1918年~1920年、スパニッシュ・インフルエンザ
100年前のスパニッシュ・インフルエンザに、今回のコロナウィルスは似ていると言われます。
スペイン風邪とも言われますが、アメリカが感染源だったようです。
スペイン風邪ということばは聞いたことがありますが、軽く聞こえるニュアンスです。はっきりしたスパニッシュ・インフルエンザであったということです。ウィルスは当時の顕微鏡では捉えられなかったということです。
そしてそのときの日本政府の対応が今回の対応と似ているということです。人は集まらないこと、うがい、手洗い、マスク・・・など。
1918年11月に、当時奈良市会議員をつとめていたわたしの曾祖父もスペイン風邪で亡くなったと祖母から聞いていたことを思い出しました。あらためてたいへんな病気であり流行であったことに思いをいたす次第です。
(追記)
毎日新聞やまと歌壇、6月4日付に入選しました。
百年前スペイン風邪にて亡くなりし曾祖父しのぶコロナ禍の今 松森重博
横山季由先生の評、珀年前スペイン風邪で亡くなった曾祖父偲ぶ松森詠、コロナ禍の今だから良い歌になった。
「1918年3月は、第一次世界大戦の最終段階だった。1918年初頭は米国では動員体制が整い、欧州に大量の兵士を送り込むべく国中が大騒ぎになっていた。全米各地で募兵が行われ、大量の志願者が集まってきた。募兵も、キャンプも、公債購入キャンペーンも、すべて大量の人々が一ヵ所に集まる。第一次世界大戦は、インフルエンザ・ウイルスに、格好の感染拡大の場所を提供していたのだった。
米国内で感染した兵士は、そのまま欧州に送られる。最前線では、死と隣り合わせの極限のストレスと、極度の疲労に晒された兵士の免疫が衰弱していたことは間違いない。かくして、あっという間に欧州戦線の各所でインフルエンザは猛威を振るうようになった。
もうひとつ、考慮しなくてはならないことがある。総力戦では、国家がその能力の限りを尽くして衝突する。そのためには、大量の物資を輸送し、国家経済を回転させねばならない。物資の輸送に伴い、人が動く。
日本では1918年9月に、最初の集団感染が確認されている。アメリカで発生した流行が、戦争を通じて欧州に渡り、おそらくは物流に伴う人の交流に乗って、日本にやってきたのだ。アメリカでの発生から6ヵ月ということになる。
<第一回流行(1918.8-1919.7)
感染者:2116万人 死者:25万7000人 死亡率:1.22%
第二回流行(1919.10-1920.7)
感染者:241万人 死者:12万8000人 死亡率:5.29%
第三回流行(1920.8-1921.7)
感染者:22万人 死者:3600人 死亡率:1.65%
(内務省,104)」
『史上最悪のインフルエンザ -忘れられたパンデミック-』
アルフレッド・W・クロスビー 著 西村秀一 訳/
A5判/496頁/定価(本体4400円+税)/2009年1月発行/みすず書房/
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