米軍キャンプ跡地
米軍キャンプ跡地であったことを証言する石碑です。
案内板には
本校の敷地は、戦前、奈良38連隊の練兵場として利用されていた。
昭和20(1945)年アメリカ軍が奈良へ進駐すると、高畑町界隈とともにこの地も米軍のキャンプ地となった。
右碑文には
「REGIONAL POST ENGINEER,CAMP NARA,HEAVY EQUPMENT,ROADS & GROUNDS SHOP
(奈良 工兵隊支部 土木重機場)」と記されており、この地に米軍工兵隊が駐屯していたことがわかる。その後、米軍病院としても利用されたが昭和30年代に入ると米軍は順次撤収し、昭和33(1958)年、本校が大学構内からこの地に移転した。
また、各種発掘調査では、旧日本軍の建造物、塹壕、模擬手榴弾とともに、米軍建造物(コンクリート土台壁、配管等)が多数出土している。
と書かれています。
現在の奈良女子大学附属中等教育学校の校庭に残されています。貴重な石碑です。
今では戦後、奈良市内に米軍の進駐軍がいたことを残す面影はあまりありません。
元積水の工場や元ドリームランドもそうでした。
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コメント
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奈良女子大附属教育学校の校門前の住宅地は、この全面が非常に大きい溜池でした。その西側へ
下がる傾斜した土地一帯が市民病院まで延びていますが、戦前は旧陸軍の練兵場で西端には陸軍病院
(現市民病院)か在りました。
小生が旧制中学生に在学中に、軍事訓練を受けた際にこの場所で塹壕を掘ったり、匍匐前進の過酷
な訓練を受けた場所です。
戦後、附属教育学校の移転先の校地として整地作業中には、戦後の混乱期の仕事の痕跡でしょう
か?、この発掘現場から(現生徒昇降口付近)小型練習機が掘り出されました。
投稿: 馬嶋玄敏 | 2020年5月18日 (月) 09時38分
馬嶋先生。コメントありがとうございます。戦中に訓練を受けられたところですか。
現在の校門前に、草ぼうぼうの5メートルくらいの土手があり、それは池だと聞いていましたが、登ったこともありませんでした。
中学入学した頃には、いまの校舎のあるあたりに飛行機庫あとやコンクリートの基礎がのこっていたことを思い出しました。
投稿: matsumori | 2020年5月18日 (月) 11時29分