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友人の阿曽君からのメールです。
「(同級生)メールがなかなか来ない今日この頃、
今日の松森くんのFacebookで、1枚の風景写真がいったいどこだろうかと話題になっていました。
答えは、国鉄奈良駅が高架になる前の近くの大森跨線橋でしたが、昔の写真をネットで探し回った時に、偶然、面白いサイトを見つけましたので、紹介します。
奈良の今昔写真WEB(奈良県立図書情報館 ITサポーターズ)
https://www.library.pref.nara.jp/supporter/naraweb/syasinweb.html
皆さんのなじみの場所をクリックすると、昔懐かしい風景・今の風景の写真、
母校の小学校の校舎、昔の卒業写真?が見れます。
場合によっては、昔のあなたが写ってるかも知れませんよ!」
三条通の一の鳥居から三条添川町まで丁寧に撮られた写真もあります。
1969年頃に先輩の長岡二朗さんが撮られた写真です。
ご紹介のサイトも多くの方の写真が載り、とても充実してきました。
古い写真の値打ちが出てきました。遠くにある記憶をはっきりとさせてくれます。
撮った日付と場所が記録されていると価値があると聞いたことがあります。
1枚の写真から多くの方からコメント頂きました。一部を紹介します。(画像はクリックすると拡大します。)
濵口 洋さん
「尾田組の看板が写っている写真の列車はキハ35です。関西線が電化される前使用されました。もう少し調べますが、勿論国鉄です(JRではありません)。
関西本線では輸送力増強計画により、1961年(昭和36年)12月10日のダイヤ改正より順次大量投入され、奈良気動車区(現・奈良電車区)に計81両が配置された。これにより従来の蒸機牽引による旅客列車はごく一部の通勤列車を除いて気動車化され、湊町 - 奈良間は国電形の定間隔運行ダイヤを導入し、「オールDC化」・「待たずに乗れる関西本線」と大々的なPRが行われた。
競合路線である近鉄への対抗上、快速列車が日中30分間隔で運転され[23]、天王寺 - 奈良間を途中王寺・郡山の2駅のみ(以下省略)
写した方向の地図も寄せられました。
池内 力さん
西山厚先生が月1回、産経iDで行われているオンライン講座「信仰と美術、そして人」を聴講しています。6月22日(火)は「公慶 江戸時代の大仏復興 後編」で、東大寺「大仏殿」の天井裏が出てきました。虹梁を支える大鉄骨には驚きましたが、尾田組の施工だったのですね。
中畔明日香さん
「↓1970年代、国鉄奈良駅の南側に、橋があります
、「Facebook 株式会社 尾田組 の古い 今昔マップ on the web 今昔マップ Bing ( 検索 tweet 今昔マップ web:時系 地理院地図 地図 条大宮町 写真1974-78 写真19 마 この地図は、 ם ここに入力して検索 2万5千 Leaflet 地理院タイル 式図を複製したものである。 (承認番号 平27情複、 第1088号) 25°C 30m Leaflet 地理院タイル 2021/06/26」というテキストの画像のようです
阿曽君
「あの橋は大森町の昔、農林中金、関電のあった辺りでは?私の実家の隣が大和郡山の尾田組の倉庫で、当時、大阪ガスのガス管埋設工事をやっておられました。ちょうど国鉄奈良駅の北西の三条通りに面して大阪ガス奈良営業所の大きなガスタンクがありました。」
など多くの人からコメント頂きました。ありがとうございました。
どうやら、大森西町から国鉄奈良駅、興福寺五重塔をねらった写真であること。
この橋は、大森町から三条添川町をつなぐ橋であったこと。現在のJR線(関西本線と桜井線)が高架になるまで活用されていたことがわかりました。この橋を車などで何度も走っていましたが、遠くから橋の全景を見たことはなかったようです。
もちいどのセンター街にある、きらっ都・奈良です。最近bonchiともいわれます。
工事が終了しましたと、きらっ都・奈良の工事業者の方からご挨拶がありましたので、拝見してきました。
えらい変わりようで驚きました。コワーキングスペースということですがほぼスケルトンになったように見えました。
エレベーター前から東方向。(以前は段差があり、最初はパソコン教室でした。そのあと、6つの個室になっていました)
