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NPO法人、奈良まほろばソムリエの会の保存継承グループは、県内の文化財の調査報告と要望書を奈良県地域振興部に提出しました。
奈良新聞6月21日に大きく取り上げられています。
奈良新聞WEBより
耐震・防火対策に課題 - 県に要望書を提出 奈良まほろばソムリエの会調査/県指定文化財
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」(豊田敏雄理事長)は20日、このほど行った県指定文化財の地震、防火、獣害・シロアリ対策についての調査結果を公表した。調査に応じた社寺などのうち、地震対策が未実施なのは57・6%、「獣害やシロアリ被害がある」と答えたのは57%など文化財の継承が心配される結果が浮かび上がった。同会は同日、県地域振興部に耐震診断の実施など4項目の要望書を提出。対策の必要性を訴えた。
調査は平成29年7月から今年4月まで、同会の保存継承グループが実施。県内125カ所を延べ507人が原則として訪問し、住職や宮司らから聞き取りと写真撮影した。同グループは平成26年から同28年まで市町村指定文化財の外観調査をしたことはあるが、県指定文化財の聞き取り調査は初めて。
よく存じ上げている写真家の野本暉房さんの奈良の歳時記の写真展です。
奈良の伝統行事や風景を素晴らしく表現してくださる写真家 野本暉房(のもと・てるふさ)さんに格別なご協力をいただき、この度、奈良市観光センターNARANICLE初の企画展「奈良祭時記〜夏から秋へ〜」を開催致します!
7月2日(火)〜9日(火) 9:00〜17:30
テーマ・・・「奈良祭時記-夏から秋へ-」
日時・・・・令和元年7月2日(火)〜7月9日(火) 10時〜17時30分
ギャラリートーク・・・7月2日(火)、7月6日(土)14時〜
会場・・・・奈良市観光センター NARANICLE 多目的スペース
入場無料です!
ぜひお誘い合わせの上お越しください!
6月16日,NPO奈良まほろばソムリエの会の総会がありました。総会の後、映像作家の保山耕一さんを招いて90分間のトーク&上演会が行われました。くわしいレポートをいただきましたので紹介します。広報グループ増田優子さんありがとうございました。NPO法人奈良まほろばソムリエの会のつれづれ日記より。
http://nara-stomo.seesaa.net/
映像作家 保山耕一さん。
保山さんは、まほろばという言葉がぴったりな奈良の美しく素晴らしい映像を大画面とうっとりするような音響で見せて下さいました。その上、それぞれに解説をしていただくというなんとも贅沢なひとときを楽しませていただき、とてもありがたい機会となりました。それらの一部を一つずつご紹介させていただきます。
1. 春日大社の藤
(映像はまずは美しく神々しい藤の花から始まります。)
ところが、「今年の砂ずりの藤は、人々が、写真を撮りたくて藤を引っ張るため、花が伸びきる前にボロボロになってしまいました。」と保山さん。このボロボロになってしまった藤から「考えさせられてしまいました」と…「どこかが間違っている。これはその象徴!」だと…
そして、前春日大社権宮司の岡本彰夫先生との交流が深い保山さん。
岡本彰夫先生は「学ぶこと」、保山さんは「感動すること」
「この二つが、人生を豊かにするためにとても大切」とおっしゃっていました。
また「芸術に触れることによって、豊かになるのです。」ともおっしゃっていました。
2. 平城京跡
春、秋には朝早くに霧が出るそうで、腰より下に、あたり一面に霧が広がるという普通では見たこともないような美しい映像を見せていただきました。
「地面を這うように覆いつくす霧!この世の風景ではないのでは?と思うほどの霧です。」そして、周りは住宅なのに、「まるで、雲の上を歩くように広がるのです。皆さんご存じでしたか?」とおっしゃっていました。
しかし、「5年10年前には、もっと頻繁にあったのに、なぜ今、こういう風景はなくなったのでしょうか? これは、何かの警鐘なのです。」と保山さん。
「僕は、平城京跡のこの借景(これを借景と言われていました)が大好きだったのですが、自分たちのふるさとを次世代にどう受け継いでいくかが問題なのです。」また、「表立った論議・賛成とか反対とかだけではなく、この風景が教えてくれるのは、何なのか!がとても大事なのです。」と言われていました。
そして、また「平城宮跡は私たちを試している!」ともおっしゃっていました。
それは、「古いところは古いところで残す。新しいものも造っていく。そうして、奈良の役割を考えていく。そのことが大切なのです。」と。
3. 興福寺中金堂
(ここでは千住真理子さんのバイオリン演奏をBGMに、映像が流れます。)
「300年前に中金堂が消失した時と同じく、ストラディバリウスのバイオリンもまた300年前に作られたものなのです。」
(なんというコラボレーションなのでしょう‼)
「300年ぶりに再建された中金堂に沈む太陽!
