30年ぶりに、中田文花さんより。
先日、東大寺観音院を訪ね、吉井勇の歌碑のことを8月4日の「鹿鳴人のつぶやき」
に書いたところ、その歌碑について中田文花さんから教えてもらいました。
そして、中田文花さんは旧姓、木ノ本圭子さんであり、なんと30年前、当方のギャラリーまつもりで日本画の初個展を開かれた方であることがわかりました。
とても多くの方が来場され、とても印象的な個展でした。今でも覚えています。
そして、いま「日本画家、舞楽舞人、歌人、華厳宗に僧籍あり。天平人活動。お水取り、花会式、聖霊会、おん祭を描く。著書『知恩院祈りの美』」の中田文花さんであるということがわかりました。
実に30年ぶりにかつて出会っていたことがわかったのです。
歌人でもあるということから早速、当方の歌集「大和まほろば」をお送りしたところ、フェースブックで以下のように紹介していただきました。(写真は木ノ本さんから。そして当方保管分)
個展の案内はがき
初個展を伝える新聞記事(画像をクリックすると拡大します)
平成2(1990)年5月9日 読売新聞
(以下、中田文花さんから。ありがとうございました。)
【歌集『大和まほろば』 松森重博 】
私の初個展は平成2年、奈良の餅飯殿商店街入口にある『ギャラリーまつもり』でした。
30年近い月日が流れましたが、そのご代表の松森重博さんとfacebookで繋がりました。
それは先日の観音院の壺法師の歌碑の投稿がきっかけでした。歌の力です。
松森さんは実業家として地元商店街の振興に尽力されながら歌人、ブロガーとしてもご活躍。
ブログ『鹿鳴人の呟き』は松森さんとは知らず、時折拝読していたのでした。
昨年出版された歌集『大和まほろば』(京阪奈情報教育出版)をご恵送賜り、一気に拝読しました。
旅人の歌ではない、奈良に育ち奈良に生きる者にしか詠むことの出来ない日常。その日常は長い歴史に彩られた特別なことが溢れていて、友人達も短歌に登場するのが面白い。
大の字に雪残りたる高円の山おだやかに奈良の年明け
幼き日ターザンごっこに興じたる南円堂に藤の花咲く
ようやくに願いのかない修ニ会にて局の中に声明を聞く
実家に帰ったらその個展の葉書や新聞など色々出てきました。個展搬入を手伝いに来てくださった師僧と写真撮ってました。賛助出品もしてくださいました。若い~😂(名前は旧姓です)
https://www.amazon.co.jp/…/ref=cm_sw_r_cp_apa_i_m1poFbSZ6Q8…」
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