真ん中にピラミッド状の段。端っこにも段。
エレベーターから南方向(もとは、事務室でした)左に配線など隠されたようです。
エレベーターから西方向(もと左は社長室、右は会議室でした)
今後どのように活用されるのか注目したいと思います。
この18日まで6年間、奈良県会議員を務めた、中川たかし さんが奈良市長候補として名乗りをあげています。
2期連続トップ当選、東大寺学園の中学高校から京都大学経済学部を卒業しています。東京でIT企業で営業を経験、
奈良へUターン。奈良青年会議所の現役理事として活躍。また歴史、文化、社寺拝観が好きと言うことです。
奈良まほろばソムリエの会の保存継承グループで活躍されています。書道、茶道、華道なども趣味というなかなか落ち着いた35才です。
単に目先の4年だけでなく、10年先、20年先をみすえて、奈良市を運営、経営してくれると期待されます。
奈良市長選挙の告示は7月4日(日)。投開票日は7月11日(日)です。
このほど、満を持して、ホームページをアップされました。
中川たかしさんのホームページです。→https://nakataka.jp/
多くの奈良市民の皆さんにご紹介していただければ幸いです。
画像をクリックすると拡大します。
先日、尾田組会長(行基さん大感謝祭の会長)の尾田栄章さんらと東大寺本坊を訪ねました。
東大寺 管長の狭川普文さん、執事長の橋村公英さんと尾田会長の歓談で話題に出たのは、春日野町の尾田組の蔵を改修する際、多くの古い青写真などが出てきた、ぜひ公開をというお話でした。
尾田会長によれば、現在、高畑の尾田組本社に展示してあるとのことでした。日をあらためて尾田組本社を訪ねて拝見することが出来ました。
明治時代の東大寺大仏殿の大修理の横断面図です。天井裏の鋼鉄製の大きな補強材(トラス)が描かれています。遠くイギリスから輸入したそうです。
以前テレビの「ブラタモリ」で天井裏の様子を見たことがありますが、まさにその大きな補強材です。
青写真は100分の1。およそ50センチの高さは、50メートルになるということです。
また明治時代に奈良国立博物館も尾田組さんがほかと共同で作られたということです。平面図などの青写真です。
大正時代に作られた浮見堂の図面もありました。昭和に入って修理されたそうです。
一条通の法蓮橋の写真もありました。いまも活用されている聖武天皇陵前の石の橋です。
ご説明頂いた尾田栄章会長(もと建設省河川局長、世界水フォーラム事務局長、)。尾田さんは数年前に奈良に帰ってこられ、『行基と長屋王の時代』(現代企画室発行)の本も刊行されています。柔軟な発想で、とにかく多方面にご活躍です。
尾田栄章会長のプロフィール
1941年福井県生まれ、奈良県育ち。京都大学大学院を修了し、1967年に建設省に入省。河川管理の目的に「河川環境の整備と保全」を加えると共に住民参加を求める平成9年河川法改正に河川局長として携わる。1998年に退官後、第3回世界水フォーラム事務局長などを歴任。また蓋をされた河川の再生を目指すNPO「渋谷川ルネッサンス」を立ち上げ、人と川との関係を広げ、深める活動に取り組む。2013年から2016年まで、東日本大震災と原発事故で被災した福島県広野町で福島県の任期付職員として勤務した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
『行基と長屋王の時代 行基集団の水資源開発と地域総合整備事業』より
そして多くの写真の中の1枚です。大きな写真の橋には尾田組と表示されています。真ん中に興福寺五重塔、ひだりに南円堂です。この鉄道は国鉄でしょうか近鉄でしょうか。どこからどこを撮った写真でしょうか。日通の倉庫が見えますのでたぶん国鉄奈良駅の南あたりかなと想像するのですが、わかる方また教えてください。
また表彰状や棟札や古い写真がたくさん残されていました。昭和39年に火災に遭ったので失われたものも多いとのことでしたが、宮大工の古い伝統を現在に伝えられています。春日若宮おんまつりや社寺の行事など多くの伝統も担っておられます。
創業は江戸時代とのこと。天保年間の資料も残っているそうです。
貴重な史料を拝見することが出来ました。
尾田組さんのホームページです。→http://www.odagumi.co.jp/company
