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写真家の井上博道さんの記念館が6月28日オープンされましたので早速訪ねてきました。
学園前の中登美ヶ丘、ならやま大通りに面した閑静な場所にある広いご自宅を改装されてオープンされました。
庭を通って、ギャラリーへ。
奥様の井上千鶴さんに写真撮影OKもらいましたので、スナップです。(画像をクリックすると拡大します)
亡くなられてもう10年とか。井上博道さんのお別れの会2013年1月20日のページ⇒http://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-dc1f.html
14万枚ある写真やネガの整理に7年もかかったそうです。
焼き付けられたばかりの写真はとてもみずみずしく、撮ったばかりのように見受けられます。
2階の書斎にも案内されました。
2階から見たギャラリー。正面の写真は東大寺大佛様の頭の上からの大きな写真です。
書斎の机。
井上博道先生。
4Kといわれていましたが、奈良のあちこちの素晴らしい写真がつぎつぎとスライド上映されましたので、しばらくソファに座って釘付けになりました。
愛用されていた重厚なカメラの数々も展示されていました。「寫眞至上主義 博道組」の力強い看板。
そして1階のティールーム(ランチもありました)でお茶を頂き、社長でお嬢さんの林田千華さんともご一緒にお話しできました。
素晴らしい記念館だと思います。つぎつぎ企画を準備されているようで楽しみです。ありがとうございました。
井上博道記念館のホームページです⇒https://www.asa-ban.com/contents/him
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毎日新聞奈良版 2022.6.28
7月1日から、もちいどの弁天市がひらかれます。
<イベント期間>
2022年7月1日(金)~2022年7月10日(日)
<イベント>
〇開運「おみくじ」&心願成就!絵馬に願いを
[7月1日(金)~2021年7月10日(日)]
・ 会員店舗500円以上お買い上げで1枚(一回の買い物で1枚のみ)進呈
・ おみくじをめくって出た文言によって当たり
大吉…2,000円お買物券/中吉…1,000円お買物券/小吉…500円お買物券/吉…残念
・めくった紙のもう一方が絵馬、そこに願い事を書いて指定場所(OKest横通路を予定)に貼って心願成就を祈る。
〇こども縁日…7月2日(土)・9日(土)の計2日間実施
・場所はセンター街OK広場前
・スーパーボールすくい・輪投げ等
・お楽しみ券並びに現金対応を予定
〇謎解きゲーム
[7月2日(土)・3日(日)、7月9日(土)・10日(日)]
・ 謎解きキット(回答シート)を800円で販売
・ 商店街各所に掲示するパズルやヒントを基に謎を解いてまわる
・ 見事解き終えた方には上記「開運おみくじ」を進呈
・ 謎解き問題制作団体「TokiTama」が昨年に続いて制作
昨年、老いも若きも夢中になった「餅飯殿謎解き探偵団」がパワーアップして帰ってきます
今年は奈良のご当地アイドル「CuteRobin」のトラブルを皆の知恵と閃きで解決するというもの…
さて、あなたは見事解き明かすことができるかな?
奈良の高札場のある橋本町自治会の皆さんと、ランチ会に行ってきました。若草山頂上へのドライブウエイー沿いの、もとホテル平城、2年ほど前に新しい会社によるリニューアルが行われて、ANDOホテルと言います。送迎バスに乗り、少し旅行気分で10分ほどで到着。
何しろ眺めが素晴らしいホテルです。内装もすばらしくリニューアルされていました。
コース料理のまずは前菜プレート。アジサイがきれいです。あとはお話とお食事とお酒で、写真はありません。なかなか美味しいコース料理でした。ホテルのホームページです⇒https://andohotelnara.com/
食事の前後に、良い景色を撮りました。
興福寺五重塔に奈良県庁も見えました。
奈良市内、宿泊施設が不足気味でしたが、ここ2年ほどでずいぶん新しい宿泊施設が出来ました。コロナもおさまりいよいよこれからだと思います。大いに期待したいと思います。
世の中がコロナ禍を抜け出そうとしているのでは、ということで業界の会合・展示会も2年ぶりに名古屋でひらかれました。時間の余裕もあったので、近鉄奈良駅⇒西大寺⇒大和八木⇒名古屋へ。
最近、近鉄特急のいろいろな新しい車両が話題です。「ひのとり」の先頭車両にうまく予約できました。
八木に到着の「ひのとり」です。
先頭車両(プレミアム)は、満席でしたが、1人席でゆっくりと、大和路から伊勢路をすごしました。途中停車は津駅のみ。
