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2023年8月13日 (日)

美ビット見て歩き *119

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毎月、奈良新聞で楽しみに読んでいる、川嶌一穂さんの美ビット見て歩き*119は、ご尊父の歌人 猪股静彌さんの終戦直後、赴任されていた大分県国東郡姫島村のことが書かれています。終戦前後の厳しい世情がうかがわれます。
また私が新アララギ生駒歌会でお世話になり先頃お亡くなりになった、山口正志さまもよくお話になっていましたが、やはり姫島村で先生をされていたとのことです。

お盆に際し、猪股静彌先生、山口正志さまを偲びたいと思います。


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美ビット見て歩き 私の美術ノート *119 川嶌一穂

 

大分県東国東郡(ひがしくにさきぐん)姫島村(ひめしまむら)

 

写真 猪股靜彌二十一歳の「夏やすみ日記」(昭和二十一年)

 

 奈良市立一条高等学校に国語教師として34年勤務した亡父・猪股靜彌(大正十三年<1924>〜平成二十一年<2009>)は、大分師範学校(現大分大学)在学中の昭和18年に肋膜炎をわずらい、一年間の休学を余儀なくされた。
 「男の同級生の三分の一は戦死した。僕の時はもう南方へ行く船がなかった。もし肋膜炎になっていなければ、僕も危なかっただろう」。父は何度もこう話した。

 退院して復学後、昭和20年5月に久留米陸軍第一予備士官学校(福岡県)に入校し、工兵として8月の敗戦を迎えた。わずか数か月の軍隊生活だったが、あの話好きの父も、この時期のことはあまり語りたがらなかった。
 「久留米で、何してたの?」とあえて聞いても、ひたすら穴を掘ってた、とか、橋を造ってた、などと言うばかり。父は背が高く、隊で後ろから二番目だったので、重い工具を持つ役目だったらしい。

 そう言えば、私の小学校低学年くらいまで、家に「軍隊毛布」という、黄土色の、固くてとても重たい毛布が一枚あった。雨戸のない窓に、遮光カーテンがわりに寝るときに吊るしていた。除隊するときにもらってきたものだという。軍解体の時は、それはそれは醜い人間模様を見た、と漏らしたこともあった。

 敗戦後、復員してすぐに師範学校を卒業し、10月に姫島小学校に赴任した。姫島(ひめしま)というのは、大分県の北東部から瀬戸内海に丸く突き出た国東(くにさき)半島の北6キロメートル沖に位置する、東西7キロメートル、南北4キロメートルの「ひょっこりひょうたん島」のような形をした小島である。
  

写真の「夏やすみ日記」は、父が赴任の翌年にはじめて迎えた夏休みの日記で、その間ほとんど国東半島の実家に帰省していたのに、表紙には赴任地の姫島の絵が描かれている。

まだそのままにしてある実家の父の書斎の机に、あるとき何気なく座っていて、本棚に自然と手を伸ばしたところにあったのを見つけたもの。B5サイズより一回り小さな、文部省発行の習字のお手本のページの裏を使ったもので、7月20日から9月1日まで毎日欠かさず書いてある。

一読驚くのは、村に帰省して、旧友に会ったり、アララギの短歌会に出たりする他に、何日も村の土木工事に参加していることだ。「川工事」「石かつぎ」「井堰(いせき・川の水をせき止めるせき)工事」「腰をいためて休む。よる鍼をしてもらふ」などの記述が続く。

たとえば7月23日。「金丸井堰の工事にゆく。きれいなあゆがたくさんにゐた。川の姿もずい分変わったものだー。今は人の通る道さへもない。村も随分荒れてしまった。この荒廃の村を復興するのは、若い青年の労働あるのみだ。『労働は神聖也』本当に神聖だ」。

空襲を受けていない大分県の片田舎も、戦争中は男手がなくて、ずいぶん荒廃したのだろう。父は同世代がたくさん戦死したのに、自分は「生き残ってしまった」という負い目のような感覚を生涯持ち続けたように思う。

毎年夏、家で戦争の話になると、北九州の都会に住んでいた母は「食糧難は戦時中よりも戦後の方がひどかった」と言い、かたや姫島で下宿していた父は、よく生徒の父兄や近所の人に野菜や魚を届けてもらい、ひもじい思いはしなかったと言う。その度に母は恨めしそうな顔をした。

奈良市のあやめ池に住んでいる友人によると、駅に出るのに小さな峠を超えなければならないので、戦後、町中総出で、それこそ子どもまでモッコを担いで、坂のてっぺんを少し削ったそうだ。
父にせよ、あやめ池の住人にせよ、勤労奉仕に日当が出たわけではない。住みやすい今の日本は、こうした先人たちから孫や子に手渡されたものだということに、この歳になって改めて気づかされる。

 

休学と決り帰りしふる里に
盆おどりの唄更けて聞こゆる

藁蒲団のくぼみの形見てあれば
病みつつすでに秋たちにけり

ふる里に母は雨戸をとざす頃か
寮の夕べに今日は思ひき

征くと言へば母が手作りぜんざいの
そのうす味をねんごろにすふ

短歌百首と老いたる父母を村に置き
特甲幹工兵といで征く吾は

われ若く教師はじめの姫島や
 あはれ昂ぶり思ふまぼろし    (以上靜彌詠)
 
 父は、姫島小中学校での勤務を終えて、昭和23年4月、旧制最後の法政大学国文科に入学した。わずか2年半の島での滞在だったが、その印象は強く刻まれ、晩年まで姫島のことを思い続けた。

 この父の日記を見つけてから、わたしまですっかり姫島ファンになってしまい、これまで2度、8月旧盆のキツネ踊りを見に行き、もう1度は、海を渡る蝶アサギマダラが北上する時の休息地を5月の連休頃に訪れた。

 「昨日(きにょう)は大漁だったかえ」「五杯じゃった」
訛りもうれしフェリー待合室    (一穂腰折)

 

 姫島については、また稿を改めたい。

 

=次回は令和5年9月8日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

 

メモ 大分県東国東郡姫島村。大分空港から伊美港までバス70分。伊美港から町営フェリー乗車20分。キツネ踊りなどの盆踊りは、8月14日と15日。
宿泊は、八千代館(電話0978−87−2010。1泊2食13530円から)など。
姫島の石と魚については、椋鳩十作『ふしぎな石と魚の島』(ポプラ社)が詳しい。
束田澄江作『あした飛ぶ』(学研プラス)は、アサギマダラをモチーフにしたすてきな童話。
内田康夫の『姫島殺人事件』は、もちろん完全なフィクションだが、方言がうまく拾われている。

 

 

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