奈良三条通の橋本町御高札場の前に新しい喫茶店が出来ていますが、初めて入りました。コーヒーはサイフォン式とドリップ式がありましたのでサイフォン式コーヒーを飲みました。
長らく寿屋という洋菓子店、その後、柿の葉すし大和、ヤマトTABIセンターがあったところです。
MALDITA MALDITOという名前をいまだ覚えることができないのですが、ベルギーのチョコレートも売られ、1Fに喫茶店、2Fはテークアウト用の紙コップで提供ということでした。
西隣は、DRINK & DRANKという有名店です。先日の当ブログ⇒☆
ローカル・ガバナンス研究所の木原さんからの情報です。
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7月4日告示・11日投開票の奈良市長選挙が近づいて来ました。
政策研究ネットワーク「なら・未来」では、この6月27日(日)
の18時30分から、立候補予定者5名をお招きしてオンライン
公開討論会を開催します。
今回の選挙は、ワクチン接種の目途も立ち、「コロナ後」の奈良市のあり方を問う重要な選挙となります。
<討論テーマ>
・コロナと市政運営について
・市民参画・協働について
・クリーンセンター建設問題について
・新斎苑用地買収をめぐる住民訴訟について
つきましてはオンラインでの視聴参加となりますが、是非、下記USRからご参加をお願い致します。
トピック: 奈良市長選立候補予定者公開討論会
時間: 2021年6月27日 06:00 PM 大阪、札幌、東京
Zoomミーティングに参加する
<https://us02web.zoom.us/j/88487029444?pwd=Rk5xNHNTdmxENXV0SlU2MlhYY1poQT09>
https://us02web.zoom.us/j/88487029444?pwd=Rk5xNHNTdmxENXV0SlU2MlhYY1poQT09
ミーティングID: 884 8702 9444
パスコード: PN7dgY
先日、他用で東大寺、狭川普文管長、そして橋村執事長にお会いする機会があり、わたしも末席でことしのお水取りのご苦労をうかがうことができました。
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NHKでは第3弾が26日22時30分からNHK・BSと4kで放送されるとの森本公穣師の以下情報です。
また違う切り口のようです。ビデオ録画するなどご覧ください。
森本師からの情報です。
21.06.19.【シェア大歓迎】BS生中継(3/13)、NHKスペシャル(5/30)に続き、NHKの修二会SP第三弾が、6月26日の22時30分からNHK-BSで放送されます。
題して、「【千三百年祈り続ける】版」。Nスペ「疫病退散 千三百年の祈り」のいわば完全版で、大仏開眼の年(752年)に始まって以来、1270年間途切れず続いてきた多彩な儀式のほぼ全てを記録しました。
間違いなく新型コロナ禍の渦中でなければ成り立たなかった番組で、NHKスタッフも二週間の事前隔離を経て撮影に当たってくださいました。
東大寺の祈りを是非ご覧ください。
#奈良 #東大寺 #二月堂 #修二会 #お水取り #不退の行法 #新型コロナ禍 #疫病退散 #千三百年祈り続ける #諏訪部順一
NHK-BSプレミアム・BS4K
「千三百年祈り続ける 〜お水取り・東大寺修二会〜」
もちいどのセンター街からのお知らせです。
「7月2日(金)から7月11日(日)まで、今年からの新企画「もっとの弁天市」を開催いたします。
ご存知の方も多いかと思いますが、三条通りからセンター街の中間地点を過ぎたところに「餅飯殿七弁財天」が奉られており、商店街の人々のみならず地域の人からも信仰されています。
毎年7月6日・7日は「弁財天夏祭り」と称して子供みこし等が行われるのですが、昨年、今年と新型コロナの影響で神事のみとなっております。
そうしたなか、センター街としましても「新型コロナ退散」の願いと共に、弁財天を知っていただくこと、少しでもにぎわいを取り戻せたらという思いで、感染予防も加味しつつ例年7月中~下旬に開催していた「夏の大売り出し」を新たに「もっとの弁天市」とし「弁財天夏祭り」を挟む前後の期間で開催することとしました。
詳細は随時更新しますが、
◆ 弁財天で福試し!「スクラッチカード」キャンペーン
◆ 弁財天のお供えものが消えた⁉あなたは犯人がわかるかな?「謎解きゲーム」
