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2022年9月16日 (金)

【奈良女子大学附属中等教育学校】華麗なる卒業生人脈!ダイヤモンドオンラインより

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【奈良女子大学附属中等教育学校】華麗なる卒業生人脈!直木賞作家の今村翔吾、元京大総長の松本紘、笑い飯の西田幸治…
猪熊建夫:フリージャーナリストさんの記事が載っていましたと同窓のMさんから

教えていただきましたので紹介させていただきます。


キャリア・スキル日本を動かす名門高校人脈

特集
  ダイヤモンドオンライン

今村は1984年6月生まれ。奈良女子大附属中等教育学校―関西大文学部卒。家業のダンスインストラクターや作曲家などを経て、16年に小説家デビューした。 直木賞の受賞記者会見では、待機させていた人力車で会見場に姿を現した。また、街の本屋を残したいという思いで、廃業の危機にあった書店の経営を引き受けた。 全国の書店や学校などを、特別に仕立てたワゴン車で回りながら、サイン会を続けた。その一方、タレント事務所に属し、クイズ番組やコメンテーターとしてテレビや新聞に頻繁に登場している。従来の直木賞作家には見られない型破りの行動で、親しまれている。
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 文芸では、ノンフィクションライターの井上理津子がOGだ。11年に出版した『さいごの色街 飛田』は、12年間も取材を重ねた労作だった。15年に出版した『葬送の仕事師たち』も評価が高かった。タウン誌の記者をした後、フリーのライターになった。

 小説家の森見登美彦はファンタジーやSFを得意とし、独特の「森見ワールド」を醸し出している。『夜は短し歩けよ乙女』で07年に山本周五郎賞を受賞し、19年には『熱帯』が、3回目の直木賞候補作となった。京大大学院農学研究科修士課程修了だ。 

白乃雪は、ドイツ・バイエルン在住の漫画家だ。

校風は「自由、自主、自立」

活発な生徒会活動
 女子学生だけの国立大は、奈良女子大とお茶の水女子大(東京)の二つしかない。お茶の水女子大の附属中学は男女共学で、高校は国立で唯一の女子のみだ。一方、奈良女附属は男女半々の共学だ。

 ルーツは戦前の奈良女子高等師範学校附属高等女学校にさかのぼることができる。校歴110年を超える伝統校だ。 戦後の学制改革や新制大学の発足などで何度も校名は変わったが、2000年に奈良女子大文学部附属中学校・高校から文学部附属中等教育学校になり、04年に文学部が取れて奈良女子大附属中等教育学校になった。

 1学年は定員が120人と少ないが、その割に校地は広く野球とサッカーが同時にできるグランドを備えている。体育館も二つあり、恵まれた環境だ。時折奈良公園に住む鹿が迷い込み、校庭の草をはんでいる。

 校風は「自由、自主、自立」で、その精神は戦前から受け継がれている。
 教科指導から生活指導のあらゆる教育の場面において、「考える、討論する、表現する」活動が組み込まれているのが、特長だ。
 カリキュラムも、1年から6年までを3段階に分けて「2・2・2制」という独自の方式を取っている。
 奈良女子大との高大連携特別教育プログラムもある。奈良女子大の教員が講義にやってくるし、毎年度7人以内が特別選抜で奈良女子大に進学できる。奈良女子大を中心とした学生の教育実習も毎年度100人ほど受け入れている。

 文科省から05年度以降、SSH(スーパーサイエンスハイスクール)の指定を受け、自然科学リテラシーを育成することに力を注いでいる。
 06年度よりユネスコスクールに加盟し、異文化理解や環境教育にも熱心に取り組んでいる。フィリピン、タイ、韓国のユネスコスクールとパートナーシップを結び、多彩な国際交流事業もしている。

 校風を反映して生徒会活動が活発だ。70年安保の時には生徒が学校を占拠し、学園祭が延期になったこともあった。
 その後も、制服や頭髪などをめぐって生徒の運動が起きた。制服は廃止され、頭髪は4年生以上に限って染色や脱色の禁止条項が撤廃された。

 大学進学では、第一志望を貫徹するために4分の1の生徒が浪人する。
 22年春の大学入試合格実績(22年4月入学)は現役・浪人合わせ京都大7人、大阪大5人、神戸大4人、奈良女子大9人だった。北海道大、東北大には各2人だった。
 私立大には延べ人数で、早稲田大5人、慶応大3人、同志社大36人、関西学院大26人だった。

