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2018年4月16日 (月)

美ビット見て歩き *61滋賀県ミホミュージアム

毎月楽しみにしている奈良新聞の川嶌一穂さんの美ビット見て歩きが載っていました。今月は滋賀県のミホミュージアムです。奈良市内から木津川市、加茂町、和束町などをドライブして1時間あまりのところです。新緑の季節、お茶畑なども広がりわたしの好きな道です。信楽焼の産地のすぐ近くです。


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美ビット見て歩き 私の美術ノート *61 川嶌一穂

滋賀県ミホ・ミュージアム 「猿楽と面(おもて)―大和・近江および白山の周辺からー」展 

写真 ミホ・ミュージアム展示室入口(著者撮影)

 

狂言と能を合せて「能楽」と言うのは明治時代からで、それまで能は「猿楽」と呼ばれていた。その源流を訪ねて、飛鳥時代から流行した伎楽や舞楽の面と、鎌倉時代に寺社で盛んになった追儺(ついな)で使われた鬼の面から展示が始まる。

平安時代の雑楽などを描いた「信西古楽図」(展示は5月6日まで)には、猿回しや様々な曲芸が描かれている。幼い頃、おん祭りの時と思うのだが、国立博物館敷地の南西の隅で猿回しを見て、すっかり気に入ってしまい、その後長いこと家の中で真似をしたことを思い出した!猿回しが何百年も前からあったなんて、驚いた。

 

 鎌倉時代になると、興福寺の薪猿楽、多武峰妙楽寺の八講猿楽、春日若宮おん祭猿楽に大和四座が参勤して、互いに芸を競い合った。今で言う金春、観世、宝生、金剛の四流である。

 

 興福寺の薪能と、春日大社の摂社である水屋神社で奉納される神事能を描いた、江戸時代の「奈良薪能絵巻」と「奈良水屋能絵巻」が展示されている。色彩も鮮やかで、地形など正確に描かれているので、細かく見て行くととても面白い。仮設の桟敷席が設けられたり、もう屋台の食べ物屋も出ている。

 

面ではないのだが、今回、金春禅竹(1405-1471以前)の伝書「明宿集」は必見。世阿弥(1343?~1443?)の娘婿・禅竹の自筆伝書が昭和三十年代に金春宗家の筐底から発見されたことは聞いていたが、本展図録によると、その一部は、袋とじ本の袋の中に一枚一枚隠されていたという。まさに一子相伝の秘書だった伝書が、ガラス越しとはいえ、そのままに眼前にあることが不思議で、600年の時空を飛び越えたような気がした。

 

展示替えがあるが、本展覧会で重要文化財80点を含む総数300点を超す面が展示されている。各流の家にある面を除けば、天河神社の諸面を筆頭に、名品という面はほとんど揃ったのではないだろうか。

 

名人が着けると、それが面とは意識しないほどピタっと貼りついて、刻々と変化する役の感情を一つの面で表現する「面」。役者から切り離された面は果たしてどういう表情をしているのだろうか、と思いつつ拝見した。さっと見れば別に何事もないのだが、気になって観れば、恐るべし!こちらが受けとめられない程の強い存在感を放った。

 

 残念ながら、私はまだ行き合ったことがないが、美術館棟に向かうアプローチ両側の枝垂桜は、例年4月中旬頃に満開になるという。奈良からはなかなか遠いが、能好きの方はぜひお出かけ下さい。

 

=次回は平成30年5月11日付(第2金曜日掲載)= 

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かわしま・かずほ 

元大阪芸術大学短期大学部教授。

メモ ミホ・ミュージアム 滋賀県甲賀市信楽町田代桃谷300。電話0748(82)3411。JR琵琶湖線石山駅発「ミホ・ミュージアム行き」帝産バス(所要時間50分)乗車(9時10分から13時10分まで1時間に1本)。月曜日休館(4月30日開館、5月1日休館)。会期は6月3日(日)まで(会期中展示替えあり)。http://miho.jp

 

 

