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奈良まほろばソムリエの会、広報グループの佳山隆生さんの最近のとびっきり奈良観光を紹介します。写真もビデオから拝借。
【国境食堂】大仏だけが奈良じゃない。グルメも充実。奈良観光の前にバーチャル奈良案内。画家で奈良まほろばソムリエの佳山隆生がご案内。【奈良観光】
https://www.youtube.com/watch?v=DunNhlNE3Yk&t=8s
https://www.youtube.com/watch?v=Zy3hrk2FhzI
【奈良観光】大仏だけが奈良じゃない 植村牧場編 奈良公園周辺の観光スポットをご案内 鹿だけが奈良じゃない! 住宅街に牧場が! 絶品ソフトクリーム 新鮮牛乳 植村牧場 奈良【奈良観光】
https://www.youtube.com/watch?v=52xfKWnnO8E
そしてもと奈良少年刑務所など。
奈良県の文化資源活用課よりの「なら記紀・万葉プロジェクト」よりの情報を紹介します。(以下転載)
【~壬申の乱~歴史の魅力をさらに深掘り!『天上の虹』の作者、里中満智子先生が語る、『万葉集』から読み解く「壬申の乱」と持統天皇 公開中!】
奈良県では2012年より「なら記紀・万葉プロジェクト」を推進しています。2022年は「壬申の乱」から1350年の節目の年を迎え、「壬申の乱」をテーマに新たな取組を展開します。
『万葉集』に残された持統天皇の和歌から、彼女の知られざる人物像や壬申の乱が彼女の人生へ与えた影響に迫ります。以下URLの「なら記紀・万葉ホームページ」より是非ご覧ください!
〇なら記紀・万葉HP 壬申の乱保存版特集
https://kikimanyo.info/jinshin/
その他、イベント等最新情報は「なら記紀・万葉ホームページ」からご確認ください!
○なら記紀・万葉ホームページ
https://www3.pref.nara.jp/miryoku/narakikimanyo/
文化資源活用課からのお知らせでした。
(画像をクリックすると拡大します)
日経新聞22日付夕刊に保山耕一さんの記事が大きく載っています。これを機会にさらに大きく仕事をなしとげていただきたいと思います。
(以下有料電子版より)
映像で伝え続ける大和の魅力 映像作家・保山耕一さん
関西のミカタ
見出し。
「関西の奥深き魅力 発信を」
「関西広域誘客で価値向上」
関西タイムライン
2021年12月22日 2:01 [有料会員限定]
ほざん・こういち 1963年大阪府東大阪市生まれ。フリーランスのテレビカメラマンと
して「THE世界遺産」や「情熱大陸」などを担当した。現在は映像作家として奈良県を
拠点に活動。NHKの「やまとの季節 七十二候」も担当する。
■テレビ番組「THE世界遺産」(TBS系)などのカメラマンを務めてきた保山耕一さん(58)。
現在はがんと闘いながらほぼ毎日奈良のどこかへ出かけて映像を撮り続け、
「やまとの季節 七十二候」(NHK)などの映像制作を手掛ける。
高校の文化祭でフィルム作品を作ったことをきっかけに「日本一のカメラマンになる」
夢を抱き、卒業と同時に映像世界に飛び込んだ。アルバイトの撮影助手から始まり、関
西を拠点にテレビや映画の制作に携わった。不安定なフリーの立場では、認めてもらわ
なければ生き残れない。生活の全てを仕事にささげ、大阪の地下街のホームレスを1年
間追ったドキュメンタリー作品は映像コンクールで最優秀賞を受賞した。審査員の大島
渚監督からは「新しい時代の新しい映像作家が生まれた」と評価してもらった。
フリーのカメラマンとしてジャンルは問わず仕事を引き受け、多様な被写体にカメラを
向け、自分が思うままに撮影をしてきた。キャリアを重ねていくなか、気づけば歴史紀
行や世界遺産の撮影が多くなった。一度は携わりたいと思っていた「THE世界遺産」か
らも声が掛かり、南米に赴いて1カ月間のロケを敢行した。高度な撮影技術が求められ
、1日も休むことなく睡眠時間も削って撮り続けた。
2013年夏、50歳のときに仕事中にトイレで倒れた。直腸に大きな腫瘍が見つかり、医師
