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2023年4月16日 (日)

美ビット見て歩き ※115

東日本大震災の年から12年経ちました。川嶌さんのお母さんが亡くなられて12年、ことし十三回忌ということです。この年2月に生まれた赤ん坊はことし中学に入学しました。年月の早さを感じます。でも忘れてはならないことです。

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *115 川嶌一穂

 

宮城県南三陸町ホテル観洋「語り部バス」

 

写真 震災翌日(3月12日)の日の出(ホテル観洋から従業員撮影。提供=ホテル観洋)

 

 この秋、東日本大震災の年に亡くなった母の十三回忌を迎える。
震災当日のあの日は、たまたま生駒の病院に入院中の母を見舞っていて、「幼い頃住んでいた北九州市小倉の広寿山福聚寺によく行って、春は裏山の椿の花でレイを作って遊んだ」と口数の少ない母が珍しく昔話をした。そこに大きな横揺れが来て、私は点滴の台を手で押さえた。「怖い、怖い」という母を置いて家に帰ると、テレビはコマーシャルも無くなり、恐ろしい映像ばかりを流していた。
 あれからもう十二年。東北ではこの春、多くの家で十三回忌をされたことだろう。

 震災翌年の秋に始まった本欄では、震災後3年目から毎年、春に東北に行ってそのご報告をしている。さて今年の春はどうするか、と思案中に、テレビ番組「ガイアの夜明け」で、震災の翌年からほぼ毎日「語り部バス」を運航するホテルの女将が紹介された。よし、行くぞ!
 宮城県南三陸町にあるホテル、と聞いても関西育ちの身には土地勘がない。被害の大きかった太平洋側の岩手、宮城、福島の三県の真ん中、宮城県でも南三陸町は岩手県に近い方に位置する。
3月10日付の本紙「写真でたどる3・11」でも報道された、高さ16mの波が襲った防災対策庁舎のある町である。ホテルは、太平洋に突き出た二つの半島に囲まれた志津川湾の奥深くに建つ。

 調べると仙台駅から無料バスが出ている。これは有難い。朝ゆっくり東京の自宅を出て、仙台駅の駅ビルで軽食をとった。地元の男性客に話しかけられて、これから「ホテル観洋」に行くと言うと、「あそこはいいよぉ。眺めがよくてね。オレも母親連れて毎月行くよ」とのこと。
 仙台駅から東へ、北へと山間を縫って大型バスは走る。三月中旬の東北はまだ梅と椿が咲いていた。2時間弱の行程だが、ホテルに近づくと、ある所で車窓からの景色が一変する。道路ぎわに家が一軒もなくなる。ここまで津波が襲ったということだ。
 ホテルは、湾に面した崖地に建つ、奈良で言う「吉野建(よしのだて)」で、道路から入ったフロントが5階になる。ホテル内のどこからでも海が間近に見える。

 到着日は部屋で海を見て過ごした。かもめが飛び交い、湾に浮かぶ筏で作業をしている船もある。大きな筏は牡蠣、小さい方は若布、遠くにあるのが銀鮭の生け簀だそうだ。波一つない鏡のような海、恵の海が暮れていった。
 翌朝、語り部バスが出発。語り部はホテルの従業員が交代で勤め、一昨年末までで延べ42万人以上を案内した。

 語り部さんが一番強調されたのが、助かるはずの命がたくさん失われたこと。昔からの仲良しグループ5人のうち3人が亡くなった。一旦は高台に避難したのだが、1人は買ったばかりの息子のバイクが心配で、もう1人は仏壇の位牌を取りに戻って犠牲になった。淡々と語られるのだが、悔しさが伝わってくる。ほかにも、お父さんと避難したが、あまりに寒いので、高齢のお父さんに着せる物を取りに戻って亡くなったお嫁さんがいた。当日は雪の降る寒い日だった。

 はじめに立ち寄った戸倉小学校は、3階建の校舎の屋上まで津波に襲われたが、学校にいた児童は全員無事だった。この奇跡の避難を可能にした詳細な記録が、当時の校長先生の手によって残されているので、ぜひお読み下さい(「東日本大震災における戸倉小学校の避難について」http://www.pref.miyagi.jp>documents>17564>12404.pdf)。

 ホテル観洋創業者は、1960年のチリ地震津波で被災した経験から、強固な岩盤でできた高台に、頑丈な建築のこのホテルを開業したという。震災発生時、浸水した2階より上は無事だったため、直後から周辺の住民が避難して、停電・断水の中、翌日には600人以上に食を提供された。その後のホテルを挙げての奮闘ぶりは、メモに記したホテルのホームページをご覧下さい。

 語り部バスは、総合結婚式場として建設された、系列の「高野会館」にも立ち寄った。震災当日、地域の高齢者の芸能発表会が行われていたが、スタッフの誘導で屋上へ避難して、372名の命が救われた。
 気仙沼市にある創業者のご自宅も、周辺に高い建物がないため、震災の4年前に直接屋上に登れるらせん階段を取り付け、住民の避難訓練を行なっていた。そして震災当日、この階段で20名が大津波から命を守ることができた。
 私的な一企業が地域の多くの人命を救い、今なお震災の記憶の継承に力を注いでおられる。

 帰りのシャトルバスを待つ間に、ホテルロビーに展示してある震災の記録写真を拝見した。掲げた写真は、そのうちの一枚。震災の翌日も日は昇った。
 みちみてる嘆きの声のその中に今生まれたる赤子の声きこゆ(長谷川櫂『震災歌集』中公新社・2011年4月25日刊)

 

=次回は令和5年5月12日付(第2金曜日掲載)=
  ・・・・・・・・・・・・・・・
かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

 

メモ 南三陸ホテル観洋 宮城県本吉郡南三陸町志津川黒崎99−17。電話=0226(46)2442。https://www.mkanyojp/ 仙台駅〜ホテル間の無料シャトルバス(110分)あり。

 

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