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「本日5月31日午後9時より
チケットウェブ予約の受付を開始します。
先着順となります。
https://event.nara.jp/sp/hozan06
【映像と音楽で巡る奈良】
6月12日(日)13:30開場、奈良公園バスターミナルレクチャーホール
全席指定、3,000円
■第一部:14:00〜
ならどっとFM「岡本彰夫の奈良、奥の奥」公開収録
提供:株式会社淺沼組
テーマ「ふるさと十津川村」
ゲスト:前十津川村長:更谷慈禧さま
パーソナリティ:岡本彰夫
講談:玉田玉山
ピアノ:すみかおり
ヴォーカル:大垣知哉
司会:中川直子(ならどっとFM局長)
■第二部:15:10〜16:20
映像作家保山耕一作品上映会
朗読:上本京子
ギター:牧野由希子
バイオリン:秦進一
パーカッション:森内清敬
ヴォーカル:madoca
書:桃蹊
演奏曲:「いのちの歌」「防人の詩」
□YouTubeにて有料ライブ配信
□サプライズあり!
どうかよろしくお願いします。」とのことです。
長らくコロナのため半分使用でしたが、今回は全席使用可となったそうです。多くの皆様の参加おすすめします。
6月も近づきました。
ことしもならまち周辺で、「にゃらまち猫祭り」がおこなわれるそうです。
「にゃらまち猫祭りは、奈良の旧市街地・ならまち界隈の店舗で毎年6月に開催される“猫”をテーマにしたアートイベントです。
地域の猫好きの商店主たちが、6月の1か月間にわたり“猫”にまつわる様々な商品やサービス、作品展示、イベント、体験メニューなどさまざまなお店が参加予定。
18回目となる今年は、コロナ禍での開催となりますが、各々の店舗が感染対策を十分とり開催いたします。
開催期間は従来通りの6月1~30日の1ヶ月間とし、素敵なオリジナルグッズがもらえるスタンプラリーも実施いたします。
参加店舗も、ご来店いただくお客さまも、コロナ禍での“新しい生活様式”の中、密を避けて、それぞれのタイミングで「にゃらまち猫祭り」をお楽しみいただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。」とのことです。
くわしくはホームページをご覧下さい。https://nyaramachi-nekoart.jimdofree.com/
毎週木曜日の朝の毎日新聞のやまと歌壇です。5月26日付。
久しぶりに載せて頂きました。しかも一席です。近頃狭き門でなかなか載りません。記念にアップしておきます。
雨にも負けず東大寺知足院の裏山のナラノヤエザクラは満開に咲く
選者の横山季由先生の評です。
松森詠は、天然記念物のナラノヤエザクラがある知足院を訪ねての作。「雨にも負けず」「満開に咲く」が良い。
(追記)
保山耕一さん、清水真貴さんが雨の中2時間以上ナラノヤエザクラを熱心に撮影されていました。
その映像に、短歌を重ねていただきました。ありがとうございます。
https://www.youtube.com/watch?v=qyhlJ4UtwCs
保山耕一さんのフェースブック投稿より。
「知足院のナラノヤエザクラ」
あえて雨の日にナラノヤエザクラを撮影させていただきました。
そこには松森 重博さんが傘をさしながら、1時間以上はナラノヤエザクラを眺めておられました。
そして、その時に松森さんが詠まれた短歌が、毎日新聞奈良版やまと歌壇にて一席となりました。
すごいです。おめでとうございます。
それを記念して、映像詩にその短歌を添えてみました。
雨に濡れて咲くナラノヤエザクラ。
その姿は映像詩になり、短歌になり、人の心に潤いを与えてくれます。
桜を愛でることの出来る平和な日本であって欲しい。
松森様の短歌から、そう感じました。
バイオリン:のざわ明大
ハープ:川島憂子
*作品集「祈り」の音源より
東京にいるころから奈良によく泊まり、いまは奈良に住みながら奈良の宿によく泊まられているという生駒あさみさんからの案内です。
今まで県内100カ所以上の宿に泊まっているということです。
奈良ファン倶楽部のWEB版に奈良宿手帖の連載がスタートしたとのこと、第1回は奈良ホテルということです。
http://fanclub.nara-kankou.or.jp/special-narayado?fbclid=IwAR1uvu46-IFTQ-y20lHDFBgODwtEiIm4OsKmlvQVtPAHVRkWtdM4qDhp8M8
奈良ホテルと言えば、あこがれのホテルでした。よくホテルの裏手で子どもの頃遊びました。
いまは奈良ロータリークラブの例会場ですので、毎週昼食時によく出かけます。
一番の思い出は、上皇陛下ご夫妻(1959年皇太子殿下美智子妃殿下のころ)が、結婚されてすぐに来られたときのことです。
アメリカのロバート・ケネディ司法長官が来られたこともありました。
泊ったのは2度。
ちょうど11年前、業界の百撰会の皆さんと夜は雅楽のグループに特別公演してもらい、朝は奈良公園を散歩しました。
そして遡ること、40数年前。今では泊まれない特別室に泊りました。今の上皇が座られたデスクに座り、また室内の美術品も眺めることができました。
今回の明日香ツァーでお世話になったのは、小谷稔先生の「明日香に来た歌人」という本です。文芸社発行。700円+税。
奈良まほろばソムリエの会の藤田道夫さんが「明日香に来た歌人で」で歌人別にまとめられた短歌を、詠まれたであろう場所別にまとめられた力作のプリントです。
(なお、小谷稔先生は2018年まで現役の歌人として活躍されていましたので、現代歌人とすべきですが、便宜的に近代歌人とされています。雁部貞夫先生、三宅奈諸子先生、倉林美千子先生も現代歌人です)
1)牽牛子塚古墳
で詠まれた小谷稔先生の歌。
・出土せる敷石の列はまぎれなく八角形墳ぞ白く整然と
・人あまた使ひ大工事好みし女帝にわが親しまず
・棺置く白石二つは母と子か灯りの照らす石槨の奥
・牽牛子塚に寄り添ふ墓の出土して再び来たり越の冬丘
・大津皇子の母の古墳か閃緑岩の床曝されて冬日に青し
・大津皇子の齢は母を越えたりやあはれは尽きず母子ともども
・「皇孫大田皇女を陵の前の墓に」書紀のそのままわが眼の前に
・この古墳に母恋ふる幼きまぼろしの二人を置きて峡に下らむ
2)飛鳥坐神社
●万葉歌碑
・大君は 神にしませば 赤駒の 腹這う田居を 都と成しつ
大伴御行 犬養孝氏の揮毫
意味)大君は神でいらっしゃるので、赤駒が腹這う田を立派な都になさった
・齋串立て 神酒すゑ奉る 神(は)主部(ふりべ)の うずめの玉蔭 みればともしも