を予定しており、また期間中、会員店舗ではハッピを纏ってイベントを盛り上げます。
ちょうど7月1日(木)から「奈良市プレミアム付商品券」の発売が開始されますし、新型コロナはまだまだ収束とはまいりませんが、従来通り感染予防対策は実施してまいりますので、皆さまにおかれましても感染予防対策を実施のうえ、是非お楽しみください。
※「もっとの」とは、地元の人々は昔から親しみを込めて「もちいどの」を「もっとの」と呼んだとのこと。
皆さまに親しみのある商店街、親しんでもらうイベントとしたい…という願いも込めてイベント名に使用しました。」
大和郡山市長選挙があり、上田清氏が当選されました。おめでとうございます。
奈良新聞電子版は以下のように伝えています。
「任期満了に伴う大和郡山市長選挙は20日、投開票され、現職の上田清氏(69)=無所属=が、新人で元市議の北門勇気氏(40)=同=を破り、6回目の当選を決めた。投票率は39・81%で前回(43・19%)を3・38ポイント下回った。上田陣営は午後8時半ごろから同市南郡山町の商業施設内に設けた会場に支持者らが集まり、開票結果を待った。当選確実の一報が入ると、上田氏は支持者らとともに万歳を三唱して喜びを分かち合った。
▽大和郡山市長選開票結果 (選管確定)
当 16157 上田清 無現
11832 北門勇気 無新
奈良県立美術館では、特別展ウィリアム・モリス原風景でたどるデザインの軌跡
が開かれます。会期は6月26日から8月29日までということです。
ホームページです。
http://www.pref.nara.jp/11842.htm
「モダン・デザインの父と称される才人ウィリアム・モリス。その生涯と軌跡をたどる。
芸術家、詩人、作家、思想家、社会運動家など、多彩な分野で活躍したウィリアム・モリス(William Morris 1834~1896)は、19世紀のイギリスを代表する偉人として知られています。モダン・デザインの父とも称され、芸術と生活の統一を目指してモダン・デザインを提唱したアーツ・アンド・クラフツ運動を先導しました。
本展では、これまで顧みられることのなかったモリスの幼少期や学生時代にはじまり、晩年に至るまで、デザイナーとしてのモリスの生涯を紐解きます。モリスの制作活動は「住まい」「学び」「働いた場所」など、その時々の環境と深いつながりをもちました。本展ではモリス自身および彼の仲間たちによるデザイン・工芸作品80点に、写真家・織作峰子氏が撮影したモリスにちなむ風景を組み合わせ、そのデザインの軌跡をたどります。
同時開催[第6展示室]「ウィリアム・モリスを愛でた富本憲吉─館蔵品から 」
奈良県出身で近代陶芸の巨匠・富本憲吉(1886~1963)の作品を展示いたします。富本はモリスの芸術思想に傾倒して20世紀初頭にイギリスへ私費留学をし、モリスを日本へ紹介した先達の一人です。洋の東西を越えて近代デザイン・工芸に注がれた情熱をご鑑賞ください。 (ウィリアム・モリス展の観覧券でご覧いただけます)」
奈良市の三条通の橋本町御高札場前のスムージーの店、DRINK DRANK が22周年を迎えたということです。
平野奈津さんのフェースブックへの先日の発信です。ますます頑張ってください。
「本日でドリンクドランクは22周年を迎えます。何とかやってきましたが22年目でまさかこんな事態になるとは想像もしてませんでした。緊急事態宣言の中、私が1人で売り場に立っていると、高校生の時に通っていてくれたお客様が運営を心配して励ましに来てくれたこと、卒業したスタッフや飲食業の仲間からの励ましの電話。
休業で自宅待機のお願いを何度もしたのに、逆に励ましてくれてそっと待っていてくれたスタッフたち。
そして、どんな状況になっても家族の笑顔も変わらずにありました。
改めて多くの人に支えられてきたんだと強く実感しております。改めてそのありがたさを胸に今できることをスタッフ一丸となり精一杯考えていきたいと思います
まずは22周年を迎える今年2021年6月22日 あたたかいご縁を頂いて京都の清水産寧坂に雑貨とスムージーのお店「十感堂」の看板でドリンクドランク3号店をオープンいたします。
そして、皆様にお家で手軽にスムージーを楽しんでいただけるホームメイドスムージーキットや自宅に持ち帰れる新しい形のスムージーの開発も進めています。(なかなか苦戦してますが、実現を宣言します!)