名古屋到着。八木から97分。時間で行くと奈良から京都経由、新幹線が速いのですが、ゆっくりとした旅気分を味わうことが出来ました。
プラス乗車券。
(追記)
名古屋での総会でもらった感謝状。記念にアップしておきます。
理事34年、うち理事長10年と。歳月は早い。
2月の実施予定が、コロナ禍でやむを得ず延期された、奈良のバルが実施されました。
24日は初日、久しぶりの友人と待ち合わせて、お店をはしごしました。
話しとお酒と料理で盛り上がりました。
長い間、皆、我慢していたことがよくわかります。
25日(土曜日)も2日目が続きます。
ホームページをご覧ください。⇒https://www.naracity-bar.info/
【始まりました「あるくん奈良まちなかバル」明日25日まで】
24日12時から、25日24時まで、60店舗余りの飲食店で、お得なバルチケットが使えます。
チケット1枚で1ドリンク&つまみ一品(2枚メニューの店もあります)のチケット、前売り(5枚3500円)は終了(ネット予約分除く)ですが、当日券(5枚4000円、バラは800円)は、特設インフォメーション(東向商店街事務所前)や参加飲食店で購入できます。
今回、夜の営業を早めに終了するお店も多いようです。マップをよく見て、またバルのツイッター情報など(バルマップにQRコードが掲載されてます)もしっかりフォローして楽しんでください。https://twitter.com/arukunara_bal
せっかく伊丹市に来ましたので、ウォークの解散後、阪急伊丹駅から歩いて7分くらいの、この4月にリニューアルされたという市立伊丹ミュージアムを訪ねました。(JR伊丹駅からも7分くらいとのことです)
伊丹市博物館から移ってこられたという、行基像を拝見しました。(2F常設歴史コーナーにて)
中庭の風景です。
石橋家住宅、庭の方から。
ミュージアムの外観です。
外から見た石橋家住宅と酒蔵。
公式サイトです⇒https://itami-im.jp/
ちょうどサンテレビのニュースを伊丹市役所の中畔明日香さんから紹介されました。(5分)
⇒https://news.yahoo.co.jp/articles/0166adf0249ae01512841a050ed9e7b54de3b1bf?fbclid=IwAR3j6icRPgNllrva_BohHGYT9cxTNUagHG00mqmUwYlpl51-e8aMUqzv9WM
そして以前、伊丹バルで来たことがある広場や商店街を通って、阪急伊丹駅へ。
帰りは、阪急伊丹駅から塚口乗り換え、大阪駅へ。
ほぼコロナ明けという感じで、人々が多数まちに繰り出されていました。
先日、伊丹市役所の中畔明日香さんから紹介いただきましたので、行基さんのゆかりの崑陽池から崑陽寺をガイドしていただくウォークに参加してきました。
行基像(伊丹市立ミュージアム)
行きはJR伊丹駅から市営バスで集合場所のスワンホールへ。
そして現在の崑陽池。かつてはもっと大きくて、現在の伊丹市役所あたりまでかつては池であったという。
今昔MAP情報をいただきました。左が明治時代とのことです。
ことしの冬はコウノトリも飛んできたということです。
上空からは日本列島の野鳥の島が見えるとのことです。そういえば飛行機からもよく見えるという話しを聞いたことがあります。
伊丹空港から近くて、この日は何機もの飛行機を見ました。
江戸時代(文化年間)の地図です。
そして9時半に崑陽池を出発。ガイドさん6人ほどの案内を各所で聞きながら歩きました。参加者は15名くらいでしょうか。
細い道を歩きましたが、かつての西国街道、京都から西宮への道、参勤交代もあったらしく本陣もあり、宿場町だったとのことです。
途中有間(有馬)への道とも交差していたとのことです。
天神社もありました。(東天神社にて)
曇り空でやや蒸し暑い日でしたが、2時間ほど西国街道などを歩きました。(続く)
奈良女子大学文学部附属中学高校(現在の奈良女子大学附属中等教育学校)の昭和41年卒業の先輩からの要請がありましたので紹介します。
昭和41年卒の辻村泰範師は2年前から西大寺の執事長に就任され多方面で改革などご活躍中とのことです。
今回、以下のような取り組みをされ、クラウドフンンディングをされています。
『巨大仏画』修復と謎解きに関するご支援のお願い
平素より西大寺護持のため、ご支援をいただき誠にありがとうございます。
この度、西大寺に伝わります巨大仏画の修復ならびに調査のため令和4年6月15日午前10時よりクラウドファンディングに挑戦する運びになりました。
今回、修復ならびに調査を実施いたします巨大仏画は、一辺7メートルにもなる大きな掛軸で、江戸時代から伝わるものの、これまで中身の確認ができずにおりましたが、痛みが生じていたため広げて確認してみたところ、「大日三尊像」と「五大尊像」の仏画であることが確認できました。