2018年4月13日 (金)

うつくしいくらしかた 奈良こよみ(無料アプリ)72候

先日、写真家の野本暉房さんのパーティーでお会いしご挨拶できた写真家の澤 戢三 さんからフェースブックで教えていただきました。撮影も担当されているとのことです。写真も拝借します。

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「奈良こよみ(無料アプリ)72候の14候です」
「 鴻 鴈 北 (こうがんかえる)清 明 」
冬を過ごした雁が、北国へと去っていきます。
雁は「かり」とも読んだり、また鴈と書くこともあります。
「春の沈下橋(沈み橋)<大城橋(斑鳩町・河合町)>=撮影:澤 戢三 ...

奈良こよみ/72  無料アプリ ダウンロード=
www.kurashikata.com/72seasons-nara-koyomi/

2018年3月27日 (火)

4月3日から、大東純子絵画教室作品発表展

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恒例の大東純子絵画教室作品発表展(油彩・水彩画)が4月3日から4月8日まで、もちいどのセンター街のギャラリーまつもりで開かれます。

なお、初日は正午開場、最終日の8日は4時閉場です。

「前回より今回・・・・今回よりは次回と、毎年課題を見つけながら一枚一枚の作品に向き合って、そして見ていただける皆様のご来駕を励みに、一年間の成果をお披露目させていただきます。おついでの折には今年もご高覧いただきますようにご案内申し上げます」とのことです。

2018年3月19日 (月)

脇阪俊博 作品展

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小学校から中学校同級生の脇阪俊博さんが3月20日から25日まで、アートスペース上三条で作品展をされますので紹介します。水彩画で近年急速に頑張っておられます。

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2018年3月10日 (土)

美ビット見て歩き 私の美術ノート *60

毎月楽しみにしている川嶌一穂さんの今月の美ビット見て歩き 私の美術ノートは京都・本法寺 長谷川等伯・大涅槃図開帳です。釈迦が入滅した日は旧暦では満月とのことです。
先日聞いた東大寺修二会もかつては旧暦の2月であったので、新月の1日に始まり満行の15日は満月であったということでした。
お釈迦様の入滅の日が修二会の満行の日であったということになります。月の満ち欠けの旧暦をあらためて知ることです。

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *60 川嶌一穂

 

京都・本法寺 長谷川等伯・大涅槃図開帳

 

写真 長谷川等伯筆「仏涅槃図」紙本着色 慶長4年(1599)=「本法寺・平成30年春季特別寺宝展」チラシより許可を得て複製

 

 旧暦2月15日はお釈迦様が涅槃に入られた、つまり亡くなった日である。奈良では2月の15日に、京都では3月の15日に涅槃会(ねはんえ)の法要が行われる寺が多い。涅槃会で懸けられる涅槃図は、だいたい共通の約束事に沿って描かれるが、細部が少しずつ違うので、比べてみるととても興味深い。ちなみに、本欄第25回(26年12月)で取上げた法隆寺五重塔初層北面の涅槃塑像群は、涅槃を題材にした作として日本最古である。

最期を悟った釈迦はクシナガラ近くの川岸に赴いて、弟子に「サーラ―の双樹の間に、頭を北に向けて床を敷いてくれ。アーナンダよ。私は疲れた。横になりたい」と言って、入滅された(中村元著『釈尊の生涯』)。その日、旧暦の2月15日は、必ず満月である。

 写真の長谷川等伯(1539-1610)の筆による本法寺(ほんぽうじ)の「仏涅槃図」(重要文化財)は、画中高く満月が上り、天まで届かんとする4対の沙羅双樹が釈迦を囲んでいる。沙羅の木の間に、跋提河(ばつだいが)という川の荒波が見え隠れしている。釈迦最後の説法が終ると、足元の沙羅の木はたちまちに枯れ、あとの4本は栄えた。

 たいていの涅槃図に描かれる、急いで天上から下りて来る摩耶夫人(まやぶにん)が、本図にはない。おそらく本図が余りにも巨大であることに因るのだろう。ぜひ実物でその大きさを味わって頂きたい。

