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2020年6月16日 (火)

読売新聞奈良版のNEW門「奈良にうまいものあり」

読売新聞奈良版のNEW門に、「奈良にうまい物あり」が大きく掲載されていましたので紹介します。

ひとりはNPO法人、奈良まほろばソムリエの会専務理事の鉄田憲男さんです。

鉄田さんのブログ「どっぷり!奈良漬け」https://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/70a2df4f12c970c7da9d8ab63bc1978a

にも載っています。

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New門(ニュースの門@奈良) 奈良に「うまい物あり」 古里の味

 

食(く)ひものはうまい物のない所だ――。作家の志賀直哉がかつて随筆にそう書き、地元の人もそれを受け入れているふしがある。実際はどうなのか。奈良の食をよく知る2人に語ってもらった。

鉄田憲男さん。

大正末期から昭和初期にかけての13年を奈良で過ごした作家・志賀直哉の随筆「奈良」に「食ひものはうまい物のない所だ」とあり、これが独り歩きして、今もテレビ番組などで面白おかしく取り上げられるのを歯がゆく感じています。

 

この文章は、県観光連合会の雑誌「観光の大和」創刊号(1938年)の巻頭に寄せたもので、悪口を書くわけがない。最後に「兎(と)に角(かく)、奈良は美しい所だ。(中略) 今の奈良は昔の奈良の都の一部分に過ぎないが、名画の残欠が美しいやうに美しい」と賛美している。その前にある「うまい物」の部分は、文章に緩急をつけた箇所なのに、それが何十年も引用され続けている。

 

私は、京料理の「雅(みや)び」に対し、奈良の食べ物は「俚(さと)び」、つまり、里の味わいが特色だと思う。歴史の中で、農山村の行事や祭りが食と結び付いている。その代表格が、吉野地方で川開きの季節に各家庭で作る「柿の葉ずし」です。

 

残念ながら伝統食の多くは消えつつあるが、祭りの時におばあちゃんが山盛りを作って出してくれた料理を思い出し、「作ろう」「食べよう」となって次の世代へとつないでいけたらいいですね。

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そしてNPO法人「奈良の食文化研究会」理事であり奈良女子大学名誉教授である、的場輝佳さん。

奈良には和食文化の原点がある。特別な名物が思い浮かばないのは、ここが源流だからではないか。

藤原京や平城京の遺跡から出土した木簡や遺物をみると、飛鳥・奈良時代の貴族の食卓には、今日の和食に見られる豊富な食材――穀類、魚介類、家禽類、果実類、豆類、調味料が登場します。

遣唐使などを通じ、大陸の食材が入り、食品加工技術も導入。大陸のものを日本独自に改良し、小麦粉に塩や水を加えてねじった「索餅(さくべい)」は三輪そうめんに、唐菓子は和菓子に変化を遂げた。平城京には造酒司(酒造りの役所)が置かれ、都が遷った後も、南都では寺社を中心に酒造りが盛んだった。

山が多い地形から農地が少ない事情もあり、多彩な作物が栽培されてきた。四季折々の農家の食生活に、西の竹内街道、南の熊野街道、東の伊勢街道を通じて運ばれた魚介類が加わり、奈良の食文化は形成されていった。

 和食とは、自分の古里の料理のことやと思う。僕は橿原市出身で、高野豆腐が何より好き。茶がゆは日常食で、子どもの頃は「今日も茶がゆか」とよくぼやいたものです。奈良を訪れた国内外の人が、奈良の食べ物を味わい、「これが奈良や」と感じてくれたらいい。

 「食の古里がここにある」という思いで、産地、料理人、観光や飲食業に関わる人がつながれたら、奈良の食文化はもっと発展していくでしょう。

 

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コメント

松森さん、拙インタビュー記事のご紹介、ありがとうございました!
おかげさまで、いろんな方からお声かけいただいています。

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