長らくありがとうございます。引き続きよろしくお願いします🤲」
川嶌一穂さんの美ビット見て歩きは、秀吉の話題です。
秀吉の桃山美術や大和猿楽などあらためて文化面への貢献を知ることです。
秀吉の足跡は、あちこちに残されているものです。
美ビット見て歩き 私の美術ノート *95 川嶌一穂
秀吉の遺したものー高台寺と能
写真 広島県福山市沼名前(ぬなくま)神社能舞台(平成29年9月著者撮影)
先月14日付の本欄で取り上げた「豊臣の美術」展は5月16日まで開催の予定だったが、緊急事態宣言発令による休業要請を受けて4月24日を最後に閉幕し、文字通り「夢のまた夢」となってしまった。「行けない展覧会」を紹介した結果となり、まことに申し訳ない。まして何年も前から準備してこられた関係者は、さぞがっかりされたことだろう。
閉会後、未練がましく展覧会図録を見ていると、「滅亡の道をたどった豊臣氏に直接関わる美術工芸関係の遺品は、勝者である徳川氏に数的には及びませんが…」という挨拶文が目に留まった。徳川が大坂城の落城後、豊臣時代の盛り土をすっかり埋めた上に築城し直していることを考えれば、それでも豊臣の遺品はよく残ったと言うべきだろう。
例えば、秀吉の没後に正室・北政所(ねね)がその菩提を弔うために建立した京都東山の高台寺。秀吉の坐像と北政所の木像が安置されている霊屋(おたまや)の厨子に施されている蒔絵は、高台寺蒔絵としてよく知られている。外から拝見するので細部はよく見えないが、筆者は大昔、学生時代に古美術研究実習で訪れ、間近で拝見することができた。しなるススキの葉の上の露、花いかだを浮かべて渦巻く水のうっとりするような曲線。繊細なのに伸びやかさをあわせ持つ桃山工芸の洗練の極致だ。
境内をさらに上っていくと、斬新なデザインの茶室がある。傘亭、時雨亭の二席とも、伏見城から移築されたと伝わる桃山建築の遺構である。
能もまた秀吉の遺したものの一つである。
「能十番覚え申し候。松風、老松、三輪、…。右の能をよくよく涸らし候いて、重ね習い申すべく候。かしく。三月五日 袮(ね) 太閤」(天野文雄著『能に憑かれた権力者―秀吉能楽愛好記』講談社選書メチエ所収の原文を読みやすく表記)。
文禄の役で肥前名護屋城に出陣していた秀吉が、文禄二年(1593)に大坂の北政所に宛てたこの手紙は、晩年になって始めた能の稽古に夢中になっている秀吉の無邪気な姿をよく伝えている。それにしても、曲のごくごく一部の仕舞を覚えるのさえ、初心者は何日も何十日もかかるのに、なかなかの大曲を十番も覚えるとは、大した才能の持ち主である。
既存曲の稽古にとどまらず、秀吉は人にも見せ、まるで落語の「寝床」の世界の中、事件が起きた。大坂の宇喜多秀家邸で催された能で、秀吉が『源氏供養』を演じているとき、観世大夫が居眠りをしてしまった。秀吉による処罰は、家伝来の秘伝書の召し上げ、配当米の停止という厳しいものだった。後に許されたとはいえ、茶の湯に夢中だった秀吉が利休に切腹を命じたのはわずか2年前のことだ。一代で天下人にまで成り上がった秀吉の暗黒の一面と言うべきか。
それでも能にとって、秀吉はやはり有難い存在だ。応仁の乱以降寂れていた興福寺薪能と春日若宮祭能の二つの神事を復興させ、神事を担う観世、宝生、金春、金剛の大和猿楽四座に配当米を支給したことは、とりわけ奈良にとって特筆すべき秀吉の決断である。そのことが、能が徳川時代に式楽として保護されて、今日に繋がる結果となった。
写真は、古くから風待ち港として賑わった広島県福山市鞆の浦の山手に鎮座する沼名前(ぬなくま)神社境内に建つ重要文化財の能舞台。保護のために板を貼り回してあるので中は見えなかったが、伏見城内にあった秀吉遺愛の能舞台を、元和年間の伏見城解体のさいに二代将軍秀忠から福山城主が拝領したと伝わる。
現在は固定されているが、部材に番号、符号が付けられ、パネル式の屋根を持つ移動式の能舞台だった。運ばされる人足はいい迷惑だろうが、いかにも秀吉らしい。吉野や高野山で催された能の舞台は実はこれだったかも知れない、などと想像するのも楽しい。
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。
=次回は7月9日付(第2金曜日掲載)=
後期の聖徳太子と法隆寺展を拝観してきました。前期につづいて2回目の拝観です。
NHKの日曜美術館などで報じられたりしています。見逃せない展覧会です。
コロナ禍であちこちの展覧会が必要以上に閉館しているように思うのですが(そもそも閉館しなくてもそんなに混んでいません)、
奈良国立博物館では事前申し込み優先で当日申し込み可、でこの特別展は開かれています。
奈良国立博物館のホームページの特別展のページです。→https://www.narahaku.go.jp/exhibition/special/202104_horyuji-2//