300年ぶりに再建された中金堂の満月!
そして、300年ぶりに再建された中金堂の五色の幕にたなびく風!
それも再建されて完成した一番初めの風!」
(その姿が映し出されます。)
「カメラマンなら、それを撮らなければ!!」と保山さん。
「偶然か必然か中金堂落慶の今この時を迎える自分」「涙が出ました」と保山さん。
(千住真理子さんのストラディバリウスのバイオリン演奏の音に魅了させられながら、中金堂落慶の日の映像が脳裏に焼き付きついていきます。)
4. 大和の大雲海
(ここでのお話も感動的でした。)
「実は、きょうは撮影することもやめようかと思っていた時、朝4時頃、目を覚ますと…辺り一面に霧!!そしてすぐに若草山の上に登ります。すると、奈良盆地に100年に一度くらいかと思われる大雲海が!そして雲の上には快晴の空!
けれど、不思議なことに御蓋山の山頂だけは雲で隠れず雲の海に浮かんでいたのです!!
『浮雲の峰とはそういう意味だったのか‼』その時初めてわかりました」と保山さん。
「つらい時でも、頑張っていたら、真実とつながる瞬間がある!!すべてをあきらめようと思ったのに、浮雲の峰から、神様が『まだ頑張れよ!』と言っておられるみたいで…感謝しています。」と保山さんは、胸の内をお話して下さいました。
5. 長谷寺の桜
(次は長谷寺の伽藍配置のお話とその伽藍にたくさんの桜の花びらの舞い散る映像)
「何にでも意味があることに気づいた。」と保山さん。長谷寺のお坊様から「ここは人間の一生。三重塔から太陽が上がり、桜の花びらを本堂の観音様が最後に受け止めて下さるのです。」というお話を聞かれます。
「桜の花びらが、まるで蛍が飛んでいるかのように、子どもが遊んでいるかのように舞うのです。」
(そして、大きな十一面観音様のお姿が映し出されます。)
「みんな最後は本堂に!」桜の花びらは一枚一枚が本堂に向かって風に吹かれていきます。
「なぜ昔の人はここに桜を植えたのか、それも感じるのです。」と保山さん。
(会場内からは、静かにすすり泣く男性、女性。あちらからも…こちらからも…)
6. 吉野山の桜
(さあ、そして吉野山の満開の桜の映像です。)
保山さんは「一つの風景でもその意味を知っていると感じ方が全然違う。」とおっしゃられ「ここでは、現地の人の声を聴くことの大切さを教えてもらいました」と。
「桜の満開と満月が重なったらね、皆さん、どうなると思いますか?」と保山さん。
「山じゅうの桜がね、香るんですよ。本当に甘い香りが漂っていたんです。その時に僕は『知ったつもりで、喋っている場合じゃない。』と思ったのです。何でも奥があって、自分の知っているのは、ほんの一部に過ぎない。『謙虚な気持ちでいかなければいけない』と感じました。」とお話されました。
そしてまた吉野水分神社~上千本にかけての桜の映像、吉野の桜は祈りの桜とお話をされていると会場からはまたどこからともなくすすり泣く声が聞こえてきます。
7. 明日香村の棚田
(次は日本の原風景の一つ・棚田が映し出されます。ここでは、明日香村のおじいさんとの会話が印象的でした。)
保山さん「棚田はなんでやってるんですか?」とおじいさんに聞かれます。
するとすぐに「自分がこの棚田の風景を見続けたいからや」と返事が返ってきます。次の世代に残したいと一本一本植えているそうです。見渡す限りの黄金色の棚田‼
でも・・「これでは儲からんのや。お米はおいしいけど、やればやるだけたいへんや。後継者がいない。何年か経って、急にここに来て後継者になるといっても無理や。都会の者に、田んぼの仕事がいきなりできるはずがない。」とおじいさんは言われたそうです。
(棚田の水の中に流れる雲、青い空。カエルの鳴き声。映像はここ明日香村のありのままの自然をとらえます。)
「あと20年したら、全部ない」と地元のおじいさんが嘆いておられる話を保山さんはして下さいました。
