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2018年12月17日 (月)

美ビット見て歩き 69 「西郷隆盛像」

 
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毎月楽しみにしている、川嶌一穂さんの美ビット見て歩きです。上野公園の西郷隆盛像です。

明治150年。西郷隆盛像120年ということです。
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美ビット見て歩き 私の美術ノート *68 川嶌一穂
高村光雲・後藤貞行作「西郷隆盛像」
写真 東京・上野公園の「西郷隆盛像」(著者撮影)
 ことし平成30年は、明治維新百五十年記念の年だったが、NHKの大河ドラマが「西郷どん」だったくらいで、あまり盛り上がらなかったように思う。50年前の百年記念は、政府主催の記念式典が1万人を迎えて日本武道館で開かれたのをはじめ、世を挙げて近代日本の百年を振り返ったと記憶する。
まだ身の回りに明治生まれの人が大勢いたこともあるだろうが、今はスマートフォンに追い立てられて、長いスパンで物を考えられなくなっているのかも知れない。
 かくてはならじ!と、東京・上野公園へ出かけた。もともと上野の山全体が徳川将軍家の菩提寺である寛永寺の敷地で、今も歴代将軍のうち6人が眠っている。本堂裏手の書院には、最後の将軍・慶喜が蟄居した葵の間が保存されているし、江戸初期造営の東照宮や、動物園の敷地内には五重塔も現存する。
 そんな徳川家ゆかりの上野の山に、徳川の世に終止符を打った立役者の一人、西郷隆盛の像があるのは、ちょっとした歴史の皮肉だろうか。像のすぐ裏手に、彰義隊の墓もある。
 明治22年(1889)、大日本帝国憲法発布による大赦により、明治10年(1877)9月、鹿児島・城山で死を遂げた西郷に正三位が贈られ、「賊徒」の汚名が晴らされた。
 そのとき陸軍大将の軍服を着た騎馬姿の西郷像を建てる計画が動き出した。宮城正門外に設置する許可が下りていたが、賊徒であった西郷像を宮城前に置くことに疑義が出て、上野公園に変更された。
 制作を依頼された高村光雲が、サーベルを持った軍服姿の木造雛形を公開すると、これもかつて逆賊の汚名を着た者にふさわしくないとされ、筒袖に草履ばき、帯に兎猟のわなを下げ、猟犬を連れた現在の姿になった。じっさい西郷は兎猟が大好きで、西南戦争中も犬を手放さず、兎猟をしていたので(仁科邦男『西郷隆盛はなぜ犬を連れているのか』草思社)、一番西郷らしい姿に落ち着いたのかも知れない。
 西郷が最期まで持っていたのが、安政の大獄で斬首となった福井藩士・橋本左内からの手紙である。その左内に「仲秋臥病雑詠」という漢詩がある。
「…誰か知る一片清輝の影 かつて澳門の白骨を照らして来るを」。
「澳門」は、ポルトガルに侵略されたマカオのこと。…この美しい月光は、マカオの悲劇を照らして来たことを忘れてはならない、と欧米列強に囲まれた幕末の日本に警鐘を鳴らすのである。江戸城無血開城を成功させた西郷と幕臣・勝海舟の思いも同じであった。
記念撮影のために像に走り寄った小学生が、「あ、泣いてる!」と叫んだ。酸性雨による錆だが、たしかに一筋の涙の跡のように見えた。
=来年1月はお休みを頂いて、次回は2月8日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。
メモ 「西郷隆盛像」東京都台東区上野恩賜公園内。JR山手線上野駅下車。「公園口」改札を出て、公園の中を左手(南)に5分歩く。庶民が見た西南戦争は、石牟礼道子『西南役伝説』(講談社文芸文庫)がおすすめ。今年2月に亡くなった著者・石牟礼さんのご冥福をお祈り致します。

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