美ビット見て歩き ※124
奈良新聞で毎月楽しみにしている川嶌一穂さんの美ビット見て歩き2月8日付は、本の紹介です。
渡辺京二『逝きし世の面影』平凡社ライブラリーです。
日本のかつて(あるいは今も)を多くの著書から引用して紹介しているようです。
600ページの大作です。
部分的になるかもしれませんが、手に入れましたので、早速わたしも読みたいと思います。
(画像はクリックすると拡大します)
美ビット見て歩き 私の美術ノート *124 川嶌一穂
渡辺京二著『逝きし世の面影』
写真 平凡社ライブラリー『逝きし世の面影』表紙
『苦海浄土』の作者・石牟礼道子(1927―2018)を見出し、その公私の活動を支え、水俣病患者支援活動をともにした、編集者としての渡辺京二(1930―2022)を知ったのはいつだったか、はっきりと覚えていない。
『逝きし世の面影』の他には、『父母(ちちはは)の記:私的昭和の面影』を読んだくらいで、渡辺さんの熱烈なファンという訳でもなかった。
それでも本作品が1999年に和辻哲郎文化賞を受賞したことは知っていて、旅先の大型書店でその文庫本を見つけて購入した。600ページもある、製本が心配になるくらいの分厚い文庫本だ。20年近く前でさえ2000円もした。
一読、虜になった。と言っても、終わりまで通読したのは今回が初めてで、時々手にとっては1章の半分くらいを読んで、また本棚に戻すという読み方をしてきた。所々に難しい文明論が挟まれているが、そこは読んだり、飛ばしたりした。
渡辺京二はおびただしい数の、主に幕末から明治初期にかけて日本を訪れた外国人の日記や見聞記を渉猟し、それを「陽気な人びと」「簡素とゆたかさ」「労働と身体」「裸体と性」「子どもの楽園」「風景とコスモス」「信仰と祭」など10余りのテーマに分けて、たくさん引用し、それを分析する。
巻末の文献リストによれば、英語文献が20、翻訳文献は130に上る。わたしなら、これを読むだけで10年以上かかるだろう。翻訳されていなかった英語文献のいくつかは、本書の元版が出た後、翻訳が出たと、著者の「平凡社ライブラリー版あとがき」にある。この一冊の本の及ぼした影響がいかに大きかったかが分かるだろう。
上高地に碑のある、日本に「近代登山」を伝えたウェストンは、大正時代にこう書いた。「明日の日本が、外面的な物質的進歩と革新の分野において、今日の日本よりはるかに富んだ、おそらくある点ではよりよい国になるのは確かなことだろう。しかし、昨日の日本がそうであったように、昔のように素朴で絵のように美しい国になることはけっしてあるまい」。
その後の日本の歴史は、ある意味ウェストンの予想した通りに推移した。が、日本が昔のように「素朴で絵のように美しい国」でなくなった、という点については、わたしはちょっと留保したいという気がしている。
初代駐日英国公使オールコックをはじめ、欧米人訪日者が日本を描写するのに愛用したのは「子どもの楽園」という表現である。「世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない」など、多数の記録が引用されている(本書第十章)。
それで思い出したことがある。今から30年ほど前、わたしは奈良市のAET(英語指導助手)のコーディネータを5年間務めた。初めて日本の土を踏んだ異国の若者と近しく付き合って、彼らの本音を聞くことができる貴重な経験だった。第4代AETのジュリー(米・ネブラスカ州出身)も、「日本の子どもは、きれいな服を着せられて、可愛がられているね」と言う。思ってもみない指摘をされて、驚いた。まさに渡辺京二が指摘するように、「ある文化に特有なコードは、その文化に属する人間によっては意識されにくく、従って記録されにくい」(19ページ)。
これは幕末・明治初期に限らず、さらに時代を遡って、かのイエズス会宣教師のフロイスも言っている。「われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。日本では…ただ言葉によって譴責するだけである」(393ページ)。
ここでまた20年ほど前、勤務校の語学研修で、イギリス南部の地方都市・フォークストンに学生を連れて行ったとき、その語学学校の先生に聞いた話を思い出す。日本で言えば団塊の世代に属する、イタリア出身の男性だった。確かエニシダの枝と聞いたように記憶するが、学校の先生も父親もそのムチを持っていて、「これは父親に打たれた」と言って、まだ手首に残るかすかな傷あとを見せてくれた。今はあちらでもどうか分からないが、躾にムチとは、いくら何でも日本では聞いたことがない。
若くて元気だった頃、休みになるのを待ちかねて海外旅行によく出かけた。飛行機とホテルだけ予約していくという一人旅で、『地球の歩き方』をしっかりと読み込んで行った。「この辺は、危険なので行かないように」。「この通りは、昼間は大丈夫だが夜は立ち入らないように」。ふむふむ、そうか。しかし、しばらくして、ふと気が付いた。日本が一番安全じゃないか!
私はその頃から、自分の生まれた日本という国に対する見方が少しずつ変わったように思う。それまでは、職場の外国人講師や、欧米大好きな友人の日本批判を心から共有していたのが、ほんとにそうかな、と一拍置けるようになった。
渡辺京二は、もう失われてしまった江戸時代の文明、言いかえれば「庶民の豊かさ」を復元する材料として、幕末・明治初期の欧米人による日本見聞記を用いたと言う。が、先ほども書いたように、それはまだ「死に絶えた」わけではないと私は思う。
軒先きやベランダに置かれた植木鉢、花の季節になればそわそわする気分、行楽客や盆暮れの人出のニュース、その残滓は枚挙に暇ない。
どこから読んでも、どこで閉じても面白い本だ。えーそうなんだ、と驚くこともあれば、そう言えば昔は電車の中でも子どもに乳を飲ませる女の人がいたなぁ、とか野良犬が街中をウロウロしてたなぁ、と懐かしく思い出すこともいっぱい出て来る。ぜひ一度手に取ってご覧下さい。
1月はお休みを頂いたので、これが今年の第1回目です。本年もどうぞよろしくお願いします。
=次回は令和6年3月8日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。
メモ 渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー・2005年)。表紙の絵は「街をゆくムスメ」エドウィン・アーノルド『ジャポニカ』(ロンドン・1891年)。
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