

啓林堂書店と京阪奈情報教育出版から出演要請受けていた、「トークショー&サイン会」が17日ありました。90分間という大学の講義なみの時間をいわれて、パワーポイントも60枚あまりつくりました。多くの知り合いや観光に訪れた方などが来てくれまして、初めてのテーマでしたが無事88分間しゃべることができました。

2009年、おもてなし標語「しみじみと感じる奈良のおもてなし」奈良市長賞受賞。
2009年高校時代の国語でお世話になった小谷稔先生が毎日新聞やまと歌壇に選者にとして登場され、投稿をはじめました。
・わが奈良の「もてなし」謳う黄の幟しみじみ見つと旧師のメール
10年間、やまと歌壇に、新アララギ誌、佐保川さくら祭、正倉院短歌コンクールなどに投稿、入選が500首を数えました。
歌集はこの7月からとりかかり超スピードの10月発行にこぎつけました。
20数年お世話になっている奈良大学教授の上野誠先生には、序文「国のまほろば」を書いていただき3首を紹介いただいています。
・ようやくに願いのかない修二会にて局(つぼね)の中に声明を聞く
・無残にも芝生荒れたる奈良公園イノシシ来た りて掘りし跡らし
・寒風を突き抜け走る奈良マラソン友の勇姿に元気湧き出る
題字は書家の桃蹊、柳井尚美さんに書いていただきました。
写真は当方の器まつもりの屋上から、興福寺五重塔、当方の撮影です。
短歌の最終チェックは、生駒歌会の小松昶先生のお世話になりいっしょに2日間行ないました。
編集・装丁・印刷・出版は地元の京阪奈情報教育出版、住田幸一社長にたいへんお世話になりました。

つぎに背景にある、奈良の商店街について話しました。
もちいどの通りは奈良時代の平城京の東六坊大路にあたること、三条通と交わるところには江戸時代には奈良奉行の高札が掲げられ、昭和59年に地元自治会などにより御高札場が再建されたこと、明治時代の奈良県里程元標も再建されたこと、そばに奈良市道路元標もあります。
スライドで明治32年の橋本町から餅飯殿町を望む絵はがき、昭和29年のゆり祭のお渡り行列、昭和45年頃のにぎやかなもちいどのセンター街。
昭和52年の奈良市役所移転、徐々に通行量が減っていき、シャッター商店街になるおそれがあったこと。30年で通行量が半減。平成16年パチンコ店が公売にあり、商店街の理事会総会を経て2656万円で買ったこと、2年間論議して建て替え、平成19年、夢CUBEをオープンしたこと。それをきっかけに翌年ス―パーオーケストのオープン、空き店舗にも多くの新しい店がオープンし、新聞にも「わかい人がもどってきた」と大きく報じられたこと。経済産業省で「新がんばる商店街77」に選ばれたこと。3年間で卒業した夢CUBE卒業生が他の商店街やもちいどのセンター街でつぎつぎ独立していてくれていること。いろいろなイベント企画や運営にも大いに活躍してくれています。また大学生も参加してくれています。
1昨年、10周年でシンポジウムを開いたり記念行事をひらき、10周年記念誌を作ったこと。(本にすることは大切)
この12年間で北海道から鹿児島まで、あるいは韓国、中国からも視察があること。
もちいどのだけでなく、東向、東向北、花芝、小西、橋本町、三条通り、もちいどの、下御門の8つの商店街でつくっている奈良市中心市街地活性化研究会は正倉院のスタンプラリーを行なったり活性化に努めている。昨年、経済産業省から「はばたく商店街30」に選ばれた。
昨年の秋から夜市をはじめました。この春と秋にはもちいどの、小西通りで行ない好評をいただいているなどのお話をしました。
わたしの短歌にはそういう商店街や奈良の中心市街地などが背景にあります。

つぎに短歌の背景にある奈良のことを話しました。
奈良県は世界遺産が3つもあり、社寺や行事やお祭りが多い。自然や歴史にも恵まれている。400名を超すメンバーがいるNPO法人奈良まほろばソムリエの会がありそのひとりとして活動していること。
来年1月12日には奈良検定がある。2級は奈良に住む人なら少し勉強したら70点の合格点はとれると思います。願書受付は11月末までですので今からでも間に合います。
今年の春、42人のメンバーが手分けして100ヶ寺あまりを紹介する「奈良百寺巡礼」の新書を発行しました。おかげでとてもよく売れているということです。

最後に495首の短歌の中から10首あまりを紹介して、トークショーは90分の時間いっぱいまで話を続けられて無事終了しました。
そのあと光栄にもサイン会がありました。ありがとうございました。

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