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2024年3月10日 (日)

美ビット見て歩き *125

毎月、奈良新聞で楽しみにしている川嶌一穂さんの美ビット見て歩きは、125回。大阪天王寺のあべのハルカス美術館の「円空展」です。

わたしも先日拝見したのですが、川嶌さんの美ビット見て歩きを見るともう一度見に行きたくなります。

円空が残した仏像そして足跡は素晴らしいものがあります。

 

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *125 川嶌一穂

 

あべのハルカス美術館開館10周年記念「円空―旅して、彫って、祈ってー」

 

写真 岐阜県・千光寺 賓頭盧尊者坐像
貞享2年(1685)頃 47・4cm
(会場撮影可ゾーンにて筆者撮影)

 

 驚いた。
 今まで円空と言えば、全国を行脚して、木っ端で小さな仏像を数多く作った僧、というくらいの認識しかなかった。
が、会場に一歩足を踏み入れると、等身大より大きい「十一面観音菩薩立像」(作品番号4・以下同)や、衣紋の美しい、量感たっぷりの「釈迦如来坐像」(6)がいらして、すぐにそのイメージは裏切られることになった。

 円空(寛永9年<1632>〜元禄8年<1695。俗名は不明)は、今から400年ほど前、徳川の世がようやく定まろうとする頃に、美濃国、現在の岐阜県に生まれた。

円空の彫った仏は兵庫県以東、北海道に至るまで五千体以上も確認されているのに、彼自身の生涯は不明な点が多い。円空入寂後およそ百年の後に出版された伝記集『近世畸人伝』(2)には、「幼い頃に出家した」という記述がある。

 『円空の生涯』(人間の科学社・2015年)の著者・長谷川公茂氏は、「わが母の命に代る袈裟なれや法(のり)のみかげは万代をへん」という円空の和歌などをあげて、幼い頃に母と死別したことが出家のきっかけだとする。
 『近世畸人伝』は、続けて「ある寺にありしが、二十三にて遁れ出、富士山に籠り、また加賀白山にこもる」と記している。寺での修行に飽き足らず、山岳修行を重ねたらしい。

会場に、奈良県松尾寺蔵「役行者倚像(いぞう)」(19)が、役行者像にしては珍しく、童女のような笑顔をして腰掛けておられる。背面の墨書によれば、44歳の円空が大峰山で冬ごもりの修行をした時の作という。

 時は前後するが、青森県弘前市立図書館蔵の『藩庁日記』(1666年正月の条)に、「円空という旅の僧に、領内に置く訳にはいかない旨を申し渡すと、青森から松前に参るよし」とある。33歳の円空が、弘前を追われて、極寒の北海道に向かおうとしているのだ。
その約200年後に、北海道の命名者として知られる松浦武四郎も『東蝦夷日誌』(3)に、北海道に残る円空の彫った仏を挿絵とともに記録している。現在、道内に40余体の円空仏が確認されているが、円空の造仏修行の厳しさが偲ばれる。

会場第2章「修行の旅」では、思いもかけない円空の絵に出会った。円空43歳の年、三重県志摩半島南端の漁村・片田に伝わる『大般若経』(17)と、同じく立神地区に伝わるこれも『大般若経』(18)に添えた仏画である。
両方とも、元は600巻もの巻子(かんす)装だったのを、読経に便利なように、補修をかねて折帖(おりじょう)装にし直す際に、円空が絵を添えたもの。とくに後者では、絵がすっきりと洗練され、線もためらいなく、流れるように走る。棟方志功の版画の女性のような、ふくよかなお顔である。

と思ったら、先ほど挙げた長谷川さんは『円空の生涯』で、こんなエピソードを語っている。
昭和39年、円空仏で知られる名古屋市の鉈(なた)薬師に棟方志功を案内した時、棟方はいきなり堂内の須弥壇に駆け上がって、円空作の十二神将のうち寅像にしがみついて「コンナトコロニ、オレノオヤジガイタ」と叫んで、像を撫で回して飽きなかった。二人には、何か通ずるものがあるのだ。

会場第4章「祈りの森」に、岐阜県高山市千光寺のお像が77体もいらっしゃる。54歳の円空がこの地に滞在して、住職の舜乗と親しく交流したことが、『近世畸人伝』に記されている。今も庫裏に残る、340年前に二人が囲んで語り合ったという囲炉裏の写真が、本展図録にある。

第4章の「観音三十三応現身立像」(47)は、60cmから80cmの高さの、ほぼ同形の菩薩立像31体である。近隣の村人が病気になると借り出して、この数になったという。
当時の庶民には、病院もない。素晴らしい仏像のおわす遠くの大寺にお参りに行く手段もない。そんな時に、円空の彫った仏さまを借りて枕辺に祀ることができるなんて、こんな有難いことはなかっただろう。そしてこれこそが、円空が一生をかけて、倦まず弛まず仏像を彫り続けた理由であっただろう。

最終第5章「旅の終わり」に、仏像でも神像でもない一体の像が、これまた微笑んでいる。万葉歌人・柿本人麻呂坐像(66)だ。みずからも和歌を詠んだ円空が、こればかりは楽しんで彫ったのではないかと思う歌聖の像である。

会場出口で、みなを見送ってくれるのが、「十一面観音菩薩及び両脇侍立像」(76)。ジャコメッティ作品を思い出すような、余計なものを一切削ぎ落とした細い細い三尊像だ。制作年を特定できる最後の像。
3年後の7月15日(旧暦)、円空は自坊・関市弥勒寺に近い長良川畔で、念願の盂蘭盆入定を遂げた。まさに「旅して、彫って、祈った」壮絶な人生だった。

 写真は、釈迦の弟子で、撫で仏で知られるいわゆる「びんづる様」。本像(45)も人の手で撫でられて黒光りしている。何とも言えない味のある表情。

 最後になりましたが、あべのハルカス美術館開館10周年おめでとうございます。
12年前に始まった本欄でも、「ミラノ・ペッツォーリ美術館」展、「川喜田半泥子物語」展、「北野恒富」展、「ラファエル前派の軌跡」展と、今回で5回取り上げたので、同じ近鉄母体の大和文華館と並んで、みごと「本欄最多出場」を達成されました!これからも素晴らしい展覧会を期待しております。
 