色鮮やかで非常に美しく、これだけの巨大な仏画が江戸時代に作られたというのは驚きのほかありません。
西大寺としてはその信仰を蘇生し、継承していく責務があると考えており、まずは仏画の修復と、未だ謎に包まれている製作、伝来の具体的な経緯について学術的な研究を進めてまいります。
しかしながら現状では寺院運営費も捻出が難しくなっている状況でございますので、今回、クラウドファンディングにて広くご支援を呼びかけ、修復および調査費用の一部を募らせていただくことを決意いたしました。
貴重な信仰、文化財を未来に継承することは重要な使命と考え、関係者一同最後まで尽力いたします。
なにとぞ、応援、ご支援を宜しくお願い申し上げます。
▼詳細・ご支援方法は下記からご覧いただけます。
https://readyfor.jp/projects/saidaiji_butsuga
(写真は奈良新聞、電子版より拝借)
(6月28日追記)
目標は突破したとのこと。おめでとうございます。引き続きの応援よろしくお願いしたいと思います。
こんにちは、READYFORです。
ご支援いただいた「西大寺|巨大掛軸「大日三尊像・五大尊像」の修復と謎解きにご
支援を!」について
募集期間内に目標金額を達成することができました。
よって、このプロジェクトは達成となります。
ご支援いただきありがとうございました。
今後の新着情報はこちらをご覧ください。
https://readyfor.jp/projects/saidaiji_butsuga/announcements?utm_campaign=suc
cess_notify_card&utm_medium=email&utm_source=systemmail&utm_term=announcemen
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京都国立近代美術館の真向かいにある京セラ京都市立美術館では、いま、ポンペイ展が好評ですので、続いて見て来ました。
展覧会のはしごはあまりしないのですが、真向かいにありますので、これがチャンスと行きましたところ、当日チケットをうまく買うことが出来ました。(2000円)イタリア旅行でもナポリのオプショナルツァーは行ってませんので、良い機会でした。
以前は、この美術館の玄関まで見学したことがあるのですが、改装後に中に入るのは初めてのことです。
中に入るとこちらもたいへんな人が入っておられました。こちらではフラッシュを使わなければ、ほとんど撮影可ということで、多くの人が写真を撮っておられました。
床面にもモザイク画の模造品が貼り付けられていました。
公式サイトです⇒https://kyotocity-kyocera.museum/exhibition/20220421-20220703
先日の奈良新聞の川嶌一穂さんの美ビット見て歩き(当ブログhttp://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2022/06/post-090083.html)を読んで、京都国立近代美術館で開催中の、鏑木清方展を見ることが出来ました。
明治から昭和の初め頃の美人画は良いですね。
平日の朝ながら、たくさんの人が来られていました。
7月10日まで。
写真には人が少ないように写りましたが、看板前の記念撮影を順番待ちでようやく撮りました。
令和4(2022)年は、上村松園と並び称された美人画家として定評のある鏑木清方(1878-1972)の没後50年目にあたります。本展は、それを記念して約109件の日本画作品で構成する清方の大規模な回顧展で、当館では初めて、京都でもこの規模の回顧展は実に45年ぶりの開催となります。
江戸の面影を色濃く残した東京に生まれた、生粋の明治東京人たる清方は、その生涯にわたり、江戸や東京にまつわる作品を多く残しました。その中の代表的な作品が、長らく行方が分からなくなっていて、平成30(2018)年漸くすがたを現わした《築地明石町》です。本作品は、清方の代表作というだけでなく、近代日本画壇の美人画の最高峰に位置付けられてもいます。同時に現われた《浜町河岸》《新富町》とあわせて東京国立近代美術館の所蔵となったことから、同一法人内の美術館である当館でも三部作の全会期展示が実現!また、江戸・東京の風俗画だけではなく、戯作者であり、毎日新聞の前身にあたる東京日日新聞の創刊に関わった父・條野採菊の影響により幼い頃より親しんだ文学、芝居、歌舞伎、落語に取材した作品でも知られる清方の、《一葉》《野崎村》も会期中ずっとご覧いただけます。美人画だけではない清方の全貌を、ご堪能ください。
