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奈良まほろばソムリエの試験は、例年1月に行われて来年1月には第15回目を迎える予定でした。
ところがコロナの影響で、奈良商工会議所から
6月24日付で「中止」と発表されました。
令和2年6月24日 各 位 奈良商工会議所 令和2年度 「奈良まほろばソムリエ検定試験」の中止について
奈良商工会議所では、第15回「奈良まほろばソムリエ検定」を令和3年1月の実施に向 けて準備を進めてまいりましたが、新型コロナウィルス感染症の感染拡大に伴い、体験学習・・・
https://www.nara-cci.or.jp/pdf/2020/0624.pdf
来年1月を目標に準備されている方にはお気持ちお察し申し上げます。
再来年はあると思って、これからも奈良のあちこちを訪ねられ、準備をしていただきたいと思います。
いろいろなコンサートや奈良県のあちこちの幼稚園や集まりで素晴らしい歌を歌っておられるソプラノ歌手の岡田由美子さんのCDです。
『こころの歌』春、夏、秋。冬の4枚のCDに多くの日本の歌を歌っておられます。
もちいどのセンター街でも歌っていただいたり、日頃、ならどっとFMの放送でディスクジョッキーもされています。
いつもお元気な岡田由美子さんですが、4月にガンが見つかり手術など治療をされていると先日の奈良新聞で初めて知りました。
幸い経過は良いそうですが、おからだご自愛いただきますますのご活躍をお願いします。
FAXしましたら早速CDを送ってきていただきました。ありがとうございます。
(奈良新聞の記事です。クリックすると拡大します)
ソプラノ歌手 岡田由美子さんのプロフィールです。
岡田由美子さまありがとうございました。ますますのご活躍をお願いします。
ふと27日(土曜日)NHKのBS1で以下のような奈良の番組があると聞きましたので紹介します。
27日、午後5時00分~ 午後5時50分 NHKのBS1
ザ・ディレクソン「in 奈良」
視聴者のアイデアで地域を元気にする「ザ・ディレクソン」。今回は歴史ある古都・奈良で、番組史上初のオンライン開催!県民自ら制作した奈良愛にあふれた動画を一挙公開!
視聴者のアイデアから地域を元気にする「ザ・ディレクソン」。今回の舞台は奈良県。新型コロナウィルスへの対応から番組史上初となるオンライン開催!奈良を愛する15人の精鋭がリモート会議で激論!県民が考える奈良の魅力とは?靴下生産量日本一で日本の足元を支えている!?あまたある歴史的な文化財を県民が意外な方法で“普段使い”!?そして奈良愛にあふれた3本のプレゼン動画を参加者自ら制作!果たして優勝するのは?
【司会】山里亮太,ゆりやんレトリィバァ
奈良大学の上野誠先生がこの春出版された『万葉学者、墓をしまい母を送る』が第68回(2020年)日本エッセイスト・クラブ賞の文学賞を受賞されたということです。まことにおめでとうございます。
この本については4月に当ブログ「鹿鳴人のつぶやき」でも紹介しています。『万葉学者、墓をしまい母を送る』講談社発行。1400円+税
「はじめに。
死の手触り 祖父の死
墓じまい前後 こげな立派な墓はなかばい
死にたまふ母 福岡から奈良への引っ越し大作戦
われもまた逝く 大伴旅人 万葉集「生ける者 遂にも死ぬる ものにあれば この世にある間は 楽しくをあらな」
おわりに
あとがき
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一気に一晩で読み終えました。率直な打ち明けた文でよくわかりました。
江戸時代からの旧家。おじいさんが家とも見まがう立派なお墓を建てられたこと、
一方呉服から洋装店への転換、船場の仕入れを近県を取りまとめた大きな卸小売のご商売、スーパーなどの大型店の影響で小売一店舗への集中、おばあさんの死去に続くお父さんの死去。墓じまい。お母さんは福岡を代表する俳人であったこと
お母さんと上野先生の会話。海援隊の武田鉄矢の母子の会話を思い出す博多弁の率直な会話でした。