「けれど・・」と保山さんは続けます。「今、この奈良の風景を(映像で)残したら、そこから何かできることがあるかもしれない。」そして、「当たり前の景色はいきなり消える。急になくなるのです。これは進歩なのか、警告なのか・・」と私たちに疑問も投げかけます。
(そしていよいよラストに近づいてきます。)
保山さん「僕からのメッセージです。」と間を置かれてから
「鹿の胃袋から、たくさんのビニール袋がでてきています。ニュースの最後には、外国人観光客の責任にしていましたが、それで本当にいいのですか?あーいう現象はみんなに責任がある。ソムリエの人たちは情報発信しているじゃないですか。僕も含めての警鐘なのです。おなかにビニール袋をいっぱい入れた鹿!これはもう異常事態なのです!!」と声を強めて私たちにも訴えておられました。
8. 大和の祈り
(そして最後の映像とお話は、2017年国民文化祭での上映『大和の祈り』のダイジェスト版でした)
命があと一週間と告げられた人から連絡をもらった時のことだそうです。奈良で生まれ、奈良で死んでいくあと一週間の命という人から「もう一度奈良を見たいから、映像を送ってほしい」と頼まれ、映像を送られます。そして、その人は実際それを見た後に亡くなられたそうです。
「奈良に生まれ、育ったことは、誇りです。」と保山さんは、心をこめて丁寧におっしゃって、締めくくられました。
奈良公園バスターミナルでは、7月6日から月に一回、第一土曜日の午後、保山さんの上映会があります。
今回の総会にもご出席いただいた奈良県奈良公園室長の竹田博康さんとは「これは儲けるためにやってるんじゃない。奈良の魅力を発信したいのです。」というお志が、保山さんとピタリと合って、開催されることになったようです。そしてソムリエの会の皆さんともご一緒に奈良の良さを伝えていきたいと思って下さっていました。
保山さんは、よくぞこのような映像を作って私たちに見せて下さったとありがたい気持ちでいっぱいになりました。私たちが知らなかった素晴らしい奈良まほろばの世界、そして今回は心の奥底にまで響くお話までしていただいて心より感謝するばかりです。
あふれんばかりの拍手と「良かった!」「素晴らしかった!」「感動したわ!」とあちこちで聞こえる声から想像すると、保山さんにはまた日本のふるさと大和の・伝えていきたい美しい奈良の映像を撮っていただき、ぜひ観てみたい!と思われた方はたくさんいらしたことでしょう。心豊かなぜいたくなひとときを過ごされた会員の方々はその余韻を残しながら笑顔で席をたっていかれました。
広報グループ 写真:小林誠一さん、文:増田優子さん。
ありがとうございました。
以下は7月6日の紹介です。
現在発売中のNHKラジオ深夜便、7月号(6/18発売)に保山さんが8ページ渡って紹介されています。うまくまとめられています。
カラー企画
●アンカーと散歩道
須磨佳津江アンカー
「常識を覆す盆栽の魔術師」
木村正彦(盆栽作家)
●明日へのことば
「一滴(ひとしずく)に命をうつす」
保山耕一(映像作家)
●深夜便ビギナーズ
藤井隆&森田美由紀アンカー
放送ベストセレクション
●舌の記憶~あの時あの味
みうらじゅん(漫画家、イラストレーター)
●明日へのことば
「楽しく老いる秘訣」
池内紀(ドイツ文学者、エッセイスト)
●インタビュー
「バレエ団創設から20年」
熊川哲也(バレエダンサー)
●連載 五木寛之のラジオ千夜一話
名古屋からの帰り、思いついて近鉄に乗り、三重県四日市市に途中下車しました。四日市は陶器の産地であり、大学時代からの友人H氏がいることもあり度々訪ねていますが、数年ぶりの訪問でした。駅前の商店街の一角はかつての岡田屋呉服店、ジャスコの創業の地ですが、2つの大きなマンションになっていました。
駅の商店街をH氏の案内で歩き回りました。駅前の商店街は飲食店が増えて物販の店が少なくなっているということでした。有名な諏訪神社を参拝しました。
