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2023年6月11日 (日)

川嶌一穂さんの美ビット見て歩き*117

桜井や宇陀あたりに行くと、織田有楽斎の名前がよく出てきます。川嶌一穂さんの美ビット見て歩き*117は、京都文化博物館でいか開かれている 四百年遠忌特別展『大名茶人 織田有楽斎』についてです。

奈良新聞の見出しには、武人であり「数寄者」の生涯を語る、 戦国から江戸の三代主君を変え生き抜くと、あります。

(画像をクリックすると拡大します)

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *117 川嶌一穂

 

京都文化博物館 四百年遠忌記念特別展『大名茶人 織田有楽斎』

 

写真 四百年遠忌記念特別展『大名茶人 織田有楽斎』チラシ

 

若いころの私なら、織田有楽(おだうらく・天文十六年<1547>〜元和七年<1621>)の、「二君に見(まみ)えず」とは対極にある生き方はとても受け入れられなかっただろう。
しかし今なら分かる。有楽の選んだ生き方の方がずっと困難で、意味のあるものだったと。


異母兄の信長が倒れた本能寺の変では、当時仕えていた信長嫡男の信忠とともに光秀軍に襲われ、京都二条御所に立てこもったが、信忠は自害して果てた。有楽は安土城に逃れて、信忠嫡男の三法師を守った。「逃げの源吾(有楽の幼名)」と言われる所以だ。
変の後、御伽衆として仕えた秀吉から、現在の大阪府摂津市に所領を与えられた。天正十四年(1586)頃、剃髪し、「有楽斎」と称したらしい。翌年、秀吉が開いた北野大茶湯にも参加している。武人でありながら同時に茶人として活躍し始めたのだ。


 有楽の作とされる、秀吉が伏見城内に設けた茶室は、明治時代に生糸貿易で財をなした原富太郎が横浜に開いた三渓園内に移されて、重要文化財「春草廬(しゅんそうろ)」として現存している。内部は公開されていないが、三渓園HPの「施設内360度カメラ」で、窓の多い、明るくモダンな姿を見ることができる。


秀吉の死後は、関ヶ原の戦いで東軍に属して戦功をあげ、家康より大和三万石を与えられる。さらに、大坂夏の陣で豊臣家が滅亡した後、芝村藩(奈良県桜井市)と柳本藩(天理市柳本町)を息子たちに託して、自らは出家した。


その数年後、京都建仁寺の塔頭・正伝院(現・正伝永源院)を再建し、書院と、これも窓を多用した茶室・如庵(じょあん・有楽の洗礼名から名付けたとも言われる)を設けた。
 如庵もまた現存する。紆余曲折を経て、愛知県犬山市の犬山城に隣接する日本庭園「有楽苑」に、書院とともに移築されて、京都山崎妙喜庵の「待庵」、京都大徳寺龍光院の「密庵」とともに国宝茶席三名席の一つとして今に伝えられた。


 会場に入ると、法体姿の「織田有楽斎坐像」がある。正伝永源院に伝わる木彫の坐像で、有楽生前の姿を写したと言われる。
 一見穏やかな、微笑をたたえたような表情だが、がっしりとした体躯、目の奥に宿る鋭い光、一文字に引き結ばれた口を見ていると、これでこそ戦国末期から江戸初期までの三代を生き延びることができた、と思わせるしたたかさが伝わって来る。


 会場の「第2章 有楽斎の交友関係」には、福島正則、徳川家康ら、有楽の交友関係の中で交わされた書状が並ぶ。その多くは茶室に掛ける茶掛けとして表装されたもの。情けないことにほとんど読めないが、忙しい時間の合間を縫って認められた手紙のようだ。どれも現代の書展で時々見かける「大向こうを唸らせてやろう」というところのない、気持ちのいい字だ。
茶会への招待やら、明日に予定していた茶会は大雨のために延期するなど、今だったらメールやラインを使うような短信から、当時の交流が偲ばれる。


 会場、続いての「第3章」は、「数寄者としての有楽斎」。多くが散逸してしまった有楽遺愛の茶道具が、400年の時を超えて、晩年を過ごした京都の地で今回一堂に会したことになる。優れたコレクションこそ、散逸の可能性が高いのかもしれない。
 後に松平不昧公の愛蔵ともなった、すっきりとした「黒漆一文字香合」、大坂城の落城とともに粉々になったのを漆で修復したという「唐物文琳茶入」、ひび割れを鎹(かすがい)で留めた「青磁輪花茶碗」、そして「有楽井戸」と呼ばれる重要美術品の大井戸茶碗。みな実際に使いやすそうで、ずっと見ていたい名品だ。


 富岡鐵斎の描いた「如庵図」も出ている。淡彩をほどこした柔らかな墨の筆致が、隠居して茶の湯三昧の生活を送っている有楽のほのぼのとした暮らしぶりを伝えている。
 写真のチラシを見て頂きたい。花びらの先が少し赤みを帯びた白い蓮の花が群れ咲く池の上を、金地をバックに二羽のツバメが飛んでいる襖が、ちょっと開いた。「ま、一服」とでも言うように、畳の上に「有楽井戸」がそっと置かれる。まさに、忙中楽(・)しみ有(・)り。

 

=次回は令和5年7月14日付(第2金曜日掲載)=
  ・・・・・・・・・・・・・・・
かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

 

メモ 京都文化博物館 京都市中京区三条高倉。電話=075(222)0888。https://www.bunpaku.or.jp。
近鉄京都線竹田駅乗り換え、京都市営地下鉄烏丸線烏丸御池駅下車。5番出口から三条通りを東へ徒歩4分。
会期は6月25日(日)まで(月曜休館)。
6月21日(水)14時から30分程度のギャラリートークあり(当日の入場者向け、参加費無料・事前申込不要)。

 

 

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