長男であるお兄さんの死去。お母さんを奈良へ引き取り七年間にわたる介護と別れ。
古事記、万葉集やいろいろな書物、儒教や西欧のことなどを紹介され、生きることと死ぬことを哲学されているように受け止めました。」
上野誠の万葉エッセイ→http://www.manyou.jp/
著者略歴
1960年、福岡生まれ。国学院大学大学院文学研究科博士課程満期退学。博士(文学)。奈良大学文学部教授。第12回日本民俗学会研究奨励賞、第15回上代文学会賞、第7回角川財団学芸賞、第20回奈良新聞文化賞、第12回立命館白川静記念東洋文字文化賞受賞。『古代日本の文芸空間』(雄山閣出版)、『魂の古代学――問いつづける折口信夫』(新潮選書)、『万葉挽歌のこころ――夢と死の古代学』(角川学芸出版)、『折口信夫的思考-越境する民俗学者-』(2018年、青土社)、『万葉文化論』(2018年、ミネルヴァ書房)など著書多数。万葉文化論の立場から、歴史学・民俗学・考古学などの研究を応用した『万葉集』の新しい読み方を提案。近年執筆したオペラの脚本も好評を博している。
先日、新聞で直木賞候補を見ました。今村翔吾『じんかん』と出ていました。36才。直木賞候補になるのは2回目とのこと。
どうやら奈良の中学高校を卒業した同窓の作家とのことで、啓林堂書店で西田大栄店長にすすめられて購入しました。
松永久秀が主人公。
奈良の多聞城の天守閣から織田信長と東大寺や若草山をいっしょに展望したとか。
スペイン人宣教師ルイス・デ・アルメイダが多聞城を絶賛したとか(これはかつてまほろばソムリエの四択問題出会いましたが、みごと間違えました)。
信貴山城とか。
断片的なエピソードを知る程度です。
いざ読み始めてみると面白さに惹きつけられて、4日間で読み終えました。
500ページを越す長編ですが、その内容の濃さはなかなかのものです。
『じんかん』とは漢字では人間とのことです。全編を通じて、人間がこまやかに描かれています。
織田信長が松永久秀と語り明かしたことを思い出して、後年彼を回想するという設定です。
奈良、東大寺、興福寺、柳生、笠置、和束、宇治、飯盛山、京都、丹波、堺、筒井城、信貴山城など畿内の地名がつぎつぎ登場します。室町末期を描いています。
東大寺炎上、多聞城炎上、信貴山城落城など。
まさに大河ドラマのような重厚さです。
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講談社発行。1900円+税。
直木賞の発表は7月15日ということです。期待したいと思います。
ちょうど、日経新聞に、「あとがきのあと」という作者、今村翔吾さんのインタビュー記事が載っていました。(画像をクリックすると拡大します)
まほろばソムリエの会の池内力さんに産経新聞の記事を紹介いただきました。ありがとうございます。(画像をクリックすると拡大します)
6月18日、奈良ロータリークラブ(会長、花山院・春日大社宮司)の例会に、あおによし音楽祭の理事長の奥谷友子さんが卓話講師にきてくれました。4か月ほど前に、コロナ禍の前にお願いしていましたので待ちに待ったお話でした。
奥谷友子さんがフェースブックに早速くわしく紹介されています。
日頃よりあおによし音楽コンクール奈良にあたたかいご支援を賜る、器まつもり代表取締役社長松森重博様にお声がけ頂き、本日は奈良ロータリークラブ様通算3327回(春日大社花山院弘匡宮司会長 本年度 第35回)卓話講師に奈良ホテルに伺いました。
前半は「クラシック音楽と生演奏の意義」についてお話させて頂き、後半は第2回受賞者の奈良市ご出身、東京藝大院生の原田莉奈さんにシューマン、リストの生演奏を頂き大変ご好評を頂きました。
活動8年目。春日大社様では昨年より奉納演奏会を開催させて頂き、3ヶ月休会され今期残り2回の貴重な卓話であるにも関わらず、ロータリークラブ様にこのような素晴らしい機会を頂き大歓待を頂き本当に有難く存じます。
コロナの中、音楽活動を頑張って行く勇気と希望を頂きました。奈良から羽ばたく若手の応援とあおによし音楽コンクール奈良を引き続きどうぞ宜しくお願い申し上げます。