ホームページです⇒https://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2022/448.html
写真家の井上博道記念館が6月28日、奈良市学園前、中登美ヶ丘にオープンするとの案内をいただきました。
ギャラリーの開館は11時から17時。
休館日は、毎週月曜日、火曜日。年末年始とのことです。
カフェショップも同時間、開かれるとのこと。11時30分から14時30分までダイニングもあるということです。
入館料は無料。
ホームページの案内です⇒http://www.asa-ban.com/contents/
井上博道
昭和6年 兵庫県の日本海側、蟹で有名な香住の禅寺の長男として生まれました。
海と山の間に位置する所で自然と文化の織りなす美しい日本の風景、芸術を表現するようになりました。
以来81歳で他界する迄、60年間カメラと共に生きて参りました。
何処へ行く時も何を見ても、何時も写真一途の人でした。
多くの人々に愛され自身も人、動物、花、昆虫、鳥、生きる物全てを慈しむ人でした。
ただ、被写体を定め、レンズを向けるその時は、別人のように厳しい眼差しであった事も思い出されます。
司馬遼太郎氏を兄のように慕い産経新聞社の写真部で社会を見、大阪芸術大写真学科で教壇に立ち、
定年を待たずに自由な創作活動を始めました。
ライフワークの日本の伝統美と四季の織りなす風景を独自の感性で表現することに注力しました。
2012年10月5日 トンネルの映像を撮っている中、倒れました。
本人はもう居ませんが、5万点以上ものフィルムを残しました。
お元気だった頃、奥様とご一緒におられ、会合などでご一緒でした。
幡井上企画を立ち上げられた頃、「幡」を高く掲げて進んでいかないとね、とおっしゃっていた言葉が印象に残ります。
万葉集の写真集、奈良のあちこちの写真集、司馬遼太郎氏とともに出された初期の写真集など貴重です。
記念館では企画展がひらかれていかれるご様子、楽しみにしております。
先日NPO法人 奈良まほろばソムリエの会の総会が無事終了しました。そのあと、講演「祈祷からワクチンへ~疾病との長ーい歴史を振り返る~」がありました。
講師は奈良まほろばソムリエの会の会員である、薬剤師である西慶子さん。
勤め先では西洋の薬だけでなく漢方の薬もだされるとのこと。
日本書紀に最初の疫病記録が、崇神天皇5年にでてくるが、疫病は神のたたりと恐れられた。
飛鳥時代を経て、聖武天皇の時、天然痘が大流行した。民の4分の1から3分の1が亡くなった。
古代の医療制度。薬もあった。
澤田瞳子さんの小説「火定」にもフィクションであるが天然痘の薬の発見の場面もあった。
正倉院の薬。東大寺修二会のときのお札の墨の中に薬が含まれている。
現在残る、お祭りなどにも先人の知恵が残されている。
日本に伝わる古くからの漢方も明治に衰退の時期があり、戦後、ようやく学会ができ、保険の適用も受けられるようになった。漢方は、自分のからだ自身を強くするという考え方。
コロナウィルスへのワクチンは、他の病気への対応ということで準備されいたmRNAワクチンがうまく使われたといえる。
まだ幸運な時代にわれわれは生きているといえる。
1時間にわたるお話でしたが、わかりやすくお話いただけました。講師の西慶子さんありがとうございました。
毎月、奈良新聞で楽しみにしている川嶌一穂さんの美ビット見て歩きは、いま、京都国立近代美術館で開かれている、鏑木清方展です。京都では45年ぶり、没後50年ということです。美人画で有名です。この機会にぜひいきたいものです。7月10日まで。
展覧会のホームページです⇒https://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2022/448.html
美ビット見て歩き 私の美術ノート *106 川嶌一穂
京都国立近代美術館「没後50年鏑木清方展」
写真 京都展に先立って開催された東京国立近代美術館での「鏑木清方展」入り口にて(著者撮影)
齢とともに集中力と持続力が衰えて、最近は展覧会も、会場に入ってまず出口まで歩き、どこに何ががあるかを大まかに把握してから、見たい作品まで戻って見て行くことが多い。
先月、京都展に先立って開催された東京展を訪れた時もそうしたのだが、正解だった。一作一作じっくり拝見したい絵が、百点近くも集まっていたのだ。はじめて見る作品も多く、最初から順番に全部を詳しく見るだけの体力はなかっただろう。
今回一番のお目当は『築地明石町』。何とこの鏑木清方(かぶらき・きよかた。明治十一年<1878>〜昭和四十七年<1972>)畢生の名作は、二度も行方不明になったという。戦後の十年間と、そして昭和五十年(1975)からの四十四年間。知らなかった!私は学生時代に東京で見て、ひと目で魅せられていたので、前回から少なくとも四十年以上の歳月が流れたことになる。