=次は令和6年4月12日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

 

メモ あべのハルカス美術館 大阪市阿倍野区阿倍野筋1−1−43 あべのハルカス16階。電話06(4399)9050。https://www.aham.jp/。

近鉄「大阪阿部野橋駅」、JR・地下鉄「天王寺駅」下車すぐ。シャトルエレベーター(地下1階か地上2階の乗り口より)利用。会期は4月7日(日)まで。

 

2024年2月13日 (火)

美ビット見て歩き ※124

奈良新聞で毎月楽しみにしている川嶌一穂さんの美ビット見て歩き2月8日付は、本の紹介です。

渡辺京二『逝きし世の面影』平凡社ライブラリーです。

日本のかつて(あるいは今も)を多くの著書から引用して紹介しているようです。

600ページの大作です。

部分的になるかもしれませんが、手に入れましたので、早速わたしも読みたいと思います。

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(画像はクリックすると拡大します)

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *124 川嶌一穂

 

渡辺京二著『逝きし世の面影』

 

写真 平凡社ライブラリー『逝きし世の面影』表紙

 

 『苦海浄土』の作者・石牟礼道子(1927―2018)を見出し、その公私の活動を支え、水俣病患者支援活動をともにした、編集者としての渡辺京二(1930―2022)を知ったのはいつだったか、はっきりと覚えていない。
『逝きし世の面影』の他には、『父母(ちちはは)の記:私的昭和の面影』を読んだくらいで、渡辺さんの熱烈なファンという訳でもなかった。
 それでも本作品が1999年に和辻哲郎文化賞を受賞したことは知っていて、旅先の大型書店でその文庫本を見つけて購入した。600ページもある、製本が心配になるくらいの分厚い文庫本だ。20年近く前でさえ2000円もした。

 一読、虜になった。と言っても、終わりまで通読したのは今回が初めてで、時々手にとっては1章の半分くらいを読んで、また本棚に戻すという読み方をしてきた。所々に難しい文明論が挟まれているが、そこは読んだり、飛ばしたりした。

 渡辺京二はおびただしい数の、主に幕末から明治初期にかけて日本を訪れた外国人の日記や見聞記を渉猟し、それを「陽気な人びと」「簡素とゆたかさ」「労働と身体」「裸体と性」「子どもの楽園」「風景とコスモス」「信仰と祭」など10余りのテーマに分けて、たくさん引用し、それを分析する。

 巻末の文献リストによれば、英語文献が20、翻訳文献は130に上る。わたしなら、これを読むだけで10年以上かかるだろう。翻訳されていなかった英語文献のいくつかは、本書の元版が出た後、翻訳が出たと、著者の「平凡社ライブラリー版あとがき」にある。この一冊の本の及ぼした影響がいかに大きかったかが分かるだろう。

 上高地に碑のある、日本に「近代登山」を伝えたウェストンは、大正時代にこう書いた。「明日の日本が、外面的な物質的進歩と革新の分野において、今日の日本よりはるかに富んだ、おそらくある点ではよりよい国になるのは確かなことだろう。しかし、昨日の日本がそうであったように、昔のように素朴で絵のように美しい国になることはけっしてあるまい」。
 その後の日本の歴史は、ある意味ウェストンの予想した通りに推移した。が、日本が昔のように「素朴で絵のように美しい国」でなくなった、という点については、わたしはちょっと留保したいという気がしている。

 初代駐日英国公使オールコックをはじめ、欧米人訪日者が日本を描写するのに愛用したのは「子どもの楽園」という表現である。「世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない」など、多数の記録が引用されている(本書第十章)。
 
それで思い出したことがある。今から30年ほど前、わたしは奈良市のAET(英語指導助手)のコーディネータを5年間務めた。初めて日本の土を踏んだ異国の若者と近しく付き合って、彼らの本音を聞くことができる貴重な経験だった。第4代AETのジュリー(米・ネブラスカ州出身)も、「日本の子どもは、きれいな服を着せられて、可愛がられているね」と言う。思ってもみない指摘をされて、驚いた。まさに渡辺京二が指摘するように、「ある文化に特有なコードは、その文化に属する人間によっては意識されにくく、従って記録されにくい」(19ページ)。

 これは幕末・明治初期に限らず、さらに時代を遡って、かのイエズス会宣教師のフロイスも言っている。「われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。日本では…ただ言葉によって譴責するだけである」(393ページ)。

 ここでまた20年ほど前、勤務校の語学研修で、イギリス南部の地方都市・フォークストンに学生を連れて行ったとき、その語学学校の先生に聞いた話を思い出す。日本で言えば団塊の世代に属する、イタリア出身の男性だった。確かエニシダの枝と聞いたように記憶するが、学校の先生も父親もそのムチを持っていて、「これは父親に打たれた」と言って、まだ手首に残るかすかな傷あとを見せてくれた。今はあちらでもどうか分からないが、躾にムチとは、いくら何でも日本では聞いたことがない。

 若くて元気だった頃、休みになるのを待ちかねて海外旅行によく出かけた。飛行機とホテルだけ予約していくという一人旅で、『地球の歩き方』をしっかりと読み込んで行った。「この辺は、危険なので行かないように」。「この通りは、昼間は大丈夫だが夜は立ち入らないように」。ふむふむ、そうか。しかし、しばらくして、ふと気が付いた。日本が一番安全じゃないか!