ことしの音楽コンクールや奉納演奏はコロナのためすべて延期になりました。来年2021年の開催にむけて頑張っていただきたいと思います。
あおによし音楽祭奈良のHPです→https://aoniyoshimc.com/
花山院会長、奥田友子理事長、原田莉奈さん、と記念撮影していただきましたのでアップします。
卓話のまとめ
あおによし音楽コンクール奈良のパンフより。(画像をクリックすると拡大します)
原田莉奈さんの紹介。
東大寺戒壇堂の参拝のあと、東大寺大仏様を参拝しました。
大仏殿の他の仏像もゆっくりお参りできました。
精密な模型が北西のかどに展示されています。
奈良時代の大仏殿と七重塔
鎌倉時代の大仏殿
江戸時代から現在の大仏殿
いつも御朱印のところは長い行列であきらめていたのですが、いまは行列はなくすぐにいただくことができました。
中門の手前西に會津八一の歌碑があります。
服部素空氏のHPより http://surume81.web.fc2.com/hitorigoto/81/81top.html
おほらかに もろて の ゆび を ひらかせて
おほき ほとけ は あまたらしたり
「天地の空間に広く満ち広がっておられる。“大仏は、宇宙に遍満(へんまん)すとも、或いは宇宙と大さを同うすともいふべし。これを「あまたらす」といへり。「たらす」とは「充足す」「充実す」の意なり。”自註鹿鳴集」
歌意
大きくゆったりと両手の指をお開きになって、大仏様はこの宇宙に広く満ち広がっておられる。まるで宇宙そのもののように。
明治41年八一が訪れた時は大修理中で、正面の高い足場から参拝したと言う。そうした視点が「あまたらしたり」に関連したのかもしれない。南京新唱の30首目に出てくる東大寺の歌は、大仏を簡潔にとらえ、かつ仏教の宇宙観も詠みこんでいる。歌碑が南大門と大仏殿の間にある。2000年9月23日、友人達と訪れた時、その大きさと見事さに感銘した。(歌碑建立は昭和25年10月)
もちいどのセンター街の、若草カレーさんから情報をもらっていたのですが、ようやく食べにいくことができました。
右が若草カレーの坂中さん、左がこの店の責任者の奥原さん。(写真は坂中さんから拝借)
「2020年5月20日(水)に新店舗を開店します。 新店舗の名前は「アジア食堂 Green grass」です! カレー、ルーロー飯がメイン商品で、アジアのエスニックフードを作ります。 場所は奈良市「ひがしむき商店街、パレスビル1階最奥」で、ご存知の方もおられると思いますが、当店創業の地での再開店となります。
ビル入り口にある「天下一品」の通路を突き抜け通って、やっと当店の椅子に至れるという難易度の高い立地ですが、絶品ラーメンの誘惑を振り払ってのご来店をお待ちしております。 カウンターのみ8席の小さな店で、定休日は日曜日、営業時間は17時から当面の間は22時までです。*コロナ騒動が収束すれば23時の予定です。 コロナ騒動のおかげで騒がしくもひっそりとした日々を過ごしておりましたが、元同僚の奥原さんを店長として迎えて新店舗のスタートを切ります。よろしくお願いします。」とのことです。
スープカレー定食。鳥カツの方です。(豚ローストもあるそうです。)税込980円。
カレースープには野菜がいろいろ入っていてスパイシー、若草カレーの風味も十分にありおいしくいただきました。
店頭のメニューの案内です。
夜のメニューは以下の通りです。夜は夕方5時から最終11時まで(ラストオーダー10時頃)とか。日曜日休みです。
奥原さんは、17年間、調理師学校の講師をされていて、若草カレーの坂中さんと一緒だったそうです。
頑張っていただきたいと思います。
15日から東大寺・戒壇堂は再開されましたが、6月末まででひとまず公開は終了し、3年間の予定で調査・修復されるとのことです。
早速お参りしてきました。どうぞ6月中にお参りをおすすめします。
びるばくしゃ まゆね よせたる まなざし を まなこ に み つつ あき の の をゆく 會津八一
*びるばくしゃ 写真の広目天のこと。
