美ビット見て歩き 104
いつも楽しみにしている、川嶌一穂さんの美ビット見て歩きが奈良新聞4月8日に載っています。
伝教大師1200年大遠忌記念特別展「最澄と天台宗のすべて」についてです。
「延暦寺からはその後、道元、法然、親鸞、日蓮ら日本の仏教史を書き換える革新的な指導者が輩出した。なぜか?」
と書かれているように、大きな影響をもたらした人です。
4月12日から京都国立博物館において特別展が開かれるということです。
美ビット見て歩き 私の美術ノート *104 川嶌一穂
伝教大師1200年大遠忌記念特別展「最澄と天台宗のすべて」
写真 杉木立ちの中の比叡山延暦寺根本中堂(2016年6月、同行の友人撮影)
日本天台宗の開祖・最澄は、天平神護二(766)年、あるいは神護景曇元(767)年、近江国(滋賀県大津市)に生まれ、弘仁十三(822)年、比叡山にて入寂した。今年令和四年は千二百年大遠忌にあたる。
延暦四(785)年、最澄は東大寺戒壇院で受戒して正式の僧になったが、三か月後に比叡山に入ってしまう。山中での修行が十年になる頃、宮中に出入りできる内供奉十禅師(ないぐぶじゅうぜんじ)の一人に任命された。
奈良仏教に批判的だった桓武天皇の後援を得て、最澄は遣唐還学生(げんがくしょう・公費短期留学生)に任命される。延暦二十二(803)年、遣唐使船に乗船したが、暴風雨に遭って引き返し、再出発を九州で待つことになった。
翌年、船団の第二船に乗船したが、第一船に正式の僧になったばかりの空海が留学生(るがくしょう・私費長期留学生)として乗っていた。後に真言宗の開祖となる空海はこのとき数え年三十一歳。どのようにして遣唐使の一員になれたかは分かっていない。前年の嵐が、空海の入唐に幸いしたと言えるだろう。
最澄は、入唐後九か月にわたり沿岸部の江南地方に滞在し、天台山で大乗仏教の戒律を受け、また龍興寺において大乗菩薩戒を受けることができた。
一方空海は首都・長安に入り、真言密教第七祖・青龍寺の恵果の弟子となった。滞在中、多数の経典、書籍、仏具を購入して二年で帰国したが、二十年という留学期間を大幅に縮めて帰国したためすぐには上京せず、太宰府に三年の間留まった。
空海が請来した文物を朝廷に報告するために作成した目録『弘法大師請来目録』(国宝・後期展示)が東寺に伝わるが、それは最澄の筆になるもので、もとは延暦寺に伝来した。つまり最澄が空海から借りて書写した写本である。
残念ながら今回の京都展には出ていないが、弟子に宛てた有名な最澄自筆の手紙『久隔帖(きゅうかくじょう)』の文中で、最澄は七歳年下の空海を「大阿闍梨」と呼んで、平出(へいしゅつ・該当する語を次行の頭に置くことで敬意を表すること)している。借用するときに礼を尽くした最澄と、命がけで請来した経典を何度も最澄に貸した空海の二人は、この後に袂を分かつことになる。
兵庫県一乗寺に伝わった現存最古の肖像画、『最澄像』(国宝・前期展示)は、色彩も美しい平安仏画の傑作で、最澄の厳しくも穏やかな人となりをよく伝えている。
延暦寺に伝わる『七条刺納袈裟』(国宝・前期展示)は、何と最澄が唐の天台山で、師の行満から相伝した天台宗六祖・湛然の袈裟という。
国宝の阿弥陀堂で有名な京都市伏見区日野の法界寺から、今回秘仏の『薬師如来立像』(重要文化財)がお出ましになった。最澄自刻の延暦寺根本中堂の本尊の姿に近い像と伝わるが、切金を施した衣紋の装飾がとても美しい。
岩手県中尊寺の『一切経』(国宝)は、平安貴族の趣味の洗練を今に伝えている。紺紙に金銀字の清衡経が前期に、紺紙に金字の秀衡経が後期に展示される。
もと長岡京市の長法寺に伝来した『釈迦金棺出現図』(国宝)は、織田信長による比叡山焼き討ちの折に長法寺に移動したという。入棺後に、母の摩耶夫人を慰めるために釈迦が棺から立ち上がる場面を描く。
延暦寺からはその後、道元、法然、親鸞、日蓮ら日本の仏教史を書き換える革新的な指導者が輩出した。なぜか?
最澄は、中国仏教の伝統を受け継いだ国家仏教としての側面が強い南都仏教と対決して、天台教学を打ち立てた。『般若心経』が説く「是諸法空相」(この世におけるすべての存在するものには実体がない)ではなく、「諸法が実相である」(現象世界が真実のものである)と説くのである。日本人のアニミズム的自然観や山岳信仰を取り入れた「日本型仏教」の誕生だ。
わたしの乏しい経験だが、海外の旅行先で路傍の草花を眺めると、園芸植物は別として、どこも植物相が日本より貧弱だ。地形、気候、植物が実に多様な日本で暮らしていると、この現象世界が「空(くう)」だとは実感できなかったのではないか。それよりも「山川草木悉皆成仏」という自然観がしっくり来る。だがそれは伝統的仏教からすれば驚くべき変容であった。仏教が「日本型」に変容したのである。
本展は、鎌倉仏教や禅宗にも受け継がれる「日本型仏教」の礎を築いた最澄と、その後の天台宗の歴史を知る貴重な機会だ。
=次回は5月13日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。
メモ
京都国立博物館 京都市東山区茶屋町527。電話075(525)2473。https://saicho2021-2022.jp/ 近鉄丹波橋駅にて乗換え、京阪電車丹波橋駅から七条駅下車、東へ徒歩7分。会期は、あさって4月12日(火)から5月22日(日)まで(月曜日休館)。一部展示替えあり(文中の「前期」は4月12日〜5月1日。「後期」は5月3日〜22日)。
参考 立川武蔵著『最澄と空海―日本仏教思想の誕生』角川ソフィア文庫。
訂正 前回3月11日付け「春日神霊の旅」展の文中、上段後ろから4行目「雌の白鹿」を「雄の白鹿」に訂正致します。
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