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2024年3月10日 (日)

美ビット見て歩き *125

毎月、奈良新聞で楽しみにしている川嶌一穂さんの美ビット見て歩きは、125回。大阪天王寺のあべのハルカス美術館の「円空展」です。

わたしも先日拝見したのですが、川嶌さんの美ビット見て歩きを見るともう一度見に行きたくなります。

円空が残した仏像そして足跡は素晴らしいものがあります。

 

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *125 川嶌一穂

 

あべのハルカス美術館開館10周年記念「円空―旅して、彫って、祈ってー」

 

写真 岐阜県・千光寺 賓頭盧尊者坐像
貞享2年(1685)頃 47・4cm
(会場撮影可ゾーンにて筆者撮影)

 

 驚いた。
 今まで円空と言えば、全国を行脚して、木っ端で小さな仏像を数多く作った僧、というくらいの認識しかなかった。
が、会場に一歩足を踏み入れると、等身大より大きい「十一面観音菩薩立像」(作品番号4・以下同)や、衣紋の美しい、量感たっぷりの「釈迦如来坐像」(6)がいらして、すぐにそのイメージは裏切られることになった。

 円空(寛永9年<1632>〜元禄8年<1695。俗名は不明)は、今から400年ほど前、徳川の世がようやく定まろうとする頃に、美濃国、現在の岐阜県に生まれた。

円空の彫った仏は兵庫県以東、北海道に至るまで五千体以上も確認されているのに、彼自身の生涯は不明な点が多い。円空入寂後およそ百年の後に出版された伝記集『近世畸人伝』(2)には、「幼い頃に出家した」という記述がある。

 『円空の生涯』(人間の科学社・2015年)の著者・長谷川公茂氏は、「わが母の命に代る袈裟なれや法(のり)のみかげは万代をへん」という円空の和歌などをあげて、幼い頃に母と死別したことが出家のきっかけだとする。
 『近世畸人伝』は、続けて「ある寺にありしが、二十三にて遁れ出、富士山に籠り、また加賀白山にこもる」と記している。寺での修行に飽き足らず、山岳修行を重ねたらしい。

会場に、奈良県松尾寺蔵「役行者倚像(いぞう)」(19)が、役行者像にしては珍しく、童女のような笑顔をして腰掛けておられる。背面の墨書によれば、44歳の円空が大峰山で冬ごもりの修行をした時の作という。

 時は前後するが、青森県弘前市立図書館蔵の『藩庁日記』(1666年正月の条)に、「円空という旅の僧に、領内に置く訳にはいかない旨を申し渡すと、青森から松前に参るよし」とある。33歳の円空が、弘前を追われて、極寒の北海道に向かおうとしているのだ。
その約200年後に、北海道の命名者として知られる松浦武四郎も『東蝦夷日誌』(3)に、北海道に残る円空の彫った仏を挿絵とともに記録している。現在、道内に40余体の円空仏が確認されているが、円空の造仏修行の厳しさが偲ばれる。

会場第2章「修行の旅」では、思いもかけない円空の絵に出会った。円空43歳の年、三重県志摩半島南端の漁村・片田に伝わる『大般若経』(17)と、同じく立神地区に伝わるこれも『大般若経』(18)に添えた仏画である。
両方とも、元は600巻もの巻子(かんす)装だったのを、読経に便利なように、補修をかねて折帖(おりじょう)装にし直す際に、円空が絵を添えたもの。とくに後者では、絵がすっきりと洗練され、線もためらいなく、流れるように走る。棟方志功の版画の女性のような、ふくよかなお顔である。

と思ったら、先ほど挙げた長谷川さんは『円空の生涯』で、こんなエピソードを語っている。
昭和39年、円空仏で知られる名古屋市の鉈(なた)薬師に棟方志功を案内した時、棟方はいきなり堂内の須弥壇に駆け上がって、円空作の十二神将のうち寅像にしがみついて「コンナトコロニ、オレノオヤジガイタ」と叫んで、像を撫で回して飽きなかった。二人には、何か通ずるものがあるのだ。

会場第4章「祈りの森」に、岐阜県高山市千光寺のお像が77体もいらっしゃる。54歳の円空がこの地に滞在して、住職の舜乗と親しく交流したことが、『近世畸人伝』に記されている。今も庫裏に残る、340年前に二人が囲んで語り合ったという囲炉裏の写真が、本展図録にある。

第4章の「観音三十三応現身立像」(47)は、60cmから80cmの高さの、ほぼ同形の菩薩立像31体である。近隣の村人が病気になると借り出して、この数になったという。
当時の庶民には、病院もない。素晴らしい仏像のおわす遠くの大寺にお参りに行く手段もない。そんな時に、円空の彫った仏さまを借りて枕辺に祀ることができるなんて、こんな有難いことはなかっただろう。そしてこれこそが、円空が一生をかけて、倦まず弛まず仏像を彫り続けた理由であっただろう。

最終第5章「旅の終わり」に、仏像でも神像でもない一体の像が、これまた微笑んでいる。万葉歌人・柿本人麻呂坐像(66)だ。みずからも和歌を詠んだ円空が、こればかりは楽しんで彫ったのではないかと思う歌聖の像である。

会場出口で、みなを見送ってくれるのが、「十一面観音菩薩及び両脇侍立像」(76)。ジャコメッティ作品を思い出すような、余計なものを一切削ぎ落とした細い細い三尊像だ。制作年を特定できる最後の像。
3年後の7月15日(旧暦)、円空は自坊・関市弥勒寺に近い長良川畔で、念願の盂蘭盆入定を遂げた。まさに「旅して、彫って、祈った」壮絶な人生だった。

 写真は、釈迦の弟子で、撫で仏で知られるいわゆる「びんづる様」。本像(45)も人の手で撫でられて黒光りしている。何とも言えない味のある表情。

 最後になりましたが、あべのハルカス美術館開館10周年おめでとうございます。
12年前に始まった本欄でも、「ミラノ・ペッツォーリ美術館」展、「川喜田半泥子物語」展、「北野恒富」展、「ラファエル前派の軌跡」展と、今回で5回取り上げたので、同じ近鉄母体の大和文華館と並んで、みごと「本欄最多出場」を達成されました!これからも素晴らしい展覧会を期待しております。
 
=次は令和6年4月12日付(第2金曜日掲載)=
  ・・・・・・・・・・・・・・・
かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

 

メモ あべのハルカス美術館 大阪市阿倍野区阿倍野筋1−1−43 あべのハルカス16階。電話06(4399)9050。https://www.aham.jp/。

近鉄「大阪阿部野橋駅」、JR・地下鉄「天王寺駅」下車すぐ。シャトルエレベーター(地下1階か地上2階の乗り口より)利用。会期は4月7日(日)まで。

 

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