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2019年2月10日 (日)

美ビット見て歩き*70「名勝 月ヶ瀬梅林」

正月を挟んで2ヶ月ぶりにいつも楽しみにしている、川嶌一穂さんの「美ビット見て歩き」が奈良新聞に載りました。折しも梅の季節、月ヶ瀬の梅の話です。
そして、直木賞の話。
惜しくも受賞は逃したが、先日の直木賞の候補者5人のうち2人までが奈良女子大附属高校出身だった。文学者によって書き継がれてきたからこそ、月ヶ瀬がある。候補となった今村翔吾さんと森見登美彦さんに、ぜひ今の月ヶ瀬を描いて頂きたいな。」
同感です。おふたりの今後を大いに期待したいと思います。
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美ビット見て歩き 私の美術ノート *70 川嶌一穂
名勝月ヶ瀬梅林
写真 ダムのできる前、五月川の白い砂がまばゆい昭和31年春の月ヶ瀬。(著者蔵)
 奈良市の中心部から、車で東へ1時間ほど走った山間に位置する月ヶ瀬は、江戸時代の末から梅の名所として知られていた。もともと紅花染めの媒染剤である「烏梅(うばい)」を作る実を取るために植えたのが始まりだという。
 津藩(三重県)の儒者・斎藤拙堂が、文政13年(1830)2月に月ヶ瀬に遊び、紀行文「月瀬記勝」を著した。それを大ベストセラー「日本外史」の著者・頼山陽が刊行して以来、多くの文人がこの地を訪れるようになった。「月瀬記勝」は、本欄第9回(平成25年7月)で紹介した、インターネット上の「国立国会図書館デジタルコレクション」で公開されている。酒を呑みながら月の出を待ち、花を愛でた紀行文である。「…水の清きこと寒玉の如し。…両山の花、さかしまにその上にひたす。…一たび中流に棹させば、山水ともに動く…」(原文漢文)。たしかに、行ってみたくなる名文だ。
 その翌年、山陽もやはり梅の季節に月ヶ瀬を訪れた。本欄第38回(平成28年3月)に登場した文人画家・浦上玉堂の息子である春琴も同道した一行7人の旅である。山陽は、「水にそひ村を環る幾簇(いくそう)の楳(うめ)。高低あひ映えて尽く花開く…」という漢詩を作った。五月川の景観が、他にない魅力だったことを伝えている。
 明治に入ってからも、月ヶ瀬は文人憧れの地であり続けた。明治26年(1893)に書かれた饗庭篁村(あえば・こうそん)の「月ヶ瀬紀行」(「旅硯」所収。これも国立国会図書館デジタルコレクションで公開)は、抱腹絶倒の旅物語である。幸田露伴ら、江戸戯作を愛する根岸派の仲間と8人で、東京を出てから5日も6日もかかって月ヶ瀬に辿り着くというのんびりした旅だ。津から柘植までは汽車に乗り、柘植から人力車を雇っている。「見下すかぎり梅にしてしかも真盛りなればただ白雲の谷より上る如くなり…」。当時は長旅だけに、花の時に会うことも大変だっただろう。
 生れついてのスポーツ音痴に文学好きの私としては、ふだん目にする両者の情報量の違いに少々不満である。この二つがもし逆転していたら?テレビのニュース番組の後半は、「では、ブンガクです」と文学専門のキャスターが登場する。「多くの名作が生まれた月ヶ瀬の梅の開花状況はどうでしょうか?現場から中継です…」とまあこんな世の中は、夢のまた夢か。
惜しくも受賞は逃したが、先日の直木賞の候補者5人のうち2人までが奈良女子大附属高校出身だった。文学者によって書き継がれてきたからこそ、月ヶ瀬がある。候補となった今村翔吾さんと森見登美彦さんに、ぜひ今の月ヶ瀬を描いて頂きたいな。
 本欄は今日が今年の第一回。本年もどうぞよろしくお願い致します。
=次回は3月8日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。
メモ 名勝月ヶ瀬梅林 奈良市月ヶ瀬尾山。見頃は例年2月中旬から3月。期間中、奈良交通臨時直通バスが出る(奈良駅から1時間余り)。奈良交通問い合わせは、0742-20-3100。開花状況の問い合わせは、月ヶ瀬観光会館(0743-92-0300)。

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