作者不詳 書家鈴木葩光氏の揮毫
意味)齋串を立て御神酒を捧げまつる神官たちの髪飾りのかずらは、見るからにゆかしい
●近代歌人
・ほすすきの夕ぐもひくき明日香のやわがふる里はひをともしけり 釈迢空
・御田植の神事終りて杉の下に静かに牛の面脱ぐところ 小谷稔
3)大原の里
●万葉歌碑
・わが里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後 天武天皇
意味)わたしの里に大雪が降ったよ。あなたのいる大原の古里に降るのはもっと後でしょう。
わが岡の おかみにいひて降らしめし 雪の摧(くだ)けし そこに散りけむ 藤原夫人
意味)わたしのいる岡の水の神様に言いつけて降らせた雪の砕けたとばっちりが、そこに降ったのでしょう。 犬養孝氏の揮毫
●近代歌人
・大原の里を恋しみゐたるときわがかうべより汗したたりぬ 斎藤茂吉
4)明日香民俗資料館前
●万葉歌碑
・大口の 真神の原に 降る雪は いたくな降りそ 家もあらなくに
舎人娘子(とねりのおとめ) 犬養孝氏の揮毫
意味)真神の原に降る雪は、ひどく降らないでほしい。その辺りに家もないので
●近代歌人
・飛鳥川の水みな引きて浄(きよ)御原(みはら)の早苗の田原光みなぎる 小谷稔
・刈田ひろき夜の浄御原雲を透く月のひかりは空のまほらに 小谷稔
5)薬屋旅館跡
●近代歌人
・わがために二日の業を休み来し友と寝る明日香の家に 島木赤彦
・旅ごころ静になりぬ片ゐなか明日香の岡に友と宿りて 中村憲吉
・大柘榴木の実のあひに赤き花のこり寂びしこの庭みおぼえのあり 中村憲吉
・ひとつ蚊帳にねむりしことも現なる飛鳥の里の朝あけにけり 斎藤茂吉
6)犬養万葉記念館
●万葉歌碑
・山吹の 立ちよそひたる 山清水 汲みに行かめど 道の知らなく
高市皇子 犬養孝氏の揮毫
意味)山吹が咲いている山の清水を汲みにいきたいが、そこに行く道が分らない
7)飛鳥京跡
●万葉歌碑
・采女の 袖吹きかへす 明日香風 京を遠み いたづらに吹く
志貴皇子 平山郁夫氏の揮毫
意味)采女の袖を吹き返した明日香風は、都が遠くなったので、ただ空しく吹いている
●近代歌人
・山のつつむは岡本宮のあとどころ木立は岡寺の甍をかくす 土屋文明
・かぎりなく大和を思ふ小さなるこの明日香をぞかぎりなく思ふ 土屋文明
・天なるや月日も古りぬ飛ぶ鳥の明日香の岡に立ちて思ふも 島木赤彦
8)酒船石遺跡
●近代歌人
・斉明紀の「狂心の渠(みぞ)」にかかはるか出土して白き亀形の石 小谷稔
・酒船石に亀形石に刻む溝の謎はともあれ水を崇めし 小谷稔
・渠を造り運ばしめしと書紀に記す布留の石ぞこれ黄なる積み石 小谷稔
・斉明紀の石の工事の跡見れば赤兄思う欺かれし有馬皇子を思う 小谷稔
・ひばり鳴き山鳩が鳴き遠き代の霞(かすみ)はなびく酒槽(さけふね)石(いし)に居れば 落合京太郎
・何時来ても酒槽石の丘の上より見はるかすなり大原の棚田 上村孫作
9)奥明日香(祝戸から稲渕)
●万葉歌碑
・明日香川七瀬の淀(よど)に棲む鳥も心あれこそ波立てざらめ
作者未詳 犬養孝氏の揮毫
意味)明日香川の七瀬の淀みに住んでいる鳥も心があるからこそ波を立てずにいるのでしょう
・明日香川明日も渡らむ石橋の遠き心は思ほえぬかも 作者未詳 犬養孝氏の揮毫
意味)明日香川を明日にも渡ろう、遠い先の見通しなど思いもよらない
●近代歌人
・飛鳥川をはさみて棚田相対ひ畔の曼殊沙華の花相向かふ 小谷稔
・街の人らオーナーとなり田植せり明日香の棚田今日にぎはひて 小谷稔
・街の人に田植を教ふる村人ら減反の憂ひ抱くと見えず 小谷稔
・行く先々湛ふる水と動く水なべてかがやく早苗田のとき 小谷稔
・春寒く今年遅るる蛍とぞやさしく時に随ふいのち 小谷稔
・闇になるを蛍も我も待ちしなり光を曳きて一つただよふ 小谷稔
・奥明日香「蛍の里」とて人誘ふあたかも稲田の荒れし頃より 小谷稔
・故里のごと奥明日香親しきにここにも子供一人だに見ず 小谷稔
・白く乾く飛石わたるわが影の流れに落ちて飛鳥川ゆく 小谷稔
・去にし世のたれか並べし石走を渡らむよ溝蕎麦の花も濡れゐぬ 倉林美千子
・飛鳥川の水に一つは没したる石走渡る靴を濡らして 倉林美千子
・飛鳥川さかのぼりきていにしへの人が踏みけむ石橋わたる 大塚布見子
・流れに置きし石橋にあやふく我は立つ古き相聞の世をおもひつつ 三宅奈諸子
・山を以てしづかにかこむ高市村いにしへびとは住みつきにけり 中村憲吉
・一人は儚く一人は雄々しこの道を吉野に逃れし皇子にありしか 倉林美千子
・うねうねと畔作り田をなす工見れば朝鮮慶州あたりゆきし思ほゆ 土屋文明
・飛鳥川の勧請男綱眺めつつその単純を媼(おうな)は愛づる 前登志夫
10)南淵山
●近代歌人
・川を護る策ともなりけむ南淵山の木を伐らしめず天武記五年 小谷稔
・南淵山の裏は親しき峡(かい)の村請安の墓を守り蛍を護る 小谷稔
・置き忘れし眼鏡探して引き返す林の中に独り言ひて 小谷稔
・み食向かふ南淵山の高きまで耕して田植の水はみなぎる 土屋文明
・中大兄も鎌足も南淵へかよひけむ山かいみちを友と月夜に 中村憲吉
・遣唐使なべては大和へ帰化の人請安先生その一人にて 雁部貞夫
11)坂田
●近代歌人
・おそるあそる読みし日本書紀に渡来人多須奈と止利の親子と知りき 倉林美千子
・坂田の丘のうへなる奥津城に涙を落とすその母とともに 島木赤彦
・わが知らぬ十年のうつりいたいたし君が血すじの殆どほろぶ 中村憲吉
・君の墓を過ぎて直ちに南淵山つづく日和に谷の乾けり 小谷稔
12)石舞台
●万葉歌碑
・御食向かふ南淵山の巌(いわお)には降りしはだれか消え残りたる
柿本人麻呂 辰巳利文氏の揮毫
意味)南淵山の巌には、降った薄雪が消え残っている
●近代歌人
・玄室のうち広らなり説き示す若き学者の声ひびきとほる 佐佐木信綱
・陰謀の都ありきと言ふなかれ石棺おほらかに丘を築けり 倉林美千子
・飛鳥をいゆきめぐりていづこにても二上山の見ゆる親しさ 落合京太郎
(万葉集 うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟(いろせ)とあが見む 大伯皇女)
かねて行きたいと思っていた、短歌をかたわらに明日香を訪ねて、という奈良まほろばソムリエの会のガイドグループ、藤田道夫さんの企画・ご案内で「小谷 稔先生の愛した明日香を歌で巡るツァー」 にいってきました。
2022年5月22日、この日は好天で少し汗ばむ初夏の一日になりました。
行った先をスナップ写真にて。そしてあちこちで、その地で詠まれたであろう短歌を朗読してくれました。(小谷先生は2018年まで歌人としてご活躍でしたので、現代歌人とすべきですが、便宜的に近代歌人とされています)