若い頃好きだった絵に再会して、昔ほど感激しないこともあるが、本作は別格で、ますます輝きを増して迫ってきた。
日本人には珍しい長身の女性のすっきりとした立ち姿。古風でいてモダンなヘアスタイルの、美しく、勝気そうな女性が、ニュアンスのある水浅葱(みずあさぎ)色の小紋を着ている。羽織の黒と、口紅と、わずかに覗く羽織の裏地と下駄の鼻緒の紅色が全体を引き締めている。関西の「はんなり」とはまた違う、思い切りのいい江戸の粋が匂い立つ。
清方自身はこの絵を「肌さむい秋、あるかなきかの船影、うらがれた朝顔、夜会結びの人の立姿(『紫陽花舎随筆』講談社文芸文庫)と記している。築地界隈でも明石町は外国人居留地で、異国情緒あふれる街だった。画面右下の朝顔の絡む柵も、異人館の広い庭を囲むペンキ塗りの柵だという。作者は大好きだったハイカラなこの街に主人公を立たせた。
しかしこの絵が描かれた昭和二年(1927)に、もうその面影はなかった。四年前の関東大震災で、自宅の被災は免れたものの、出世作数点が失われる。何よりも幼い頃から暮らした下町全体が壊滅的な被害を受けた。加えて、大震災の二年前に祖母を、大震災の三年後に母を亡くしている。
本作は、昭和五年(1930)に描かれた『新富町』、『浜町河岸』と合わせて三部作と考えられ、表装も統一されているが、それが清方の発案だったかどうかは不明である(展覧会『図録』解説)。
『浜町河岸』では、清方が明治末に住んだ日本橋の浜町風景を背景に、踊りの稽古帰りの町娘が描かれる。画中の火の見櫓も大震災で消滅した。
『新富町』では、東京一の劇場と言われながら、これも大震災で廃座となった新富座を背景に、蛇の目傘をさした新富芸者が描かれた。飛び切りの美人と、そのとんでもなくお洒落な着物に目を奪われるが、三作とも絵のタイトルは地名である。当時すでに失われた明治の街の、失われた明治の暮らしが描かれたのだ。確実に一つの時代が終わった。
考えてみれば、私もその一員である団塊の世代の親たち、つまり大正末年から昭和はじめに生まれた世代が、かろうじて清方の愛した明治という時代の片鱗を、暮らしの中で体験した最後ではないだろうか。
会場で、また帰宅後に図録を見ながら、つい亡くなった父母のことを思い出した。結婚式に自分の髪で高島田を結った母、昭和の三十年代まで普段着に着物を着ていた割烹着姿の母、帰宅すると祖父の形見の着物に着替えていた父が帯を締めるきゅっきゅという音。お正月やひな祭りなどの行事を欠かさなかった暮らし。懐かしくてたまらない。
清方はまた随筆の名手でもある。昔求めた『随筆集』(岩波文庫)を、たまに本棚から取り出して見ることもあったのに、今回はじめて知ったのだが、清方の父は幕末の戯作者で、明治初年に「やまと新聞」(現・毎日新聞)を経営した條野採菊(1832〜1902)である。
幼いころから文学や芝居が身近にある環境に育ったことが、清方に『三遊亭円朝像(重要文化財)』、『慶喜恭順』、『小説家と挿絵画家』など、人物造型の確かな肖像画を描かせたのだろう。
今回は東京展を拝見しただけで、京都展は未見だが、美術館のホームページによれば、東京展には出なかった三部作の下絵や、長女をモデルにしたと思われる『水汲(みずくみ)』も出るようで、楽しみだ。
館内のカフェで、疎水を眺めながらお茶を飲むこともできる。雨の晴れ間にぜひお出かけください。さまざまの事思い出す一日になるでしょう。
=次回は7月8日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。
メモ
京都国立近代美術館(岡崎公園内) 京都市左京区岡崎円勝寺町26−1。電話075(761)4111。近鉄京都線「竹田駅」で京都市営地下鉄に乗り換え、「烏丸御池駅」下車。同駅で京都市営地下鉄東西線に乗り換え、「東山駅」下車。地上へ出て、少し東に歩くと疎水があるので、その手前で左折し、疎水沿いの道をゆっくり歩いて10分。会期は、7月10日(日)まで。月曜日休館。会期中に一部展示替えあり。https://www.momak.go.jp
猿沢池の南西あたり、小さな橋を渡って南へ桜井まで続く、上街道、上ツ道(かみつみち)があります。
日頃あまりに日常の範囲なので気に留めていませんでした。
最近、
森下惠介先生の「伊勢旧街道を歩く」を読んだり、当ブログ、http://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2022/06/post-38c869.html
毎日新聞の「散歩日和」の連載などを読みました。当ブログ、http://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2022/05/post-fa4143.html