 私はその頃から、自分の生まれた日本という国に対する見方が少しずつ変わったように思う。それまでは、職場の外国人講師や、欧米大好きな友人の日本批判を心から共有していたのが、ほんとにそうかな、と一拍置けるようになった。

 渡辺京二は、もう失われてしまった江戸時代の文明、言いかえれば「庶民の豊かさ」を復元する材料として、幕末・明治初期の欧米人による日本見聞記を用いたと言う。が、先ほども書いたように、それはまだ「死に絶えた」わけではないと私は思う。
 軒先きやベランダに置かれた植木鉢、花の季節になればそわそわする気分、行楽客や盆暮れの人出のニュース、その残滓は枚挙に暇ない。

 どこから読んでも、どこで閉じても面白い本だ。えーそうなんだ、と驚くこともあれば、そう言えば昔は電車の中でも子どもに乳を飲ませる女の人がいたなぁ、とか野良犬が街中をウロウロしてたなぁ、と懐かしく思い出すこともいっぱい出て来る。ぜひ一度手に取ってご覧下さい。
 1月はお休みを頂いたので、これが今年の第1回目です。本年もどうぞよろしくお願いします。

 

=次回は令和6年3月8日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

メモ 渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー・2005年)。表紙の絵は「街をゆくムスメ」エドウィン・アーノルド『ジャポニカ』(ロンドン・1891年)。

 

2024年1月29日 (月)

「万の言の葉の歌 改訂新版」 啓林堂奈良店にて

近鉄奈良駅近くの啓林堂奈良店の1Fレジーのすぐ近くの奈良本の棚に、入荷していました。西田大栄営業部長ありがとうございます。

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店内をうろうろしていると、城で有名な千田嘉博先生の色紙に並んで、4年前に書いた、わたしの色紙も展示されているのを見つけました。(アレー!!)

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そして奈良新聞1月27日付で、下村敏博さんの記事が大きく載っていました。

(以下、有料購読の奈良新聞電子版の記事です)

 

 本業の弁護士の傍ら、テノールの歌い手としてリサイタルや作曲など音楽活動を続ける「奈良まほろば法律事務所」(奈良県大和高田市高砂)代表、下村敏博さん(73)=香芝市=が昨年12月、万葉集の和歌に曲を付けた楽譜集「万(よろず)の言の葉の歌 改訂新版」を出版した。下村さんは「歌い、聴くことで、現代の人が万葉集に親しむきっかけになれば」と独唱や合唱、合奏などでの活用を願っている。

 楽譜集には、万葉の四季▷挽歌(ばんか)・辞世の句▷防人(さきもり)の歌▷万葉の恋の歌―などのテーマごとに、84首の万葉歌を題材にした36曲を収載。巻末に40ページの解説を添えた。

 

 曲目は、志貴皇子の和歌「石(いわ)走る垂水(たるみ)の上の早蕨(さわらび)の萌え出づる春になりにけるかも」の楽曲「さわらび」から始まる。春が来る喜びの情景を、女性のソプラノとアルト、男性のテノールとバス―の混声四部構成でみずみずしく表現している。

 「詩は音楽と一体になった時、新たな生命を吹き込まれる」と下村さん。作曲の過程では「和歌を繰り返し読み、言葉一つ一つにふさわしい旋律を思い浮かべた」と振り返り、車で移動中も、頭に旋律が浮かべば口ずさんで譜面に書き留め、曲を展開し、ピアノの鍵盤で和音を探ったという。

 下村さんは一橋大学で混声合唱団に所属。奈良に戻り弁護士になってからも音楽をライフワークとする。2011年、明日香村で開かれた万葉歌コンクールで作曲した「ひめゆり」が明日香村村長賞を受賞したのを機に、万葉集に楽曲をつける試みを継続。17年には万葉歌の合唱団「アンサンブル・エテルノ」を結成。県内外で不定期に活動する。

 本業では県弁護士会会長や自治体の委員などを歴任。15年春、労働行政功績で藍綬褒章を受けた。「音楽の美しさは対立と調和で生まれる。社会全体や弁護士の仕事のあり方に通じる」と「紛争ゼロ」の社会を目指し、話し合い、納得のいく解決に取り組んでいる。

 書籍はB5判全180ページ。2200円(税込み)。インターネット通販Amazоnなどで販売。

 

 6月30日午後1時30分、奈良市三条宮前町のなら100年会館でソロリサイタルを開催。空席があれば当日入場無料。秋には万葉歌を歌うリサイタルも企画中。問い合わせは下村さん、電話090(3283)8902。

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2024年1月 9日 (火)

「万の言の葉の歌」

大和高田市で弁護士をされている、下村敏博さんが、このほど「万の言の葉の歌」という本の改訂新版を出版されました。

下村さんは一橋大学の頃から音楽に親しまれています。わたしも下村さんとは高校の同窓で、何度か演奏会を聴いています。

万葉集の歌のうち36曲を下村さんご自身が作曲されました。

混声合唱や男声合唱、女声合唱、独唱などで歌って欲しいとのことです。

万葉の花のスケッチは、墨の呉竹の元会長の綿谷正之さんが描かれています。鳥影社発行。2000円+税。

 

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本をいただいたのですが、毎日新聞の一面の下段にも広告がでていました。

 

万の言の葉の歌 下村敏博

万葉集の世界に想いを馳せ、歌ってみよう!

天皇から庶民までの和歌を集めた日本人の心のふるさと「万葉集」。

その和歌に楽曲をつけ、全36曲の楽譜を掲載。

現代に甦る、古代の息吹を味わう試み。

独唱、合唱、合奏等のコンサートにも

2200円(税込)

鳥影社

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目次

はじめに
Ⅰ 万葉の四季
1 さわらび(混声四部) 志貴皇子
2 梅花の宴(混声四部)大伴旅人その他
3 春の苑(混声四部) 大伴家持
4-1 ひめゆり 坂上郎女
4-2 ひめゆり(女声三部) 坂上郎女
5 秋山の彩  額田王
6 黄葉(混声四部) 橘奈良麻呂その他
7 かぎろひ(混声四部) 柿本人麻呂
8 大雪(二重唱) 天武天皇、藤原夫人

 

Ⅱ 挽歌・辞世の歌
  9 大君(女声三部)倭大后、采女
 10-1 玉藻 柿本人麻呂
 10-2 玉藻(女声二部) 柿本人麻呂
 11 椎の葉(男声四部) 有間皇子
 12 暁の露(女声三部) 大伯皇女
 13 ふたかみやま(二重唱) 大津皇子、大伯皇女
 14 葛飾の真間の娘子を詠む歌(男声四部) 高橋虫麻呂

 

Ⅲ 防人の歌
 15 ますらを(男声四部) 大伴家持その他
 16 我が妻は 若倭部身麻呂その他
 17 誰が背(女声三部) 作者不明
 18 Wave before me(男声四部) 私部石島
 19 O tell my wife(男声四部) 若舎人部広足
 20 足柄の坂(男声四部) 倭文部可良麻呂
 21 筑波嶺の花(男声四部) 大舎人部千文その他