そして「なら仏像館」も同じチケットで拝観できますからぜひどうぞ。
吉野の金峯山寺の仁王様(写真撮影可)
東大寺龍松院 筒井家所蔵の拓本を『ならら』で特集されていましたが、奈良大学博物館で展覧会が開かれるとのことです。
東大寺長老の筒井寛昭師から案内を頂きました。
6月26日(土)から8月31日まで。入場無料です。
今では拓本にとることもできない貴重な作品も展示されます。
奈良大学博物館のホームページです→http://www.nara-u.ac.jp/museum/
「東大寺龍松院 筒井家所蔵拓本展
―大和古寺の国宝・重要文化財―
開催期間
2021年6月26日(土) ~ 2021年8月31日(火)
前期 6月26日(土) ~ 7月21日(水)
後期 7月24日(土) ~ 8月31日(火)
※期間中、一部の拓本は展示替えを行ないます。
奈良大学博物館では6月26日(土)から8月31日(火)にかけて、企画展「東大寺龍松院 筒井家所蔵拓本展―大和古寺の国宝重要文化財―」を開催致します。
拓本は、凹凸のある造形作品や金石文などの上に、水で湿らせた紙や布を密着させ、その上から墨をタンポで打ちながら、対象物を写し採るもので、採った作品は拓影ともいい、実物大であるところから、かつては文化財修理や研究資料としても活用されました。
今回展観するのは、東大寺龍松院・筒井家が所蔵するコレクションで、今では採拓が不可能な国宝、重文クラスの文化財の拓本が多く含まれ、以前から美術や歴史関係者には貴重なコレクションとして知られていました。今回は、それらの中から飛鳥時代から平安時代にいたる仏像、光背、装飾品など91点におよぶ作品を展示いたします。仏像の光背裏面や頭頂の化仏など、ふだんは見ることの難しい部分の拓本も多く、拓本を通して貴重な文化財に接して頂く良い機会になると思います。」
今回の拓本展示においては
1,通常見ることができないものを、拓本という”本物”で見る
2,拓本ならではの特質・メリットを活かし、形そのものを細部まで観察する
3,既知のものでも、拓本を通して新たな発見を試みる
とのことです。おすすめの展覧会です。
保山さんの上映会を手伝ったときに、たちばなさんのおいしいお弁当をいただいきました。また、名刺ももらっていました。
ようやく奈良阪町の「たちばな」で昼ご飯にいただくことができました。
写真はお昼のおすすめのとり天ランチです。これで1650円とは、安くてとてもおいしいランチでした。
「新型コロナウイルスにつき、皆様には心よりお見舞い申し上げます。
また医療従事者、医療関係の皆様には深く感謝の意を申し上げます。
一日でも早く終息するようお祈りしております。
新型コロナウイルス対策により席数を少なくして営業しております。
必ずお電話にてご予約、お問い合わせください。
TEL 0742-23-6526
皆で乗り切りましょう! 店主」とのことです。
たちばなさんのホームページです→https://peraichi.com/landing_pages/view/wsb6v8tachibana
翁舞いや千年の楠で有名な奈良豆比古神社https://narashikanko.or.jp/event/okinamai/のすぐ近くです。
(画像はクリックすると拡大します)
4月27日に、奈良青年会議所主催の「奈良の地域経済のこれから~能動的な経済活動で、コロナに打ち勝つ~」というフォーラムが
開かれパネリストのひとりとして登壇しました。ただコロナ禍のため、無観客でおこなわれ、後日動画配信ということでした。
会場の奈良中部公民館大ホールも、その後、奈良市により1ヶ月使用できないということでしたから、ぎりぎりのタイミングでした。
奈良青年会議所のYOUTUBE配信が届きました。以下をご覧ください。94分という長丁場です。
https://www.youtube.com/watch?v=G0BnK_oDfHs
鹿鳴人のつぶやき5月2日付でも伝えておりますので参考までに
→http://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2021/05/post-8b72d7.html
奈良青年会議所、三岡理事長そして担当委員長であり2部の司会をされた 中川たかしさん、ありがとうございました。
中川たかしさんは、奈良県議会議員であり、7月11日投票の奈良市長選挙に立候補予定です。がんばっていただきたいと思います。(写真左端が中川たかしさん)
参考までに中川たかしさんのホームページです。→http://nakataka.jp/
6月1日から今年生まれた子鹿の公開が始まっているとのことです。
早朝に、奈良公園を散策されているUさんが写真とともに教えてくれました。写真も拝借。
奈良の鹿の愛護会のホームページも伝えています。
「6月1日から、子鹿公開が始まります!