(以下、服部素空氏のHPより)
歌意
広目天が両方の眉を寄せてはるか彼方をみている、その目の表情が素晴らしいので眼前に思い浮べながら、私は秋の野を歩いていく。
「びるばくしや」という語が、短歌と調べという文芸の最大の魅力を引き立たせている。この音調ゆえに古今の名作になった。当初、毘楼博叉という語が人々に理解されなかったので、八一は随筆・渾齋隨筆のなかで辞書ぐらい引けばと苦情を言い、毘楼博叉と広目天の音調の違いを力説した。
マ行の効果的な使い方。八一は何度も何度も音読して作っている。その上、八一は広目天に自分に相通ずるものを感じている。 (広目天は筆と書を持つ)
「この廣目天は、何事か眉をひそめて、細目に見つめた眼(まな)ざしの深さに、不思議な力があって、私はいつもうす暗いあの戒壇の上に立って、此の目と睨み合ひながら、ひとりつくづくと身に沁み渡るものを覺える。まことに忘れられぬ目である。やがて此の堂を出て、春日野の方へ足を向けても、やはり私の目の前には此の目がある。何處までもついて離れぬ目である。私はこれを歌にした。」
渾齋隨筆 毘楼博叉より
読売新聞奈良版のNEW門に、「奈良にうまい物あり」が大きく掲載されていましたので紹介します。
ひとりはNPO法人、奈良まほろばソムリエの会専務理事の鉄田憲男さんです。
鉄田さんのブログ「どっぷり!奈良漬け」https://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/70a2df4f12c970c7da9d8ab63bc1978a
にも載っています。
New門(ニュースの門@奈良) 奈良に「うまい物あり」 古里の味
食(く)ひものはうまい物のない所だ――。作家の志賀直哉がかつて随筆にそう書き、地元の人もそれを受け入れているふしがある。実際はどうなのか。奈良の食をよく知る2人に語ってもらった。
鉄田憲男さん。
大正末期から昭和初期にかけての13年を奈良で過ごした作家・志賀直哉の随筆「奈良」に「食ひものはうまい物のない所だ」とあり、これが独り歩きして、今もテレビ番組などで面白おかしく取り上げられるのを歯がゆく感じています。
この文章は、県観光連合会の雑誌「観光の大和」創刊号(1938年)の巻頭に寄せたもので、悪口を書くわけがない。最後に「兎(と)に角(かく)、奈良は美しい所だ。(中略) 今の奈良は昔の奈良の都の一部分に過ぎないが、名画の残欠が美しいやうに美しい」と賛美している。その前にある「うまい物」の部分は、文章に緩急をつけた箇所なのに、それが何十年も引用され続けている。
私は、京料理の「雅(みや)び」に対し、奈良の食べ物は「俚(さと)び」、つまり、里の味わいが特色だと思う。歴史の中で、農山村の行事や祭りが食と結び付いている。その代表格が、吉野地方で川開きの季節に各家庭で作る「柿の葉ずし」です。
残念ながら伝統食の多くは消えつつあるが、祭りの時におばあちゃんが山盛りを作って出してくれた料理を思い出し、「作ろう」「食べよう」となって次の世代へとつないでいけたらいいですね。
そしてNPO法人「奈良の食文化研究会」理事であり奈良女子大学名誉教授である、的場輝佳さん。
奈良には和食文化の原点がある。特別な名物が思い浮かばないのは、ここが源流だからではないか。
藤原京や平城京の遺跡から出土した木簡や遺物をみると、飛鳥・奈良時代の貴族の食卓には、今日の和食に見られる豊富な食材――穀類、魚介類、家禽類、果実類、豆類、調味料が登場します。
遣唐使などを通じ、大陸の食材が入り、食品加工技術も導入。大陸のものを日本独自に改良し、小麦粉に塩や水を加えてねじった「索餅(さくべい)」は三輪そうめんに、唐菓子は和菓子に変化を遂げた。平城京には造酒司(酒造りの役所)が置かれ、都が遷った後も、南都では寺社を中心に酒造りが盛んだった。
山が多い地形から農地が少ない事情もあり、多彩な作物が栽培されてきた。四季折々の農家の食生活に、西の竹内街道、南の熊野街道、東の伊勢街道を通じて運ばれた魚介類が加わり、奈良の食文化は形成されていった。