からは余命2カ月と宣告された。放射線治療を続け、手術で直腸を全摘し、一命はとり
とめた。ただ、後遺症で突然トイレに行きたくなることがあり、その後がんが肺にも転
移した。5年の生存率は10%以下といわれ、カメラマンとしてのキャリアも終わったと思
った。
■テレビなど過酷な撮影現場には復帰できない。自分ができることを考えたときに、幼
少期から通った奈良の魅力を自分のカメラで伝えることを思いついたという。
毎日カメラを持ち奈良の風景を撮り続けている
残りの人生で自分は何ができるのか。考え抜いてたどりついたのが、幼少期から母に連
れられて来た奈良の風景を撮影することだった。季節感が豊かで、歴史風土もある。テ
レビなどの仕事では必要だった演出は施さず、実感したものをそのまま映像で伝え続け
た。これまで900本の映像作品を公開したほか、音楽と映像を組み合わせて上映会も開
催した。
奈良は新型コロナウイルスの感染拡大でインバウンド(訪日外国人)が消失し、観光客
は激減した。一方、本来奈良があるべき姿を見ることもできたと思う。繊細な季節の変
化や動物本来の営みがあり、日常の風景から奈良の美を観察すれば感性が磨ける。そう
いう思いからほぼ毎日奈良のどこかへ出かけて撮影し、ネットで世界への発信を続けて
いる。
■新型コロナ禍が落ち着いた先を見据え、関西の観光誘客のためには広域で「地域の商
品価値」を上げていく必要があると話す。
奈良という風土の魅力を一番分かっていないのは、実は奈良の人だと思う。インバウン
ドに来てもらうのは悪いことではないが、これまでとは違う発信の仕方が求められる。
世間では鹿や大仏というイメージが強いが、奈良にはもっと奥深い魅力とポテンシャル
がある。それを能動的に学び、感性を磨くきっかけをつくる必要がある。
関西全体でも共通する課題だ。例えば、奈良は田舎風の「鄙び(ひなび)」と呼ばれる
一方、京都は風流な「雅(みやび)」だ。日本古来の文化が詰まっている両地域が隣り
合っており、連携ができれば、もっと観光地としての商品価値は上がる。狭い1つの地
域ではなく、広域で考えたときの魅力は何か。そういう視点を持つ人材がいても面白い
と思う。(聞き手は松本晟)
このほど、奈良県による「あしたのなら表彰」の表彰式がありました。(番組中45分くらいから)
バサラ祭りのことで、奈良もちいどのセンター街副理事長の魚谷和良さん
ならまち糞虫館の中村圭一さん
おんまつりの願主役で毎年ご活躍の大和郡山の飯田さん
らが表彰を受けられ、スピーチがYouTubeで紹介されています。
https://www.youtube.com/watch?v=pwxIMf6X1aY
昨年のあしたのなら表彰はコロナ禍のため、残念ながら発表の機会はありませんでしたが
ことしの表彰式においてビデオで紹介されたそうです。(1時間10分くらいから)
わたしや村内さんら4名と1団体が紹介されています。
「もちいどのセンター街の起業家支援施設 夢CUBEのことや、ブログ「鹿鳴人のつぶやき」で、奈良のさまざまのことを発信している」と紹介されています。
大駱駝艦公演を奈良で見られるのは以前もあったそうですが、私にとってはめったにないことです。お誘いありましたので見て来ました。
金粉姿の男性7名、女性7名、そして学生服姿の男性とふたりの女子学生が舞台狭しと、ビバルディの「四季」の春の音楽などに合わせての舞踏劇でした。あっという間に1時間あまりが経ちました。相当の運動量だと思います。
ロビーにて、2階から大きな垂れ幕がかかっていました。
開演前のステージです。思った以上にたくさんの人が詰めかけておられました。わたしは前から5列目で拝見しました。
閉演後のステージ。
終演後ホワイエでお誘い頂いた、舞台では女子学生そして貴婦人の服装で出演された主演級の、同窓の鉾久奈緒美(むくなおみ)さんとお会いできました。右後ろに麿 赤兒さん。お二人とも奈良出身です。
こういう公演をみるのは、同年代のいまはない月吠の中谷英雄君(1948-2014 、享年66歳。)が以前早稲田大学奈良県校友会で、白塗りで踊ったのを見て以来のことでした。
喜多野徳俊氏は、長年、奈良市中筋町で医師をされるとともに、郷土史家として多数の著書を書かれ、講演などもされていました。
