興福寺五重塔、120年ぶり大規模修理 日経新聞より
興福寺五重塔の改修が近づいているようです。2021年12月4日撮影。
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奈良のランドマーク興福寺五重塔、120年ぶり大規模修理
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関西タイムライン
2022年1月27日 2:01 [有料会員限定]
興福寺五重塔から望む若草山(奥)。中央の建物は東大寺(奈良市)
人々の高い塔への憧れはいつの時代も変わらない。興福寺(奈良市)の国宝、五重塔は昔も今も奈良のランドマークだ。2022年度から大規模な修理が始まるが、塔がすっぽり素屋根に覆われる前に、その高みからの眺望をカメラに収めた。街を見はるかす廻縁(まわりえん)に立つと、いにしえの奈良の都が浮かび上がってくる。
中世まで5度焼失
五重塔は730年(天平2年)、藤原不比等の娘で聖武天皇の皇后だった光明皇后の発願で建立された。5度の焼失と再建を繰り返し、現在の塔は6代目。室町時代の1426年(応永33年)に再建された。
興福寺五重塔から望む中金堂(奈良市)
高さは金属製の相輪を含めて50.8メートルで、現存する近代以前の五重塔の中では京都の東寺(54.8メートル)に次ぐ高さだ。かつて東大寺には100メートルに達する七重塔(東塔と西塔)があったとされるが、いずれも平安時代から中世に焼失。肩を並べていた元興寺五重塔が江戸末期に焼け落ちた後は興福寺五重塔が奈良で最も高い塔の座を守ってきた。
古代の建築史に詳しい奈良文化財研究所・都城発掘調査部長の箱崎和久さんは「高さや大きさ、全体の形や様式は創建時をほぼ踏襲している。部材の一つ一つが大きいのが特徴で、平安時代に建てられた興福寺の三重塔の細やかな雰囲気に比べると男性的で筋肉隆々。天平時代を感じさせる雄大さがある」という。
今回の大規模修理は1901年(明治34年)の屋根のふき替え工事以来、約120年ぶり。修理を担う奈良県文化財保存課によると、6月から本格的な修理工事に着手し、来年には塔全体がすっぽり仮設の素屋根で覆われることになる。
1月上旬、興福寺の許可をもらい箱崎さんとともに五重塔にのぼる機会を得た。初層には心柱を囲むように東に薬師、南に釈迦、西に阿弥陀(あみだ)、北に弥勒(みろく)のそれぞれ三尊像計12体がまつられている。扉の横に天井裏へのぼるための梯子(はしご)階段があり、狭く急な梯子を懐中電灯の光を頼りに2層、3層と慎重にのぼっていく。
興福寺五重塔の心柱(奈良市)
内部は、屋根を支える組物の肘木(ひじき)などの部材が入り組み、縦横にガチガチに固められている。材はほとんどがヒノキ。壁は白いしっくいだ。柱のところどころにハトの白い糞(ふん)の跡もある。「心柱は3本を接いだ通し材になっていて、接ぎ部分は添え木をして金具で留めているのがわかる。壁の内側に耐震のための筋交いも打たれており、それぞれの時代の修復の跡が残っている」(箱崎さん)
ようやく5層までのぼり、高さ1メートルほどの風通し窓から腰をかがめて外の廻縁に出た。中金堂や南円堂の瓦屋根が間近に見える。太陽の光が猿沢池の水面に乱反射している。
興福寺五重塔から望む猿沢池(2022年1月、奈良市)
次の画像
「ここからみると興福寺が南側と西側に開けた高台の上に立っていることがわかります」と箱崎さん。西の方角には平城宮跡の大極殿、さらに目をこらせば薬師寺の三重塔も見える。東には若草山や東大寺大仏殿、南は大和三山が望める。
高欄(欄干)は高さ50センチほどの装飾で、手すりにはならない。長年の風雪で腐朽しているところもあり、屋根の瓦も緩んでいる。
廃仏毀釈で危機
明治初期の廃仏毀釈の際、五重塔は二束三文で売却されそうになった。解体費用がかさむため、火を放って九輪など金目の物だけを焼き落として拾い取ろうとしたが、周辺から類焼を恐れる声が出て売却は見合わせになったという。
興福寺五重塔(奈良市)
これには奈良の観光資源として、五重塔の景観に期待する判断が働いたのではないかとの見方もある。昭和30年代には観光客が五重塔にのぼることもできた。奈良を代表する写真家の入江泰吉をはじめ、多くのカメラマンが塔からの展望を写真に収めている。
興福寺五重塔から望む南円堂(2022年1月、奈良市)
入江泰吉が興福寺の五重塔から撮影した南円堂
「四方の展望を味わっていると、奈良の古代というものがイメージとして浮かびあがってくる」。小説家の大原富枝も五重塔にのぼった体験をこう書き記した。「立体へ、高さへ、空へ、と憧れわたった人間の劫初(ごうしょ)からの情念とエネルギーが沸々と伝わってくる心地がする」(「わたしの興福寺」)
奈良県文化財保存課によると、修理は屋根瓦のふき替えなどが中心になる見通しだが、どこまでの規模になるかは耐震診断結果によるという。修理完了の時期も明確ではない。
興福寺五重塔の初層にまつられた釈迦三尊像
興福寺では昨秋に引き続き3月1~31日、五重塔の初層の特別公開をする。森谷英俊貫首は「5度も焼失した五重塔はその度に不死鳥のごとく再建されてきた。戦火や災厄を幾度も乗り越えてきた力強さをぜひ心にとどめてほしい」と話している。
(岡本憲明)
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