学者・研究者として
活躍する卒業生たち
 学者・研究者の道を歩む者が多い。
 卒業生で最も著名な学者は、社会経済学、国際文明論の佐伯啓思(けいし)であろう。新聞各紙や論壇誌に登場する機会がすこぶる多く、当代一の売れっ子になっている。「保守主義」「ケインズ主義」の立場から、論評している。
 東京大経済学部に進学し、京大教授を15年3月で定年退官し、京大こころの未来研究センター特任教授に就いた。

 宇宙物理学が専門で、地球磁気圏・宇宙圏のプラズマなどについて研究している松本紘(ひろし)は、08年10月から6年間、京大総長を務めた。15年4月から22年3月まで、理化学研究所理事長に就いた。
 京大総長時の12年12月には京大教授(のちに京大iPS細胞研究所長)の山中伸弥(大阪教育大学附属高校天王寺校舎卒)のノーベル医学生理学賞の受賞に立ち会った。また、全国各地で頻繁に講演を行い、京大のブランド向上に精力的に取り組んだ。

 理系では、建築学・環境デザイン学の東樋口護、電気化学者で熊本大学長を務めた谷口功、禁煙など予防医療の研究・実践をしている高橋裕子らがOB・OGだ。

 上田樹は5年生だった15年、第12回高校生科学技術チャレンジで、「白黒フィルム写真のカラー化」の研究で、文部科学大臣賞を受賞した。カメラが大好きで、学校のクラブ活動「サイエンス研究会」で取り組んだ研究が評価された。

 英国近代史の川北稔、労働経済学が専門で埼玉大学長を務めた上井喜彦、刑法学者で京大教授を務めた中森喜彦、フランス語系アフリカ文学研究者の砂野幸稔(ゆきとし)がOBだ。

 金融経済学が専門の川北英隆は、京大経済学部を卒業後に日本生命保険に入社し取締役になった。その後京大教授になり、現在は京大大学院特任教授だ。

 中室牧子は日本銀行、世界銀行出身の気鋭の教育経済学者だ。慶応大に進学後、米コロンビア大に留学、現在は慶応大教授だ。『「学力」の経済学』(15年、ディスカバー・トゥエンティワン)が、発行部数累計30万部のベストセラーになった。メディアに登場する機会も多い。

 奈良は古代史研究の最適地だ。奈良文化財研究所都城発掘調査部史料研究室長の山本崇は、藤原京・平城京の木簡について研究している。

 井川スミス史子は、カナダの考古学者・文化人類学者だ。カナダ日本学会会長を務めた。

企業経営者や
官僚も多数

 企業経営者では、秋山咲恵がロボット技術を用いた電子部品の自動外観検査装置を開発し、海外に輸出するベンチャー企業「サキコーポレーション」(東京・品川区)の創業社長だ。 秋山は、京大法学部卒後にアンダーセン・コンサルティング(現アクセンチュア)に入社した。業績不振により18年にはサキ社の社長を退任しファウンダーに就いたが、その後、政府審議会の委員などを歴任してきた。 女性起業家としての知見が期待され、社外取締役候補として大手企業から声を掛けられる場面が多い。現在は、ソニーグループ、三菱商事、日本郵政、オリックスの4社の社外取締役を兼任している。1962年生まれだ。

 近畿日本鉄道社長の山口昌紀(まさのり)がいた。社長時代、子会社のプロ野球球団・大阪近鉄バファローズをオリックスに売却した。
 
 奈良市で「器まつもり」を経営(まつもり社長)している松森重博は、奈良市中心市街地活性化研究会の会長を務めている。奈良女附属の同窓会・柳汀会会長でもある。

 官僚として活躍した卒業生も多い。

 竹内行夫は、京大卒後に外務省に入省し、駐インドネシア大使から事務次官に就いた。退官後の08年から4年9カ月、最高裁判事を務めた。
 荒井正吾は運輸官僚出身で、参院議員の後07年5月から奈良県知事だ。東大法学部卒。

