1枚の写真
1枚の写真から多くの方からコメント頂きました。一部を紹介します。(画像はクリックすると拡大します。)
濵口 洋さん
「尾田組の看板が写っている写真の列車はキハ35です。関西線が電化される前使用されました。もう少し調べますが、勿論国鉄です(JRではありません)。
関西本線では輸送力増強計画により、1961年(昭和36年)12月10日のダイヤ改正より順次大量投入され、奈良気動車区(現・奈良電車区)に計81両が配置された。これにより従来の蒸機牽引による旅客列車はごく一部の通勤列車を除いて気動車化され、湊町 - 奈良間は国電形の定間隔運行ダイヤを導入し、「オールDC化」・「待たずに乗れる関西本線」と大々的なPRが行われた。
競合路線である近鉄への対抗上、快速列車が日中30分間隔で運転され[23]、天王寺 - 奈良間を途中王寺・郡山の2駅のみ(以下省略)
写した方向の地図も寄せられました。
池内 力さん
西山厚先生が月1回、産経iDで行われているオンライン講座「信仰と美術、そして人」を聴講しています。6月22日(火)は「公慶 江戸時代の大仏復興 後編」で、東大寺「大仏殿」の天井裏が出てきました。虹梁を支える大鉄骨には驚きましたが、尾田組の施工だったのですね。
中畔明日香さん
「↓1970年代、国鉄奈良駅の南側に、橋があります
、「Facebook 株式会社 尾田組 の古い 今昔マップ on the web 今昔マップ Bing ( 検索 tweet 今昔マップ web:時系 地理院地図 地図 条大宮町 写真1974-78 写真19 마 この地図は、 ם ここに入力して検索 2万5千 Leaflet 地理院タイル 式図を複製したものである。 (承認番号 平27情複、 第1088号) 25°C 30m Leaflet 地理院タイル 2021/06/26」というテキストの画像のようです
阿曽君
「あの橋は大森町の昔、農林中金、関電のあった辺りでは?私の実家の隣が大和郡山の尾田組の倉庫で、当時、大阪ガスのガス管埋設工事をやっておられました。ちょうど国鉄奈良駅の北西の三条通りに面して大阪ガス奈良営業所の大きなガスタンクがありました。」
など多くの人からコメント頂きました。ありがとうございました。
どうやら、大森西町から国鉄奈良駅、興福寺五重塔をねらった写真であること。
この橋は、大森町から三条添川町をつなぐ橋であったこと。現在のJR線(関西本線と桜井線)が高架になるまで活用されていたことがわかりました。この橋を車などで何度も走っていましたが、遠くから橋の全景を見たことはなかったようです。
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