わたしも奈良ロータリークラブでご一緒になりました。
幕末の奈良奉行である川路聖謨の講演を伺ったこともあります。興福寺五十二段の上にある川路聖謨の植桜楓の碑の下の方に、桜や楓を植える応援をした奈良の町の人の名前があることを教えてもらいました。その中に、松森長六という名がありわたしどもの先祖であろうとのことでした。
喜多野徳俊さんのご子息である医師の喜多野三夫さんに以下は教えていただきましたので紹介します。
「(父徳俊の)没後16年になるのに神奈川県の郷土史家の方から突然父の記事をウィキペディアに載せたい旨連絡あり情報著書提供しました。大変奈良の郷土史に興味造詣深く親父の著書半分以上お持ちでした。
先日投稿されました
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%9C%E5%A4%9A%E9%87%8E%E5%BE%B3%E4%BF%8A
喜多野徳俊の 検索でも見られます。」
とのことです。
喜多野徳俊さんは、先日閉店された豊住書店から多数の著書を上梓されています。郷土史は先日の大槻旭彦さんの「高畑町界隈」の本もそうですが、たいへん貴重なものであり、ともすれば消えていきがちな郷土史を書きつないでいくことが大切だと思います。
https://live.nicovideo.jp/watch/lv334670245?fbclid=IwAR0H6-SgGqnvci2wBH7IgFoRILyF4iOpJ-8toSdbSt9CT1U39H1_ggYh3Fs
春日大社のホームページ、https://www.kasugataisha.or.jp/
では、ことしのおん祭りのインターネット動画情報を伝えています。
「令和3年の春日若宮おん祭について
(12月6日現在)
今年の春日若宮おん祭は新型コロナウィルス感染症拡大防止のため、インターネット動画
配信を行います。下記の各サイトでご覧ください。
Youtube チャンネル「春日大社チャンネル」ライブ配信
17日 お渡り式、松之下式、御旅所祭(12時~21時30分)
https://www.youtube.com/channel/UCnfMJUZYIQcnJB6vvfa-fBg
※ KCN(近鉄ケーブルネットワーク)12chでも生放送をいたします。
インターネット動画配信サービス「ニコニコ生放送」リアルタイム再配信
昨年、下記の神事をライブ配信したところ大変好評でしたので、昨年配信した動画を再び
ノーカットで配信いたします。
15日 大宿所祭(16時~18時)
https://live.nicovideo.jp/watch/lv334670245
16日 宵 宮 祭(15時30分~18時)
https://live.nicovideo.jp/watch/lv334670259
17日 暁 祭(16日23時~17日2時)
https://live.nicovideo.jp/watch/lv334670271
※本番組は、niconico の会員登録やログインなしでも視聴が可能です」
このほど大槻旭彦さんは著作『高畑町界隈ーその歴史と伝承』で奈良新聞文化賞を受賞されました。その祝賀会が、奈良市高畑町にある奈良ホテルで開催されました。まことにおめでとうございます。
お招きを受けましたので、奈良マラソンの応援のあと、出席させていただきました。
表紙の絵は、平城宮跡での、元明天皇展や吉備内親王展などいろいろなところでイラストにお目にかかっている上村恭子さんの作とのこと、お話もできました。
1部は、大淀町役場の学芸員の松田度先生と大槻旭彦さんのトークがありました。お二人は同志社大学の先輩後輩の間柄で、この本の出版にも松田度先生がお手伝いされたとのことです。
トークは
喫茶アカダマの話、お父様と多くの文化人や新聞記者の方などとの交流、春日大社とのつながり、南都楽所での活躍、中国西安や敦煌への演奏旅行の話、アカダマ会の話、奈良大学文学部文化財歴史学科での春日大社の研究、論文。50年来住んでおられる奈良市高畑町の話。この本を書かれるきっかけ、出版後の大きさに驚いたこと、などいろいろお話になりました。まだ3冊ほどの本の執筆中だということでした。
2部は祝賀会。
