までの3日間。

 

2022年8月29日 (月)

ナラクロスオーバーのクラウドファンディング

Img282_20220808140101(画像をクリックすると拡大します)

ナラクロスオーバー2022を成功させたい!というクラウドファンディングが始められました。

4,000円コースから

20,000円コース

40,000円コース

50,000円コース

が準備されています。

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案内のホームページです

https://naracrossover.jp/funding2022/

2022年8月13日 (土)

美ビット見て歩き 108

奈良新聞で毎月楽しみに読んでいる川嶌一穂さんの美ビット見て歩き、8月は「山本有三邸と接収」展です。東京三鷹市の『路傍の石』で知られる作家山本有三の大きな家が戦後米軍によって接収されたそうです。そして奈良の米軍の接収の様子も書かれています。

奈良の米軍の進駐軍がいたのはわたしたちの幼少のころですが、わたしたちの記憶に残っています。

はからずも川嶌さんとの今回のやりとりで、わたしのことも文中に紹介されました。ありがとうございました。


高畑町や水門町の大きな家が接収されていたこと。高畑町の志賀直哉邸も接収されていたそうです。

今はなくなったドリームランドのあった場所は、戦後、米軍の高級将校の住宅地であったこと。


紀寺町のかつて通っていた中学高校(奈良女子大附属中学高校、いま附属中等教育学校)はまさに進駐軍のあとでした。
講堂は昔のシアター(映画館)であり、ボーリングの1レーンも残っていた木造の体育館がありました。
教室はもと米軍の建物を改造した建物にありました。

その他にも、中学に入学した頃はかつての米軍の名残がたくさんありました。(1961年頃)

いまの紀寺団地には、セスナ機用の滑走路あともあったとのことです。
最近出版された「奈良町の南玄関」(京阪奈情報教育出版)にも載っています。

かつての古い校舎があったところは現在天然芝のサッカーのグランドになっています。
そして現在の校舎がある場所はかつてのA地区グランドで、現在は鉄筋の立派な校舎が建っています。

ことしは戦後77年目の夏ですが、伝えていかねばならない大切な歴史だと思います。  

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *108 川嶌一穂

 

東京都三鷹市山本有三記念館「山本有三邸と接収」展

 

写真 山本有三記念館(太宰治が愛人と入水した現場に近い・著者撮影)

 

 もう五十年以上も前のこと、東京で大学に通っているとき、家庭教師のアルバイトを始めた。JR中央線の荻窪駅からほど近い、落ち着いた住宅街の中にあるお宅に週一回通ったが、その折に生徒のお母さんから聞いた話では、戦争中その界隈は空襲に遭わなかった。終戦後に駐留米軍の将校ハウスにするために、焼かずにおいてあったらしいということだ。

 私は心底驚いた。もしそうだとしたら、藁人形を竹槍で突いたり、バケツリレーで消火したりする訓練をしていた日本人。片や戦後日本に進駐する軍人の住宅地をどこにするかを決めて、細かく線引きして空襲を実施していたアメリカ。何たる違い!泣けてくる。

 その荻窪からも近い三鷹市山本有三記念館で「山本有三邸と接収」展開催中、という小さな記事を見つけて先日行って来た。
 三鷹駅で降りると、江戸時代初期に開削され、江戸市中へ飲料水を供給した玉川上水の緑が見える。上水に沿って下流に歩くと、東欧あたりの農家とも、ドイツ表現主義住宅とも見える折衷的なデザインの洋館が見えてくる。『路傍の石』で知られる山本有三が、昭和11年(1936)から21年まで家族と暮らした家である。
 内装は木や石の自然素材が多用され、細部まで凝ったデザインがすばらしく、明るくて住みやすそう。洋館だが、二階には和室も設えられていた。
 十分な部屋数と水洗トイレ、暖房などの設備を備えた山本邸は、昭和21年、占領軍関係者の住居として接収された。長女の永野朋子が接収にまつわる思い出を語っている(「記念館館報」24号)。

「とうとう接収が決まってしまった。…間組が改修工事を担当することになり、進駐軍の若い将校が靴のまま上がり込んで来て、一部屋一部屋改装の指図をして回るのを、悔しい思いで見守るしかなかったのである。」
「…昭和二十六年の暮に返還になった。うれしいことだったが、あちこちペンキが塗られたり、かなり手を入れられていたので、父はもうそこに住む気になれなかった。」
 否やもなく、安い賃料で接収され、原状回復して返還するという規定もなかった。返還後、有三は二度とこの家に住むことはなかった。

