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2019年5月30日 (木)

大淀町の世尊寺の「現光寺縁起絵巻」など公開

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奈良新聞5月28日付けによると、大淀町の世尊寺に伝わる動画を大淀町が公開しているとのことです。

 大淀町比曽の世尊寺に伝わる「現光寺縁起絵巻」(同町指定文化財)が、動画投稿サイト・ユーチューブ内の「大淀町公式動画チャンネル」で公開されている。町ゆかりの記録の保存・活用に力を入れる大淀町が企画。同町教委の松田度学芸員は「制作から300年以上たった今も保たれている鮮やかな極彩色を味わってほしい」と話している。

 町教委によると、「現光寺縁起絵巻」は、17世紀後半ごろに京都の狩野派の絵師らが描いたと推定される。上下2巻の絵巻は、6世紀中ごろに日本で初めて仏像が彫られたことを伝える。

 2巻の長さは延べ18・4メートルで、絵と詞書(ことばがき)が交互に連なる。制作の背景には、衰退した寺の復興に取り組んだ江戸時代の学問僧の動きがあったという。

 公開された動画は上下巻ともに約3分。実際に絵巻全体をじっくり閲覧するように、精細なデジタル画が画面の左から右へゆっくりと流れる。上下巻を合わせた4分半のダイジェスト版には字幕解説が入る。

 上巻は国内で初めて彫られた仏像「放光樟像(ほうこうしょうぞう)」の伝承。日本書紀には、仏教公伝の翌年(553年)、河内国(大阪府)の茅渟海(ちぬのうみ)で光を放つ樟(くすのき)が見つかり、その木で造られた2体の仏像が「今し、吉野寺に光を放つ樟の像なり」と記されている。

 吉野寺は世尊寺にある飛鳥時代の古代寺院跡「比曽寺跡」(国史跡)が有力候補とされる。平安時代以降は現光寺として栄えたが、次第に衰退。寛延4(1751)年に曹洞宗の世尊寺として復活した。 

 下巻には、寺と聖徳太子振興の関わりや、歴代天皇・上皇の行幸の様子などが描かれる。上下巻を通じて、飛鳥時代―鎌倉時代末期までの寺の歴史が分かる。絵巻は町教委と県教委の調査を経て、平成20年に寺で特別公開されたが、その後の公開は初めて。松田学芸員は「デジタル化による公開は時代の流れ。国内外の多くの人に見てもらいたい」と話している。

 問い合わせは同町文化会館、電話0747(54)2110。

上巻 https://www.youtube.com/watch?v=hK3GbqskPMI&t=87s

下巻 https://www.youtube.com/watch?v=9fBfH1_sYjo

京阪奈図書情報出版のkさんによれば、

「聖徳太子建立 第七番霊場であり、
飛鳥・奈良時代には、比曽寺(ひそでら)とも吉野寺とも呼ばれました。
『日本書紀』巻十九にも記述が見られます。
古代から中世にかけては、
多くの貴族たちによる仏寺巡礼のルートにあり、
壷坂寺から比蘇寺(比曽寺のこと)を経て金峯山寺に詣でる「吉野詣」の中継地だったとか。
昭和二年四月八日に「比曽寺跡」として
国の史跡に指定されました。
吉野寺、比蘇寺、現光寺、栗天奉寺(りってんほうじ)と名を変え、
江戸時代に曹洞宗の寺院、世尊寺となりました。」とのことです。

 

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