和食とは、自分の古里の料理のことやと思う。僕は橿原市出身で、高野豆腐が何より好き。茶がゆは日常食で、子どもの頃は「今日も茶がゆか」とよくぼやいたものです。奈良を訪れた国内外の人が、奈良の食べ物を味わい、「これが奈良や」と感じてくれたらいい。
「食の古里がここにある」という思いで、産地、料理人、観光や飲食業に関わる人がつながれたら、奈良の食文化はもっと発展していくでしょう。
奈良新聞で毎月楽しみにしている、川嶌一穂さんの美ビット見て歩きの今月は、「昭和の子どものお手伝い・・・母と一緒に料理や編み物」です。
今回、読みはじめて懐かしいお話に興味があふれました。
まず写真は、東大寺南大門でのスナップです。弟さんといとこさんと柱に3人、どなたが撮られたのか素晴らしい写真です。
そして一条通の𠮷寅という八百屋さんの話。その息子さんが吉川啓右(けいすけ)さん。いま花芝でレストラン「吉川亭」の名物シェフ、わたしの小学校、中学校以来の同級生です。
川嶌さんはお母様との料理や編み物の手伝いの様子をよく覚えておられます。
二〇一〇六一六の漬け梅の母のラベルも古びにけるかな 一穂
川嶌さんには「昭和の子どもたち」をぜひエッセイを書きつないでいただきたいと思います。
美ビット見て歩き 私の美術ノート *84 川嶌一穂
昭和の子どものお手伝い
写真 昭和34年頃の東大寺南大門で、従姉と弟と。柱は痩せ、かなり傷んでいる。
「外出は食料と日用品の買い物だけ」という生活を3か月近く続けたのは、物心着いてから今回がはじめてだ。少し時間がかかったが、そのうち次第に体に馴染んで、地元の個人商店で買い物していた子どもの頃のことをよく思い出した。
昭和30年代、まだ家に冷蔵庫がなかった頃、母はほとんど毎日、野菜は一条通りの吉寅(よしとら)さん、魚は東笹鉾町の西川鮮魚店へ通った。和菓子の萬林堂さんは、当時まだなかった。
吉寅の大将は野太い声で真桑瓜でも西瓜でも「今日はええのが入ってるで」と勧め上手で、品物は確か。木戸をくぐった奥にはちょっとした生まものもあって、蝿避けの大きな線香が置いてあった。竹の簀の子に入ったカマスゴを買って、さっと湯通しして酢醤油で食べるのは美味しかった。大将と同じ前掛けをして甲斐甲斐しく働いていた息子の啓ちゃんが、いま花芝商店街の吉川亭の名物シェフである。
家ではよくお手伝いをした。頭を2cmほど切り、切り口に塩をまぶして渡された胡瓜を、「はい、ありがと」と言われるまで、頭と胴体をこすり合わせる。今よりも胡瓜のアクが強かったのだろう。
グリンピースを鞘から出すのは、楽しかった。ふっくらと膨らんだ鞘の端を親指で強く押すとパカっと、かすかな音がして割れる。筋に沿って開けていくと、生まれたての赤ちゃんの足の指のような豆が現れる。それを親指で落として行く。豆がステンレスのボールに落ちる時、こんころこんと可愛い音がした。
一番怖いお手伝いは、柏餅の漉し餡を作るときだ。母が両手鍋に煮上がった小豆を汁ごとこぼすのを、下でわたしがさらしを縫った袋を手に持って受けるのだが、湯気で熱いの何の!しかも袋はすぐにぱんぱんになって、重たいの何の!「手ぇ、放したらあかんよ」と母の檄が飛ぶ。熱いうちに濾さないといけなかったのだろうが、あれは怖かった。
昔はセーターも手編みだった。毛糸は売っている綛(かせ・毛糸を輪にして束ねたもの)のままでは編みにくいので毛糸球にする。その時も子どもの出番だ。
両手の肘を曲げて胸の前で立てる。その腕に母がそーっと綛をかける。母が向かい合わせに座って、自分の右手に毛糸を巻き取っていくのだが、子どもは両腕を丁度いい間隔に保つのがけっこう大変なのである。両腕をきつく張りすぎると毛糸が出て来にくいし、ゆるければ綛が外れてしまう。小学校も高学年になると、毛糸を引っ張りやすいように腕ごと回したりして、もうすっかりベテランである。
わたしがうんと小さいとき母が編んでくれた赤いカーデガンが嫌いだった。赤色一色ではなく3種類ほどの同系色の毛糸を編んだもので、手首のゴム編みと前立ては濃い赤色、腕と身頃も2色に編み分けられていた。