 

Ⅳ 万葉の恋の歌
 22 我が背子は待てど来まさず(女声三部) 作者不明
 23 蓮葉の水 作者不明
 24 花橘(混声四部) 柿本人麻呂
 25 信濃道(女声三部) 柿本人麻呂その他
 26 霧立たば(混声四部) 作者不明
 27 道の長手(女声三部) 狭野茅上娘子
 28 紫草野 額田王、大海人皇子
 29 安達太良の鹿猪(混声四部) 笠郎女その他
 30 七夕(二重唱)   山上憶良
 31-1  娘子らが 若宮年魚麻呂
 31-2  娘子らが (男声四部) 若宮年魚麻呂
 32 相聞(混声四部) 作者不明

 

Ⅴ 風頌歌
 33 明日香風(混声四部) 志貴皇子
 34 瓜食めば(混声四部) 山上憶良
 35 籠もよみ籠もち(混声四部) 雄略天皇
 36 万代予祝の歌(混声四部) 大伴家持

 

万葉集を歌う ―音楽との融合(更なる普遍性を求めて)
解説
あとがき


著者略歴
下村 敏博(しもむら としひろ)
昭和25年年 奈良県生まれ。一橋大学社会学部卒業。弁護士(奈良弁護士会所属)。「奈良まほろば法律事務所」の代表。
平成10年度奈良弁護士会会長、日弁連常務理事。奈良弁護士会業務対策委員会委員長、司法修習委員会委員長並びに綱紀委員会委員長などを歴任。
奈良県労働委員会公益委員(会長)
平成27年春の藍綬褒章(労働行政功績)、令和2年春の叙勲において、旭日小綬章のを受章する。
県や県内自治体の行政委員会委員、大学で法律学の講師を務めるとともに、各種団体からの依頼による講演も精力的に行っている。裁判所関係では民事・家事調停委員、鑑定委員を長らく務める。

 

【音楽関係】
大学時代から合唱を始め、混声合唱団(一橋大学・津田塾大学合唱団ユマニテ)でテノール兼学生指揮者を務める。男声アンサンブル・シュヴァリエを友人の税理士らと立ち上げる。
また、講話と音楽の集い「まほろばの風」代表として地域の文化活動にも携わる。
これまで数多くのソロ・ステージを重ね、オペラへの出演を行うなど音楽活動をライフワークのひとつとしている。ソロCD「星も光りぬ」「風のまほろば」をリリース、平成24年、27年にはテノールリサイタルを開催。
平成23年、万葉歌コンクールで、万葉歌「ひめゆり」が明日香村長賞を受賞し、現在は主に万葉集をテーマとした作曲に取り組んでいる。平成29年12月、自身の作曲した万葉集を歌うことを活動の柱とするアンサンブル・エテルノを結成し、県内外においてコンサートを行い好評を得ている。令和2年奈良県立大学学歌(作詞)の公募にて最優秀賞を受賞する。

 

 

そして、今までにすでに演奏会で歌われた演奏のCDもいただきました。ありがとうございました。

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(1月26日、追記)

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奈良近鉄奈良駅前の啓林堂書店1Fに入荷したとの西田大栄・部長からの情報です。ありがとうございます。

「御著書が入荷し、奈良店は1Fの奈良本コーナーに展開しております!
奈良ならではの、カラーの挿し絵も素敵な書籍ですね!」

 

2023年12月31日 (日)

綿谷正之さん、日経新聞文化欄に。

呉竹の元会長、綿谷正之さんの墨に記事が日経新聞文化欄 2023年12月30日に載っていましたので紹介します。

(画像はクリックすると拡大します)

 

 

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2023年12月12日 (火)

美ビット見て歩き ※123

毎月、奈良新聞で楽しみにしている「川嶌一穂さんの美ビット見て歩き」もことし最終となりました。牧野富太郎さんはNHK朝ドラで話題になり、本もたくさん書店に並んでいました。わたしも「原色牧野植物図鑑」を見返すことです。東京の大泉学園の広い自宅あとが庭園になっているのですね。一度訪ねたいものです。川嶌さん一年間ありがとうございます。来年もよろしくお願いします。

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *123 川嶌一穂

 

東京都練馬区立「牧野記念庭園」

 

写真 牧野記念庭園内「書屋展示室」(著者撮影)

 

 植物にまつわる最初の記憶は何だろう?わたしは金魚草だ。東大寺二月堂下にあるお宅の一室を間借りしていた頃のことだから、もう70年以上前の話だ。その家のお姉ちゃんと一緒に、庭の金魚草の赤い花をとって、そばの井戸に放り込むと、ほんとうに金魚が泳いでいるように見えるのだ(島田さん、ごめんなさい!)。

 小学生時代、放課後いつものように三角ベースの野球をしたあと、一緒に遊んでいた男の子に「触ってみぃ」と言われて、指でつまんだ鳳仙花の実が弾けて、知らなかったので驚いて泣いてしまった。泣くことはない、と思うのだが、今から考えれば淡い恋だったのかも。
 不思議なのは、何が食べられるかを、子どもらがちゃんと知っていたことだ。食べていいのは、モチツツジの花の蜜、スカンボ、菱の実、どんぐりの中では小さい椎の実だけ。

 10年以上も前の真冬に、調べものがあってロンドンに3週間滞在したときのこと。寒い、暗い、みぞれは1日中しょぼしょぼ降っているし、資料は見つからない。生花はなかなかいい値段だったが、滞在中欠かさず部屋に飾った。それでようやく寂しさに耐えられたと思う。花には力がある、とそのとき感じた。

 牧野富太郎(文久二年<1862>〜昭和三十二年<1957>)をモデルにしたNHK朝のテレビ小説「らんまん」は見ていないが、本屋にあった「芸術新潮」本年7月号の表紙に、掘り上げた葛の長い根っこを首から下げて、うれしそうに笑っている博士の写真があって、あまりに可愛かったので買ってしまった。

 北隆館「牧野日本植物図鑑」を父は使っていたが、モノクロで、ある程度分類が分からないと、知らない花の名前を見つけるのは難しかった。私は、山と渓谷社から出ている冨成忠夫さんの写真の図鑑を使う方が多かった。

