厳しい2024年の年明け
1月1日、午後4時過ぎ北陸地震と津波、死者、安否不明多数。奈良でも震度4で、年明け早々たいへんなことが起こりました。
1月2日、夕方、羽田空港にて着陸の日航機と海上保安庁の飛行機が衝突し炎上しました。
1月3日、3時過ぎ北九州市魚町銀天街と食堂街で大火事、
まさかと思ったのですが、戸田さんに電話すると、私の友人の「陶器の戸田」さんの店も燃え広がった火事で最後に類焼したとのことです。
大学卒業後、東京で陶器の商社で一緒に修業した友人のひとりが戸田さんであり、その後50年にわたってお世話になっています。
明治16年創業の陶器店の4代目である戸田和雄さんは、自分の代でまさかこういうことになるとは思いませんでした、と語っています。
被害に遭われた皆様にお見舞いを申し上げます。
今年は厳しい年明けになりました。気を引き締めて過ごしたいと思います。
(追記)毎日新聞の記事をいただきました。
北九州・魚町銀天街の焼け跡から「辰」 全焼の老舗陶器店が再起誓う
毎日新聞 2024年01月07日 10時14分
北九州・魚町銀天街の焼け跡から「辰」 全焼の老舗陶器店が再起誓う
北九州市小倉北区魚町で3日に発生した大規模な火災で、魚町銀天街に面した1883(明治16)年創業の老舗陶器店「陶器の戸田」も全焼した。火元とみられる飲食店街「鳥町食道街」に消防が重機を入れて活動するため、その入り口付近に位置する店は翌4日に取り壊された。4代目の戸田和雄社長(74)は、がれきの山と化した店舗を前に「先祖が守ってきた店をこんな形でなくしてしまい、情けない」と目を潤ませた。【成松秋穂】
火災発生当時、自宅にいた戸田さんは、店舗にいた従業員から連絡を受け、テレビの中継で消火活動を見守っていた。火の手が店の方角へ広がっているのが気になり、現場近くへ。規制線の外から見える光景に「もう燃えているかもしれない」と肩を落とした。
4日朝、消防から「店を解体したい」と電話が入った。夜通しの消火活動で既に火勢は鎮圧していたが、狭い通路に飲食店が建ち並ぶ食道街に、重機を入れて放水を続け鎮火を確認するためだった。
「見てから返事したい」と答え、消防職員の付き添いで規制線の中へ。骨組みを残して屋根が落ちた店を前に「無理だ」と感じた戸田さんは、解体を許可。かつて自宅を兼ねていた店の最後を見届けた。解体後に掘り起こされた金庫から、溶けた印鑑と棒状の塊になった硬貨が見つかった。それらは火災の猛烈な熱さを雄弁に語っていた。
解体前、焼け跡からわずかに回収できたものがあった。2024年の干支(えと)「辰(たつ)」にちなんだ竜の置物だ。店頭に商品として並べていたもので、手の届く場所に埋もれているのを長男の圭輔さん(47)が見つけ、許可を得て回収した。白かった竜は熱で黒く変色していたが、辰年生まれの圭輔さんは特別な思いで抱え「同じ場所に店を建て直したい。この置物もお守りとして、大切に飾ろうと思う」と再起を誓った。
« もちいどの初売り | トップページ | 喜光寺へ 初参拝 »
コメント