そこであまりに身近なところですが、写真を撮ってみました。
奈良町座の皆さんによる、今御門町の紹介。ならまちのあちこちで奈良町座(松山隆 座長)は町の名前の紹介をされていますので、あちこちでご覧ください。
水の流れがよくなるように、前後を船の先のようにかつて工事でつけられましたが、お地蔵さんが船に乗っているように見えますので
よく皆さん写真を撮られます。
常夜燈の年号も、日頃気にかけませんが、大正九年再建とのこと。100年あまり経っています。
めったに降りない率川(いさがわ)に降りてみました。水がいまは流れていませんでした。
この橋の名前は、とくに知りませんでしたが、新聞によれば、椿井町の嶋屋嘉(兵衛)が施主ということで、嶋嘉橋とのこと、初耳でした。
明和七年と彫られています。西暦で言えば1770年とのこと。250年も経っています。日頃、自動車も通っている橋です。
いろいろ身近なところに発見があるものです。
興味深く読んでいた興福寺周辺の最終回です。以下は毎日新聞有料電子版より。
奈良凸凹編 興福寺周辺/5(奈良市) 歴史の起伏とともに
毎日新聞 2022/6/3 大阪夕刊 有料記事 1685文字
近鉄奈良駅から周辺をウロウロして、ついに興福寺へ。猿沢池の東端の石段を上る。鹿たちがたむろしている。率(いさ)川が浸食した斜面にある石段を上ると南大門跡だ。
復元された基壇の前に広場がある。春日大社と興福寺を一幅に描いた室町時代の「春日社寺曼荼羅(まんだら)」にも、南大門の前に広場がある。
「薪能は興福寺が元祖で、昔から今に至るまで、この広場で薪能が行われています」と梅林秀行さん。その始まりは平安時代の869年と伝わる。また、裁判や行政処理もここで執り行われていたという。「門前の広場が芸能の場であり、司法や政治の場でもあった。中近世の宗教都市・奈良の中心です」
基壇から南を見下ろす。猿沢池がなぜ、この場所に造られたか、わかる気がする。天子南面。南の美観は大事だったのだ。「政治的な風景もありました。重要な人物は基壇に座ってますから」。えらい人は高い所から世を見下ろすわけだ。
ここまで歩いてきて、奈良が意外に凸凹(でこぼこ)してるのがわかった。興福寺の建つ断層、元林院(がんりいん)町のある谷……。南大門跡から興福寺を眺めると、平地だ。「従来は、藤原氏が一等地に建てたといわれてたんです……」と梅林さんが言葉を切る。
大化の改新でおなじみの藤原鎌足を祖とし、息子・不比等が天皇の外戚としての足場を固め、栄耀(えいよう)栄華を誇った藤原氏。興福寺は平城京に都を移した710年、不比等がこの地に建てた氏寺だ。
「ところが1990~2000年代の発掘調査で、谷を埋め、山を削って地形を変えていたことがわかったんです。センセーショナルでしたねえ」
正面に見える中金堂は2018年に再建された。焼失を繰り返し、7度も再建されたにもかかわらず、基壇は創建当初の形が踏襲されていたことがわかっている。「その基壇は、盛り土ではなく削り出しだったんです」。ということは、この土地はもっと高かったのだ。地形の大改変を行ってまで、ここに興福寺を建てたかったのだ、この時代を差配した権力者・藤原不比等は。
境内を横切って、北西の北円堂へやって来た。ここは東向商店街から上がる、きつい坂の上に当たる。八角形の北円堂は、不比等を弔うために建てられた。その南の西金堂(跡地)は、不比等の娘の光明皇后が、母の橘三千代を弔って建てた。
「つまり、西側一列は藤原氏ライン。対して東側は聖武天皇・光明皇后ラインなんです」。東側の東金堂は、聖武天皇が伯母にあたる前天皇・元正の病気快癒を願って建てた。五重塔は光明皇后の発願による。「東金堂、五重塔は焼けても焼けても再建される。聖武は仏教の祖師の一人ですから。ここは奈良時代の縮図ですね」
建物の配置から、時の権力者のパワーバランスが読み取れるのだ。その中にあって異質なのが、西側ラインの南に位置する南円堂だ。ほかにはない石灯籠(どうろう)や百度石があって、庶民仕様になっている。
先にも紹介したが、ここは庶民がこぞってお参りに訪れた。なぜか? 「観音がまつられていて、女性や被差別民らマイノリティーをも救ってくれた。そんな観音には、ふさわしい地形があるんです」。梅林さんが南円堂脇の石段を下り、南円堂の下に出る。見上げると、高台の上に建っているのがわかる。
「観音の聖地は岩山の上にあります。二月堂も京都の清水寺もそう」。そして、ここは猿沢池を見下ろせる。起伏ある奈良を象徴する地。
南円堂の西には三重塔がひっそりと建っている。鎌倉時代初期に建てられた、興福寺で最古の建物。崇徳天皇の后、皇嘉門院が建てた。「実にきれいな塔です。なぜ、この場所に建てたのか? 僕は、観音の隣だったからだと思いますね。そして穴門があり、その先には女性の町・元林院町がある。つながりますね」