そして、最初にわたしはご指名を受けましたので祝辞と乾杯の発声をさせていただきました。
奈良まほろばソムリエの名物ガイドの雑賀耕三郎さんに写真を撮っていただきました
祝賀会の後、『高畑町界隈ーその歴史と伝承』にサインと捺印を頂き、記念撮影していただきました。
発起人の生駒あさみさん、司会の新井忍さん、皆さまお世話でした。
本のことは、以前に鹿鳴人のつぶやきに書いております。⇒http://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2021/02/post-9464d4.html
(2021年10月撮影)
奈良公園の興福寺五重塔あたりの松が伸び過ぎて景観を損ねているという声がありましたが、奈良県は松の枝を払い、大正時代の景観を取り戻すとのことです。奈良公園室の竹田博康室長がインタビューで答えていました。
奈良テレビの放送です→奈良テレビ
読売新聞
毎月、奈良新聞で楽しみにしている川嶌一穂さんの美ビット見て歩き、いよいよ101回。新しいスタートです。
青森の三内丸山遺跡と是川縄文館です。
青森に行ったとき看板に三内丸山遺跡と大きく書かれていたのが印象に残っていますが、この7月に北海道・北東北の縄文遺跡群が世界文化遺産になったとのことです。
川嶌さんの美ビット見て歩きを読んで、縄文時代がだんだん身近になってきました。
(画像をクリックすると拡大します)
美ビット見て歩き 私の美術ノート *101 川嶌一穂
青森市・三内丸山遺跡と八戸市・是川縄文館
写真 三内丸山遺跡内の大型掘立柱建物(著者撮影)
3年前の夏、東京国立博物館で開かれた「縄文展」(本欄第65回)を見て以来すっかり縄文にはまってしまった私は、ずっと東北の縄文遺跡に行きたいと思っていた。宣言が解除されて、いいツアーを見つけたので喜んで参加した。
東北新幹線新青森駅で下車すると、「北海道・北東北の縄文遺跡群」がこの7月に「世界文化遺産」に登録されたことを祝う看板があちこちに掲げられていた。駅からほぼ真南に2.5キロメートルほど行った所に三内丸山遺跡がある。
私は「さんだい」と読み誤まっていたが、「さんない」と読むのが正しい。遺跡エリアに入ると、パーっと視界が開けた。低い丘陵に復元された建物が点在し、道路がゆるやかな曲線を描いている。この道路のカーブは縄文時代そのままだと聞いて、腰折れ歌が口を突いて出て来た。
この道を縄文人も歩いてた胡桃をいっぱいポシェットに入れて
遺跡から出土した、5ミリメートル幅の樹皮を「2本越え2本潜り」の網代編みで編んだ小さな籠バッグの中にクルミの殻が残っていた。縄文中期と言うから四千年から五千年前のものだが、今でも十分通用する素敵なデザインだ。
広大な敷地の周辺に栗、胡桃、栃など実のなる木が植えてあるが、遺跡から出土した栗はDNA鑑定の結果、栽培されたものであることが分かった。これはもう「狩猟採集」ではない。稲作でこそないが、「農耕」と言うべきではないだろうか。
写真は、復元された建物遺跡の中でも圧倒的な存在感を示す高さ約15メートルの大型掘立柱建物。すぐ近くに「大型掘立柱建物跡」がある。すべて4,2メートル間隔の、直径・深さとも約2メートルの柱穴が6本発掘された現場を保存・展示する覆屋である。柱穴はそれぞれ内側に2度傾いていたことと、穴に直径約1メートルの栗の木の柱が残っていたことを基礎として再現したものが写真の大型掘立柱建物だ。国内ではもう直径1メートルの栗の木が手に入らないので、ロシアから輸入したという。
床とも天井ともつかない平面が3面作られているが、これは想像による復元である。
素人は考えるーこの高さへの強い意志には既視感がある。信州は諏訪大社の御柱である。現在の御柱祭と同じく、柱を建てる行為そのものに宗教的な意味があり、ここもおそらく柱のまま建っていたのではないか。
諏訪地方を中心にして信州には夥しい数の縄文遺跡がある。鏃(やじり)に加工された信州産の黒曜石が三内丸山遺跡で発見されている。諏訪周辺に残る御柱信仰が、歴史的にどこまで遡れるかは不明だが、古層文化の跡を留めていることは確かだろう。だとすれば、三内丸山と諏訪の縄文人が交易し、巨木を御神木として崇める文化を共有していた、などとどこまでも素人の妄想は広がるのである!
