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2020年8月 4日 (火)

東大寺観音院と上司海雲師 2

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(写真は観音院の門。ほうせき箱さんから拝借)

東大寺観音院は、三月堂のすぐ目の前にある東大寺の塔頭です。東大寺の管長を務められた上司海雲師は會津八一や志賀直哉、入江泰吉ら、多くの文人と交流されたことでも有名です。

上司海雲師のあと新藤晋海師らが住職をつとめられました。最近は、無住だったそうです。

行く前に自宅の本棚の上司海雲師の本『古都鑽仰(ことさんぎょう)』を少し読み返しました。

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上司海雲師は

三条通の五十二段上にある江戸末期の有名な奈良奉行の川路聖謨の桜楓の碑の文をもとに、「古都を守れ」と熱く語っておられます。

上司海雲師は、青丹よし奈良ではなく、当時の奈良は阿呆によし奈良は田舎であると。

若草山ドライブウェーの開発やドリームランドの開発を進める当時の知事や市長や、k県会議員などを厳しく批判されています。

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真ん中、會津八一と左、画家の杉本健吉氏と右、上司海雲師。観音院の庭にて。入江泰吉氏撮影。

数年前と思いますが上司海雲師と會津八一の書簡の交流展が奈良大学博物館でありました。図録も販売されていました。

(訂正)数年前ではなくもう12年前ということが写真と共に會津八一研究家の池内力さんからコメントいただきました。

ありがとうございました。

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現在の観音院の庭や座敷には上司海雲師の碑や書がありました。

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人づてに広い庭には吉井勇の歌碑などもあったと聞きましたが、今回は庭には降りられませんでしたのでよくわかりませんでした。

 

(後日追記)

やはり吉井勇の歌碑はいまもあるそうです。(中田文花さんより)


みほとけの次には壺を喜よろこべるわが海雲は壺法師かも 吉井勇

 

写真も撮っていました。木の根元に歌碑が見えます。

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広々とした立派な建物でした。昔の写真や本を見て、かつては庭にも多くの壺があり、多くの文人らが集う観音院サロンであったこと、別当の頃などたくさんの人が訪れたことなどを想像することでした。

(追記)

上司海雲宛 會津八一書簡の図録を見直しました。終戦をはさんで15年間、ふたりの交流は活発だったそうです。

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追記

東大寺より以下の案内が掲げられたとのことです。

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