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2023年12月12日 (火)

美ビット見て歩き ※123

毎月、奈良新聞で楽しみにしている「川嶌一穂さんの美ビット見て歩き」もことし最終となりました。牧野富太郎さんはNHK朝ドラで話題になり、本もたくさん書店に並んでいました。わたしも「原色牧野植物図鑑」を見返すことです。東京の大泉学園の広い自宅あとが庭園になっているのですね。一度訪ねたいものです。川嶌さん一年間ありがとうございます。来年もよろしくお願いします。

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *123 川嶌一穂

 

東京都練馬区立「牧野記念庭園」

 

写真 牧野記念庭園内「書屋展示室」(著者撮影)

 

 植物にまつわる最初の記憶は何だろう?わたしは金魚草だ。東大寺二月堂下にあるお宅の一室を間借りしていた頃のことだから、もう70年以上前の話だ。その家のお姉ちゃんと一緒に、庭の金魚草の赤い花をとって、そばの井戸に放り込むと、ほんとうに金魚が泳いでいるように見えるのだ(島田さん、ごめんなさい!)。

 小学生時代、放課後いつものように三角ベースの野球をしたあと、一緒に遊んでいた男の子に「触ってみぃ」と言われて、指でつまんだ鳳仙花の実が弾けて、知らなかったので驚いて泣いてしまった。泣くことはない、と思うのだが、今から考えれば淡い恋だったのかも。
 不思議なのは、何が食べられるかを、子どもらがちゃんと知っていたことだ。食べていいのは、モチツツジの花の蜜、スカンボ、菱の実、どんぐりの中では小さい椎の実だけ。

 10年以上も前の真冬に、調べものがあってロンドンに3週間滞在したときのこと。寒い、暗い、みぞれは1日中しょぼしょぼ降っているし、資料は見つからない。生花はなかなかいい値段だったが、滞在中欠かさず部屋に飾った。それでようやく寂しさに耐えられたと思う。花には力がある、とそのとき感じた。

 牧野富太郎(文久二年<1862>〜昭和三十二年<1957>)をモデルにしたNHK朝のテレビ小説「らんまん」は見ていないが、本屋にあった「芸術新潮」本年7月号の表紙に、掘り上げた葛の長い根っこを首から下げて、うれしそうに笑っている博士の写真があって、あまりに可愛かったので買ってしまった。

 北隆館「牧野日本植物図鑑」を父は使っていたが、モノクロで、ある程度分類が分からないと、知らない花の名前を見つけるのは難しかった。私は、山と渓谷社から出ている冨成忠夫さんの写真の図鑑を使う方が多かった。

 植物が好き、というのは生まれつきだろうし、博士も自分でそう言っているが、前掲誌の年譜を見て驚いた。3歳の時に父を、翌々年に母を、そのまた翌年に祖父を亡くしている。これほど過酷な運命はそうあるものではない。博士が小さい頃から草花に夢中になったのも分かる気がする。

 先月、まだ紅葉には少し早いかなと思いながら、東京のわが家から1時間ほどの「牧野記念庭園」を訪れた。博士が亡くなるまでの30年を過ごした自宅跡で(780坪)、庭には元々の武蔵野の雑木林に、博士が全国から集めた植物が植えられている。
亭々たる大王松、黒松、赤松が数本そびえているが、博士が亡くなってから67年も経つのだから、存命中はここまで大きくなかったと想像される。

 案内板によると、春にはわたしの好きなスプリング・エフェメラル(短い早春の花)・雪割一華(ユキワリイチゲ)や片栗が咲くようだ。一番花のない季節だったが、紅葉と落葉が始まり、まだそれ程寒くない晩秋の風情もなかなかよかった。

 写真は、今年の春に再現された博士の書斎「書屋展示室」。庭の片隅の、コンクリートの建屋の中にあったので、危うく見落としてしまうところだった。
内外の書籍でいっぱいの部屋に、小さな座机がおかれ、本棚には、「出スベキノ手紙」と右から書かれた手紙入れ。冬の暖房は小さな電気ストーブのみ。庭を眺めながら、読書や執筆をしたり、絵を描いたりしている、着物を着た博士が今にも現れそうな空間だ。

 俵浩三「牧野植物図鑑の謎」(平凡社新書。現在ちくま文庫)に、博士の同時代の、やはり在野の植物学者・村越三千男との図鑑出版の確執が描かれている。
 博士が生涯に発見・命名した植物は1500種類以上にのぼり、「日本の植物分類学の基礎を築いた」という評価は揺るぎないものだが、長く豊かな伝統も、同時代の知の体系もない中で、博士一人が屹立していた訳ではないことも確かだろう。

 「牧野植物図鑑の謎」によれば、全国の小学校に配られ、博士も小学校で実際に見たという、植物の形状と名前を図鑑のように描いた大判の「博物図」は、小野職愨(もとよし)が制作した文部省発行の教材である。小野は江戸時代の博物学者・小野蘭山の玄孫で、何と、植物学の参考書などを購入するために東京へ旅行した十九歳の博士に、実際に会って、小石川植物園を案内したという。

 故郷高知にある、博士他界の翌年に開園した「高知県立牧野植物園」植物研究課の藤井さんの談話によれば(前掲「芸術新潮」)、高知県だけで、外来種を除いて約2700種もの植物があり、その数はイギリス1国分より多いという。

 そんな豊かな日本の植物相と、それを愛で、研究する長い伝統の上に巨人・牧野富太郎が存在した。

 

=1月はお休みを頂き、次回は令和6年2月9日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

 

メモ 練馬区立牧野記念庭園 東京都練馬区東大泉6−34−4。電話03(6904)6403。西武池袋線「大泉学園駅(南口)」下車、徒歩5分。原則として毎週火曜日と年末年始休園。入園料無料(太っ腹!)。

根津美術館蔵「百椿図」(根津美術館HPから図録購入可)は、江戸時代初期の椿愛好ブームの一例。狩野山楽筆と伝わる百種の椿の絵に、和歌や漢詩の賛が添えられた巻物。その絵たるや、色鮮やかで装飾的でありながら、そのまま図鑑となるほど写実的。

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