フォト
無料ブログはココログ

2020年6月25日 (木)

上野誠先生 日本エッセイスト・クラブ賞受賞。おめでとうございます。

Img8941

奈良大学の上野誠先生がこの春出版された『万葉学者、墓をしまい母を送る』が第68回(2020年)日本エッセイスト・クラブ賞の文学賞を受賞されたということです。まことにおめでとうございます。

この本については4月に当ブログ「鹿鳴人のつぶやき」でも紹介しています。『万葉学者、墓をしまい母を送る』講談社発行。1400円+税

「はじめに。
死の手触り 祖父の死
墓じまい前後 こげな立派な墓はなかばい
死にたまふ母 福岡から奈良への引っ越し大作戦
われもまた逝く 大伴旅人 万葉集「生ける者 遂にも死ぬる ものにあれば この世にある間は 楽しくをあらな」
おわりに
あとがき


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一気に一晩で読み終えました。率直な打ち明けた文でよくわかりました。

江戸時代からの旧家。おじいさんが家とも見まがう立派なお墓を建てられたこと、
一方呉服から洋装店への転換、船場の仕入れを近県を取りまとめた大きな卸小売のご商売、スーパーなどの大型店の影響で小売一店舗への集中、おばあさんの死去に続くお父さんの死去。墓じまい。お母さんは福岡を代表する俳人であったこと
お母さんと上野先生の会話。海援隊の武田鉄矢の母子の会話を思い出す博多弁の率直な会話でした。
長男であるお兄さんの死去。お母さんを奈良へ引き取り七年間にわたる介護と別れ。
古事記、万葉集やいろいろな書物、儒教や西欧のことなどを紹介され、生きることと死ぬことを哲学されているように受け止めました。」

 

上野誠の万葉エッセイ→http://www.manyou.jp/

著者略歴
1960年、福岡生まれ。国学院大学大学院文学研究科博士課程満期退学。博士(文学)。奈良大学文学部教授。第12回日本民俗学会研究奨励賞、第15回上代文学会賞、第7回角川財団学芸賞、第20回奈良新聞文化賞、第12回立命館白川静記念東洋文字文化賞受賞。『古代日本の文芸空間』(雄山閣出版)、『魂の古代学――問いつづける折口信夫』(新潮選書)、『万葉挽歌のこころ――夢と死の古代学』(角川学芸出版)、『折口信夫的思考-越境する民俗学者-』(2018年、青土社)、『万葉文化論』(2018年、ミネルヴァ書房)など著書多数。万葉文化論の立場から、歴史学・民俗学・考古学などの研究を応用した『万葉集』の新しい読み方を提案。近年執筆したオペラの脚本も好評を博している。

 

2020年6月21日 (日)

直木賞候補、今村翔吾著『じんかん』

Img20200620_06252166-2

先日、新聞で直木賞候補を見ました。今村翔吾『じんかん』と出ていました。36才。直木賞候補になるのは2回目とのこと。

どうやら奈良の中学高校を卒業した同窓の作家とのことで、啓林堂書店で西田大栄店長にすすめられて購入しました。

Img20200620_06262788-2

松永久秀が主人公。
奈良の多聞城の天守閣から織田信長と東大寺や若草山をいっしょに展望したとか。
スペイン人宣教師ルイス・デ・アルメイダが多聞城を絶賛したとか(これはかつてまほろばソムリエの四択問題出会いましたが、みごと間違えました)。
信貴山城とか。
断片的なエピソードを知る程度です。

Img20200620_06302122-2

いざ読み始めてみると面白さに惹きつけられて、4日間で読み終えました。

500ページを越す長編ですが、その内容の濃さはなかなかのものです。

『じんかん』とは漢字では人間とのことです。全編を通じて、人間がこまやかに描かれています。

織田信長が松永久秀と語り明かしたことを思い出して、後年彼を回想するという設定です。

奈良、東大寺、興福寺、柳生、笠置、和束、宇治、飯盛山、京都、丹波、堺、筒井城、信貴山城など畿内の地名がつぎつぎ登場します。室町末期を描いています。

東大寺炎上、多聞城炎上、信貴山城落城など。
まさに大河ドラマのような重厚さです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