●近代歌人 小谷稔先生
・出土せる敷石の列はまぎれなく八角形墳ぞ白く整然と
・人あまた使ひ大工事好みし女帝にわが親しまず
・棺置く白石二つは母と子か灯りの照らす石槨の奥
・牽牛子塚に寄り添ふ墓の出土して再び来たり越の冬丘
・大津皇子の母の古墳か閃緑岩の床曝されて冬日に青し
・大津皇子の齢は母を越えたりやあはれは尽きず母子ともども
・「皇孫大田皇女を陵の前の墓に」書紀のそのままわが眼の前に
・この古墳に母恋ふる幼きまぼろしの二人を置きて峡に下らむ
飛鳥坐神社
●万葉歌碑
・大君は 神にしませば 赤駒の 腹這う田居を 都と成しつ
大伴御行 犬養孝氏の揮毫
意味)大君は神でいらっしゃるので、赤駒が腹這う田を立派な都になさった
・齋串立て 神酒すゑ奉る 神(は)主部(ふりべ)の うずめの玉蔭 みればともしも
作者不詳 書家鈴木葩光氏の揮毫
意味)齋串を立て御神酒を捧げまつる神官たちの髪飾りのかずらは、見るからにゆかしい
●近代歌人
・ほすすきの夕ぐもひくき明日香のやわがふる里はひをともしけり 釈迢空
・御田植の神事終りて杉の下に静かに牛の面脱ぐところ 小谷稔
犬養孝記念館前
●万葉歌碑
・山吹の 立ちよそひたる 山清水 汲みに行かめど 道の知らなく
高市皇子 犬養孝氏の揮毫
意味)山吹が咲いている山の清水を汲みにいきたいが、そこに行く道が分らない
もと薬屋旅館
●近代歌人
・わがために二日の業を休み来し友と寝る明日香の家に 島木赤彦
・旅ごころ静になりぬ片ゐなか明日香の岡に友と宿りて 中村憲吉
・大柘榴木の実のあひに赤き花のこり寂びしこの庭みおぼえのあり 中村憲吉
・ひとつ蚊帳にねむりしことも現なる飛鳥の里の朝あけにけり 斎藤茂吉
飛鳥京跡 エビノコ郭
井戸跡
●万葉歌碑
・采女の 袖吹きかへす 明日香風 京を遠み いたづらに吹く
志貴皇子 平山郁夫氏の揮毫
意味)采女の袖を吹き返した明日香風は、都が遠くなったので、ただ空しく吹いている
●近代歌人
・山のつつむは岡本宮のあとどころ木立は岡寺の甍をかくす 土屋文明
・かぎりなく大和を思ふ小さなるこの明日香をぞかぎりなく思ふ 土屋文明
・天なるや月日も古りぬ飛ぶ鳥の明日香の岡に立ちて思ふも 島木赤彦
酒船石遺跡
●近代歌人
・斉明紀の「狂心の渠(みぞ)」にかかはるか出土して白き亀形の石 小谷稔
・酒船石に亀形石に刻む溝の謎はともあれ水を崇めし 小谷稔
・渠を造り運ばしめしと書紀に記す布留の石ぞこれ黄なる積み石 小谷稔
・斉明紀の石の工事の跡見れば赤兄思う欺かれし有馬皇子を思う 小谷稔
・ひばり鳴き山鳩が鳴き遠き代の霞(かすみ)はなびく酒槽(さけふね)石(いし)に居れば 落合京太郎
・何時来ても酒槽石の丘の上より見はるかすなり大原の棚田 上村孫作
天理の布留から斉明天皇期に運ばれた黄色い石
亀形石造物
稲淵宮殿跡 すぐ近くにもと祝戸荘。
南淵請安の墓
●近代歌人
・川を護る策ともなりけむ南淵山の木を伐らしめず天武記五年 小谷稔
・南淵山の裏は親しき峡(かい)の村請安の墓を守り蛍を護る 小谷稔
・置き忘れし眼鏡探して引き返す林の中に独り言ひて 小谷稔
・み食向かふ南淵山の高きまで耕して田植の水はみなぎる 土屋文明
・中大兄も鎌足も南淵へかよひけむ山かいみちを友と月夜に 中村憲吉
・遣唐使なべては大和へ帰化の人請安先生その一人にて 雁部貞夫
石舞台展望台より
●万葉歌碑
・御食向かふ南淵山の巌(いわお)には降りしはだれか消え残りたる
柿本人麻呂 辰巳利文氏の揮毫
意味)南淵山の巌には、降った薄雪が消え残っている
●近代歌人
・玄室のうち広らなり説き示す若き学者の声ひびきとほる 佐佐木信綱
・陰謀の都ありきと言ふなかれ石棺おほらかに丘を築けり 倉林美千子
・飛鳥をいゆきめぐりていづこにても二上山の見ゆる親しさ 落合京太郎
(万葉集 うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟(いろせ)とあが見む 大伯皇女)
最後に、明日香村埋蔵文化財資料室へ
無事予定通り終了。案内の藤田道夫さん、ご参加の奈良女子大附属中学高校のOB、OG、そしてはるばる舞鶴からTさん、ありがとうございました。
(追記)
それから8年前の
2014年4月の小谷先生と明日香吟行は2回にわたって以下に書いていました。なつかしい写真も載っています。
http://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-7667.html
http://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-8395.html
(似顔絵をつくってくれました)
拝啓 いつもお世話になっています
さて 私事で恐縮ですが 4月20日付の定時総会をもちまして理事長を退任し 直前理事長を拝命しました
16年にわたり理事長を務めさせていただきました
また夢CUBEができて15年になりました
お陰様でもちいどのセンター街はひと頃と打って変わって人通りも増え 若い人によるお店も増えました
今後さらに発展を期待されています
つぎはアイデアと行動力にあふれる魚谷和良さんが理事長を引き継いでくれます
若手理事や事務局スタッフや多くの商店街の皆さんの協力を得て進んでくれることを確信しています
わたしもお手伝いしたいと思っています
ありがとうございました 敬具
令和4年5月
奈良もちいどのセンター街協同組合
直前理事長 松森 重博
また、似顔絵を描かれたワインとワイングラスもいただきました。カンパーイ!! ありがとうございました。
「参詣者引き寄せた花街」というタイトルで毎日新聞夕刊5月20日付に元林院あたりが載っています。
よく会合でおいしい料理とお酒でたいへんお世話になっている、まんぎょく、絹谷家が紹介されています。
毎日新聞 2022/5/20 大阪夕刊 有料記事 1481文字を以下引用します。
元林院の置屋だった絹谷家。手前から明治、江戸、大正時代の建物が並ぶ=奈良市元林院町で2022年3月4日午後2時26分、松井宏員撮影
花街の元林院(がんりいん)町へと向かう。興福寺の穴門跡から路地を歩き、今は暗渠(あんきょ)の率(いさ)川に架かる絵屋橋に戻った。「率川は結界でもあったんです」と梅林秀行さんが言う。
奈良の花街って、あんまりイメージがないですが。「元林院町は明治時代にできるんです」と説明してくれたところでは――。江戸時代、遊女は井原西鶴の「好色一代男」にも出てくる木辻町に集められていたが、明治初めには元林院町にも遊女と芸者は交ざって営業していたようだ。それが明治20年代以降の芸娼(しょう)分離で、芸者のみが元林院町に集められた。