諏訪公園の一角の商店街が運営する駐車場も最近リニューアルされたとのことです。大学も同窓で旧知の諏訪西商店街理事長のNさんにもうまく会うことが出来ました。前日は四日市バルで80店舗ほどが参加して賑わったとのことです。後継者育成のことや、商店街の人の健康診断への補助など健康問題も大きなテーマだと語っておられました。また四日市港のコンビナートのクルージングによる見学や、近年大型客船の誘致も仕事になってきたということでした。
ひとしきり歩き回って汗もかいたので、駅前のビルの12階からアイスコーヒーを飲みながら、四日市の町をながめながらH氏と歓談。また四日市高校の同級生の方の喫茶店にも訪問。多くのH氏の友人たちとも同世代ゆえ、かつてのこと、現在のことなど楽しくうかがうことができました。久しぶりの貴重な四日市訪問でした。
数年前から友人の紹介を受けて、なら橘プロジェクトの一口会員としてわずかながら送金していたら、ことしは、本が送られてきました。そしてまた、なら橘プロジェクトに関わって活動しているOさんからもいただきました。
『よみがえれ!大和橘~絶滅の危機から再生へ~』という本です。
日本固有の柑橘類大和橘(やまとたちばな)。2000年の時を越え、準絶滅危惧種であったこの樹を植樹し続けた人々と、その絶滅の危機からの再生物語。 神話・伝承・伝説・文芸・食に至るまで幅広い分野における橘にスポットを当て紹介。 現代によみがえった大和橘がよくわかる百科。
2011年ころからの奈良を中心として、大和橘のことを書かれています。
中街道を橘街道として植樹していること、垂仁天皇陵の近くの田んぼに橘を植樹していること、お菓子や食事の材料として実用化されはじめていること、地域興しとして取り組もうとされていることなどがくわしく活動の中心になっている方が分担して書かれています。
近鉄奈良駅の啓林堂書店にも平積みして販売されています。
発行は、これもまた京阪奈情報教育出版です。180ページ。1200円+税。
写真は、4月に垂仁天皇陵の近くのウォークの時に撮りました。
6月16日、NPO奈良まほろばソムリエの会の総会がありました。総会のあと今回は映像作家 保山耕一さんを招いての90分間のトーク&上映会を開くことができました。昨年11月頃でしたか、保山さんにお願いしていたものです。実現できてほんとうにうれしく思っています。保山耕一さん、清水真貴さん、ほんとうにありがとうございました。
170名以上の満員の参加者に大きな感動を与えていただきました。
トークと上映が交互にありました。保山さんのトークも大きな画面での映像も音響もすばらしい上映会でした。それぞれの上映に際し、保山さんから素晴らしいお話がありました。わたしのメモから書き起こしておきます。(写真は奈良まほろばソムリエの会、広報グループのKさんらから頂きました)
1,春日大社の藤
砂ずりの藤、ことしは伸びなかった、なぜか?藤をひっぱって自分の顔と一緒にとる人がたくさんいたからだ。それは外国人観光客だけではない。ちょっと考えなければならないと思う。
2、平城宮跡の朝霧
この10年20年ほどで平城宮跡の朝霧が少なくなっている。なぜだろうか。何かが変わった。
借景という。その借景を大切にしなければと思う。
3,興福寺の中金堂
昨年300年ぶりに中金堂が再建された。素晴らしいことだ。平城宮跡の朱雀門→大極殿→興福寺中金堂、再建された現場のチームがつぎつぎと建てられた。素晴らしい技術の引き継ぎだと思う。古いものの良さ、そして新しいもの、そのバランスが大事だと思う。
(ことしもわたしの映像と東京でご一緒していただいた)千住真理子さんのバイオリン、ストラリバリウスも興福寺中金堂の消失した300年前と同時期の300年前に作られた楽器という。