講談社発行。1900円+税。

直木賞の発表は7月15日ということです。期待したいと思います。

ちょうど、日経新聞に、「あとがきのあと」という作者、今村翔吾さんのインタビュー記事が載っていました。(画像をクリックすると拡大します)

Img20200620_08125677-2

まほろばソムリエの会の池内力さんに産経新聞の記事を紹介いただきました。ありがとうございます。(画像をクリックすると拡大します)

104831402_2079957722148829_1394723828580

 

 

2020年6月11日 (木)

『廃寺のみ仏たちは、今 奈良県東部編』

Img956

(表紙は山添村、薬音寺木造仏像群)

出版するという話を伺っていた、奈良まほろばソムリエの会の小倉つき子さんの『廃寺のみ仏たちは、今 奈良県東部編』が奈良・小西通りの
啓林堂奈良店に入荷していましたので早速買い求めました。京阪奈新書、950円+税。

はじめに、以下のように書かれています。

「所属している「NPO法人・奈良まほろばソムリエの会」の保存継承グループが2017年から行っていた、奈良県指定の仏像や建造物などの現状調査に参加していました。特に仏像に関心を寄せながらまわっていたのですが、山間部や僻地で無住の寺や公民館の収蔵庫にポツンと安置されている指定仏にしばしば出合い、感慨深いものがありました。」

「若い住民が減少していく集落では、諸仏を次世代にいかに引き継いでいくべきか。今、厳しい問題に直面されています」

「奈良県下の廃寺となった寺院の旧仏をつぶさに追い、読み物としてはもちろん、ひとまとめにした記録書になればと、県東部の桜井市、宇陀市、宇陀郡、山添村、奈良市東部から取材を始めました」

「本書を通じて、廃寺になった寺院の諸仏の軌跡とお姿を楽しんでいただければ幸いです。合掌。小倉つき子」

目次から

桜井市の廃寺と旧仏

◆粟原廃寺の旧仏と伝わる諸像

◆旧多武峰妙楽寺の旧仏

◆旧大御輪寺(大神寺)の旧仏

◆旧山田寺の旧仏

宇陀市と宇陀郡の廃寺と旧仏

山添村の廃寺と旧仏

奈良市の東部地域

大柳生の廃寺と旧仏

旧東山村の廃寺と旧仏

高円山麓の廃寺と旧仏

Img957

有名な聖林寺蔵の十一面観音像、法隆寺蔵の地蔵菩薩立像、新薬師寺蔵の十二神将、おたま地蔵などが口絵にカラーで掲載されています。

わたしもお世話になっている京阪奈情報教育出版のHPです→http://www.narahon.com/

 

 

 

 

 

 

2020年5月28日 (木)

著者のことば 上野誠 毎日新聞より

Img083  

クリックすると拡大します。

毎日新聞6月26日夕刊に、奈良大学の万葉学者、上野誠先生の著者のことばが掲載されていました。

書いた記者は、旧知の花澤茂人さんです。とてもわかりやすい記事だと思います。

 

2020年5月26日 (火)

犬養 孝『万葉の旅』上、中、下

Img921

コロナゆえ、書棚を整理がてら見てみると、犬養孝先生の『万葉の旅』上、中、下の三冊が目にとまりました。上は大和です。

奈良県で詠まれた万葉集が地域ごとの旅するように編集されています。本の中の写真は書かれた当時より今より景色がかつてのように残されているところがあり、モノクロの写真ながらなかなか素敵です。また地図も充実しています。

巻末の資料も豊富です。平凡社発行。1200円、税別。

中巻は近畿・東海・東国です。

Img926

下巻は、山陽・四国・九州・山陰・北陸です。

Img075

2020年5月22日 (金)

「ならら」と『文化立国論』

Img917_20200518130101

『ならら』5月号で、もと文化庁長官の青柳正規・橿原考古学研究所所長のインタビュー記事がのっていました。そしてそこで「文化立国論」のお話をされ、その本も紹介されていました。
以前、東大寺・金鐘ホールでいちどお話を伺ったことがあります。