奈良の凸凹は、平城京の権力から庶民、そして女性の信仰までつないでいるのだ。【松井宏員】=次回は東大寺<1>。17日掲載。
■人物略歴
梅林秀行(うめばやし・ひでゆき)さん
京都高低差崖会崖長。京都ノートルダム女子大非常勤講師。著書に「京都の凸凹を歩く1・2」(青幻舎)。
ずいぶん前になりますが、奈良大学の鎌田先生や学生たちが、菅笠とわらじ姿でよく伊勢詣りをされていたことがあります。
大阪から幟をたてた一行が伊勢詣りで奈良の三条通りを歩いておられたこともあります。
このほど、森下惠介先生が「伊勢旧街道を歩く」を上梓されました。東方出版。2545円+税、2800円。
早速買い求めました。
歩く道は国土地理院の地図に黒く線が引かれています。尼ヶ辻から橋本町あたりの地図です。(クリックすると拡大します)
かつてはこのあたりでよく宿をとられました。
昔の人が1日歩くのはおよそ10里(38キロくらい)、大阪から奈良がちょうどそのくらいとのことです。
橋本町御高札場は、1984年復元されました。ガイドのかたはよくこの前で説明をされますし、皆さんもよくご覧になっています。
左手前には、奈良県里程元標です。2010年復元。
東西南北の標柱への距離が書かれています。
この本のなかにも、標柱など写真や図でたくさん出てきます。
奈良県内で見かけたところもありますし、見たことのないところも写真で載っています。
この本を読んで実際に歩くのが一番だと思います。本を読んでいるだけでも、点が線になってつながっていきます。
著者の森下先生は健脚ですからたぶん実際に歩いて書かれたのでしょう。
電車が並行して走っているところが多いので、それぞれが選んで何回か分けて歩いて伊勢に行くのも良いのでしょう。
読むだけでも楽しい本です。
本の帯です。
ことしの奈良まほろばソムリエ検定で、奈良まほろばソムリエに合格された松原純さんと知り合いになりました。
松原さんは、多くの奈良の観光案内動画、お寺や神社、魅力的なスポットやホテルを紹介されています。
https://www.youtube.com/c/NaraConcierge/videos
奈良商工会議所の奈良検定のページにも紹介されています。
新型コロナウイルス感染症の影響により、奈良へ訪れることや観光地へ出かけることが難しい状況下ではございますが、奈良の観光地を紹介されている「Nara観光コンシェルジュ」(※)の松原純様より、奈良の観光案内動画のリンク許可いただきましたので、ご案内させていただきます。動画での奈良観光や受験勉強にご活用ください。
奈良観光コンシェルジュ JUN
ホーム:http://www.youtube.com/c/NaraConcierge
動画一覧:https://www.youtube.com/c/NaraConcierge/videos
※Nara観光コンシェルジュとは
年々増加する海外からの来県者への対応や、国内観光客に対してのおもてなし精神の向上が求められる中、奈良を訪れる観光客に対して、ガイドの高度な技量とおもてなしの精神を持ち合わせる方を選出・認定する「Nara観光コンシェルジュアワード」(英語ガイドの部、日本語ガイドの部)を実施し、優秀と認められた方を「Nara観光コンシェルジュ」として奈良商工会議所・奈良県が認定。奈良の魅力発信等のご活躍をいただいております。
このほど、奈良まほろばソムリエの会のホームページにもリンク先として紹介されました。
奈良まほろばソムリエの会の広報グループなどを通じて、多くの新しい知り合いが増えるのはありがたいことです。
「唐招提寺の諸堂のなかで、鑑真和上坐像(国宝)を奉安する御影堂(重文)。2016年から着工していた保存修理事業が満了し、和上の御命日を偲ぶ開山忌舎利会の時季にあわせて、6/5(日)に落慶法要が執り行われるはこびとなっています。
当日は一般の入堂は叶いませんが、前庭が無料開放され、屋外から堂内を拝観できるそうですよ。」とのことでしたので、5日あさから参拝してきました。
講堂
開山堂
御影堂前。
NHKニュースより。
僧侶の読み上げられる表白を聞きながら、焼香させていただきました。前庭もめったにはいれないところということです。
NHKのEテレでは12日、日曜美術館で放送とのことです。
「落慶 唐招提寺御影堂 〜鑑真和上と障壁画〜」
初回放送日: 2022年6月12日
6月5日、約1250年に及ぶ唐招提寺の歴史に新たな一頁が加わる。御影堂の7年に及ぶ修理が完成、落慶法要が行われるのだ。開祖・鑑真の命日の開山忌では、久しぶりに国宝・鑑真和上坐像が公開される。8Kで丹念に撮影した映像も含め、鑑真和上坐像を細部まで鑑賞。御影堂内を彩る東山魁夷渾身の障壁画空間を味わいながら、〈寺を信仰する人々の寄進を重ねて成り立ってきた〉唐招提寺ならではの歴史の物語をひもとく。
