服部正博(素空)君の急逝を悼む
服部正博(素空)氏、2019.6.20 鹿鳴人撮影。
8月14日未明に三重県四日市生まれで四日市在住の会津八一研究家の服部正博(素空)君が急逝したとの信じられない知らせが届きました。早稲田大学入学以来50年あまりにわたりたいへんお世話になった友人です。亡くなる前の日まで二人のお孫さんと楽しく過ごしたお盆休みをブログに残しています。
http://surume81.web.fc2.com
彼とこんなに早い別れになるとは思っていませんでした。深い悲しみです。
会津八一研究のHPは彼の大きな業績です。たぶん唯一のHPではないでしょうか。
上記HPの会津八一研究のページ。
http://surume81.web.fc2.com/hitorigoto/81/81top.html
そして先月亡くなられた安達先生に師事して長年、仏像彫刻にも打ち込んでいました。その作品集です→http://www.ccnetmie.ne.jp/adachi-124/kokuyuu/kaiin/soku/soku.html
彼の店の近くの有名な諏訪神社にて。2019.6.20
当方宅にある服部君よりいただいた会津八一の歌碑(服部素空氏の作品)。
服部君の解説です。
「会津八一書画(2011・11)
会津八一歌集・寒燈集より
観音堂(第9首)
ひそみ きて た が うつ かね ぞ
さよ ふけて ほとけ も ゆめ に いり たまふ ころ
(ひそみきて誰が打つ鐘ぞさ夜更けて仏も夢に入り給ふころ)
観音堂 「新潟県北蒲原郡中条町西条、素封家・丹後康平邸
近く。丹後家の祖先が入道して隠居した」
ひそみきて 「ひとにしられないようにひっそりと来て」
さよふけて 「“さ”は接頭語、夜が更けて」
歌意
ひっそりとやって来て、誰が鐘を打っているのだろう。もう仏様も夢にお入りになる夜更けなのに。
空襲で焼け出され、無一物で東京から疎開した故郷新潟の観音堂で、昭和20年8月10日、長年ともに暮らした養女(義姪)きい子を結核で亡くす。この時詠んだ挽歌「山鳩」(21首)は心を打たずに置かないが、その後、1人観音堂で暮らし、詠んだ観音堂10首も素晴らしい。
八一はこの歌を好んで書画として書いた。写真は1m余のケヤキに素空が彫ったものである。ここに押された白文の書画印は「虚無」である。道人の痛々しい心は印にも表現されているのである。」
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8月16日、台風一過のもと、四日市で葬儀があり、参列してきました。親族、友人、知人が集まり無宗教による葬儀で、4人の友人の言葉が送られました。
私も早稲田大学以来の友人としてご挨拶をさせていただきました。
「彼は会津八一の短歌をホームページで解説しているが彼が全国で唯一ではないかといわれています。
それは会津八一の生徒であった植田重雄教授が彼の担任でお世話になったからであり、また早稲田には会津八一記念館(いまは会津八一記念博物館)などがあったからだと思います。
服部君はそれもあって会津八一に詳しかったし親類も法隆寺近くにあったので奈良のことが好きでよく奈良にやってきました。
この20年来、ダンディ&メルヘンと称して奈良にも同級生と一緒によく来たしわたしも案内して一緒
に楽しみました。
そしてもうひとつ彼は仏像彫刻にとりくんでいました。
先月亡くなられた安達先生に師事していました。この祭壇に飾ってあるのは新薬師寺の盗まれた香薬
師像ですが、この仏像を彫刻するときは早稲田大学の研究室に出かけ写真を撮らせてもらい教えても
らって彫ったそうです。そういうとても研究熱心なところがありました。
わたしとメールでも長年よくやりとりしていましたが、この6月20日仕事で名古屋から昼に帰れたので、服部くんに連絡を取り近鉄四日市駅に途中下車して四日市の商店街を案内してもらい、喫茶店で語り合い、
さらに同級生の喫茶店に連れて行ってもらい、しばらく彼は酒を飲まなかったように思
うのですがふたりでビールを飲み友人たちにも紹介してもらいました。
当方ブログ(6月23日)http://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-86e77d.html
大学の頃といえば、焼き肉を一緒に食べ、ふたりとも酒の飲み始めでしたのでふたりで1合の徳利を飲んだこともありました。
そしてご両親にもお会いしたこともありました。
長いあいだ服部君にはお世話になりました。亡くなる直前の彼のブログも拝見しました。
お孫さんと遊び、犬とも遊び、最後は熟睡と書かれていました。
服部君には、ゆっくり休んでいただきたいと思います。
服部君、長い間ありがとうございました。」
まだまだ若い71才という服部正博(素空)氏の逝去に心より哀悼の意を捧げます。
そして、奥様、息子様ご夫妻、ふたりのお孫さんのこれからのいやさかを祈念申し上げます。
服部君、ありがとう!!
彼の若き日に残した文という。
君逝きて我は紀伊子と鹿鳴集八一の歌をひたすら読みぬ 重博
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