 植物が好き、というのは生まれつきだろうし、博士も自分でそう言っているが、前掲誌の年譜を見て驚いた。3歳の時に父を、翌々年に母を、そのまた翌年に祖父を亡くしている。これほど過酷な運命はそうあるものではない。博士が小さい頃から草花に夢中になったのも分かる気がする。

 先月、まだ紅葉には少し早いかなと思いながら、東京のわが家から1時間ほどの「牧野記念庭園」を訪れた。博士が亡くなるまでの30年を過ごした自宅跡で(780坪)、庭には元々の武蔵野の雑木林に、博士が全国から集めた植物が植えられている。
亭々たる大王松、黒松、赤松が数本そびえているが、博士が亡くなってから67年も経つのだから、存命中はここまで大きくなかったと想像される。

 案内板によると、春にはわたしの好きなスプリング・エフェメラル(短い早春の花)・雪割一華(ユキワリイチゲ)や片栗が咲くようだ。一番花のない季節だったが、紅葉と落葉が始まり、まだそれ程寒くない晩秋の風情もなかなかよかった。

 写真は、今年の春に再現された博士の書斎「書屋展示室」。庭の片隅の、コンクリートの建屋の中にあったので、危うく見落としてしまうところだった。
内外の書籍でいっぱいの部屋に、小さな座机がおかれ、本棚には、「出スベキノ手紙」と右から書かれた手紙入れ。冬の暖房は小さな電気ストーブのみ。庭を眺めながら、読書や執筆をしたり、絵を描いたりしている、着物を着た博士が今にも現れそうな空間だ。

 俵浩三「牧野植物図鑑の謎」(平凡社新書。現在ちくま文庫)に、博士の同時代の、やはり在野の植物学者・村越三千男との図鑑出版の確執が描かれている。
 博士が生涯に発見・命名した植物は1500種類以上にのぼり、「日本の植物分類学の基礎を築いた」という評価は揺るぎないものだが、長く豊かな伝統も、同時代の知の体系もない中で、博士一人が屹立していた訳ではないことも確かだろう。

 「牧野植物図鑑の謎」によれば、全国の小学校に配られ、博士も小学校で実際に見たという、植物の形状と名前を図鑑のように描いた大判の「博物図」は、小野職愨(もとよし)が制作した文部省発行の教材である。小野は江戸時代の博物学者・小野蘭山の玄孫で、何と、植物学の参考書などを購入するために東京へ旅行した十九歳の博士に、実際に会って、小石川植物園を案内したという。

 故郷高知にある、博士他界の翌年に開園した「高知県立牧野植物園」植物研究課の藤井さんの談話によれば(前掲「芸術新潮」)、高知県だけで、外来種を除いて約2700種もの植物があり、その数はイギリス1国分より多いという。

 そんな豊かな日本の植物相と、それを愛で、研究する長い伝統の上に巨人・牧野富太郎が存在した。

 

=1月はお休みを頂き、次回は令和6年2月9日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

 

メモ 練馬区立牧野記念庭園 東京都練馬区東大泉6−34−4。電話03(6904)6403。西武池袋線「大泉学園駅(南口)」下車、徒歩5分。原則として毎週火曜日と年末年始休園。入園料無料(太っ腹!)。

根津美術館蔵「百椿図」(根津美術館HPから図録購入可)は、江戸時代初期の椿愛好ブームの一例。狩野山楽筆と伝わる百種の椿の絵に、和歌や漢詩の賛が添えられた巻物。その絵たるや、色鮮やかで装飾的でありながら、そのまま図鑑となるほど写実的。

2023年11月11日 (土)

美ビット見て歩き ※122

奈良新聞で毎月楽しみにしている川嶌一穂さんの美ビット見て歩きは、12日まで高畑町で開かれている田中教子展です。先日わたしも会場の藤間家住宅で拝見してきたところです。川嶌一穂さんと田中教子さんは、以前からお知り合いです。

会期も12日(日曜日)までとなりました。改修なりつつある春日大社の旧社家の貴重な住宅が会場です。

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *122 川嶌一穂

 

「田中教子展―二月堂の青石壇と金箔画」
奈良町見知ル2023同時開催・藤間家住宅公開イベント

 

写真 田中教子「二月堂の青石壇〜End point of the Silk Road」
2022年パリ、ソシエテ・ナショナル・デ・ボザール第160回記念展会場にて

 

 百寿嫗ことしは暑いと呟かれ(板倉恒子・産経俳壇9月21日)
猛暑の夏三か月がようやく終わり、例年より一と月遅れながら、今年も彼岸花と金木犀が咲いてくれた。このところさすがに木々も重い腰を上げ、梢の葉先をほんのりと染めはじめた。

 さわやかな風の吹く今日あたりは、銀杏の黄葉にはまだ早いだろうが、焼け門から東に入って、大仏池を左に見ながら、大仏殿の北側を通り、何段もの石段を上って、二月堂への道を歩きたい。
 鬼子母神さんにお参りしてから、たいていそのまま北側の屋根のある登廊を登るが、「青石壇」と呼ばれる南側の屋根のない石段から登ることもある。子どもの頃から、石段の下三段と上三段に線刻されている「亀甲」や「青海波」の模様を見るのが楽しみなのだ。

 しかし歌人の田中教子さんは、ただ楽しみに終わらせることなく、この刻印は、『華厳経』「入法界品(にゅうほっかいぼん)」の教義を表しているのではないかと研究された。

 華厳宗の総本山である東大寺二一八世別当の森本公誠長老に『善財童子求道の旅』という編著がある(東大寺HP上のオンラインショップで購入可)。これは、華厳経の終章にして、全体の三分の一を占める「入法界品」を絵画化した「華厳五十五所絵巻」(十二世紀末・紙本著色・東大寺など所蔵)という国宝絵巻を、便宜的に各場面に区切り、それぞれに長老が解説を加えたもの。
内容は、長者の子・善財童子が、悟りへの道を求めて、のべ55人の善知識(正しく仏道に導いてくれる善き友)を訪ねる物語。生き生きとした描写が素晴らしく、すべての場面に登場する善財童子の清らかで、愛らしいこと。安倍文殊院「渡海文殊群像」の善財童子像を思い出してしまう。