早速読みたいと思ったのですが本屋では見つけられませんでした。
うまい具合に
友人が読んだとのことで本をいただきましたので読みました。

青柳正規さんが文化庁長官のころ書かれたそうです。
文化が大切との主張を全編書かれています。
これからの橿原考古学研究所所長のご活躍を期待したいと思います。

Img920_20200518130701

 

2020年5月16日 (土)

奈良女子大学附属中等教育学校 110周年 記念誌

奈良女子大附属の卒業生の皆さんへのご案内です。

Img065

ことしは奈良女子大学附属中等教育学校の110周年です。学校名は奈良女子高等師範学校附属高等女学校に始まり、戦後1947年新制の中学校高校になり、中学1年に男子も入学しました。1951年奈良女子大学文学部附属中学校・高等学校になりました。その後現在の名前の奈良女子大学附属中等教育学校に名前が変わってきています。

場所も、創立時から1958年6月に奈良女子大学の一画から、奈良の連隊あとにできた進駐軍のあとの現在地の移りました。そして現在新しい校舎になっています。

そして2010年に創立100周年を迎え、ことし2020年に110周年を迎えました。

そこで、昭和23年(1948年)卒業の方から昨年卒業された方までの思い出を集めた116ページ及ぶ記念誌をこの5月3日に発刊できました。準備から発刊まで2年余りの年月がかかりました。

そして先生、卒業生120名近くの皆さんの投稿をいただきました。

中でも昭和40年(1965年)卒業の方から平成31年(2019年)卒業の方まで欠けることなく50数年にわたって思い出を寄せてくださいました。とてもうれしく思っています。

ついでながら、わたしは1961年から1967年までの6年間、中学高校時代を過ごしました。水泳部で泳ぎ続け、生徒会や学園祭がとくに思い出深いものがあります。

今回も編集におもに携わってくださった吉田隆・副校長先生は

「『思い出』が語る110年史」が完成しました。昭和23年卒業以降の方々にご執筆いただきました。
昭和40年〜平成31年までは、すべての学年の方に原稿をお寄せいただくことができました。ご執筆いただきました関係者の皆様に感謝申し上げます。

それぞれの年代で、教育の内容は少しずつ違ってはいたでしょうが、一貫して母校への熱い思いは変わらずに受け継がれていると思いました。通学路の思い出や自己形成の振り返り、各行事への思い出、自由を大切にすることの重さなど、改めて本校の来し方行く末を考える機会となりました。

卒業生の方には、ぜひ手に取ってお読みいただきたいと思います。ご購入を希望される場合は、下記口座へ1冊1,000円(郵送費込)の振り込みをお願いします。卒業生の方は卒業年を書き添えてください。振込が確認できた翌月発送となります。
口座 南都銀行 本店営業部 普通預金No.0238660
名義 奈良女子大附高同窓会

すぐに手に入れたいという方は、学校にて販売しております。
よろしくお願いします。」

と語っておられます。

多くの皆さんに購入いただき読んでいただくことをお願いします。

Img915

 

 

 

2020年5月15日 (金)

大岡信『折々のうた』選 短歌(一)(二)水原紫苑編

2017年4月に亡くなった詩人・評論家の大岡信(1931~2017)氏が長書きつづられたコラム「折々のうた」がかつて朝日新聞の朝刊に載っていました。岩波新書に何冊にもわたって発行されています。
その中で、俳句、短歌、詩と歌謡の全五巻が大岡信『折々のうた』選として発行されました。

 

短歌は水原紫苑さんが編者で2冊にまとめられて発行されました。

短歌(一)の表紙です。クリックすると拡大します。

Img073

そして短歌(二)です。

Img074

水原紫苑さんは第一巻の解説に

「日本の文藝を代表するアンソロジーである、大岡信『折々の歌』の短歌選の二巻を編むという重責をいただいた。そこで古今和歌集と紀貫之の再発見者とも言える著者への敬意を表すために、古今集に倣って、四季の歌、恋の歌、そして雑歌、哀傷歌などに代わる人生の歌という三つの部立を採用した」と書かれています。

