美ビット見て歩き ※98
奈良新聞に連載されている美ビット見て歩きは98回。正岡子規の『病牀六尺』です。そういえば、9月19日は子規が亡くなった日です。
わたしも東京の根岸の子規庵は二度訪れています。(鹿鳴人のつぶやき⇒☆)
子規が住んでいた子規庵は戦災で焼けたあと復元されているということでした。
机のあたりがかつてのように展示してありました。机の切れ込みは足を立てて座ったとのこと、切ないことです。
奈良市内にもかつての旅館対山楼あとの天平倶楽部に子規の庭があります。東大寺大仏殿や春日奥山が見えて借景がすばらしいところです。
糸瓜棚です。
子規庵には布団に伏せる子規の写真がありました。
(いずれも写真は2017年10月14日。子規生誕150年の日撮影。)
美ビット見て歩き 私の美術ノート *98 川嶌一穂
正岡子規『病牀六尺』
写真 ワイド版岩波文庫『』の見返しに押した子規庵のスタンプ
年に一、二回、どうしても読みたくなる本がある。正岡子規(慶応3年9月17日<1867年10月14日>〜明治35<1902>年9月19日)が新聞『日本』に、死が訪れる2日前まで書き継いだ『病牀六尺』である。いつも夢中になって読みふけり、やがて辛すぎて途中で閉じてしまう。
父を早くに失った子規は、松山藩の儒者だった母方の祖父・大原観山に小学校入学前から漢文の素読を習った。観山は、「何ぼたんと教えてやっても覚えるけれ、教えてやるのが楽しみじゃ」と言って、可愛がった。生まれつきの天才というのはあるものだと、子規を読む度に思う。
明治16(1883)年、叔父の加藤拓川(たくせん)を頼って上京し、翌年大学予備門に入学する。同級の夏目漱石と寄席の話をきっかけに親しくなったことはよく知られている。
第一高等中学校在学中の21年にはじめて喀血。弱冠二十歳の若者が、翌年また喀血し、数年前から始めていた俳句で使用する号を「子規」とした。口の中が真っ赤で、「啼いて血を吐く」と言われるカッコウ科の鳥ホトトギスの、漢字表記の一つである。
拓川の親友・陸羯南(くが・かつなん)の世話で、陸の起こした『日本』新聞に入社し、台東区根岸の陸宅の隣、現在の子規庵に亡くなるまで住んだ。
28年、陸も強く止めたが聞かず、日清戦争従軍記者として大連湾を訪ねて、帰路の船中で喀血する。以後、肺結核から来る脊椎カリエスを発症。悔やんでも悔やみきれない大陸行きだった。
32年頃までは、まだ人力車で外出もしていたが、翌年は衰弱が激しく、子規庵での句会、歌会も中止となる。35年5月から「病床六尺、これが我世界である」と始まる『病牀六尺』を『日本』紙に連載し始めた。
本格的な文学論あり、気ままな世間話あり、もちろん病勢の描写もある。「足あり、仁王の足の如し。足あり、他人の足の如し。足あり、大盤石の如し。僅かに指頭を以てこの脚頭に触るれば天地震動、草木号叫…。」動かすこともできない、むくんだ足の描写である。
新聞社が病の進行を配慮して休載日を設けたとき、子規は「僕ノ今日ノ生命は『病牀六尺』ニアルノデス。毎朝寝起ニハ死ヌル程苦シイノデス。其中デ新聞ヲアケテ病牀六尺ヲ見ルト僅ニ蘇ルノデス」と、その日の休載を知って泣き出したと訴えている。
死の直後、母八重、妹律(りつ)と一緒に、子規の苦悩したままの寝姿を真っ直ぐに直そうとした時、母が「サア、も一編痛いというてお見」と涙をポタポタ落としながら言ったと、俳句の弟子・河東碧梧桐が伝えている。
写真は、平成20(2008)年にはじめて庵を訪ねたときに購入した『病牀六尺』に押した庵のスタンプ。現在の庵は、昭和20(1945)年4月の米軍機による空襲で焼失した後、弟子たちによって庭と共に復元されたもの。写真では見にくいが、子規がまだ座って仕事ができたとき、脚を固定するため机に大きな切れ込みが入っている。
以来、上京するとなぜか自然と足が向き、訪れるようになった。子規の故郷の四国松山にも何度も足を伸ばした。子規が転がり込んだ松山中学在任中の漱石宅・愚陀仏庵も、平成22(2010)年の土砂崩れで全壊する前に訪れることができてよかった。
柿の実が色づく頃には、東大寺転害門近くの「子規の庭」を再訪したい。従軍後、帰京途中に奈良に寄った折に宿泊した対山楼の跡地である。はじめてお邪魔した時はその見事な借景に驚かされた。
19日は没後120年祭となる子規の命日である。
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。
=次回は10月8日付(第2金曜日掲載)=
メモ 子規庵 東京都台東区根岸2−5−11。JR鶯谷駅から徒歩5分。現在コロナ禍で休庵中。https://www.shikian.or.jp/
子規の庭 奈良市今小路町45−1。天平倶楽部内。近鉄奈良駅から「州見台八丁目」行き奈良交通バス3分乗車、「今小路」下車、徒歩2分。電話0742(27)7272。レストランは9月15日まで休業中だが、庭は見学可(鹿除けのすだれを移動して入る)。
https://www.tempyo.com/
http://shikinoniwa.com/about.html
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