 一戸の接収住宅に、一つの家族の歴史がある。いったい日本全体で何戸の住宅が接収されたのだろう。

 昭和20年(1945)8月14日に日本政府が受諾を通告したポツダム宣言の執行のために、8月28日に進駐を開始したアメリカ軍とイギリス連邦軍の数は、20年末で43万人を数える。進駐したその日から一人一人に寝る場所が要る。進駐初期は民間のホテルや公共建築が接収の対象となったが、11月には東京地区で700件の候補住宅リストの提出が命じられた。山本邸もそのリストに載った。

翌21年1月には、既存住宅の接収では足らず、「占領軍家族住宅」2万戸(国内1万6千戸、朝鮮4千戸)の建設命令が占領軍から出される。家具、什器、家電製品を含めた話である。日本政府の戸数削減要求に応じて、1万戸に減らされたが、最終的に建設された総戸数は1万3千戸余りに上った。

 戦時中の都市大空襲により、日本の住宅は3分の1が消失し、住宅を失った日本人は420万人いた。さらに20年は冷害や風水害による大凶作の年で、日本は食糧危機に見舞われていた。
 そんな中、20年9月に米国務省の発表した、占領軍の必要とする物資と労働力の調達は日本政府が提供する、という「対日方針」に従って、住宅調達・建設も含めた占領軍向け支出は、21年度一般会計予算の実に3分の1を占めた。

 奈良の場合はどうだったのだろう。奈良には、占領軍第8軍団第25歩兵師団が進駐し、まず奈良ホテルが20年9月28日に接収された。接収は27年6月30日に解除、翌7月5日に営業を再開した(奈良ホテルのHPによると、営業再開は8月)。

 また奈良の占領軍家族住宅は、25年10月の時点で、新築64戸、改築47戸の計111戸が統計に上がっている。

中学高校の先輩で、奈良まほろばソムリエの松森重博さんにお尋ねすると、やはり高畑などの大きな家が接収されたらしい。奈良ドリームランドは、米軍将校用の住宅地が建設された「黒髪山キャンプサイト」の跡地に建てられたとのこと(奈良県立情報館のHP「戦争体験文庫」に建設中の写真あり)。
筆者は鼓阪小学校在学中に、音楽の北中先生率いる器楽バンドの一員として、ドリームランド開場記念式典に出席して何曲か演奏している。式典に参加した大人たちは、米軍施設が返還された喜びにも浸っていたのかもしれない。

昭和26年(1951)9月8日に日本政府が調印した「サンフランシスコ平和条約」が、翌27年4月28日に発効したことにより、7年間に及ぶ占領は終わりを告げた。実質3年半の戦時期の倍の長さだった。

=次回は9月9日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

メモ
東京都三鷹市山本有三記念館。 東京都三鷹市下連雀2−12−27。電話0422(42)6233。JR中央線「三鷹駅」南口より徒歩10分。会期は9月4日(日)まで。月曜休館。https://mitaka-sportsandculture.or.jp/yuzo/
参考図書 大場修編著『占領下日本の地方都市』2021年・思文閣出版。小泉和子他著『占領軍住宅の記録(上)』1999年・住まいの図書館出版局。

 

2022年7月10日 (日)

美ビット見て歩き 大阪中之島美術館

毎月、奈良新聞で楽しみにしている、川嶌一穂さんの美ビット見て歩きは、大阪中之島美術館のことです。出来てたいへん評判ですがまだ行ったことありませんので参考になります。

 

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *107 川嶌一穂

 

大阪中之島美術館開館記念特別展「モディリアーニー愛と創作に捧げた35年―」

 

写真 アメデオ・モディリアーニ作『髪をほどいた横たわる裸婦』(1917年 油彩)大阪中之島美術館蔵(会場にて著者撮影)

 

ようやく開館した大阪中之島美術館を、先月訪れたのでレポートしたい。
「ようやく」というのは、こうだ。昭和58年(1983)に、大阪の実業家にして美術コレクター・山本發次郎(1887―1951)のご遺族から、佐伯祐三の油彩画や、墨蹟を中心とするコレクション約600点が大阪市に寄贈された。それをきっかけに、大阪市市制100周年記念事業として近代美術館建設構想がスタートして、構想から実に39年を経て今春ようやく開館した、というわけだ。
その間、「大阪市立近代美術館(仮称)」の「心斎橋展示室」で開かれたコレクション展を見に行ったり、そこから貸し出された佐伯祐三やモディリアーニ作品を見たりしたこともあった。バブル崩壊後「財政難で計画暗礁に」などという記事を時々目にしたが、何年かかってもこうして実現したのは、きっと息長く奔走された方々の存在があるのだろう。