何十年も経ってから、「あのカーデガン、今なら手編みのパッチワークでお洒落やろうけど、あの頃は嫌やったわ」と、何気なく母に話すと、返事が返ってこない。ふと見ると、膝の上にパラパラパラと大粒の涙がこぼれていた。
「しまった!」
敗戦後すぐの物の無い時代に子どもを育てるのがいかに大変だったか、言葉にならなかったのだろう。百人一首の「つらぬきとめぬ玉ぞ散りける」だった。
二◯一◯六一六の漬け梅の母のラベルも古びにけるかな (一穂)
=次回は7月10日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。
DMG MORIやまと郡山城ホールのお隣で、「ふれ藍工房 綿元」を主宰されている西井康元さんから、古希記念作品集『大和の紺掻き(こうかき) 藍に生きる』をいただきました。
装幀も藍染めをそのまま使ったみごとな本です。
西井さんとは、地域情報誌「マイ奈良」の記者をされていた30台のころに知り合いました。奈良まちづくりセンターの前身の奈良地域研究会でも活躍されていました。36才で代々の大和郡山市の綿屋を継がれ、藍染めを勉強されたとのことです。
目次です。
ごあいさつ
ふれ藍工房 綿元について
日本の藍染めの歴史と大和郡山
綿織物と藍染
藍染の科学
藍染の多様性と国際化
板締め技法について
藍山会について
大和の紺掻き 藍に生きる
そして写真家 藤井金治さんによって撮影された作品が多数紹介されています。
西井さんは以下のように書かれています。
「この時代の流れの中で、大和郡山で伝統的な日本の灰汁発酵で藍染を復活させたのが、わがふれ藍工房 綿元です。
大和郡山城下町の誇る豊かな伝統と文化を象徴するのが、藍染文化だと思います。藍染文化は、戦国時代の軍需物資から始まり、江戸時代には町人文化として大きく広がります。その典型的な城下町が大和郡山です。大切にしたいものです。」
西井さん、ありがとうございました。そして古希おめでとうございます。からだを大切にますますのご活躍をおいのりします。
綿元のHP
http://www3.kcn.ne.jp/~watagen/
そしてHPにこの本をPDFで見ることが出来るそうです。
また6月17日の奈良テレビ「ゆうドキ!」でも放映されるそうです。
当ブログの以前の記事
http://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-5e61.html
二上山 夕日 2002年 (2019年夕日を入れる)
105cm×75cm
(表紙は山添村、薬音寺木造仏像群)
出版するという話を伺っていた、奈良まほろばソムリエの会の小倉つき子さんの『廃寺のみ仏たちは、今 奈良県東部編』が奈良・小西通りの
啓林堂奈良店に入荷していましたので早速買い求めました。京阪奈新書、950円+税。
はじめに、以下のように書かれています。
「所属している「NPO法人・奈良まほろばソムリエの会」の保存継承グループが2017年から行っていた、奈良県指定の仏像や建造物などの現状調査に参加していました。特に仏像に関心を寄せながらまわっていたのですが、山間部や僻地で無住の寺や公民館の収蔵庫にポツンと安置されている指定仏にしばしば出合い、感慨深いものがありました。」
「若い住民が減少していく集落では、諸仏を次世代にいかに引き継いでいくべきか。今、厳しい問題に直面されています」
「奈良県下の廃寺となった寺院の旧仏をつぶさに追い、読み物としてはもちろん、ひとまとめにした記録書になればと、県東部の桜井市、宇陀市、宇陀郡、山添村、奈良市東部から取材を始めました」
「本書を通じて、廃寺になった寺院の諸仏の軌跡とお姿を楽しんでいただければ幸いです。合掌。小倉つき子」
目次から
桜井市の廃寺と旧仏
◆粟原廃寺の旧仏と伝わる諸像
◆旧多武峰妙楽寺の旧仏
◆旧大御輪寺(大神寺)の旧仏
◆旧山田寺の旧仏
宇陀市と宇陀郡の廃寺と旧仏
山添村の廃寺と旧仏
奈良市の東部地域
大柳生の廃寺と旧仏
旧東山村の廃寺と旧仏
高円山麓の廃寺と旧仏