 60歳の等伯がこの涅槃図を描いた6年前、跡取りの久蔵を26歳という若さで失った。天下が誰のものになるのか、狩野派も海北派も生き残りに必死だった時である。頼りにしていた久蔵の七回忌に際し、菩提寺の本山である本法寺にこの涅槃図を奉納したのだ。画中では、菩薩たちでさえ悲しみを隠そうとしない。まるで画家自身が、この絵の中で思い切り泣いているかのようだ。

 今回展示されている訳ではないが、等伯に「千利休像」がある。一筋縄では行かない利休の人となりを余す所なく描いた名作である。当然2人に交流があっただろうが、実際に本法寺は東側の小川通で表千家、裏千家と隣り合っている。400年間変わっていないような界隈に、目の保養にも、目の毒にもなりそうな、趣味のいい道具屋さんがあり、お茶のできる美味しい和菓子屋さんがある。

今年は寒い冬だったが、日の光はもうすっかり春だ。涅槃会が終わると、来月は花祭り。

 

=次回は平成30年4月13日付(第2金曜日掲載)=

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かわしま・かずほ

元大阪芸術大学短期大学部教授。

 

メモ 叡昌山本法寺 京都市上京区小川通寺之内上ル本法寺前町617。電話075(441)7997。京都市営地下鉄「鞍馬口」駅から徒歩15分。または京都市営バス9系統「堀川寺ノ内」バス停から徒歩3分。涅槃図開帳は3月14日(水)から4月15日(日)まで。3月14日(水)午前10時から涅槃会。

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叡昌山本法寺のHPです→ http://eishouzan.honpouji.nichiren-shu.jp/

2018年2月24日 (土)

映像作家 保山耕一さん「生かされて」

2月22日毎日新聞夕刊に、保山耕一さんのことが紹介されていました。書かれたのは奈良支局の記者、塩路佳子さん。短い文で的確に書かれています。

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2月24日は13時から東大阪市の若江岩田のイコーラム・ホールで会があり、14時30分からは保山耕一さんの講演と上映会があります。入場無料。

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25日は大阪のドーンセンターにて上映会とのこと。

3月1日夜19時からひむろしらゆきサロン、奈良の氷室神社にて保山さんの映像も見ることができます。

またYOUTUBEでは保山さんの400以上の「奈良 時の雫」を見ることが出来ます→時の雫

フェースブックの保山耕一さん→保山耕一さん

2018年2月10日 (土)

美ビット見て歩き 私の美術ノート *59 

毎月楽しみにしている川嶌一穂さんの美ビット見て歩きは、お正月をはさんで2か月ぶりに、奈良新聞に載っています。

武器を飾り美しく、とあり「たがねの華ーー光村コレクションの刀装具」です。

 

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *59 川嶌一穂

大阪歴史博物館特別展『鏨(たがね)の華―光村コレクションの刀装具』

写真 「鬼念仏・笛吹地蔵図目貫」大月光弘作 1組のうち鬼念仏図目貫 江戸時代・19世紀 根津美術館蔵=大阪歴史博物館提供

 昭和30年代、テレビが普及する前の庶民の娯楽と言えば映画、それもうちは東映の時代劇が多かった。冬は奈良の小西通りで夫婦饅頭(回転焼きのこと)を買って行って、頬張りながら見るのがお定まりだった。その回転焼き屋さんを最近見ないな、と思っていたら、少し南に行った椿井市場の中に移転したらしい。それはぜひ行かねば!

