美ビット見て歩き 93
4月の川嶌一穂さんの美ビット見て歩きは、福島県いわき氏願成寺「白水阿弥陀堂」のお話です。
「五大国宝阿弥陀堂」の一つということです。わたしも京都の平等院鳳凰堂、中尊寺金色堂は行きましたが、あと3つのうちの一つです。
川嶌さんは10年前の東日本大震災のことも触れられています。『フクシマ50』という映画はわたしも二度見ました。東電の原子力発電所を
吉田所長などが守った迫力のある映画でした。川嶌さんが言われるように10年経っても問題は解決していません。いまコロナウィルスも出口がなかなか見えません。
美ビット見て歩き 私の美術ノート *93 川嶌一穂
福島県いわき市願成寺の白水阿弥陀堂
写真 春の陽を浴びる白水阿弥陀堂(著者撮影)
もう三十年も前、教科書に載っていた五大国宝阿弥陀堂の全部にお参りしようと思い立った。すでに訪れていた平等院鳳凰堂以外の中尊寺金色堂、大分県豊後高田市の富貴寺大堂(ふきじおおどう)、福島県いわき市願成寺(がんじょうじ)の白水(しらみず)阿弥陀堂を数年かけて訪れ、最後は京都市伏見区日野の法界寺阿弥陀堂で締めくくった。
末法元年と信じられた、西暦で言うと1052年以降、九州から東北まで広く浄土信仰が行き渡っていたことがこの時の旅で実感できた。
先月、緊急事態宣言が解除されて再訪した福島県南部のいわき市にある白水阿弥陀堂は、末法元年とされた年より百年ほど後の永暦元年(1160)、奥州藤原家初代清衡の娘(三代秀衡の妹との説もある)徳姫が、岩城の国守であった夫の没後に、その菩提を弔うために創立したと伝わる。
低山に囲まれた池に浮かぶようにして建つ阿弥陀堂には、赤い欄干の橋を渡って行く。以前より美しく整備され、夏には古代ハスが花を開かせる広々とした浄土式庭園である。橋の上から子どもたちが餌をやると、鯉や鴨が賑やかに寄って来る。
南面するお堂は間口3間、奥行3間の宝形造り、外観は素木で、屋根はさわらの薄板を重ねて葺いた栩葺(とちぶき)。簡素だが、品のある佇まいだ。
内部の須弥壇の上におられる阿弥陀三尊は、地方作とは思えない美形の仏様。蓮弁や透し彫りの光背も繊細である。さすがは経済力と洗練された趣味を誇る奥州藤原家に繋がる姫のお堂である。おそらく中尊寺と同様に都から工人を招いたのだろう。
10年前の東日本大震災では、仏様にひびが入ったので京都で修理され、また池の排水がうまく行かなくなり、お堂の床まで達することはなかったが、水が何日も引かなかったと説明の方から聞いた。
申し訳ないことに、30年前に来た時の記憶は、広い境内の大きな池が印象として残っているくらいで、ほとんどない。若くて仏教にもそれほど興味がなかったのだろう。ところが今回はとても感動した。あれだけの地震に、お堂が傾きもせず静かに建っている。そのことだけで凄いとも有難いとも思う。
この三十年日本は大きな災害に何度も見舞われ、今また蔓延するコロナウイルスからの出口もなかなか見えない。わたし自身も両親を見送ったり、病気を経験したりした。全国にある阿弥陀堂が、自然災害や疫病を克服しようとする数百年前の日本人の、現代の私たちと同じ祈りであることをこの旅で感じた。
今は阿弥陀堂を訪れる人もほとんどが地元の人だという。バスを待つ間など街の人とおしゃべりすると、原発事故の話題が出ることがあった。
「『フクシマ50』という映画を見た時は、当時を思い出して鳥肌が立ちました。東京から事故処理に来た人はほとんどがこのいわき市のホテルに泊まって、原発まで通っていたんです。みなさん一様に『政府も東電ももうどうでもいい。吉田所長が頑張っているから来てるんです』って言ってましたね」。
「私ら、いわきの人間も7割がた避難したんですよ。でも自主避難は1銭も補償金が出ないんです。人間お金が絡むと、今でもわだかまりがありますね、正直」。ああ、やはり地元でしか聞けない話はある。
今年の春は花が早かったので、思いがけず桜を訪ねる旅ともなった。
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。
=次回は5月14日付(第2金曜日掲載)=
メモ 白水阿弥陀堂 福島県いわき市内郷白水町広畑。電話0246(26)7008。JR常磐線いわき駅より「川平」行きバス20分乗車「あみだ堂」下車すぐ(本数が少ないので必ず事前に問い合わせを)。新常磐交通バス電話0246(46)0200。
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