荒々しい格子は鹿よけ=奈良市元林院町で2022年5月16日、松井宏員撮影
絵屋橋を越えて南へ進むと元林院町。芸者を抱えていた置屋(おきや)や、客を遊ばせたお茶屋とおぼしき建物が並んでいる。右手の建物は2階が大きく、玄関には欄間彫刻が施されている。
その先の絹谷家は、3軒続きの元置屋。「ここが面白いのは、北から大正、江戸、明治と時代が違うんです」。建築様式も少しずつ異なり、明治のは2階が低い。「江戸と明治の共通点は、1階正面のしつらえが荒々しいでしょう」と梅林さんに言われて見比べると……確かに格子が太い。
「奈良格子といって、鹿よけです。鹿が入ってくるのを防ぐバリケードですね。江戸時代、鹿が山から下りてきて都市問題になり、奈良奉行所が対策を講じた。それが奈良格子と角切り」
伊勢街道の出発点の嶋嘉橋=奈良市登大路町で2022年3月4日午後2時46分、松井宏員撮影
角切りは伝統行事ではなかったんだ。元林院町には芸妓(げいこ)扱い所の検番もあって、現役の芸者さんの街なのがわかる。街自体は小さく、南の次の通りまでで、通りを挟んで向こうは明らかに家の造りが違い、2階が低い。
周辺を歩いてみる。元林院町を中心に飲み屋街が広がっている。廃業した風俗店や映画館の跡地も。かつてはストリップ劇場もあり、歓楽街だった。町家越しに南円堂の屋根が見える。聖があれば俗があるのが世の常。
猿沢池に戻ってきた。南西の角に、南に延びる道がある。石橋に石灯籠(どうろう)があって、旅の始まりを予感させる。古代、平城京と飛鳥を結ぶ上ツ道であり、伊勢街道。伊勢参りの出発点だ。
「この石橋の名前は……」と梅林さんが言いかけ、石橋の親柱を見るが、名前はない。「橋脚にあるんですよ。下りてみましょう」。橋の下は率川だ。水のない川の中に船の形をした中州みたいなのがあり、そこに赤いよだれかけをしたお地蔵さんが約50体も並んでいる。
橋脚に刻まれている嶋屋嘉兵衛の名=奈良市登大路町で2022年5月16日、松井宏員撮影拡大
「河川改修をする度にざくざく出てくる。例の石仏ですよ」。京都・船岡山の回で見た、墓石がよだれかけをされてお地蔵さん化していくというあれだ。お地蔵さんが船に乗って、川を下って行くようだ。
橋の下では石柱が橋を支えている。その一本に「明和七」(1770年)の建立年と、施主名が刻まれているが、「嶋屋嘉」の下は埋もれていて読めない。嶋屋嘉兵衛のようだ。「嶋屋嘉兵衛が伊勢参りのために寄進したから、この橋は嶋嘉(しまか)橋です」。約250年前の石橋が、今も往来を支えている。
嶋嘉橋の上に戻る。鹿が1頭、ウロウロしていて、観光客のカップルが歓声を上げる。
嶋嘉橋の下の率川ではお地蔵さんたちが船に乗っている=奈良市登大路町で2022年3月4日午後2時50分、松井宏員撮影
「伊勢参りに向かう人は、南円堂と五重塔を背に、出発したんですね。元林院町はすぐそこですから、興福寺の参詣者に加えて、伊勢参りのための花街だったんでしょう」
伊勢街道の先は今も昔も旅館街。旅にもひかれるが、私たちは伊勢街道に背を向けて、興福寺へ行くことにしよう。【松井宏員】
=<5>は6月3日掲載
興福寺周辺拡大
興福寺周辺
■人物略歴
梅林秀行(うめばやし・ひでゆき)さん
京都高低差崖会崖長。京都ノートルダム女子大非常勤講師。著書に「京都の凸凹を歩く1・2」(青幻舎)。
薪御能の解説の冊子です。(画像をクリックすると拡大します)
コロナのため中止されていた、奈良の薪御能ですが、5月20日21日と春日大社と興福寺にて始まりました。
今まで興福寺・南大門あとでの夕方からの薪御能は何度も拝見していますが、20日午前11時に春日大社舞殿でのはじまりのお能「翁」を初めて拝見しました。ソムリエ検定の試験でも出たことがある演目です。
(追記)
2日目の夕方、興福寺・南大門跡での薪御能を拝見できました。
演目は、「玉鬘」(たまかづら)そして狂言の「棒しばり」です。
狂言の「帽しばり」は高校の学園祭で演じられ大好評でした。実に50年以上前の思い出です。
開演前の様子です。(後方は南円堂です)
東大寺境内でみかけたポスターです。
JR東海は、奈良の案内のCMをよく作成されています。
今回は、奈良ファンといわれるタレントの鈴木亮平さんの出演です。
https://nara.jr-central.co.jp/campaign/izaiza_todaiji/
YOUTUBEです。⇒https://www.youtube.com/watch?v=3TTGD3BKoK4
https://
ホームページから拝借。
(追記)こんな記事があるとのことです。
ITmedia ビジネスONLiNE
なぜJR東海は、わざわざ奈良でキャンペーンを始めたのか
http://a.msn.com/00/ja-jp/AAXBbAP?ocid=st
秩父のI君からヤマガラの巣作り が届きました。
https://www.youtube.com/watch?v=3LphFDidlAc
「ヤマガラの巣作り 秩父の鳥便り で検索するとヒットします。御笑覧ください。
2022年5月15日朝、ヤマガラが庭の巣箱で巣作りを始めました。ヤマガラの子育ては何度も観察しているのですが、今回はものすごく急いでいる様子で、一日でコケを敷き詰めると、16日朝には最初の卵を産んでしまいました。実は今年3月に別の巣箱でヤマガラが巣作りを始め、4月に卵を産み、孵化して、7羽のヒナが順調に育っていたのですが、5月7日の夜にヘビに襲われて全滅したのです。なので今回の巣作りは、ヒナを亡くしたヤマガラが子孫を残すため、Plan B の繁殖を試みているのではないかと考えています。この動画は初日の活動をまとめたものです。」
中学高校で同級生であった、埼玉県秩父在住のIさんから、シジュウカラの子育ての記録を、YouTubeにアップしましたと
送ってきてくれましたので、紹介します。何カ所かの巣の中にデジタルカメラを設置して、自動撮影したものを編集された2時間もの大作です。https://youtu.be/miWlUN-lX_0
あるいはその続きなど、「秩父の鳥便り」で検索するとヒットしますとのことです。
Iさんのコメント:秩父の自然に惹かれて、平成27年に秩父郡横瀬町の正丸峠の近くに移住してきました。自宅は埼玉県立武甲自然公園の中にあり、ヤマガラ、シジュウカラ、コガラ、エナガ、コゲラ、カケス、ウグイス、ホオジロ、キセキレイ、ミソサザイ、カワガラス、ジョウビタキ、ルリビタキ、・・・
秩父在住のIさんからのメールです。
「シジュウカラの子育ての記録を、YouTubeにアップしました。