本日6月1日から6月30日まで、鹿苑会場にて、
特別公開「子鹿公開~赤ちゃん鹿 大集合!」が
開催いたします。
皆様のお越しをお待ちいたしております。
【新型コロナウイルス対策に関する主催者からのお知らせ】
・ご来場前に体調の確認を行い、無理をしないようにお願いいたします。
・マスクの着用と、入場時の手指消毒をお願いいたします。
・入場時等の行列では十分に間隔を確保してください。
・会場内の混雑時には入場制限をさせていただきます。
・万が一に備え、接触確認アプリのご利用をお勧めいたします。」
『奈良町風土記』を東向北町の豊住書店に買いに行きました。豊住書店はこの本の出版元です。
個人用は以前から持っていて珍重していますが、この度もちいどのセンター街の参考本として必要になったからです。
店内のたくさんの本の中から1冊見つけることが出来ました。
この本は奈良の町の歴史を山田熊夫さんが丹念に調べられた本です。橋本町、餅飯殿町、光明院町、もちいどのセンター街を構成する
3つの町をはじめ各町の歴史が書かれています。
遡ると2006年1月19日のこのブログにも書いていました。
「昭和51年に発行された、山田熊夫さんが奈良のそれぞれの町の由来を書かれた本です。てもとに、最初の本を持っているのですが、とてもすばらしい研究で、いまも多くの人が文に引用されます。もう、絶版で残念に思っていましたが、ぶらりと奈良市東向北町、近鉄奈良駅を北50m歩いたところにある発行元の豊住書店で増刷されて販売されているのを見つけました。価格は税別で2000円でした。奈良の地名、町名はそれぞれに歴史もあり、読み方などもむつかしいものが多いと思いますが、わかりやすく書かれています。
発行元の豊住書店は電話0742-22-8500です。」
豊住書店のご主人によれば、残り数冊しかなく、なくなると絶版になるということでした。
いろいろお話していると、豊住書店は明治の頃、もちいどのセンター街にありその後現在の東向北町に移ったとのことを伺いました。
初耳でした。
包装紙や餅飯殿町にあったころの印影などを頂きました。
何級だったのか覚えていないのですが、奈良まほろばソムリエの検定試験を受けたとき、4句の俳句のうち芭蕉の俳句はどれかという4択問題がありました。
その時のひとつにでてきたのが、「びいと啼く尻声悲し夜の鹿」でした。
これではないと思って回答したのですが、間違いました。ほかの3句は何だったのか覚えていないですが、この句が芭蕉の俳句でした。
それにしても鹿の尻声とは何なんでしょうか?
奈良公園の鹿苑にこの俳句の句碑がありました。東向北商店街の豊住書店の先代が伊賀上野のご出身で先祖が俳句に打ち込んでおられたので
平成5年に寄贈されたそうです。豊住書店の先代は、奈良学の講座を長らく続けられていました。先日、いまのご主人に伺うと何と100回開催されたそうです。
(追記)当時、受付などをお手伝いされていたという、かぎろひさんによれば、奈良学の講座は100回ではなく150回されたそうです。
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