 通産官僚の片山啓は、22年7月から原子力規制庁長官だ。京大経済学部卒。

 大蔵(財務)官僚出身の福田進は、主税局長、国税庁長官、内閣官房副長官補などを歴任した。東大法学部卒。

 福島県広野町といえば東日本大震災に伴う東京電力の原発事故の影響で復旧・復興が難航している。この町役場で3年余り勤務した尾田栄章(ひであき)は1941年生まれだから、70代の話だ。
 尾田は奈良女附属から京大に進み建設省のキャリア官僚になり、河川局長を務めて98年に退官した。退官後に河川環境保全のNPO法人を設立し代表をしていたが、13年4月から福島県の任期付き職員になり広野町に派遣された…という経歴を持つ。復興サポートに情熱を燃やした異色の官僚OBだ。

 森本哲夫は郵政事務次官を、総務官僚の岡本全勝は復興庁事務次官を務めた。

俳優の八嶋智人や
笑い飯の西田幸治も
 芸術では、彫刻やパブリックアートを得意とする環境造形作家の坂口紀代美がいる。校庭に100周年記念モニュメント『に至る』が設置されている。

 音楽で才能を開花した卒業生としては、ソプラノ歌手の山口佳恵子、マリンバ奏者の望月恵理子、ピアニストの宮本弘子と姫野真紀、バイオリン奏者の五十嵐由紀子、シンガー・ソングライター・ピアニストの氷置晋らがいる。
 水谷川忠俊は、作曲家・雅楽研究家だ。後陽成天皇の男系十三世末裔で、奈良華族の一員だ。

 芸能では、文学座出身の演出家・鵜山仁がいる。新国立劇場の演劇芸術監督を務めた。読売演劇大賞・毎日芸術賞などを何度も受賞している。
 演出家・俳優の松村武と、俳優・司会者の八嶋智人(のりと)は同級生だ。早大の演劇サークルを母体に劇団「カムカムミニキーナ」を旗揚げした。
 八嶋は、「トリビアの泉」の司会などで人気を得て、俳優業の傍らバラエティータレントのポジションも獲得した。テレビドラマ、映画、ドキュメンタリーなど、今や引っ張りだこのタレントだ。日大文理学部卒。

 俳優の西田幸治は、お笑いコンビ「笑い飯」の一人だ。相方は、やはり同郷の哲夫(奈良県立奈良高校卒)だ。

 映画監督・テレビディレクターの津島勝もOBだった。

 吉田小江子(さえこ)は、元フリーアナウンサー・元グラビアアイドルだ。京大卒後に鹿児島大医学部に編入し卒業、現在は奈良県で勤務医(呼吸器内科医)をしている。

 奈良大仏で象徴される東大寺といえば、8世紀に聖武天皇が建立した華厳宗大本山の寺院だ。ユネスコの世界遺産に登録されている。
 その最高位・別当(住職)に、卒業生が連続して就いている。第217代(01~04年)の橋本聖圓と、218代(04~07年)の森本公誠だ。2人とも京大大学院博士課程で学んだ。橋本は日本美術史を、森本はエジプトのカイロ大学にも留学し、イスラム学を研究した。
 橋本の実家は大仏殿のすぐ西側にあった。森本は高校1年の夏休みに得度(入門)した。現在は2人とも東大寺長老だ。

 村上定運(85年生まれ)は、12歳で実家の薬師寺で得度した僧侶(録事)だ。早稲田大文学部で東洋哲学を専攻、薬師寺を訪れる修学旅行生や観光客に説法・ガイドをしてきた。
 16年には、一人前の僧侶になる薬師寺の口頭試問に合格、いずれ薬師寺の管主になる下地が整った。19年からは、東関東別院潮音寺(茨城県潮来市)の副住職だ。(敬称略)
(フリージャーナリスト 猪熊建夫)
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コメント

1973年附高(奈良県内での通称)卒です。11月の同窓会の日にちを同窓生メーリングリストで探すためにインターネット検索したら、たまたま貴殿のブログを見つけて読まさせていただきました。
私の学年は1988年以降20年間以上同窓会が開催されなかった特異な学年で、メーリングリストもうっとしいほど教養が披露されており私はあまり読んでいません。しかし陸上部のOBOG会でお付き合いする限り、自由闊達な諸先輩が多く、それが本来の校風のような気がします。2019年に母校で同窓会が開かれた時、幹事をした関係で現役の教員の方と何度も接触しましたが、卒業生有名人記録など学校に存在しないと推測されるぐらい、荒井前奈良県知事の話題も何もまったく話題になりませんでした。貴殿がどうやって有名人の卒業生を調べられたか興味がわくぐらいです。やはり同窓会連合組織に資料があるのでしょうか。今度の同窓会で連合会の委員に聞いてみます。  以上

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