映像の中で中金堂の満月、掛けられた五色の幕がでてくる。それぞれ興福寺金堂に300年ぶりに現れた満月であり、風だと思う。
4、大和の大雲海
2018年12月21日。霧が出るとの予感がして、この日、早朝若草山に登った。100年に1回と思える大雲海が広がった。そこで春日さんの御蓋山(みかさやま)だけが雲の海に浮かんでいた。浮雲の峰といわれる意味が初めてわかった。
5、長谷寺の桜
伽藍にはそれぞれ意味があることを感じる。浄瑠璃寺でも、伽藍配置にそう感じた。
長谷寺の吹き上げる桜が舞う光景。本堂の観音様に向かっているように思えた。
6,吉野山の桜
何度も吉野山の桜は撮っている。撮るとき地元の人の言い伝える話をいろいろ聞きながら撮っている。
「満月と桜の満開が重なるとき、甘い香りが漂う」と聞いた。その通りだと思った。
そして、吉野山の桜は祈りの桜だと思う。
7,明日香村の棚田
なぜ不便な大変な場所で棚田を作っているのか、地元の人に聞いたら「この光景が好きだから棚田を作っている。だけど、米作りは儲からない。儲からないから若い人は外へ行ってしまって米作りをしない。この光景は、後継者がいない田んぼばかりだ。20年経ったらこの光景が残っているかどうかわからない。米作りはあとで作ろうとしても、急にはできない」
8,大和の祈り
2017年の国民文化祭で上映された作品「大和の祈り」をダイジェストにして最後に上映されました。
当たり前のことでも突然消えることがある。
近頃、鹿が消化できないビニール袋などを食べて死んだニュースが、外国人観光客が増えて食べられないものを食べさせて死んだとニュースは報じていた。外国人観光客だけだろうか。そうではない。
まほろばソムリエの会の皆さんもどのように奈良の良さを伝えていったら良いか、考えてほしい。
この7月6日から月1回、奈良公園バスターミナルのレクチャーホールで上映会を行い、まほろばソムリエの会の皆さんともご一緒に奈良の良さを伝えたいと思っている。
奈良県奈良公園室長の竹田博康さんは「魅力ある奈良を発信する」と言っておられる。
よろしくお願いしますと結ばれました。(写真は奈良まほろばソムリエの会、広報グループのKさんたちからいただきました)
トーク&上映会のあとの懇親会にて。保山さん、清水さん、竹田奈良公園室長、住田京阪奈情報教育出版社長、加藤まほさん、若林稔さんらとご一緒に。
毎月楽しみしている、元大阪芸術大学教授の川嶌一穂さんの美ビット見て歩き 私の美術ノートは当尾の里の浄瑠璃寺です。そのきっかけが奈良まほろばソムリエの会で発行した「奈良百寺巡礼」の本で読んだからということですからとてもうれしく思います。川嶌一穂さんはかつて自転車で友達と浄瑠璃寺を訪ねたそうです。わたしなどは、中学だったか遠足で奈良から歩いて浄瑠璃寺を訪ね、のどかな道を歩いて加茂駅まで行き電車で帰りました。浄瑠璃寺はそういう若き日を思い出させてくれる懐かしいお寺ですね。
美ビット見て歩き 私の美術ノート *74 川嶌一穂
真言律宗 小田原山 浄瑠璃寺(京都府木津川市)
写真 新緑に包まれた浄瑠璃寺本堂。池の水面に映る大屋根が美しい。(著者撮影)
本紙でも紹介されたが、奈良まほろばソムリエの会著「奈良百寺巡礼」が京阪奈新書として出版され、大変好評だという。さっそく拝読すると、興福寺などの大寺も、実ははじめて知ったような小さな寺もすべて見開きの2ページに収め、それぞれに写真とデータを添えた読みやすい新書だ。
中学・高校の先輩、松森重博奈良もちいどのセンター街理事長も執筆されたと聞いて、楽しみにページを開くと、「浄瑠璃寺」を担当しておられた。
浄瑠璃寺が好きでよく訪れていた若き日を、それで一気に懐かしく思い出した。高校生のときは、友人と東大寺境内町の家から自転車で行ったこともあった。変速も付いてないのに、元気だったなあ。そう言えば、ここ十年二十年は行ってない!
