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2021年3月31日 (水)

わが町散歩「歴史と自然に囲まれた奈良の町」

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短歌の『新アララギ』誌では、わが町散歩の連載が始まっています。

4月号に、わが町散歩「歴史と自然に囲まれた奈良の町」を書きました。

(クリックすると拡大します)

限られた字数ですが、奈良はあちこちに短歌や俳句で詠まれていることをあらためて知ることでした。

 

わが町散歩 
      

歴史と自然に囲まれた奈良の町
               松森重博

奈良は町のすぐそばに社寺や公園があります。高い建物はなく、都会から来た人は「空が広い」とよく言われます。東京に青春時代を過ごし奈良に今住めることは有り難いことです。

興福寺に行くと奈良時代さながらに二〇一八年、中金堂が美しく再建されました。本坊前に會津八一の歌碑「はる きぬ と いま か もろびと ゆき かへり ほとけ の には に はな さく らしも」があります。
東大寺大仏殿前に行くと「おほらかに もろて の ゆび をひらかせて おほきほとけ は あまたらしたり」の歌碑があります。

會津八一は「奈良を酷愛し」奈良のあちこちに実に多くの良い歌を残しています。

また奈良はご承知のように万葉集にもたくさん歌われています。
「青丹よし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり」(巻三・三二八)小野老のはるか九州の太宰府での歌です。

伊賀出身の芭蕉は奈良に何度も来ています。
「菊の香や奈良には古き仏たち」
唐招提寺では一六八八年、鑑真和上坐像を拝して「若葉して御目の雫拭はばや」

正岡子規は有名な「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」を残しています。
明治二十八年、奈良・対山楼に泊まった正岡子規は若い女中に御所柿をむいてもらって食べたとき、すぐ近くの東大寺の鐘が鳴りました。俳句では東大寺でなく法隆寺になったそうです。
対山楼あとは天平倶楽部になり、「子規の庭」が作られています。かつて、このレストランで小谷稔先生を囲んで生駒歌会の記念の会が開かれましたが、つい最近のことのように思い出されます。

奈良は日本のふるさとといわれます。機会を見つけて何度も訪ねて頂きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

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