動画リンクは https://youtu.be/miWlUN-lX_0
ファイル名は、「秩父の鳥便り>シジュウカラの子育て>ヒナの誕生から巣立ちまでの記録」です。
パソコンの動画編集ソフトを使って制作した初めての作品(?)です。よろしければ御笑覧ください。長さは約2時間です。」
ことしも、大和郡山城あとで、ちんゆいそだてぐさ、という現代工芸フェア2022が開かれるというポスターを見かけました。
以下のようにくわしい情報が紹介されています。
毎日、ちんゆいそだてぐさFacebookページで開催まで今年度の概要や出展者様を紹介、更新しておりますので、毎日の記事に
「いいね」やシェアなど頂けると幸いです。
https://www.facebook.com/%E3%81%A1%E3%82%93%E3%82%86%E3%81%84%E3%81%9D%E3%81%A0%E3%81%A6%E3%81%90%E3%81%95-425478357513902
いよいよ開催
ちんゆいそだてぐさ2022是非、ご来場くださいね。
特に初日21日お越し下さい。
全ての方たちと喜びを分かち合いたいです。
お待ちしております。
奈良大和郡山現代工芸フェア
ちんゆいそだてぐさ2022
5月21日(土)22日(日)
場所 大和郡山城址
時間 10時~17時
※21日はゴールデンアワー開催
毎月楽しみにしている、奈良新聞連載の川嶌一穂さんの「美ビット見て歩き」、今月は三陸鉄道全線走破!!です。
先日、衛星放送の「飲み鉄」で、三陸鉄道の旅を見たばかりです。また長坂先生らの「復興・陸前高田ゼロからのまちづくり」を読んだばかりです。
川嶌さんは東京出発の1泊2日の旅で、以前も行かれた三陸鉄道、今回は全線の旅をレポートされています。
まだ行ったことはありませんので、行ってみて初めてわかることも多いのだと思いながら読ませていただきました。
以前おみやげにいただいた宮古、久慈の行き先プレートのある三陸鉄道のキーホールダー。
ボタンを押すとヘッドランプが光るというすぐれもの。
奈良新聞、5月13日より。(画像はクリックすると拡大します)
美ビット見て歩き 私の美術ノート *105 川嶌一穂
三陸鉄道再訪
写真 「さあ、出発!」盛駅で三陸鉄道南リアス線列車に乗車
まあ、出発までこんなにヤキモキした旅も珍しい。今年の3月上旬、「4月17日出発 三陸鉄道全線走破!2日間」というツアーに申し込んだ。1日目は東京駅から一ノ関駅(岩手県)まで東北新幹線に乗り、バスで移動。三陸鉄道始発駅・盛(さかり)駅(岩手県大船渡市)から乗車して北上する。2時間半走って、その日は宮古駅で下車。翌日、再び宮古駅から乗車して、2時間近く走る。終点の久慈駅で下車し、バスで盛岡駅まで移動。新幹線に乗って東京まで帰るという「乗り鉄」御用達の旅程だ。
そこに、震度6強を観測した3月16日夜の福島県沖地震である。東北新幹線は車両脱線を含め、高架橋や架線設備の損傷が1千箇所にも及び、福島―仙台間は4月中旬ごろに運転再開の見通し、と発表された。これは駄目だ、と諦めていたところ、出発の1週間前に旅行会社から「14日に新幹線全線運転再開との発表があったので催行決定。ただしダイヤ未確定につき、乗車便は確定次第電話連絡」という通知が来た。
やれやれ一安心、と思っていたら、出発の3日前に電話があった。「新幹線の乗車便は決まったが、減速・減便のため、予定していた<奇跡の一本松>と宮古の魚菜市場見学は無し。三陸鉄道も貸切りではなく自由席になるが、参加されますか?」それでは東北新幹線と三陸鉄道にただ乗るだけという強行軍になる、と一瞬ひるんだが、天気はよさそうだし、えいやっ、とばかりに参加を決めた。
当時この欄でもご紹介したように、私がはじめて三陸鉄道に乗ったのは8年前の平成26年。明らかに、その前年に大ヒットしたNHK連続テレビ小説「あまちゃん」に誘われた旅だった。岩手県の三陸海岸沿いを縦貫する三陸鉄道が、みずからも甚大な被害を受けながら、震災発生後わずか5日後に一部区間で運転を再開したことを、私もあのドラマがきっかけとなって知った。
平成26年、大震災後3年にして三陸鉄道は全線運転再開する。さらに平成31年、別々だった北リアス線と南リアス線を埋める宮古―釜石間がJR東日本から移管されて、全長163kmという日本一長い第三セクター鉄道路線となった。
しかしその後も三陸は災害に見舞われ続ける。令和元年には台風19号の豪雨被害で、一時は全線の7割が運休に追い込まれた。ようやく全線が復旧したのが、令和2年3月。まさにその時、コロナ禍が追い討ちをかけるように襲いかかった。
実際、今回乗ってみて、8年前に比べてどことなく寂しい感じがした。貸切りではなく自由席への乗車に変更になったので、定員40人の車両でツアー参加者30人全員が座れるかどうか心配していたが、その心配は杞憂に終わった。常に一般乗客が10人以内だったのだ。
前回は三陸鉄道の一部区間に乗車しただけなので単純に比較はできないが、周辺に人の気配のない駅が多くなったと感じた。安全な高台に住居を移して駅から遠くなり、鉄道を利用しにくくなったこと。復興道路が完成したので、自動車に乗る人が増えたこと。コロナ禍で観光客が来ないなど、理由は一つではないだろう。
しかし8年前は、目にも鮮やかな大漁旗を、駅や沿線で振る人がたくさんいた。今考えればボランティアでやって下さっていたのだろう。今回の旅では、2日目にホテルを出発する時に、従業員がお一人で旗を振って見送って下さっただけ。無理もない。立ち上がっても、立ち上がっても、さらなる災害が襲うというこの11年だったのだから。
「鉄道が廃止されて栄えた街はない」。大震災被災時の三陸鉄道社長・望月さんの持論である。地方の交通インフラを地方に任せていていいものだろうか。効率だけを考えて人は生きていけるのだろうか。災害が頻発する日本に生きる素人の素朴な疑問だ。都会が地方を支えているのではない。水、食料、エネルギーその他大切なものについては、そのほとんどを地方が支えている。
4月のはじめに桜が散ってしまい、すでにツツジの咲く季節となった東京から出発した今回、思いがけず桜をもう一度見ることができた。銀色の和毛に包まれて芽吹きはじめた雑木林の中に咲く山桜やコブシの花。薄絹を広げたような棚づくりの桃や梨の花。夢のような車窓の春の風景がまだ眼裏に残っている。
帰りに寄った道の駅で買ったメカブは翌日ぽん酢で、ウルイという山菜はさっと茹でて酢味噌で食べた。二つともぬめっとした春の美味。食後は、三陸鉄道の駅で買った、パッケージに黒い鹿のキャラクターが描かれた「黒字化をめざす三鉄クロジカせんべい」!
