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2023年2月12日 (日)

美ビット見て歩き *113

川嶌一穂さんの美ビット見て歩き、年明けて初めての今月は、百人一首について興味深く書かれています。

川嶌さん、今年もよろしくお願いします。

後鳥羽上皇、藤原定家。わたしは百人一首について知らないことが多いことがわかりました。百人一首の英訳もあるのですね。

かつて、テレビラジオ新聞などでよく拝見していた、放送作家の織田正吉さんも百人一首の研究家であったそうです。(亡くなられていたのは知りませんでした。ご冥福をお祈りいたします)

(画像をクリックすると拡大します)

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *113 川嶌一穂

 

藤原定家選小倉百人一首

 

写真 「後鳥羽院」「光琳かるた上の句札」(『別冊太陽 百人一首』昭和54年刊より)

 

 お正月と言えば、小さいときは親の膝に座って「これこれ」と教えられた札を取ったり、「坊主めくり」には一人で参加したりして、子どもの頃から百人一首のかるた遊びに親しんできた。


 亡き母は「昔取った杵柄」と呟きながら、いつも一位を保っていた。とくに「カク・サシ」という二字決まりの「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」(藤原実方朝臣)は、絶対に人には取らせなかった。


短大で教えるようになって、授業で百人一首を取り上げた時、学生の人気第一位は「このたびは幣もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに」(菅家)だった。音の響きがいいのだろう、ポップな音楽を聞いている若者らしい。


 そのとき授業で使ったマックミラン・ピーター著『英詩訳・百人一首』(集英社新書・2009年<絶版>)は、全百首がシンプルな現代英語に翻訳されていて、分かりやすい。
中でも「たち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かばいま帰り来む」(中納言行平)の英訳は興味深い。この歌は「松」と「待つ」という掛詞がどう処理されるかが見どころだが、なんと英語のpine に、「松」という名詞の他に、「恋い焦がれる」という動詞があって、「松とし聞かば」は、そのまま if I hear you pine for me と訳されている。何たる偶然!


年に一度でも毎年百人一首で遊んでいると、少しずつ気づくことがあった。読み札の絵の天智天皇や持統天皇が衣冠束帯や十二単という平安の衣装を身にまとっているのは、選歌した定家のあずかり知らぬこととして、百首には同じ語句が多い。たとえば下の句が「ひと」で始まる歌は九首もある。だからこそかるた遊びは面白いのだが、歌集として何らかの意図があるのだろうか。


西行法師は「なげけとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな」の一首が取られているが、西行には他にいい歌がたくさんある。実際、定家に「白雲とまがふ桜にさそはれて心ぞかかる山の端ごとに」の歌があるが、これは西行の「おしなべて花のさかりになりにけり山の端ごとにかかる白雲」(『山家集』)を本歌としている。この歌を西行の一首として入れてもよかったのだ。


この、百首に重なる語句が多いことと、百人の歌人の最高の歌が選ばれているわけではないことにこだわり、定家の百首選歌の秘められた意図を解明しようとしたのが、お笑いの放送作家・織田正吉さん(2020年没)である。


鎌倉時代初期の歌人・藤原定家(1162−1241)は、何百年と政権の座にあった貴族が、新興勢力である武家に政治の力を奪われるという激動の時代に生き、九十一歳で亡くなった父・俊成には及ばないものの、病弱の身ながら八十歳まで頑張った。生涯に『新古今』と『新勅撰』という二つの勅撰和歌集を撰進し、歌道の家としての支配的地位を確立して、まさに「家ヲ定メ」た。


かたや後鳥羽上皇(1180-1239)は、時の執権・北条義時追討の院宣を出し、承久の乱を起こしたが、幕府軍に完敗する。子の順徳上皇は佐渡島に、後鳥羽上皇は隠岐島に流され、赦されることなく配所の隠岐島で崩御された。


 織田さんは語るー院の勅命により編纂された『新古今集』の選者を定家とともに務めた藤原家隆らかつての歌臣は、隠岐に流された以後も後鳥羽院と音信を交わし続けた。いっぽう定家の周辺は、義弟・西園寺公経が太政大臣となり、主家九条家の頼経が鎌倉四代将軍に迎えられるなど親幕派で占められていた。それでこそ権中納言という地位にも昇進できたのだろう。定家は隠岐の院とは一切の通信を絶ち、院は定家の冷淡さを詠った。呪詛と言ってもよい。


 そこで、表立って表明することのできない後鳥羽院への鎮魂の思いを、定家はこの百首に留めたー


 このことを証明するために、織田さんは傍証を重ね、精緻に論を進める。ほんの一例を挙げると、『新古今集』をはじめとする通常の歌集に多く詠まれている花を咲かせる植物が、百人一首には梅一首と菊一首しかない。実は後鳥羽院はことのほか菊の花を好み、衣服、車、太刀を菊の紋で飾り、以来皇室の「菊花のご紋章」の起源ともなった。

つまり菊の花は、院の象徴である(梅の花は、式子内親王の象徴)。百首中の菊の歌「心あてに折らばや折らむはつ霜の置きまどはせる白菊の花」(凡河内躬恒)には、「隠岐」という音まで含まれている。


 自選歌「来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ」も、百首中十三首もの歌に登場する「風」や「あらし」の歌の最後として、隠岐から京に向かって吹く北西風に乗せた上皇の呪詛を鎮めようとする「凪」の歌だという。


 毎年この時期に、上質なミステリーのような織田さんの本を行きつ戻りつしながら楽しんでいる。それにしても、刊本もコンピュータもない時代に、膨大な過去の和歌のデータから百首のつづれ織りを完成させた定家の頭の中はいったいどうなっているのだろう。

 

=次回は令和5年3月10日付(第2金曜日掲載)=
  ・・・・・・・・・・・・・・・
かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

 

メモ ピーター・J・マクミラン著『英語で読む百人一首』(文春文庫・2017年)は新訳。

織田正吉著『絢爛たる暗号―百人一首の謎を解くー』(集英社文庫・昭和61年)は絶版で、古本でもかなりの値段だが、同じ著者の『百人一首の謎』(講談社現代新書・1989年)は、同じく絶版だが、まだ古本で安く買えるようだ。

文中の和歌の表記は『田辺聖子の小倉百人一首』(角川文庫・平成三年)にならった。

 

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