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2023年1月21日 (土)

島田修三著「昭和遠近 短歌でたどる戦後の昭和」

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歌人の小島ゆかりさんの毎日新聞の書評を読んで、啓林堂書店でとりよせて読みました。風媒社発行。1500円+税。

多くの作者の短歌を取り上げて、その時代の思い出を、多くの話題で語られます。

著者の島田修三さんは昭和25年東京都大田区の生まれで、早稲田大学大学院を出られた歌人です。

忘れていたことを、そんなことがあったね、といろいろ思い出させてくれました。

すばらしい短歌の力も感じます。

目次より。

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歌人の小島ゆかりさんの毎日新聞の書評を引用させて頂きます。

「戦後を生きた 戦争の時代の影
 副題は「短歌でたどる戦後の昭和」。

著者は昭和25年生まれ。上代日本文学の専門家であり大学の学長であり、著名な歌人でもある。
 まずはその著者の歌。

・経木(きゃうぎ)もて包みてくれしコロッケのぬくときを提げ昭和少年 『東洋の秋』

 「経木」は、杉や檜(ひのき)などの樹皮を薄く剥いだ包装材。精肉店へのお使いの場面の回想である。昭和三十年代を背景とする、貧しげだが素朴な情感や生活感を感じとっていただければ、と言う。
 近所へのお使いや鰹節(かつおぶし)削りや、よく家の手伝いをしたことをわたしも思い出す。

 「私は誕生から三十代後半まで戦後の昭和という異様に長い時代を生きた。当然、掲出歌のような昭和の匂う歌を詠んで来たし、人の歌でもその種の作品にはおのずから関心が行く。ある世代以下には昭和はすでに遠い過去だろうが、現在の問題に直結する、つい昨日のようなシーンも歌は鮮明にとらえている。本稿は、主として私の生きた戦後における、昭和という時代の遠景、近景を歌から覗(のぞ)いてみようという趣向で筆を執った」(「昭和万葉集」)

 著者は幼少年期を東京・大田区の町で暮らし、まだ戦災跡の残る風景が、東京オリンピックを境に小ギレイな風景に変貌してゆくのをつぶさに見たという。
 変貌してゆく戦後の昭和を題材、背景とした短歌を幅広く集め、自身がほぼリアルタイムで体験、見聞した昭和固有の事物や生活文化、風俗、出来事に触れた作品を紹介し、当時へと思いを遡(さかのぼ)る。

 古き時代をなつかしむなどという感慨をはるかに超えて、時代と個人の生きる姿をくっきりと客観的に浮かび上がらせる。行間には、著者の人間の魅力も滲(にじ)む。読み進むうちに、変貌する時代のなかで失われたものと獲得したもの、そして変貌の末にある現在が照らし出される。

・校門の前にあやしき人ありぬたとへばひよこを売りゐしをぢさん 菅野節子『鉛筆』

・東京タワー見ればうれしも世界一高かりしこともありしタワーぞ 松崎健一郎『家族物語』

・くりかへしくり返し聴くなつかしき「イムジン河」はわれの十代 喜多弘樹『さびしき蛞蝓(なめくじ)』

・フランシーヌのようにひとりであるけれどさらにひとりになりたくて なつ 村木道彦『天唇(てんしん)』

 巻末には大正15年生まれ(つまり昭和と同い年)の歌人の連作「悼 昭和六十四年一月七日 昭和を送る」から作品が紹介されている。

・身を弾丸(たま)となして死にけり会う筈(はず)の夫も死にけむ 昭和を悼む 山本かね子『野草讃歌(さんか)』

 「長い戦後を、山本は働きながら老母を養い、独身を通した。(中略)身を弾丸さながらに投げ出して戦死をとげた青年たち、彼らの中に自分と『会う筈の夫』もいたのだろう、と遠い日の叶(かな)わなかった憧れを老い初(ぞ)めた歌人は歌うのである。/山本は私の父母とほとんど同世代。
つまり私は、戦争とともに生き、果ては国家から理不尽な献身や犠牲を強いられた『昭和の子』らの息子なのである。その重たい意味を本稿執筆中に私はしばしば嚙(か)みしめざるを得なかった。過ぎ去った昭和への思いは尽きない」

 いつまでも、机上から去らない一冊になった。(歌人)

 

 

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