有名な聖林寺蔵の十一面観音像、法隆寺蔵の地蔵菩薩立像、新薬師寺蔵の十二神将、おたま地蔵などが口絵にカラーで掲載されています。
わたしもお世話になっている京阪奈情報教育出版のHPです→http://www.narahon.com/
13日(土曜日)NHKBSプレミアムで「大化の改新」があるということです。前編後編を18時から20時30分までつづけて放送のようです。
[BSプレミアム]
2020年6月13日(土) 前編 午後6:00~午後7:15(75分) 後編午後7時15分~8時30分
ジャンル
ドラマ>国内ドラマ
ドラマ>時代劇
番組内容
西暦636年。中臣鎌足と蘇我入鹿は身分こそ違え無二の親友。だが幼なじみの車持与志古は鎌足と結婚。やがて権力を目指す入鹿は鎌足を裏切り、山背大兄皇子を暗殺する。
出演者ほか
【作】池端俊策,【出演】岡田准一,渡部篤郎,木村佳乃,山口祐一郎,伊武雅刀,大杉漣,吹越満,六平直政,螢雪次朗,高島礼子,原田芳雄,【語り】窪田等,【音楽】大島ミチル
詳細
西暦636年。弱小豪族の息子・中臣鎌足(岡田准一)と時の権力者、蘇我氏の後継ぎ・蘇我入鹿(渡部篤郎)は同じ学堂に通う大親友だった。正義ある国づくりを誓い合う2人は共に幼なじみの車持与志古(木村佳乃)に恋するが、与志古は鎌足と結婚。やがて、政治の実権を握った入鹿は、聖徳太子の息子・山背大兄皇子(山口祐一郎)の討伐を計画する。正義を見失った友を鎌足は体を張って止めるが、入鹿は山背を暗殺する。
蘇我入鹿(渡部篤郎)は独裁者として朝廷を支配し、中臣鎌足(岡田准一)は野に下り飢えや病に苦しむ民衆の救済活動に献身する南淵請安(仲代達矢)と出会う。鎌足は請安に心酔し、彼の活動を支える中大兄皇子(小栗旬)と意気投合するが、入鹿は蘇我氏の独裁を糾弾する請安を反逆の罪で捕らえて処刑する。西暦645年。民衆を忘れた入鹿の国づくりを止めるため、鎌足はかつての親友・入鹿を倒し「大化改新」への道を開く。
https://www.nhk.jp/p/ts/RJXZGR85LQ/
奈良市三条通、上三條交差点を東50mくらいのところ、もと南都旅館があったところが壊されて更地になりました。来年秋にはAPAホテルになると広告にでています。
概要】アパホテル〈近鉄奈良駅前〉
奈良市上三条町29番1他
658.90㎡
近鉄奈良線「近鉄奈良駅」徒歩3分、JR関西本線・奈良線「奈良駅」徒歩7分
全163室、6階建/約2,800㎡
2021年秋(予定)
その西隣、長い間骨董の店があり、一時セブンイレブンになりましたがほどなく閉店されました。そこにいま櫓を建てて、地下を掘っておられます。深さ600m掘ると奈良でも温泉(あるいは冷泉)が出るそうです。
いま奈良には、いろいろな変化が起こりつつあります。
奈良県の吉野郡の上北山村をご存じでしょうか。大台ヶ原の入り口ともいえる村です。
吉野町から川上村を通って、つぎの村です。さらに南へ行くと下北山村、十津川村とつづきます。
このたびホテルがリニューアルオープンしたとのことです。6月1日オープン。案内をいただきました。
いまオープン記念でいろいろな特典があるそうです。7月20日までがおすすめとのこと。
奈良県の空気のきれいな村への旅は行きたいですね。
フォレストかみきたのHPです→https://forest-kamikita.com/
まほろばソムリエの会のHPには、村の瀧川寺が載っています。毎日新聞に載っていた記事です。→http://www.stomo.jp/yamato_otera/191114.html/p
待っていた保山耕一さんの映像のブルーレイが届きました。
早速拝見しました。
奈良市佐保川、吉野山、十津川村の果無集落、御所市の橋本院、橿原市の藤原宮跡と大和三山、再び吉野山、金峯山寺、如意輪寺などの映像が音楽とともに広がりました。29分間。いえ29分間と思えないたっぷりした時間が流れました。
ピアノ、ギター、ピアノ、二胡、ピアノが演奏されました。野上朝生さん。稲川雅之さん、すみかおりさん、木塲孝志さん、川上ミネさん。
何枚かわけていただきました。