思い立ったが吉日で、実に久しぶりに近鉄奈良駅からバスに乗った。山門までの道に土産物屋ができていたが、境内に入ると、池を中心として本堂と三重塔の形作る小宇宙は昔のままだった。いやむしろきれいに整っていた。
外からは簡素に見える本堂だが、中に入ると、来迎印を結ぶ中尊を中心に、定印を結ぶ脇仏が一列に並ぶ威容に毎回新鮮に驚かされる。わたしは正面より少し端に寄って、斜めの角度から九体の阿弥陀仏を見るのが好きだ。うちの年寄は「浄瑠璃寺」と言わずに「九体寺」と言っていたが、数の迫力というのは確かにある。
しかもこちらの阿弥陀様は一体一体かなり違うお顔で、その表情の違いもまた楽しい。現在、残念ながら修理のために二体はお留守だった。
若い頃は、もっぱら吉祥天女像に心ひかれたが、今回は中尊像の堂々としたお姿に圧倒された。すぐに平等院鳳凰堂の定朝作・阿弥陀如来坐像が思い浮かぶが、洗練された都ぶりの鳳凰堂の像よりも、力強さと慈愛が感じられて好ましい。光背に、楽器を失った飛天がいらっしゃるのに今まで気づかなかった。若い時はいったい何を見ていたのやら。
気になってスマホのコンパスアプリで確かめると、本堂は東に向いている。ということは、三重塔から池越しに阿弥陀仏を拝むと、西方の極楽浄土を拝むことになる。じっさい春秋のお彼岸の中日には、太陽は本堂内九体仏の中尊の後方へ沈むという。
満ち足りた気持ちで、池のほとりを歩いて、三重塔に向かう。本堂、九体阿弥陀仏とともにこれも国宝。初層が高く、相輪が大きいのは池から少し高台にあることを計算したからかと思ったが、京都の一条大宮から移築されたという。ほんの少し安定を崩したい都人の美意識なのかもしれない。
あるべき所に、いつも存在して、歳を重ねて再訪する者を当たり前のように迎えて下さる。何と有難いことか。次はぜひお彼岸のころに訪れたい。
=次回は7月12日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。
メモ
浄瑠璃寺 京都府木津川市加茂町西小。電話0774(76)2390。JR奈良駅・近鉄奈良駅から奈良交通バス「浄瑠璃寺」行きに30分乗車。「浄瑠璃寺前」下車すぐ。
「奈良百寺巡礼」の本で紹介されているお寺はお寺跡も含めて、まだお参りしていないお寺もいくつもあり、奈良県は広いとあらためて思います。大和郡山市の東明寺にはじめてお参りに行ってきました。
北から法隆寺へ矢田丘陵の東の中腹は良いハイキングコースだそうです。かつて同級生一行が富雄方向から法隆寺に向かって歩いたところです。わたしはそのとき参加できませんでした。
この日は矢田寺のお参りの前に東明寺をお参りしました。
ちょうど6月1日から15日まで薬師瑠璃光如来像はご開帳でしたので拝観できました。大和郡山市の駅から西方向へ、国立奈良高専などを通って矢田寺に向かう途中を右折して一路車で山を登ってお参りすることができました。東明寺のHPです→http://toumyouji.com/
奈良まほろばソムリエの会のメンバーが交代で、毎日新聞奈良版に「やまと百寺まいり」を毎週木曜日連載しています。
先日、水間充さんが書かれた矢田寺のことが掲載されていました。
やまと百寺参り 矢田寺【金剛山寺】(大和郡山市)
お地蔵さんとアジサイの寺
「矢田のお地蔵さん」として親しまれている矢田寺(金剛山寺こんごうせんじ)は、 城下町・郡山から西へ3.5㌖、矢田山の中腹にあり、 日本最古の延命地蔵菩薩像を安置しています。
約1300年前、大海人皇子(おおあまのみこ…のちの天武天皇)が、壬申の乱の戦勝祈願のため矢田山に登り、即位後の白鳳4年(664)智通僧上に勅し、七堂伽欄48ヵ所坊を造営したのが当寺のはじまりといわれています。