 石段の刻印は、その「入法界品」の中ほどにある、善財童子が険しい補陀落山をよじ登り、山頂付近に居ます観自在菩薩にようよう出会う場面を表しているのではないか。というのは、場面冒頭に「流泉浴池有り…地草柔軟にして…」という表現がある。これは青石壇の第一段の「流水」、第三段の「唐草」に符合するもので、曲線の意匠が続くので二段目に神秘的な力を宿す幾何学的な「亀甲」模様を入れた、というのが教子さんの解釈である。

長谷寺、清水寺、石山寺など観音様を御本尊とする寺はみな補陀落山を模して周囲より小高い所に位置し、建物も同じ懸崖造りである。納得できる説ではないだろうか。

しかし教子さんは紙の上での研究にとどまらず、みずから許可を頂いて石段模様の拓本を取り、なおかつそれを発想の源として絵画作品にされた。

写真にあげた「絹の道の最終地点」と題された作品は、和紙に金泥で描いた75cmX35cmのパネルを96枚組み合わせた、縦1.5m横16mという長大なもの。西洋的美意識からすれば、「禅スタイル」の墨絵に、おそらくロマネスク的稚拙さと、クリムト的豪華さの混じった、懐かしくも新しい抽象に見えるかもしれない。

今回の展覧会では、藤間家住宅の奥の間の4mの壁に合うように、組み合わせを変えて構成されている。

 奈良県出身の歌人・田中教子(のりこ・1967年生)さんは、2008年に「乳房雲」で第3回中城ふみ子賞大賞を受賞した歌人で、現在「ヤママユ」に所属。もう10年近く「本願寺新報(旬刊)」歌壇の選者を続けておられる。
 と思っていたら、2019年に教子さんの評論集『覚醒の暗指』が、第27回ながらみ書房出版賞を受賞された。わ、評論もされるのだ、と尊敬した。

 と思っていたら、昨年の快挙である。写真の『エンド・ポイント・オブ・ザ・シルク・ロード』が、ソシエテ・ナショナル・デ・ボザール(フランス国民美術協会)総合金賞と、インスタレーション部門金賞というダブル受賞となった。もともと書道は、読売書法展や日本書芸院展で特選を重ねておられることを知っていたが、絵も描かれるのか、と大いに驚いた。

お若い頃から知っているので、いつも勝手に「教子ちゃん」などと親しく呼んでいるが、実はこんなにも多才なアーティストだった!これからも、ますますのご活躍をお祈り致します。

 

=次回は令和5年12月8日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

 

メモ 藤間家住宅(登録有形文化財) 奈良市高畑町1325番1の1。電話=080(5541)9168。会期は、あさって11月12日(日曜日)まで。

 

 

2023年10月24日 (火)

「命の映像詩、やまとの季節」24日、25日、26日、27日、連日放映されます。

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そして

映像作家保山耕一さんの作品「命の映像詩 やまとの季節 秋から冬へ」が
10月27日(金)午前3:00~午前4:00(60分) NHKBSプレミアムで放送予定です。

堀尾岳行さんの紹介です。
「奈良在住の映像作家・保山耕一さんが撮影した冬から春へのうつろい。
一期一会の映像とピアニスト・川上ミネさんが奏でる楽曲。
響きあう音と光で、季節を感じる映像詩。

藤原宮跡のコスモス、彼岸花・月ヶ瀬・大柳生、藤原宮跡の夜明け、
綿・山の辺の道、安倍文殊院、斑鳩町、彼岸花・御所市、金木犀・平城宮跡、
曽爾高原のススキ、秋の蝶・淨教寺、五條市の秋、元興寺の萩、平城宮跡の秋、
白毫寺の萩、飛火野の秋、不退寺の秋、長岳寺の秋、正暦寺の秋、岡寺の秋、
奈良盆地雲海、矢田寺の紅葉、春日奥山、大仏池の初霜、晩秋の飛鳥川、
朱雀門、初雪・春日大社、山の辺の道・白石町、二上山落日」とのことです。

上記のように保山耕一さんの映像が、NHKで連日放送されますので紹介します。

以下は映像作家の保山耕一氏からのメッセージです。

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「命の映像詩、やまとの季節」
NHK BSプレミアムにて全4作4夜連続の再放送となりました。
トータルで4時間の映像詩。
ナレーションなし、すべての楽曲は川上ミネさんのソロピアノ曲。

番組へのご感想やご要望は是非ともNHKへお届けください。
NHKへ届いた視聴者のリアルな声が私や川上ミネさんへの一番の応援になります。
SNSに投稿する感覚で一言だけの感想でも大丈夫ですからNHKへ届けてください。あなたの声がNHKを動かすこともあります。
あなたの声には力があるのです。

局内で評価されるのは数字ですから、一人でも多くのご感想を蜘蛛の糸を掴む心境でお待ちしております。
視聴者の方から私に番組のご感想をメールやお手紙で送ってくださることがあります。私にとってすごく励みになり、本当にありがたいです。
ですが、それによって何かが変わるわけではありません。
もし、そのご感想を私宛だけではなくNHKへも送ってくだされば、次につながる力になるかもしれません。
私が最も望んでいる未来につながるかもしれません。

自分の力だけではどうすることも出来ない、でも、皆様のそんな力が集まれば道は出来ると信じたいのです。
きっとこれが私にとって最後のチャンスになると切実に感じています。
厚かましいお願いをお許しください。
どうかよろしくお願い致します。

NHK全国
https://www.nhk.or.jp/css/contact/

NHK奈良局(奈良県在住の皆様は奈良局へ)
https://www.nhk.or.jp/nara/contact/

全国と奈良局、両方に送って下さっても大丈夫です。

2023年10月15日 (日)

美ビット見て歩き ※121

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毎月、奈良新聞で楽しみにしている、川嶌一穂さんの美ビット見て歩き※121は京都の龍谷ミュージアム特別展「みちのくいとしい仏たち」です。文の中に、ちょうど先月末にお参りした天台寺のこともくわしく書かれています。