映像の保山耕一さん、制作の清水真貴さん、演奏の皆さん、多くのスタッフの皆さんありがとうございました。
最後に字幕スーパーに、亡くなられた友人の朝倉進さんがたち上げられた奈良の音楽スタジオ、N.M.Gが出てきて印象的でした。
朝倉進さん追悼コンサート
http://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-ca19.html
6月1日からサンルート奈良が、ホテル尾花として再スタートということです。ちょうど今年が前身の尾花座ができて100年。その後ホテルサンルート奈良として40年、ちょうど契約がきれることから、かつての尾花座の名を使って、「ホテル尾花」となるそうです。
落語の桂米朝さんの字になる、「われらが尾花座ここにありき」の石碑も玄関に飾られ続けています。われわれが子どもの頃から、主に松竹系の映画がよく上映されていてよく見に行きました。最近の日本映画「カツベン」も尾花座がモデルでした。
ちょうど毎日新聞が伝えています。中野聖子(さとこ)社長さんです。なら燈花会の委員長もされたり、なら国際映画祭の理事長
もされている奈良のリーダーです。ますますのご活躍を祈念申し上げます。
会長のお父様、中野重宏会長様もお母様の道子さまもおふたりお元気です。これからもよろしくお願いします。
大正の映画館、名称復活 サンルート「ホテル尾花」に 奈良 /奈良
施設名をかつての「尾花」の名に改称した中野聖子さん=奈良市高畑町で2020年5月28日午後1時57分、稲生陽撮影
かつて奈良市中心部の「ならまち」にあった映画館「尾花劇場」の跡地に建つ「ホテルサンルート奈良」(同市高畑町)が6月1日、「ホテル尾花」に改称し、施設の一部をリニューアルする。今年は同劇場の開業から丸100年にあたり、前身の芝居小屋時代から使っていた「尾花」の名を再び冠することにした。創業者のひ孫で、同ホテルの中野聖子(さとこ)社長(51)は「原点に戻り、地域との結びつきをより強めたい」と話している。
明治期に歌舞伎などを公演した芝居小屋「尾花座」を中野さんの曽祖父が買い取り、1920(大正9)年に映画館として開業。テレビの普及など時代の流れとともに施設維持が難しくなり、81年、同地に建物を新築しホテルに生まれ変わった。「尾花」の名は、近くの尾花谷川から取ったという説のほか、小屋を作った人物の娘の名「おはな」にちなむとの説もある。ホテルには今も当時の興行成功を記念した「奉献額」が残り、中野さんが「なら国際映画祭実行委員会」の理事長を務めるなど、ホテルとなってからも映画の普及に力を入れてきた。
7月に作品上映
今回は劇場としてスタートしてから丸100年の節目を迎えるとともに、サンルートホテルチェーンとの契約が切れることから改名を決意。看板を掛け替え、1階会議室に可動式大型スクリーンを設置し、映画の上映会も開けるようにした。7月下旬には「尾花座復活上映会」と称して、同劇場がモデルとなった「カツベン!」(2019年)や県内が舞台のシーンがある「麦秋」(1951年)などの作品を上映予定だ。
くわしくはHPをご覧下さい→https://obana.nara.jp
そして
奈良の人が奈良の宿泊施設に泊るキャンペーンが始まっています。ホテル尾花さんが先頭をきって進められています。
昨年わたしも奈良に泊りました。そのときのことを詠んだ短歌が全国版の『ロータリーの友』のロータリー歌壇(4月号)に初投稿初入選しました。佐佐木幸綱先生選。
旧き友とひさびさの奈良の合宿をわれも楽しむ旅人として 松森重博
(評)昔からの長いつきあいの仲間と、年に一度くらい、日本各地で、何泊かの合宿をつづけておられるのだろうと思います。地元・奈良での合宿だけれど、皆に合わせて、旅人気分を味わっている、というのです。日本文学史で「旅人」は独特のイメージとニュアンスを持ってきました。西行、芭蕉、若山牧水、種田山頭火・・・。 この作者もそんな文学史の一端に連なる思いなのでしょう。
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