木々の黄葉が青空に映えて美しい。いま遺跡は海から4キロメートル近く離れているが、縄文時代はここが海岸線だった。落ち葉を踏んで歩いていると、リスが一匹林から飛び出した。
バスの車窓から、整然と植えられた可愛いニンニクの芽や、落ち穂をついばむコハクチョウの群れを見ながら、次の目的地である是川縄文館に向かう。
百年前、資産家の是川兄弟が敷地内で土器を発見した。農閑期の農民の手間仕事として発掘を続け、後に出土品約五千点を八戸市に寄贈した。その間、兄弟は研究者が、出土品を持ち帰って研究したいと言うと、「先祖からの贈り物だから、研究するならここへ来てくれ」と言って断ったという。中央の権威付けを有り難がるのが人の常だが、何たる見識か。
出土品を引き継いで、十年前に「八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館」として開館した当館には、国宝土偶5点のうちの1点「合掌土偶」が保管・展示されている。その他の展示品の質の高さと数の多さにも驚かされた。約600点の展示資料の8割が重要文化財に指定されている。ちゃんと残っている土器や太刀に塗られた漆の色が印象的だ。
縄文研究はまだ始まったばかり。機会があれば、ぜひ現地に足を運んではいかがだろう。日本の古代観が変わること請け合いだ。
=新年1月はお休みを頂き、次回は2月11日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。
メモ
特別史跡三内丸山遺跡 問い合わせは三内丸山遺跡センターへ。青森県青森市三内字丸山305。電話017(766)8282。青森空港からJRバスで約35分。JR新青森駅から徒歩30分か、バスねぶたん号に15分乗車。https://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/
是川縄文館 青森県八戸市大字是川字横山1。電話0178(38)9511。JR八戸駅から土日祝日のみ南部バスで22分。https://www.korekawa-jomon.jp/
12月8日、南都銀行本店が移転という電撃的な発表がありました。2025年をめどに大宮通沿いの新大宮に移転とのことです。
2024年が創立90周年とのことです。本店もJR奈良駅前支店も、大宮支店、手貝支店も統合されるようです。
何より、現在の本店建物は有形文化財の旧館部分は残されるとのことですが、あとの利用がどのようになるのか、ホテルや商業施設などが考えられているようですが、地元としても皆で考えさせて頂き要望していきたいと思います。
12月9日の毎日新聞奈良版です。
日経新聞は以下のように伝えています。
「南都銀行は8日、近鉄新大宮駅(奈良市)近くに新本館を建設し、本店営業部を移転すると発表した。同奈良駅に近い現本館は1926年完成で、老朽化しており、デジタル化などに対応した職場環境に刷新する。現本館の旧館は国の登録有形文化財に指定されており、文化的な価値を維持して建物を残しながら、ホテルや商業施設などへの利活用を検討する。
新本館は7階建てで延べ床面積は1万平方メートル。2022年度に着工し、24年度の完成を目指す。事業費は非公表という。
橋本隆史頭取は同日の記者会見で「本館の移転は20年前から議論があったが先延ばししてきた。新本館は事業継続計画(BCP)対策の強化を最優先にして、デジタル化に伴う職場環境の改善を進める。次の100年を見据えた成長の起爆剤にしたい」と期待を述べた。
新本館の建設に伴い、本店営業部をはじめ本部機能やグループ会社を移転集約し、奈良市中心部の店舗を再編する。23年10月に同奈良駅前に新店を出すほか、手貝など3支店を順次、本店営業部との共同店舗とする。
南都銀は20年3~6月に30店を統廃合し、その後も複数の支店・出張所を同じ建物内で営業する共同店舗として105店(インターネット支店は除く)に減らしている。24年度までに95店にする。
以下は南都銀行からもらった、ご案内です。
しばらくお参りにいけなかった、斑鳩の法輪寺に行ってきました。
昭和19年に落雷で焼失。再建された三重塔。幸田文さんら全国の支援者による再建活動で有名です。
設計は竹島卓一博士、宮大工西岡常一棟梁のもと昭和50年再建されました。
1761年に再建された金堂です。
會津八一の歌碑。くわんのん の しろき ひたひ に やうらくの かげ うごかして かぜ わたる みゆ
以下、服部素空氏の解説より。
仏の白い額に宝冠より垂れ下がっている瓔珞の影がかすかに動いている。ああ、早春の吹き抜ける風が目に見えるようだ。
「観音が安置される法輪寺講堂を訪れた。小さな寺で訪れる人も少なくのんびりとしている。喧騒の法隆寺より北2キロにあるとは思えな
い。4m弱の巨大な観音は迫力がある。