千三百年、和歌、短歌は三十一文字で変わらぬ定型です。折々に読んでいきたいと思います。

 

2020年5月13日 (水)

弔い方「生者の幸せ」前提

202005_画像をクリックすると拡大します。

 

先日の読売新聞に上野先生の「母を看取った体験記」で感慨、というインタビューが載っていました。

時代は変わって、葬儀やお墓も変わりつつありますが、弔い方「生者の幸せ」前提であると言われています。

2020年5月10日 (日)

鴎外『奈良五十首を読む』

Img064

しばらく前に買ってあった、鴎外『奈良五十首を読む』を読みました。中公文庫、1000円+税。

裏表紙にはこのように書かれています。

大正5年、陸軍軍医総監の職を退いた鴎外は、一年半後、帝室博物館総長に任ぜられ、度々奈良に滞在する。在任中の歌で編まれた「奈良五十首」は、『明星』大正11年1月号に一挙連載されたもので、茂吉は「思想的叙情詩」と題し、石川淳はそこに鴎外晩年の「物理的精神的な軌跡」を見ようとした。総体としての五十首に込められた本当の含意とは。

大正7年(1918)から大正10年(1921)まで毎年正倉院の曝涼のとき鴎外は奈良にきていました。11月頃の1ヶ月ほど、今の奈良国立博物館の北東にある官舎に泊まり(鴎外の門として今も残っています)。前任まではもっと良い旅館やホテルなどに滞在したそうです。森鴎外は晴れの日は曝涼に立ち会い、雨の日には奈良の社寺などをあちこち回わり研究しています。そのときに作られた短歌五十首です。鴎外も多才で小説など多方面に多くの作品を残していますが、短歌も残しています。

また家族などに多くの手紙葉書を残しています。

この著書で、著者は鴎外の短歌を推察も交えて解説をしています。短歌だけ読むとわかりにくい短歌もありますが、鴎外の秘められた考察はなかなか鋭いものがあるようです。

東京から奈良への旅にて4は詠んでいるとのことです。

(4)木津過ぎて網棚の物おろしつつ窓より覗く奈良のともし火

(5)奈良山の常磐木はよし秋の風木の間木の間を縫ひて吹くなり

(6)奈良人は秋の寂しさ見せじとや社も寺も丹塗にはせし

(7)蔦かづら絡む築泥の崩口の土もかわきていそぎよき奈良

(8)猿の来し官舎の裏の大杉は折れて迹なし常なき世なり

昨年の正倉院展(東京)で掲示されていた有名な歌

(10)夢の国燃ゆべきものの燃えぬ国木の校倉のとはに立つ国

(11)戸あくれば朝日さすなり一とせを素絹の下に寝つる器に

(12)唐櫃の蓋とれば立つあしぎぬの塵もなかなかなつかしきかな

など正倉院の曝涼に立ち会った歌があります。

 

また奈良のあちこちの寺で詠んだ短歌があります。

東大寺 (25)盧舎那仏仰ぎて見ればあまたたび継がれし首の安げなるかな

興福寺慈恩会 (31)なかなかにをかしかりけり闇のうちに散華の花の色の見えぬも

元興寺址   (34)落つる日に尾花匂へりさすらへる貴人たちの光のごとく

十輪院     (35)なつかしき十輪院は青き鳥子等のたづぬる老人の庭

般若寺    (36)般若寺は端ぢかき寺仇の手をのがれわびけむ皇子しおもほゆ

新薬師寺   (37)殊勝なり喇叭の音に寝起きする新薬師寺の古き仏等

大安寺    (38)大安寺今めく堂を見に来しは餓鬼のしりへにぬかづく恋か

白毫寺    (39)白毫の寺かがやかししれびとの買ひていにける塔の礎

などの歌がある。

 森鴎外は文久2年1月19日(1862年2月17日 ) - 1922年(大正11年)7月9日。

森鴎外が奈良を訪れたのは晩年のことでした。津和野でお墓(森 林太郎の墓)を訪れたことを思い出します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31