鹿鳴人のつぶやき⇒http://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2023/10/post-412876.html

 

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *121 川嶌一穂

 

龍谷ミュージアム秋季特別展「みちのくいとしい仏たち」

 

写真 多聞天立像 江戸時代・寛政二年(一七九〇)頃 本覚寺(青森県今別町) 86.8cm 撮影 須藤弘敏

 

 「みちのくの仏」というと、何が思い浮かぶだろう。わたしは、藤原清衡の開いた奥州平泉中尊寺金色堂(岩手県平泉町)の諸像だ。金色堂に一歩足を踏み入れると、全身が金で覆われたたくさんの仏さまが文字通り眩しくて、直視できないほどだ。
 砂金によって莫大な富を築いた奥州藤原氏の平泉文化は周辺にもおよび、2年前に本欄で訪れた「白水阿弥陀堂」(福島県いわき市)も、東北に現存する貴重な阿弥陀堂である。
 藤原氏の栄華を象徴するこれらの仏像や寺院は、おそらく中央から仏師や大工を招いて造られたものだろう。もちろん、これらの仏さまは、テーマの異なる本展にはお出ましになっていない。

 ほかに東北には、まさに東北らしい仏さまがある。「一木造り」の仏である。木は乾燥させてから細工しても、どうしても干割れがおきる。しかもムクの木は重い。それを解決するために、平安後期の仏師・定朝が「寄木造り」を完成させてから、仏像の多彩な表現が可能となった。木彫の技法が大きく変化したのだ。

 それでも東北では、一木造りの仏が好まれた。今の私たちも、たとえば奈良豆比古神社(奈良市奈良阪町)境内に自生する樟の巨樹の下に立つと、その圧倒的な存在感に包まれて、神々しさを感じる。まさに御神木である。
木の神性を表現するには「一木造り」が適している。中でも、究極の仏、正確には神像が白山神社の「女神立像」(秋田県湯沢市)である。何と、女神像の足元にはケヤキの根っこが残されている。御神木から神が立ち現れたその瞬間を現した像だ。本展にはいらしてないので、ぜひネットなどでご覧下さい。

一昨年に亡くなった作家の瀬戸内寂聴さんが長年住職を務め、復興に尽力した天台寺(岩手県二戸市)に、寂聴さんの説法を聞きに、大勢の人が集まる映像をテレビで見た方も多いだろう。
岩手県の最北端、漆器で有名な浄法寺町に位置する天台寺は、奈良時代の草創とも伝わる古刹だ。本展の、大きな如来立像と伝吉祥天立像(二像とも平安時代・十一世紀)は、どちらも桂の一木造りである。
天台寺は、境内の桂の大木の根元から今も清水が湧く、平泉文化以前からの観音信仰の霊地だ。その「場」と「木」に対する土地の人々の信仰が、仏の形となった二像である。表情も、学年に一人は居たような庶民的なお顔で、身にまとう衣もごく簡素だ。
天台寺には、ほかにも素晴らしい仏さまがいらっしゃるが、すべて桂の木で彫られている。特筆すべきは御本尊・聖観音菩薩立像(平安時代・十一世紀)である。お顔と腕を除くほぼ全身にわざわざノミ跡を残して、「鉈(なた)彫り」風に美しく仕上げてある。霊木としての桂の木の姿をとどめたご本尊に、いつか必ず現地でお会いしたい。

会場は、これまでの美術展では出会ったことのない「いとしい」仏さま大集合だ。中には「いとしい」を通り越して「切ない」「いたわしい」作もある。
地方の民間に伝わった仏の作者としては珍しく名前の分かっている大工・右衛門四良(えもんしろう)作の多くの像もその例だ。
「一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため…」という「賽の河原地蔵和讃」が聞こえてくるような「童子跪座像」(右衛門四良作・十八世紀後半・法蓮寺<青森県十和田市>)。像の底に丸みがあり、前後に揺れて、何度も鬼に謝るようになっている。何ともあわれだ。
写真の「多聞天立像」は、津軽半島の北端、もう目の前が津軽海峡という本覚寺の多聞天堂に伝わった。左手に宝塔を持ち、足元に邪鬼がいるので多聞天であることは確かだが、背中から頭上に舞い昇るのは龍神、横棒のついた花びらのような冠は閻魔大王、おまけに胸には大黒天を表す三つの宝珠が見える

 今年5月、青森県の岩木山登山道入口までタクシーに乗ったとき、そこここに残雪があって、そのことを言うと、運転手さんは一言「雪は魔物だぁ」と言われた。みちのくは、長い冬に苦しめられ、大きな自然災害に見舞われ、何度も中央から攻められてきた。造仏の儀軌(約束事)、そんな細かいことは言っていられないのだ。

 美しく表面を整えた像はない。小さくて、稚拙で、傷んだ作も多い。しかし帰り道に、忘れていた大切なことを思い出すような、そんな展覧会だ。

 

=次回は令和5年11月10日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

 

メモ 龍谷ミュージアム 京都市下京区堀川通正面下る。電話=075(351)2500。京都駅から徒歩12分・西本願寺前。

https:// museum.ryukoku.ac.jp. 会期は11月19日(日)まで。月曜休館。

 秀吉の「奥州仕置き」については、安部龍太郎『冬を待つ城』(新潮文庫)が必読。
10月16日(月)付本紙に、本展招待券の「読者プレゼント」あり。ふるってご応募下さい。
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2023年9月10日 (日)

美ビット見て歩き ※120

1923年(大正12年)9月1日の関東大震災からことしはちょうど100年ということです。先日、NHKでは関東大震災の映像をカラー化して、場所の特定などをしながら、地震とその後の火災の広がりなどを生々しく伝えていました。

毎月、奈良新聞に書かれている川嶌一穂さんの美ビット見て歩きは、120回目を迎え、関東大震災の絵で伝える半蔵門ミュージアムの展覧会を紹介されています。

 

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *120 川嶌一穂

 

半蔵門ミュージアム「竪山南風《大震災実写図巻》と近代の画家」展

 

写真 宮武外骨「上野山王台の西郷隆盛銅像」『震災画報』(児玉千尋編『文豪たちの関東大震災』皓星社・2023年)より

 