この歌の素晴らしさは、本来動くはずの無い固定された瓔珞(金属)が動いたとしてそこに微風を見たと歌い上げたところだ。八一の心象が投影された見事な観音の歌である。
大正13年に出版された「南京新唱」では詞書が「法輪寺にて」となっており、十一面観音を読んだか、帝国博物館に法輪寺が出展していた虚空蔵菩薩を読んだのかあいまいなところがある。その間のいきさつについては筆者の随筆、渾齋隨筆・觀音の瓔珞を参照していただきたい。
(歌碑建立は昭和35年11月 法輪寺)
御朱印です。
法輪寺のホームページです⇒https://ikaruga-horinji.or.jp/
このほど、出久根達郎氏による、『花のなごり』が出版されました。
近鉄奈良駅前の啓林堂奈良店には限定数、サイン本がありましたので、早速購入して読みました。
奈良奉行の頃だけでなく、江戸での話しも多く書かれた力作です。
陽徳社発行。468ページ。2500円+税。
作者の力強いサインです。
5年ほど前の『桜奉行 奈良を再生した男 川路聖謨』を読んだときの、鹿鳴人のつぶやき、は以下の通りです。
http://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-fc9c.html
(2022.2.23追記)
産経新聞の書評です。池内力さんからいただきました。(画像をクリックすると拡大します)
春日若宮おん祭が近づいてきました。
奈良まほろばソムリエの会で交代で書いている、「かるたで知るなら」ですが、今回わたしは、春日若宮おん祭のことを書きました。
12月2日付、毎日新聞奈良版のカラー版です。
実際の紙面は以下の通り、白黒で、横山季由先生が選者をされているやまと歌壇、いつも知り合いが短歌をよく投稿されているお隣です。
かるたで知るならは、来年春まで続きます。(画像はクリックすると拡大します)
〈若宮おん祭生きた日本の芸能史〉
奈良の人々にとって、春日若宮おん祭は年末の大きな楽しみです。春日大社若宮神社のこの祭礼は、平安時代の保延2年(1136)に関白、藤原忠通が五穀豊穣と国民安寧を祈願して始めたとされます。連綿として続いており、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
若宮神社の祭神、若宮様は正式には天押雲根命で、春日大社本殿の第三殿の天児屋根命と第四殿の比売神の間に生まれたとされます。本殿の南に若宮神社本殿があります。
大和士がこもって精進潔斎をしたという大宿所が餅飯殿センター街の中にあります。毎年12月15日には御湯立の儀など神事が行われます。
続いて17日未明に、若宮様が多数の神職に守られ、若宮神社から御旅所に移られ、遷幸の儀と暁祭が行われます。正午ごろから呼び物の御渡式。最後の大名行列は大変な人気です。
一の鳥居を東に入ってすぐの所で「松の下式」があり、その後、御旅所で神楽、東遊、田楽、細男、猿楽、和舞、舞楽などの神事芸能が奉納されます。大陸から伝えられたという舞楽、古くから日本に伝えられた細男など、おん祭でのみ演じられる芸能もあり、まさに生きた芸能史です。
若宮様はその日のうちに、再び若宮神社に帰られる還幸の儀が行われます。翌18日には後宴能が行われ、おん祭はフィナーレとなります。
2021年はコロナ禍のため、おん祭は神事を中心に関係者のみで行われます。若宮神社本殿は現在ご造替中で22年秋に完成します。
(奈良まほろばソムリエの会理事 松森重博)
東大寺長老の筒井寛昭師から、自坊の龍松院でロケがあった映画と聞きました。奈良国際映画祭のNさんから、ちょうどアマゾンのプライムで現在見ることができるという情報です。
(番組から拝借)
当方の返事です。
「ご紹介いただき早速見ました。龍松院よく出てきましたね。若草山、尾花座、牛長、法隆寺、大黒屋、比叡山関電無線・・・、二月堂、飛火野、荒池、大阪城、など。笠智衆さんは奈良にぴったりですね。杉葉子、北原三枝なども出てきましたね。最後に、たぶん出来たばかりの友楽会館屋上からの映像と思いますが、興福寺五重塔、月があがる場面には奈良の木造の古い家並みが写り、なんと当方の昔の家の屋根も出てきてびっくりでした。また奈良のどこかで上映してください。」
月は上りぬ
1時間42分
1955年
13+
奈良の浅井家には、未亡人の千鶴、未婚の綾子、節子の三姉妹がいた。千鶴の亡夫の弟・昌二は節子と愛しあっていた。節子は昌二の旧友の雨宮と綾子を結びつけようとする。斎藤良輔、小津安二郎が共同で執筆した脚本で、晩秋の古都を背景に、美しく、微妙な女性の愛情の世界を描く文芸大作
監督 田中絹代
出演 笠智衆, 佐野周二, 山根寿子
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