その後、弘仁年間に満米(まんまい)上人により地蔵菩薩が安置されて以来、地蔵信仰の中心地として栄えてきました。たくさんの石のお地蔵さまに迎えられ、眼下には奈良盆地がのびやかに広がります。
本堂は江戸時代の建築(県指定文化財)で、中央の厨子内には本尊の木造地蔵菩薩立像(平安時代・重文)に木造十一面観音立像(奈良時代・重文)と吉祥天女立像(室町時代)を加えた等身大の三尊を安置し、左右に二天像(奈良時代)を配しています。
境内には約60種1万株のアジサイが咲き誇るところから「アジサイ寺」の別名があり、6月上旬からさまざまに色を変え咲き始めます。また、6月1日~6月30日は本堂の特別拝観もできあわせてお楽しみください。(奈良まほろばソムリエの会 水間 充)
(宗派) 高野山真言宗
(住所) 奈良県大和郡山市矢田町3506
(電話) 0743・53・1445
(交通) 近鉄郡山駅からバス「矢田寺」下車 徒歩約10分
(拝観) 9時~17時 アジサイ開花期500円、本堂特別拝観500円
(駐車場)有(100~500円)
新聞で、今、奈良教育大学でかつての旧陸軍の建物が耐震改修工事を終えて展覧会が開かれ公開されているのを知りました。早速、行ってきました。正門の門衛さんにたずねて見てきました。(無料)
教育資料館へ行く途中に最初に吉備塚古墳を見ました。実際は吉備真備とは年代が異なるようですが、昔から吉備塚古墳と呼ばれていたそうです。平成18年に発行された立派な冊子もいただきました。
かつての陸軍の糧秣庫(りょうまつこ)、いまは大学の教育資料館です。
この敷地は、明治以降、陸軍→戦後はアメリカ軍の進駐軍の基地→そして現在、奈良教育大学と遷ってきています。
赤煉瓦の建物はきれいに耐震工事が終えられています。
中には興福寺の仏頭の石膏による再現品や明治時代の教科書や古い小学校の机や当時の写真も展示されていました。
そして、吉備塚古墳出土の瓦など、そして新薬師寺の発掘品や再現された模型の本堂も。
かつての奈良名勝全図も展示されていました。
見学おすすめの建物であり展覧会です。
奈良教育大学のHPです→http://www.nara-edu.ac.jp/
日、月、休日は休館。午前10時から午後5時。問い合わせは同館(0742-27-9297)。
先日、行基さんの会で、岩船寺の若い執事の植村宥善さんとご一緒になりました。自動車で浄瑠璃寺と岩船寺の間の石仏の道に行くにはどうすれば良いかを尋ねたら、「岩船寺までまず車で来て、お参りして車はおいたまま、石仏の道を歩けば下り坂で楽ですよ、そして浄瑠璃寺からコミュニティバスに乗って、岩船寺に再び来るのが良いですよ」とのことを教えてもらいました。そして久しぶりに岩船寺にお参りしてきました。6月に入り、紫陽花が咲き始めていました。池には睡蓮も咲いていました。
本堂では、お父さんの副住職さんの説明を伺いました。
「ご本尊は丈六の大きな阿弥陀如来で、浄瑠璃寺の阿弥陀如来より100年以上古い仏様で光背にも特徴があります。
岩船寺は奈良の大きなお寺の学問寺であり、隠居寺でした。
平城京の頃は奈良の後ろという意味の、山背やましろのくに、といっていたがその方が確かです。
いま山城(やましろ)というので、どこにお城がありますか?とかよく聞かれるが、そうではありません。
また最近、南山城という言い方がありますが、これを「なんざんじょう」と読む人がいて、どこに「なんざん城」がありますか?といわれることがあります。奈良から浄瑠璃寺は直線で7キロでとても近いのです。
むしろ、奈良といったほうが良いといわれました。
また「奈良百寺巡礼」の本はとても良く、わかりやすくて良い。よく売れているそうですね」といっていただきました。
岩船寺の素晴らしいHPです。→http://gansenji.or.jp/
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