藤原不比等1300年遠忌
5月3日、興福寺中金堂の前庭で、藤原不比等1300年遠忌が行なわれました。好天というより
炎天下の天気で、春日大社と興福寺の神仏合同で行なわれました。
戴いた藤原不比等の肖像(鷹司家所蔵)(部分)。
法要のあと、多川俊映貫首は、「平城京と興福寺は双方向の眺望性で結ばれている。藤原不比等公はその両方を考えて作られた。興福寺の本願であった藤原不比等公を寺としても十分顕彰してこなかった。これからは機会を見つけて顕彰していきたい」といったごあいさつをされました。
また東金堂の壁面にはこの4月25日奉納された一字書きが飾られていましたので拝見しました。
そのあと奈良県文化会館国際ホールで1300人満員で、国際日本文化センターの倉本一宏先生の「藤原不比等と日本古代国家」と題する講演がありました。
藤原不比等は若いときあまり出てこないが、それは五位以上の貴族でなかったからであり、京都の山科あたりで育ったこと、母は渡来系の一族であったこと、律令や国史を学び、渡来系集団と密接なつながりがあったといえる。父の藤原鎌足より藤原不比等がその後の藤原氏を形作ったといえる。そして、藤原不比等が大宝律令の制定にも深く関わり、平城京成立と興福寺の創建に関わった。
お話の最後の所ですが、
そのころのことがその後の日本にとても大きな影響を与えている。
1、神話に基づく、血縁による・・・
2、ミウチ的結合、複数人による構成・・・
3、藤原氏永久政権の確定・・・
このあたりはもっとお聞きしたいところでした。
90分間引きつけられ、とても興味深いお話でした。
会場で紹介されていた倉本一宏先生の著書。
「蘇我氏ーー古代豪族の興亡」(中公新書、800円+税)
「藤原氏ーー権力中枢の一族」(中公新書、900円+税)
2冊合わせてお読みになることをすすめしますとのことです。(上記著書より)
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