 大川橋蔵の月形半平太、中村錦之介の一心太助など思い出すとキリがない。今でも「飛び道具とは卑怯なり」とか、「小次郎、敗れたり」などという映画の中の台詞が、ひょいと口をついて出て来ることがあって、自分でも笑ってしまう。「鯉口を切る」などという表現も、詳しく分らないままに覚えてしまった。

 意外や意外、今は若い人の間で刀剣がブームらしい。伝統はモノが残ること以上に、それに価値を見出すヒトがいて始めて次代に伝えられるものだから、それは嬉しいことだ。 

 明治10年(1877)、大阪島之内で富裕な実業家の長男として光村利藻(みつむら・としも)が生まれた。彼が成人した明治30年というと、維新を担った世代が退場し、江戸文化も日々に廃れていく時代だが、その頃、彼は製造技術の継承も危なくなっていた刀剣や刀装具の収集にのめり込んでいった。 

 しばらくして彼の事業が行き詰ることになるが、幸いにも彼のコレクションは、昨年2月の本欄でも紹介した「鉄道王」根津嘉一郎が一括購入し、今では根津美術館の誇るべき蔵品となっている。 

 写真の目貫(めぬき)は、大津絵から抜け出たようなユーモラスな表情をした鬼を象ったもの。5センチに満たない小さなものだが、胸に下げた鉦を叩く音が聞こえてくる気のする生き生きとした造形だ。目貫は、もともと刀心と柄(つか)を固定させる釘の頭の飾りで、その上に柄巻が施されるが、次第に実用を超えて装飾になっていった。 

 目貫だけではない。会場の刀装具の何と美しいことか。武器である刀を何故こんなに飾る必要があるのだろう。 

 それで思い出したことがある。以前、アメリカ人の入国審査官と飛行機で隣り合ったことがあった。彼は、9・11以後、拳銃の携行が義務付けられ、武器を持つことのストレスがすごいのだと話した。戦いのなくなった江戸時代の武士とて、その気になれば人を殺傷できる刀を常に身に着けることの重圧は大きかったに違いない。その責任を引き受ける矜持の印として、また緊張感を和らげる慰めとして、刀は美しくあるべきだったのではないだろうか。さて、みな様は会場でどう感じられるだろうか。
 

=次回は平成30年3月9日付(第2金曜日掲載)=

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かわしま・かずほ

元大阪芸術大学短期大学部教授。

メモ 大阪歴史博物館 大阪市中央区大手前4-1-32、NHK大阪放送会館隣り。
電話06(6946)5728。
地下鉄「谷町四丁目」駅②号・⑨号出口。
会期は3月18日(日)まで。
火曜日休館なのでご注意下さい。4倍程度の単眼鏡を持っている方はお忘れなく。

 

 

2018年1月29日 (月)

正倉院展の短歌コンクール

すこし面映いのですが、ご報告です。

正倉院展のとき、短歌と俳句のコンクールをされています。

平成29年度、短歌は6回目、俳句は2回目ということです。最近ダメでもともとと、毎年短歌を投稿しているのですが、いつも落選でした。
平成29年も2首投稿したところ、なんと審査員特別賞をいただくことができました。短歌は1,103人から1781首の投稿があったということです。

反古紙(ほごかみ)に書かれし戸籍葛飾の柴又と言ふ寅さん思ふ

1月27日、読売新聞の大阪本社で表彰式がありました。

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短歌、俳句それぞれ一般の部とジュニアの部がありました。読売新聞の正倉院展のHPに載っているとのことです→http://mik2005.jp/shosoin/tanka/

また読売新聞にも載るそうです。

以下図録より。

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一度使った紙背(しはい)紙の裏に戸籍が書かれています。下総、葛飾、いまの葛飾柴又と比定されると書かれています。
葛飾柴又といえば寅さんの映画で何度も見ていますし、3年ほど前には一度実際に訪れました。

表彰式当日、やはりこの戸籍を題材に詠まれている石田精一郎さんにもお会いできいろいろお話できました。石田さんは葛飾柴又ご出身でこの戸籍が出るのを楽しみにされていたということです。

2017年12月 9日 (土)

美ビット見て歩き 私の美術ノート *58 

毎月奈良新聞で楽しみにしている、川嶌一穂さんの美ビット見て歩き 私の美術ノートですが、今年最後は、50年前の高校時代の「手古奈のふる里」についてです。高校時代の友人と行かれたとのこと、こういう思い出は良いですね。見習って、あちこち行きたいものです。たしか旅行のPRで「大人の修学旅行」というのがありました。

