
高校時代には国語でお世話になり、そして2009年より短歌にわたしを導いていただいた恩師、小谷稔先生の最終歌集「大和くにはら」が発行されました。青磁社発行。税別2000円。
奥様の小谷宏子さんのあとがきによれば、
これは小谷稔の独立した歌集としては『黙座』に続く六番目のもので、平成二十八年から三十年に「新アララギ」を中心に総合誌紙の「現代短歌」「現代短歌新聞」「歌壇」「毎日新聞やまと歌壇(選者詠)」、また正続の『はらから六人集』などに発表されたものから四六七首を納めました。
刊行にあたり、「新アララギ」の雁部貞夫代表のご高閲と懇切なる跋を賜り、感謝に堪えません。また編集にあたり、小松昶氏には全面的にご助力いただき、横山季由、松林陽子両氏にもお世話になりました。誠にありがとうございました。
小谷は九十年の生涯でしたが、土屋文明先生、アララギ一筋に生きました。本人は百歳まで生きる計画でしたし、まだしたいことがあったと思いますが、人としては充分な仕事をやり遂げ、人々からも慕われ愛されてきた素晴らしい一生であったと思います。
小谷は日本の古くから続く素晴らしい文学である短歌が、若い方々に受け継がれてゆくことをいつも念じておりました。この歌集を読んで一人でも多くの方が短歌に興味を持ってくださったらと思います。
出版を快く引き受けて下さいました青磁社の永田淳様に心よりお礼申し上げます。
二〇一九年十月 小谷宏子
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小谷稔先生の略年譜
1928年岡山県新見市の山村の農家に生まれる。
1944年岡山師範学校在学中、学徒動員にて玉野造船所で終戦まで働く
1946年「アララギ」入会
1948年岡山師範学校本科卒業。新見中学校教諭として赴任
1956年新見中学校退職。土屋文明の指導を受けるため上京
1958年東京教育大学文学部卒業。
1958年、大阪府立四條畷高校に教諭として赴任
1965年、奈良女子大学文学部附属高校に転任。
1971年、国立奈良工業専門学校に転任。
1972年、奈良市秋篠町に転住。
1982年、第一歌集『秋篠』
1990年、第二歌集『朝浄め』
1991年、奈良産業大学教授として勤務。
1996年、第三歌集『大和恋』
1997年、「アララギ」終刊。
1998年、「新アララギ」創刊。選者、編集委員となる。
2007年、叙勲瑞宝小綬章を受ける。
2009年、毎日新聞「やまと歌壇」の選者ならびに毎日短歌教室の講師になる。
「新アララギ」の明日香特別歌会を開催。
2010年、第四歌集『再誕』
2013年、『秋篠』を文庫化して発行。胸部大動脈瘤手術。9月、声帯、甲状軟骨形成手術。
2016年、第五歌集『黙座』
2017年、論集『明日香に来た歌人』を発行。
2018年10月18日逝去。90歳。

12月25日の毎日新聞奈良版に大きく。紹介されています
アマゾンでも注文できるようです。
最近のコメント