宮藤官九郎さん、そろそろ「あまちゃん」続編をお願いします。
=次回は6月10日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。
メモ
三陸鉄道株式会社旅客営業部 岩手県宮古市宮町1丁目1−80 宮古駅内。電話0193(62)7000。
https://www.sanrikutetsudou.com/
「黒字化をめざす三鉄クロジカせんべい」等の三鉄オリジナル商品が返礼品として送られて来るふるさと納税については、HPをご覧下さい。
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以前の美ビット見て歩き、当ブログに載っています。
8年前の三陸鉄道に乗られたときの美ビット見て歩き⇒http://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-ee31.html
『東日本大震災の記録と津波の災害史』⇒http://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-e8ec.html
ワールドシップオーケストラの農澤明大さんから案内が届きましたので紹介します。
2014年より活動を続けるNPO法人ワールドシップ主催の「ワールドシップオーケストラ」は、これまで東南アジアを中心に、子どもたちに「はじめてのオーケストラ体験」を届けてきました。コロナ禍以降は海外に赴くことができず、日本において可能な範囲で活動を続けています。
これまでWSOは海外を拠点に活動してきたため、コロナ禍に国内でこれだけの需要があることは想定外であり、日本で暮らしていてもクラシック音楽やオーケストラにふれる機会が身近ではない方も多数いるということに、改めて気付かされました。
そこで、海外に赴くことができずとも、日本において音楽へのアクセスの機会が限られる方々へ、子どもたちへ音楽を届けるために、ご支援をお願いするプロジェクトを立ち上げた次第です。
お一人でも多くの方にご支援いただき、お一人でも多くの子どもたちに初めてのオーケストラ体験を届けたいと考えています。
ご支援はこちらのサイトにて受け付けております。
https://readyfor.jp/projects/worldship-orchestra2022
どうぞ、よろしくお願いいたします!
先日、ワールドシップオーケストラの演奏を聞きました。ますますのご活躍を!!
中学高校で同級生同士の氷置晋さんのピアノと農澤さんのヴオリオリン演奏。皆さん、熱心に聞き入っておられました。
(5月1日撮影)
クラウドファウンティングなどで寄付を募り、高畑町の旧社家の改修がすすんでいます。
朝日新聞は以下のように伝えています。
「代々神職だった藤間家の子孫で、同住宅の保全に取り組む一般社団法人・高畑トラスト代表理事の佐久間信悟さん(39)、母親で副代表の公美子さん(74)が中心となり、2017年から改修を進めている。
明治初めに神職の世襲が廃止されたことで、春日大社も大半の神職が職を失った。佐久間さんの曽祖父までが神職だったという。同住宅には最近まで祖母が1人で住んでいたが、維持管理がたいへんなため、佐久間さんが引き継いだ。
美術大出身の佐久間さんは、アートを通じた文化の発信地にするアイデアを思いつき、高畑トラストを設立。東京理科大、京都大、奈良大の研究者に建築物などの調査・研究をしてもらっている。佐久間さんは「古い部分はなるべくそのまま残す。歴史を守りながら、新しい歴史をつくるという思いです」と話す。
所蔵品の一般公開のほか、絵画や映像、デジタルアートなどのイベントを同住宅で催しながら資金を集め、改修も進めた。
「社家町」の景観を今に伝える土塀は劣化が進み、一部が崩落していたほか、道路に面した部分が庭にある御神木の根っこに押されて湾曲していた。「道路側に倒れるかもしれず、緊急を要する状態でした」
土塀は主に道路に面した約20メートルの修復に取りかかり、昨年10月からクラウドファンディングで寄付を募った。12月までの約2カ月間で、目標の300万円を上回る約350万円が集まり、公的補助や自己資金と合わせて計935万円の修復費用をまかなった。
修復工事では、土塀の上部に様々な時代の瓦が使われていたことが判明。中には奈良時代の作とみられる布目瓦もあった。こうした、交換された古い瓦の保存や活用も今後の課題だ。また、土塀の内側には、築造当時に職人が素手で土を塗ったとみられる指の跡が多数見つかり、訪れた人たちに見てもらえるようそのまま残した。
今後、主屋はアート展示室や、作家が何日も滞在しながら創作できるスタジオに活用する計画だ。佐久間さんは年内にも、大和郡山市から妻と同住宅に移り住むことにしている。「近くにある志賀直哉旧居のように、アーティストたちが集うサロンみたいな場所にしたい」と夢を語った。(伊藤誠)
平城宮いざない館で5月18日まで、万葉植物画展がひらかれているとお誘いをうけ行ってきました。
万葉集の歌に、出てくる植物を素晴らしい細密画で描かれています。入場無料。
あまり植物を知らない者にも非常によくわかる絵でした。
図録(1400円)も買いましたので何度も拝見したいと思います。
展覧会は、これから巡回されるとのことです。
奈良時代末期に成立したとみられる我が国最古の和歌集である「万葉集」。
本展示会では、万葉集に登場する植物「万葉植物」をテーマに、日本植物画倶楽部会員75名、英国キュー王立植物園専属ボタニカルアーティストのクリスタベル・キング氏、山中麻須美氏により描かれた全77作品のボタニカルアートを展示します。
1300年の時を越えて、古の詠み人と現代のアーティストとの出逢いにより生まれたボタニカルアートをお楽しみください。
昨日夕方まちかどでばったり、「かぎろひの大和路」の旧知の豊永かずみさんに出会いました。いつもかぎろひさんと呼んでいるかたです。
「きょうちょうど、この前の奈良八重桜の会20周年記念式典の松森さんの短歌大賞についてブログに書いたところで出会ってびっくり」とのことです。
わたしも先日の奈良八重桜の会でお世話になったことをお礼申し上げた次第です。
以下のブログにとてもくわしく書いていただいていますので、はずかしながら紹介します。
かぎろひさんありがとうございます。
奈良八重桜短歌大賞。5月10日のページです。
http://kagiroi3.blog.fc2.com/blog-entry-2909.html
今年は5月20日21日、薪御能は開かれます。南都銀行本店のウィンドーにきれいにディスプレイされていました。
くわしくは薪御能のホームページをご覧ください。https://narashikanko.or.jp/topics/takigiono/
世界遺産の春日大社と、興福寺で2022年5月20日(金)、21日(土)、歴史と伝統を誇る奈良の伝統行事「薪御能(たきぎおのう)」が執り行われます。
薪御能は、全国各地で行われている「薪能(たきぎのう)」の起源とされ、奈良を代表する伝統行事の1つ。
貞観11年(869年)に興福寺西金堂で執り行われた修二会始行での薪猿楽(たきぎさるがく)が最も古く、その後数々の変遷を経て今日に至ります。
平成2年(1990年)には奈良市の無形民俗文化財に指定。まさに、能の始まりを考える上で重要な位置づけにある行事です。
かつて春日大社や興福寺などの神事で奉仕していた「大和猿楽四座(やまとさるがくしざ)」を原点に、現在は観世(かんぜ)・金春(こんぱる)・宝生(ほうしょう)・金剛(こんごう)の「能楽四座」による能と、大藏(おおくら)流による狂言が、2日間にわたって奉納されます。
燃える薪の灯りの下、長い年月を経て受け継がれてきた「薪御能」が演じられる様子は幻想的!
幽玄の世界を味わいに、能発祥の地・奈良へぜひお越しください。
とてもおもしろい連載がはじまっています。散歩日和、奈良凸凹編。
毎日新聞夕刊に連載されている 興福寺周辺は3回目。
もちいどのセンター街、橋本町、元林院町、猿沢池、率川(いさがわ)あたりです。
切れ切れでちょっと読みにくいと思いますので、以下文は毎日新聞 有料デジタル版より。
猿沢池の元とは何か? 梅林秀行さんが「もちいどのセンター街」を歩きながら、「東向商店街も緩い下り坂になってました。ここも下ってますよね。なぜ坂道になっているか」。
しばらく行くと、平らな所に出た。そこから先は上り坂になっている。つまりここは……。「谷底です。緩やかなV字谷」。そう言って梅林さんはセンター街と交差する細い道を指す。「蛇行してますよね」。もしかして川?