これで大阪市の美術館は、敷地を住友本家から寄贈されて天王寺公園内に開館した、堂々たる建物と素晴らしいコレクションを持つ市立美術館(改修工事による長期休館の間、東京・サントリー美術館で今秋大規模コレクション展開催予定)、やはり中之島にある、住友グループから寄贈された珠玉の安宅コレクションを中心とする東洋陶磁美術館(来年秋までこちらも改修工事のため長期休館中)との三館体制となる。市レベルの美術館としては全国的にも例を見ない充実ぶりである。三館とも、江戸時代からの大阪商人の豊かさと、趣味の洗練と、心意気を象徴していて、同じ関西人として誇らしい。

写真のアメデオ・モディリアーニ(1884〜1920)作『髪をほどいた横たわる裸婦』は、彼のあまりにも若すぎる晩年の傑作。
イタリアはフィレンツェのはるか西に位置するリヴォルノという海岸都市で生まれたモディリアーニは、1906年にパリに渡り、エコール・ド・パリ(パリ派)の一人として活躍し、35歳という若さで亡くなった。

本作も山本發次郎が大切にしていたコレクションだったが、アメリカ軍による本土空襲が激しさを増す大戦末期の1945年、芦屋の自宅から故郷の岡山に軍用トラックで疎開させることになった天皇の御宸翰(自筆文書)の中に忍ばせて運んだ。奇策はみごとに成功したが、芦屋の自宅は空襲に遭い、美術品はすべて焼失した(本展『図録』)。

戦後、本作品はいったん売却されるが、1989年に大阪市が19億円で購入した。何たる英断!今や、百年前の作品とは思えない新鮮な輝きを放つ、新美術館の顔となる作品である。

モディリアーニの描く人物は、紙を貼り付けたような目をしていることが多いが、この裸婦は白目も瞳もちゃんと描かれ、強い視線を見る者に投げかける。ポーズそれ自体は、マネの『オリンピア』やティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』など、ヨーロッパ絵画の伝統を踏まえた裸婦のポーズだが、今にも画面から飛び出して来そうな生々しさである。

それでもなお、絵が下品でないのは不思議だ。1913年にパリに渡り、モディリアーニと親しくなった藤田嗣治が、彼のことをこう記している。
「強い酒を日に必ず一、二本平らげながら絵を描いていた。…随分乱暴な恰好をしてモデルを恐れさせた事だった。反して出来る画は優しい美しいものであった。」<藤田嗣治著『腕(ぶら)一本』>さすが藤田の透徹した観察である。

20世紀の初頭に、ヨーロッパの田舎から、またアジアの東の果てからそれぞれの文化と伝統を背負った若者が集まり、互いに影響を与えながら、後にエコール・ド・パリと呼ばれる一時代を築いた。モディリアーニの本作品に描かれた、ヨーロッパ絵画の伝統にはなかった黒い輪郭線に、藤田の影響が見て取れると思う。

なおモディリアーニが藤田を描いた素描が、本展第2章「1910年代パリの美術」に出ているのでお見逃しなきように。

行ったことのない、しかも出来立てほやほやの美術館を訪れるのは、滅多にない心踊る瞬間だ。肥後橋駅から歩くと、大きな彫刻のような国際美術館の入り口の向こうに、巨大な黒い「箱」が見えた。「近代」美術館にふさわしい斬新な建築デザインだ。

中に入って、展覧会場の入り口が分からず不安なまま廊下を進むと、突然大空間が開けた。何階分もある長い階段やエスカレーターが交差している。内部空間もおしゃれだ。しかし、帰りにエレベーターの場所を係りの人に聞いて、教えられた方向へ行ったのだが、それでも見つからず、うろうろした。素晴らしい空間デザインに、観客にとって動線の分かり易いサインがあれば、さらに格好いいと思う。

 

=次回は8月12日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

 

メモ
大阪中之島美術館5階展示室。 大阪市北区中之島4−3−1。電話06(6479)0550。京阪中之島線渡辺橋駅(2番出口)より南西へ徒歩5分。大阪メトロ四つ橋線肥後橋駅(4番出口)より西へ徒歩10分。JR大阪環状線福島駅(2番出口)より南へ徒歩10分など。会期は7月18日(月・祝)まで。11日(月)は休館。https://nakka-art.jp

 

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