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2023年5月13日 (土)

美ビット見て歩き 私の美術ノート *116 川嶌一穂

川嶌一穂さんの美ビット*116は土門拳の『古寺巡礼』刊行60年です。

迫力ある土門拳の写真展を見られて的確に書いておられます。なるほどと思いながら奈良新聞5月12日付を拝読しました。

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *116 川嶌一穂

 

土門拳『古寺巡礼』刊行60年

 

写真 鳥取県三徳山三佛寺投入堂を撮影する土門拳『土門拳の古寺巡礼』(クレヴィス・2011年)表紙

 

 写真家土門拳は明治42年(1909)、現在の山形県酒田市に生まれ、昭和54年(1979)脳血栓に倒れて以降、意識不明のまま入院生活を送り、平成2年(1990)に亡くなった。意識の戻らない最晩年の10年間を思うと、何とも言い様がない。
 将来、画家になりたかったという土門が中学3年生の時に描いた花の油絵が残っている(『新版土門拳の昭和』<クレヴィス・2022年>)。濃彩、厚塗りで描いた花を入れた、金属製と見える花瓶にハイライトの光が当たり、後年の土門の写真を彷彿とさせる。

 昭和44年(1969)、二度目の脳出血で右半身不随となった土門は、リハビリのために左手で花の水彩画を描いた。たどたどしい線ながら、その色彩は水々しく、土門は天性のカラリストだったのではないかと思う。それでこそ、彼の残した白黒の作品が精彩を放つのだろう。
 考えてみれば、これまで土門の写真をじっくり見たことはなかった。もちろん『古寺巡礼』、『文楽』、『ヒロシマ』、『筑豊のこどもたち』や『室生寺』などの作品集は、それぞれ部分的に目にしたことはあったが。

 極端なクローズアップ(「飛鳥寺金堂釈迦如来坐像面相詳細」昭和39年)、細部に隈なく当てた照明(「神護寺本堂薬師如来立像腹部・大腿部」昭和18年)、意外な角度からの撮影(「向源寺十一面観音立像」昭和38年)など、土門の作品はどれもすぐに「土門拳」だと分かる。

写真は「真を写す」と書くが、土門の写真は「真」を写す、と言うよりは、対象に肉迫するあまり、対象に内在する土門的なるものを、探り当て、掘り出して、表に出したもののように見える。

 自分の目で見る前に、こんな個性的な土門の写真を見てしまったら、実際にその仏像、神像や寺社に行って見ても、もう土門の目でしか見えなくなっているだろう。若い頃なら尚更だ。

 しかし古稀も超え、彼の作品の多くの現場を既に訪れている今はもういいだろう。と思って、先月、東京都写真美術館(目黒区恵比寿ガーデンプレイス内)で開かれた『<古寺巡礼>刊行60年 土門拳の古寺巡礼』展へ行って来た(会期は明日5月14日まで)。
 
本のサイズで見ても、土門作品は大迫力、と思っていたが、実際に会場で大画面に接すると、全く次元の違う存在感だ。もしどこかで「土門拳」展が開かれたら、その折はぜひ出かけられたし。

 山形県を訪れる機会があれば、土門の郷里、酒田市にある「土門拳記念館」にもお立ち寄り下さい。案内パンフレットによると、東京国立博物館法隆寺宝物館や京都国立博物館平成知新館などを手掛けた谷口吉生の設計になる、鳥海山を眺望する素晴らしい建築だ。土門はここに全作品7万点を寄贈した。

 土門拳がはじめて仏像に出会ったのは昭和14年の年末か、翌15年の春だという(『土門拳の古寺巡礼』年譜)。ちなみに、土門は昭和20年6月に召集を受けたが、痔疾のため即日帰郷となったので、軍隊には入っていない。戦時中は、文楽、奈良の仏像や、土浦海軍航空隊甲種予科練習生の撮影に携わった(倉田耕一『土門拳が封印した写真』新人物往来社・2010年)。敗戦後、昭和21年に室生寺を訪ねて、撮影を再開する。

 戦中と敗戦直後に、なぜ仏像だったのか?
 土門は、「ぼくの好きなもの」(『古寺巡礼』第四集・昭和46年)という文章の中でおおよそこう語っている。
「建築では、三仏寺投入堂、薬師寺三重塔、室生寺五重塔、高山寺石水院、仏像では神護寺本堂の薬師如来、薬師寺東院堂の聖観音、臼杵の磨崖仏群が好きだ。みな豪壮で強い。また個性的である。個性的、というのは日本的、と言いかえてもよい。日本の文化は、図式的には中国、朝鮮の下流に位置づけられるかもしれないが、日本に辿りついた文化は、日本人という極上質の酵母菌に出くわし、みごとに熟成され、日本の文化固有の芳醇な香を放っている。」

戦争という「国家」を意識せざるを得ない時期と、GHQによる「日本的なるもの」を排除する政策の先行した占領期に、土門はかろうじて残っている「日本」を撮り続けた。

 『土門拳の古寺巡礼』展会場で、全く見たことのない庭園の写真があった。池に華奢な反り橋がかかり、その上に檜皮葺らしい小さな屋形が乗っている。池中にある小島からくねくねとした松が生えていて、全体に朝もや(?)が立ちこめた幻想的なカラー作品だ。土門らしからぬ叙情的な『永保寺臥龍池無際橋』(昭和37年)

岐阜県多治見市にある永保寺の庭園は、夢窓国師の作。境内の観音堂と開山堂は14世紀に建立され、ともに国宝である。これは、すぐにでも行かねば!

 

=次回は令和5年6月9日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

 

メモ 『古寺巡礼』第一集(昭和38年)、第二集(昭和40年)、第三集(昭和43年)、第四集(昭和46年)、第五集(昭和50年)。いずれも美術出版社。添えられた土門の文章もいい。

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蛇足

わたしも小西治美さんの紹介で、3月上京の折、見て来ました。

鹿鳴人のつぶやき

http://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2023/03/post-c203c5.html
蛇足ながら付記しておきます。

 

 

 

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