「そうです。率(いさ)川といって、今は暗渠(あんきょ)になってます。この川が谷を作った。そして、この川をせき止めて猿沢池を造ったんです」
率川の上を東へ歩く。川沿いにしゃれた飲食店などが並ぶ。「ここを僕は奈良の裏原宿と呼んでるんです」。裏原は流行ファッションの発信地。だいたい、古い建物は川に背中を向けているものだが、ここは違う。「川の跡は最後に開発されるから、世界中どこも、川の跡には若者が集まってくる。若者文化を知りたければ、川の跡へ行くこと」。また一つ、梅林さんの散歩術が開陳された。
正面に猿沢池の土手が見えてきた。「あの斜面がダムですね。平城京のダムを目の前に見てるわけです」。その手前に小さな橋があり、絵屋橋と刻まれている。興福寺の絵師たちが住む絵屋町に通じていたからだ。
ダムの石段を上がると、猿沢池が広がっている。左手に興福寺の建つ崖。南円堂の八角の屋根が見える。池は崖の下にあるのがわかる。「あの崖は率川が削った浸食崖ですね」。猿沢池が人工の池とは知らなんだ。自然にできたような顔をしてますけど。
「なんで、ここに池を造ったか。興福寺の南の庭園と考えたからです。放生池を兼ねていました」。放生池に亀や魚を放って、命を助けることで慈悲の実践とした。「なんとなく正方形でしょう? 都の区画の方形に合わせて造ったからですね」
ここで梅林さんが、大正時代の奈良の名勝案内地図を取り出す。観光名所が絵入りで案内されているのだが、興福寺のシンボルの五重塔は驚くほど小さくて、代わりに南円堂が大きく描かれている。
南円堂は西国三十三所の第九番札所で、庶民の信仰を集めた。「地図はみんなの興味がどこにあったか、よくわかる。中世から明治・大正の人々は、五重塔にはほとんど興味を示してません。圧倒的に手を合わせていたのが南円堂」
その南円堂に上がる石段にだけ、赤いのぼりが並んでいる。梅林さんが「すごい好きな景色」という。
だがしかし、地図をよく見ると、この石段は描かれていない。「明治~大正にでき、江戸時代には存在しなかった。では、どこを通って参拝してたか?」。梅林さんが江戸時代の「大和名所図会」を取り出す。南円堂前に石段があり、穴門というけったいな名前の門があったという。
穴門の跡。塀を切っている=奈良市登大路町で2022年3月4日午後2時17分、松井宏員撮影
「今も跡があるんです。行ってみましょう」と梅林さんは三条通りを西へ歩く。興福寺を囲っている築地塀が切れて石段が付いている所がある。「ここに穴門があったんです」。なるほど、塀に穴を開けたような。参道にするため、わざわざ塀を切ったようだ。「江戸時代の人たちがこの石段を下りてくると」と梅林さんが反対側を向く。細い路地が南へ延び、その先に町家が見える。
あの先には何が? 「明治にできた元林院という花街があったんです」。さっき通った絵屋橋の先、率川の流れる谷底に花街があったのだ。「谷底は悪い土地。そこに悪所の花街ができた。祈りと遊びは表裏一体。南円堂に手を合わせた人々は、谷底に吸い込まれていったんです」
まだ、花街の名残があるという。我々も谷底に吸い込まれるとしよう。【松井宏員】=<4>は20日掲載
奈良公園バスターミナルでの上映会はすでに予約殺到で満席です。
そこで初めてのライブ配信が行われるということです。料金は投げ銭方式で、1円でも100万円でも良いとのことです。
「5月8日(日)映像作家保山耕一作品上映会はYouTubeにて初のライブ配信となります。
https://event.nara.jp/sp/hozan05/live
↑YouTubeにリンクしています。
「奈良、時の雫」koichi hozan のチャンネルとは違うYouTubeチャンネルでライブ配信をします。お間違いなく。
チャンネル登録をお願いします。」
とのことです。
(追記)
5月8日、開催されましたので拝見してきました。
ライブだけでなく、そのあとYouTubeでも見ることが出来ることがわかりました。3時間30分ほどの長編です。
奈良のあちこちの桜、川路聖謨の新作講談などたっぷりです。
東大寺知足院とナラノヤエザクラも出てきます。その説明をわたしも登壇して行いました。(2時間40分あたりから)
良かったらご覧ください。
「映像作家保山耕一作品上映会はYouTubeにて初のライブ配信
https://event.nara.jp/sp/hozan05/live
↑YouTubeにリンク。
投げ銭スタイルとします。
ご視聴後にお値段を決めて頂きお振込下さい。
三井住友銀行 小阪支店 普通5231131 ホザン コウイチ
価値がないと思われたらお振込は必要ありません」とのことです。
奈良ムジークフェストが始まります。
5月15日、原田莉奈さんのピアノと関西フィルハーモニー管弦楽団の演奏が始まりです。
チケット申し込みしようと思ったらすでの満席とのことです。
奈良県出身の若手ピアニストとのコラボ!大迫力で贈るシンフォニー
関西フィルハーモニー管弦楽団&原田莉奈(ピアノ)
コンサート名
「華麗なるオペラ・ミュージカルセレクト&ヴァイオリン協奏曲」
奈良フィルハーモニー管弦楽団&ムジークフェストなら合唱団
日程
5/22(日) 14:00開場/15:00開演 120分
会場
奈良県文化会館 国際ホール(Google Map)
〒630-8213 奈良県奈良市登大路町6-2
座席指定
指定席 ※未就学児童の入場はご遠慮ください。
チケット価格
前売り券:¥1,000-/当日券:¥1,500-(残席がある場合に限り、会場にて販売)
曲目
・トゥーランドットよりアリア「誰も寝てはならぬ」/G.プッチーニ
・タンホイザーより「歌の殿堂を称えよう」/R.ワーグナー ほか
その他、各地で演奏会があります。公式ホームページ⇒https://www.naraken.com/musik/2022/
7日のアゴラ音楽クラブのコンサートの案内を頂きましたので紹介します。
「アゴラ音楽クラブNPO法人設立10周年記念コンサートへの改めてのご案内をさせて頂きます。
もう間近、5月7日(土)14:00開演(13:30開場)、会場はDMG MORI やまと郡山城ホール、入場は無料です。
14:00~ ピアノ連弾、ソロ
16:00~ マリンバ、アンサンブルなど
17:00~ ダンス、アゴラ太鼓
(18:00終演予定)というプログラムです。
ご都合のつく時間だけでも、ぜひご来場頂けましたら幸甚です。
なお、いらしていただけない方には、LIVE配信もいたします。
のぞいてみて下さいませ。
配信アドレスは、 https://youtu.be/4S0bCJlyOt4
です。」
とのことです。
(追記)奈良新聞8日付は以下のように伝えています。
5月4日、みどりの日(祝日)。好天に恵まれて。
DMG MORIやまと郡山城ホールの小ホールにて、くらしにちょっとクラシック音楽の会(筒井寛昭会長)のコンサートがありました。
足かけ20年とのこと。よくつづいているものです。
今回もスタッフとして参加してきました。
小ホールにコロナ以降はじめて、大勢のお客様に来ていただきました。