6月12日(日)午前9:00 ほか 放送予定
5月2日に三条通りにオープンした「タバーン」にようやく行くことが出来ました。
「TAVERN 3jo 484
JR奈良駅周辺 / 奈良駅フランス料理(フレンチ)
電話予約0742-23-1470
店舗紹介
TAVERN 3jo 484の店舗紹介TAVERN 3jo 484の店舗紹介
札幌の仏料理店“モリエール”プロデュースの期間限定レストランが奈良・三条通に出現
北海道からは厚岸の生ガキ、甘みを増した越冬じゃがいも、そして地元奈良の野菜など、自然の美味しさをコース料理やアラカルトでお楽しみください。ランチでは奈良のお野菜たっぷりのスープカレーや、熟成させた北海道産越冬じゃがいもを付け合わせた牛のほほ肉の煮込みなど。ディナーではコース料理や、ワインと一緒に楽しめるカキフライやパテなどのアラカルトもご用意しています。気軽に楽しい美味しい時間を過ごしにいらしてください。」
登大路ホテル系列のレストランです。タバーンとは居酒屋という意味らしいのですが、三条通りに大きく窓がオープンにされた開放的なレストランです。夜のディナーコースは4種類。この日は4800円のメインディッシュ、牛のほお肉のワイン煮を選びました。ビールそしてワインを飲みながら・・・・。
メインの牛のほお肉のワイン煮です。
以下、デザートなどは、省略。
気楽に行けるお店ができました。
夕暮れ時、店の前を歩く人や街の景色を楽しみながら。
お店のホームページです。火曜日は定休日です。
https://noborioji.com/tavern
(画像をクリックすると拡大します)
バルマップができあがり配布され始めました。バルチケットは6月8日より販売開始です。
2022年6月8(水) お得な前売り販売開始!
平素より「あるくん奈良まちなかバル」へのご愛顧誠にありがとうございます。
ご存知のとおり「第17回あるくん奈良まちなかバル」は誠に苦渋の決断ながら2月18日・19日の開催はとりやめさせていただきました。あらためてお詫び申し上げます。
その際に6月開催を告知しておりましたが、予定とおり6月24日・25日開催に向けて準備を進めております。
総勢66店舗、バル初参加店舗が20店舗が集結、あいかわらず新型コロナウイルスは収束したとは言い難い状況ではありますが引き続き対策を実施して少しでも安心安全に皆さまに是非楽しんでいただけたらと思います。
詳細は随時アップしてまいりますのでお楽しみに。
奈良まちなかバルのホームページです。MAPや参加店舗など載っています⇒https://www.naracity-bar.info/
初参加のお店が20店舗。楽しみにしております。
鑑真和上像の安置されている、唐招提寺の御影堂は2016年以来、保存修理中でした。
2017年に見学させていただきました。
鹿鳴人のつぶやき⇒http://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2017/12/post-d972.html
このほど、唐招提寺の御影堂落慶法要の情報を、
▼奈良県観光 あをによし なら旅ネット|唐招提寺 bit.ly/3PRdOen
は以下のように伝えていますので紹介させて頂きます。
【唐招提寺 御影堂落慶法要】
https://toshodaiji.jp/topics
唐招提寺の諸堂のなかで、鑑真和上坐像(国宝)を奉安する御影堂(重文)。2016年から着工していた保存修理事業が満了し、和上の御命日を偲ぶ開山忌舎利会の時季にあわせて、6/5(日)に落慶法要が執り行われるはこびとなっています。
当日は一般の入堂は叶いませんが、前庭が無料開放され、屋外から堂内を拝観できるそうですよ。
なお、6/6(月)・7(火)の御影堂特別拝観(事前予約制)の申込みはすでに終了していますのでご注意ください。
▼奈良県観光 あをによし なら旅ネット|唐招提寺 bit.ly/3PRdOen
法要前に早速、唐招提寺に久しぶりにお参りしてきました。
金堂のあと會津八一の歌碑をまず拝見。
おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもへ 會津八一
戒壇を拝見
戒壇のすぐ南に、最近報道されていた薬草園があります。
開山堂。身代わりの鑑真像が安置されています。
その前には、松尾芭蕉の句碑
若葉して御目の雫ぬぐはばや
そして北原白秋の歌碑です。
御影堂いりぐち。
鑑真和上御廟。苔が美しく手入れされています。
宝蔵の前のツツジ。
境内図です。
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