 「関東大震災は、東京だけではなく横浜の被害もひどかった。閑院宮(かんいんのみや)さんのお姫(ひい)さんは、横浜のお宅でピアノの下敷きになって亡くならはった」。父親が閑院宮の侍医だった義母が、あるとき話してくれた。閑院宮を「最後まで京都に居てはった宮さん」と説明するのが、リアルで面白かった。

 調べると、閑院宮も明治10年には東京に移住しているので、大正初めに生まれた義母は、お屋敷に往診に行く父親の姿を実際には見ていないはずだが、京都寺町通り一保堂の隣にあった医院にお屋敷からお使いが来ると、斎戒沐浴して、全身白の袴姿で伺ったそうだ。

 また鎌倉市材木座に住む友人は、大震災発生の10分後に、界隈を4メートルの津波が襲ったという話を伝え聞いている。関東大震災はマグニチュード7・9だったから、津波が発生するのも考えてみれば不思議はないのだが、「関東大震災では、東京下町の火災による被害が大きかった」というイメージが強かったので、聞いたときは何か虚をつかれたような気がした。

 大正12(1923)年9月1日に発生した関東大震災から、今年はちょうど100年である。発生時間が昼食時だったため、火災が同時多発的に発生し、折からの強風にあおられて、東京市(当時)の約4割が焼失し、死者・行方不明者が10万人を超えるという未曽有の大惨事となった。
 このところ関東大震災100年を記念した行事や展覧会を目にすることが多かった中で、半蔵門ミュージアムで日本画家・竪山南風(かたやまなんぷう・明治20<1887>年〜昭和55<1980>年)の「大震災実写図巻」が展示されるというチラシを見つけた。南風のこの作品は知らなかったが、怖がりのわたしでも見られそうな絵だったので、まだまだ酷暑真っ盛りの8月終わりに出かけた。

15年前、鎌倉時代の仏師運慶の作と見られる「大日如来像」が、海外のオークションにかけられ、「すわ、海外流出か!」と危ぶまれたが、宗教教団・真如苑が落札し、国内にとどまることになったことがニュースになった。東京都千代田区にある半蔵門ミュージアムは、その大日如来像(重要文化財)を所蔵し、その他の仏教美術の所蔵品とともに、無料で一般公開する5年前にできた美術館である。
半蔵門は、徳川家家来・服部半蔵が警護を担ったところから名付けられた江戸城西端に位置する門であるが、桜の名所・千鳥ヶ淵や、英国大使館も近い都心の一等地である。前館長の西山厚さんは、奈良の方にはお馴染みだろう。

 震災の発生した9月1日は、再興第十回院展(岡倉天心が東京美術学校を辞職した後、横山大観、下村観山、菱田春草らと結成した美術団体)の初日で、横山大観の名作「生々流転」が出品され、注目された。横山大観に師事していた竪山南風は、初日に巣鴨の自宅から上野の会場に行き、帰宅して裸で縁側に座っているところを「突然に突きのめされるような激動」に襲われる。

 翌日も一帯は「まだ燃えつづいていて天を焦がしている」が、上野池の端にある大観の家が心配になって、電車が動いてないため二里の道を歩いて行った。大観は、「尻端折で一升ビンをぶら下げて見舞客にコップ酒を振る舞っていた」(竪山南風『想い出のままに』求龍堂・昭和57年)。大震災の翌日の豪快な大観の様子を伝えていて興味深いが、南風の「大震災実写図巻」は、まさにこの時に道筋で見聞きした体験が元になっているだろう。

 今回は、全31図のうちおよそ半分の、地震直後を描く上巻から「大地震」「大地欠裂」「列車顛覆」「凌雲閣飛散」「呪ノ火」「大紅蓮」、被災の混乱を描く中巻から「不安ノ一夜」「失望ト疲労」「市中ノ混雑」「貼札ヲ着タ銅像」、復興を描く下巻から「復興ノ曙光」「寂シキ月」「諸行無常」「大悲乃力」が出ていた。

 墨を基調として淡彩、時には濃彩を施し、確かな筆力で、実際に起きたことを淡々と描いた実写絵巻である。見る者は目を背けることなく見入り、深く内省に向かう。

 南風は図巻の「序」でこう語る。「吾この惨状を描かんと志して、筆渋りて動かざることしばしばなりき。然れども観世音の擁護によりて、ようやく一巻をなし終りぬ。願くは事実の惨を見ず、深く教訓のこもれるを察せられんことを」。
文中の「観世音」というのは、浅草寺の観音さまだと思われる。大震災の火災が四方から浅草寺に迫り、隣接する仲見世も全焼したのに、御本尊の観音像をはじめ主要なお堂は奇跡的に残った。南風は『実写図巻』の最後で「大悲乃力」と題した観音坐像を描いている。

中巻の「市中ノ混雑」は、人々が人の名を書いた板や旗を手に持って尋ね歩いている図。「貼札ヲ着タ銅像」は、上野の西郷像に貼られた尋ね人の札を描いたもの。ああ、人間は自分の身も危うい中で、大切な人を探して回るのだ、と胸が詰まった。

写真には、同じく大震災後の西郷像を描いた宮武外骨の「上野山王台の西郷隆盛銅像」を挙げた。宮武の画中説明文「尋ね人の貼紙数百枚 前例の無い悲痛な奇現象 歴史にも記録にも小説にも口碑にもない 哀れな共通的人情の発露」。

南風の「大震災実写図巻」については、メモに挙げた小学館版をご覧下さい。

 

=次回は令和5年10月13日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

 

メモ 半蔵門ミュージアム 東京都千代田区一番町25。電話=03(3263)1752。東京メトロ半蔵門線「半蔵門駅」下車すぐ。https://www.hanzomonmuseum.jp. 会期は11月5日(日)まで。毎週月曜日・火曜日休館。「大日如来坐像」の常設展示あり。
竪山南風『大震災実写図巻』真如苑蔵。大正14(1925)年。紙本着色。巻子装三巻。縦各46.5cmx903cm、984cm、859cm。(飯島勇『現代日本絵巻全集13川端龍子・竪山南風』小学館・昭和59年)。
児玉千尋編『文豪たちの関東大震災』皓星社・2023年。

 

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