ありがとうございました。
駒二三男さんの司会進行で開会しました。
上田清 大和郡山市長のご挨拶。上田清市長もこの会の創立以来のメンバーです。
第1部は音にくらくら。
ピアノ佐藤明子さんのバッハ、ラフマニノフの曲で始まりました。
ヴァイオリン相原 瞳さん、ピアノ松下寛子さんによる、今年生誕200年のフランクのヴァイオリンソナタ イ長調。
第2部は声にクラクラ。
魔笛、フィガロの結婚、ウェストサイドストーリー、マイフェアレディー、メリー・ウィドーから。
バリトンの松下伸也さんのオペラとミュージカル。
ソプラノの大原末子さん。
シンガーソングライターの氷置 晋さんも昨年来のヴォイストレーニングの成果を発揮してテナー歌手としてソプラノの大原末子さんと。
第3部は、心でくらクラ。
東大寺長老であり、この会の会長でもある筒井寛昭師、ご子息の龍松院住職の筒井英賢師、隔夜寺住職の中田定慧師の3名で、東大寺修二会の声明の合わせ稽古の様子として、劇場ではめずらしい「声明」を30分間実演いただきました。
筒井寛昭師と筒井英賢師。
中田定慧師
筒井英賢師
氷置晋さんの歌は、賛仏歌2~ほほえみ~、筒井寛昭さん作詞の「奈良におもえば」。
そして最後に恒例の、中島みゆきの「時代」を出演者と共に、われわれスタッフもステージにあがり歌いました。
20年の系譜。感慨深いものがあります。
多くの皆様におこしいただき、多くの皆様にお手伝い頂き無事終了しました。
出演者に応援スタッフ一同の記念撮影。皆様ありがとうございました。
写真は奈良ミュージックデザインの中村千紗さんにもいただきました。感謝。
ついでながら、5月2日オープンした、大和郡山市役所の新しい庁舎(地下1階地上5階、鉄骨免震建物)と長年つかわれた旧庁舎。旧庁舎は解体されて来年グランドオープンとのことですが、記念に貼り付けておきます。(2022年5月4日撮影)
(追記)
奈良新聞にも報告記事が載りました。(画像をクリックすると拡大します)
40年ほど俳句を作ってこられたという、山口県出身で現在奈良でご活躍の、倉橋みどりさんが第一句集をこのほど上梓されました。タイトルの「寧楽」(ねいらく)の通り、奈良を詠んだ俳句が多いということです。倉橋さんの俳句の先生はじめ多くの方が長年発行を待ち望まれた俳句集とのことです。倉橋さんは俳句結社「寧楽」も主宰されていて今回相当量の俳句から387句を選ばれたということです。角川書店発行。税込2970円。
4月30日夕方、小西通りの啓林堂書店奈良店2階でたくさんの人を集めて、ミニトークとサイン会がありましたのでいってきました。
今までの道のりを語られたあと、自選十句を解説していただきました。
黄落(こうらく)や正倉院に錠(かぎ)おりて 黄落=紅葉のこと 錠おりて=正倉院の鍵がかけられること
秋の蚊に小指を食はれ業平寺(なりひらでら) 業平寺=佐保路の不退寺のこと
つちふる(土降る)と都の址に都人 つちふる=中国大陸からの黄砂
去年(こぞ)今年(ことし)奈良太郎の音(ね)鎮(しず)もれる 去年今年(こぞことし)=除夜の11時45分から12時15分ころ
奈良太郎=東大寺の大鐘のこと
行く春や転害門(てがいもん)ある手貝町(てがいちょう) 転害門も手貝町も=てがい、字は違うが同じ事
再建の塔より秋の風の音(おと) 再建の塔=斑鳩の再建された法輪寺の三重塔
大寺をつつんで若草山眠る 大寺=東大寺のこと。山眠る=冬の季語
時雨(しぐれ)きて鹿も加はる雨やどり 冬急に雨が降り雨宿りをしたら私の両側に私をはさんで鹿も雨宿りした
佐保川の千鳥ぞ光る石拾ふ 佐保川の千鳥=万葉集に出てくる歌をふまえて
満行や大和の春は調(ととの)ひぬ 満行=お水取りの終えたこと
俳句は季語がありますから、わたしなど解説がないとよくわかりませんが、辞書をひいたりインターネットの季語のサイトでしらべたりしながら味わっています。
倉橋みどりさんとは、月刊誌「あかい奈良」の頃からの知り合いです。
倉橋みどりさんのプロフィールです⇒https://www.arca-nara.jp/about/kurahashim/
(追記)
読売新聞5月13日、2面の「四季」の欄に、倉橋みどりさんの俳句を発見しました。
長谷川櫂さんの欄です。
いま一片やがて一切花吹雪
満開の桜から花びらがひらひら舞い降りる。そのひとひらを見て、数かぎりない花びらの飛び交う光景を予感しているのだ。
ひとひらの静かさと無数の花吹雪の静かさ。何事もはじめはかすかだが、たちまち本流となる。句集『寧楽』から。
4月23日から6月19日まで奈良国立博物館にて「大安寺のすべて 特別展」が始まりましたので、拝観してきました。
河野貫主が「大安寺のほとけ様が空っぽになる」と言われるくらい、奈良時代の木造のほとけ様はじめ、初めて拝見する品々が展示されています。また大安寺とゆかりのあるいろいろなお寺などからも出品されています。
現在の境内の広さは、奈良時代の境内の4%とのことですが、奈良時代の境内をCG(コンピューターグラフィック)で大画面で再現された映像も流れています。
展覧会のホームページです⇒https://www.narahaku.go.jp/exhibition_cat/special/
わが国最初の天皇発願ほつがんの寺を原点とし、平城へいじょう京きょうに壮大な寺地と伽藍がらんを構えた大安寺。
奈良時代、東大寺や興福寺などとともに南都七大寺の1つに数えられ、一時期を除き筆頭ひっとう寺院としての格を有していました。
1250年の時を経て今も大安寺に伝わる9体の仏像は、奈良時代を代表する木彫もくちょう群の1つです。
かつての伽藍の発掘調査で出土した品々からは、往時の壮大な堂塔や華やかな営みの様子をうかがい知ることができます。
また、菩提僊那ぼだいせんな、空海くうかい、最澄さいちょうをはじめ、1,000人にも及ぼうかという国内外の僧侶たちがここに集い、後に諸方面で活躍しました。
天智天皇の発願により造られたとみられるかつての本尊・釈迦如来像は、今は失われてしまいましたが、平安時代には奈良・薬師寺金堂の薬師三尊像よりも優れていると評され、古代から中世の仏像制作に影響を与えました。
本展では、まさに時代をリードする大寺院であった大安寺の歴史を、寺宝、関連作品、発掘調査成果など様々な角度からご紹介します。
ある人によれば2時間かかるくらいという事前の評判でしたが、たしかに内容豊富です。わたしは1時間半ほどかけて拝観しました。なら仏像館はこの日は拝観できずまた後日の拝観としました。(期間中は残ったチケットでなら仏像館に入れるそうです)
出口あたりには「つづいて大安寺にお越しください」と案内がありました。大安寺ではコントローラーをつかってのCGの天平伽藍の拝見ができるそうです。
この日の夕方に出会った、奈良まほろばソムリエの会の「やいちさん」は案内のように奈良国立博物館のあと大安寺に行き、そして平城京の羅城門あとまで行ったそうです。
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