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *58 川嶌一穂

手古奈のふる里 千葉県市川市真間

写真 真間山弘法寺仁王門=著者撮影

 

 もう半世紀も前のことだが、私が女子大附高2年生のとき、山口佳恵子先生(現在日本トスティ協会芸術監督)の指導のもと、有志が集まってオペラの自主公演をした。勉強はそっちのけで、夏休みも毎日学校に通って練習に励んだ。プログラムは一幕物の『真間の手古奈』である。衣装は一条高校演劇部に貸して頂き、脚本は音楽之友社から出ていた服部正作曲の音楽台本を使用した。 

 美しい少女・手古奈(他に「手児奈」など複数の表記あり)を巡って男たちが争い、それを苦にして手古奈が入水してしまうという物語を下敷きにしたオペラである。 

 手古奈伝説は万葉集にも詠われている。

 

 勝鹿の真間の井を見れば立ち平(なら)し水汲ましけむ手児奈し思ほゆ 高橋虫麿(巻九―一八〇八)

 

葛飾の真間の井戸を見れば、ここに水を汲みに通った手古奈が偲ばれることだ、という歌意。

 

奈良人は、万葉のふる里は奈良だと無意識に思っている。明日香村に県立万葉文化館があり、県内には万葉歌碑が230もあるのだから(奈良女子大古代学学術研究センター「万葉歌碑データベース」)当然である。
実際は、万葉集に収められた4500余首のうち、約2800首に地名が詠われ、その4分の1が奈良県の地名らしい。もちろん断トツ一位だが、県外の地名がそれ程多いというのは予想外だった。
 

 奈良以外の地名は、巻十四の東歌や、巻二十の防人の歌などに詠み込まれている。防人の歌は、北九州の国境警備のために東国から徴集された防人に、兵部少輔(今の防衛事務次官か)・大伴家持が作らせたものである。
 

先月、かつてひと夏をオペラの練習に費やした仲間9人が集まって、千葉県市川市真間にある手古奈ゆかりの地を訪ねた。市川駅から弘法寺(ぐほうじ)に向かう「万葉の道」には、民家の塀に万葉歌のパネルがたくさん飾られていた。

 

弘法寺は、天平九年(737)にこの地に立ち寄った僧・行基が、手古奈の話を聞いて哀れに思い、その霊を弔うために建立したのがはじまりという。残念ながら明治の火災で堂宇はすべて焼失し、写真の仁王門も昭和の再建である。阿形像は火中より救出され、補修復元された貴重なお姿である。

 

団塊の世代の私たちは、オペラ「手古奈」を演じながら、万葉集やゆかりの地にまったく興味がなかった。長い会社勤めや子育て、介護を経て、今はお寺や古い街並みを散策するのがこの上なく楽しい。ようやく少しは成長したということだろうか!

 

来年正月はお休みを頂きます。みな様どうかよい年をお迎え下さい。
 

=次回は平成30年2月9日付(第2金曜日掲載)=

 

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かわしま・かずほ  

元大阪芸術大学短期大学部教授。

 

メモ 真間山弘法寺 千葉県市川市真間4-9-1。電話047(371)2242。JR市川駅より北へ徒歩15分。

 

 

2017年11月27日 (月)

信楽・ミホミュージアムへ

所用あり、滋賀県の信楽に行きました。奈良市から車で約1時間。私の好きな快適な道です。そして久しぶりに、ミホミュージアムを訪ねました。開館してちょうど20年とのこと。特別展も開かれており、にぎわっていました。初夏にはよく訪れますが、紅葉の時期は初めてのような気がします。なかなか良いものです。
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設計のI.M.ペイ氏はいまもニューヨークで100才で健在ということでした。観光でしょうか、中国系の人もたくさん来られているように見受けました。
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ミホ・ミュージアムのHPです→http://www.miho.or.jp/

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