医師であり郷土史家の喜多野徳俊氏のこと
喜多野徳俊氏は、長年、奈良市中筋町で医師をされるとともに、郷土史家として多数の著書を書かれ、講演などもされていました。
わたしも奈良ロータリークラブでご一緒になりました。
幕末の奈良奉行である川路聖謨の講演を伺ったこともあります。興福寺五十二段の上にある川路聖謨の植桜楓の碑の下の方に、桜や楓を植える応援をした奈良の町の人の名前があることを教えてもらいました。その中に、松森長六という名がありわたしどもの先祖であろうとのことでした。
喜多野徳俊さんのご子息である医師の喜多野三夫さんに以下は教えていただきましたので紹介します。
「(父徳俊の)没後16年になるのに神奈川県の郷土史家の方から突然父の記事をウィキペディアに載せたい旨連絡あり情報著書提供しました。大変奈良の郷土史に興味造詣深く親父の著書半分以上お持ちでした。
先日投稿されました
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%9C%E5%A4%9A%E9%87%8E%E5%BE%B3%E4%BF%8A
喜多野徳俊の 検索でも見られます。」
とのことです。
喜多野徳俊さんは、先日閉店された豊住書店から多数の著書を上梓されています。郷土史は先日の大槻旭彦さんの「高畑町界隈」の本もそうですが、たいへん貴重なものであり、ともすれば消えていきがちな郷土史を書きつないでいくことが大切だと思います。
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