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5月5日好天のこどもの日、バイクに乗って、高畑の方に用事があり、ひさしぶりに白毫寺にお参りに行きました。先日、知人のKさんから多宝塔の行く末をうかがいましたので気になっていました。そして今も多宝塔のあとが境内にあるということです。
門を上がるととても良い景色が広がります。
望遠にすると興福寺の五重塔がきれいに見えました。
南を見れば、葛城山でしょうか?
本堂。
例の多宝塔跡。礎石がしっかり残っています。今まで気づきませんでした。
シャガ。
万葉歌碑。犬養孝先生の書。
高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人無しに 笠金村(巻2-231)
白毫寺、おつかれさまでした。御朱印は宮崎さんの息子さんのようですね。先代の快堯和尚には「明風清音」への執筆をお願いして快諾をいただいていましたが、締め切りが迫って催促するたびに少し待っての繰り返し。辛抱強く待ちましたがついに記事掲載はなりませんでした。電話を取り次いでくれたのが息子さんでした。頼りない感じでしたが、先日の一切経では立派に勤められていていました。快堯師は大仏マラソンンにも仮装して出場されるなど、奈良の名物和尚のひとりでしたね。多宝塔が燃えたあと、残った九輪だけでもいただけないかと交渉しに行ったという話もあります。
投稿: 小久保忠弘 | 2020年5月 6日 (水) 10時37分
小久保さん、ご紹介ありがとうございました。コメントもありがとうございました。はい。息子さんがおられ、御朱印を書いていただきました。先代はかつて当方でも湯飲みに絵や字を描きに来られていました。当方で焼き付けしてお寺で売られていました。味のある絵であり、書でした。確かに奈良の名物和尚でしたね。
投稿: matsumori | 2020年5月 6日 (水) 10時44分
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白毫寺、おつかれさまでした。御朱印は宮崎さんの息子さんのようですね。先代の快堯和尚には「明風清音」への執筆をお願いして快諾をいただいていましたが、締め切りが迫って催促するたびに少し待っての繰り返し。辛抱強く待ちましたがついに記事掲載はなりませんでした。電話を取り次いでくれたのが息子さんでした。頼りない感じでしたが、先日の一切経では立派に勤められていていました。快堯師は大仏マラソンンにも仮装して出場されるなど、奈良の名物和尚のひとりでしたね。多宝塔が燃えたあと、残った九輪だけでもいただけないかと交渉しに行ったという話もあります。
投稿: 小久保忠弘 | 2020年5月 6日 (水) 10時37分
小久保さん、ご紹介ありがとうございました。コメントもありがとうございました。はい。息子さんがおられ、御朱印を書いていただきました。先代はかつて当方でも湯飲みに絵や字を描きに来られていました。当方で焼き付けしてお寺で売られていました。味のある絵であり、書でした。確かに奈良の名物和尚でしたね。
投稿: matsumori | 2020年5月 6日 (水) 10時44分