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2018年11月24日 (土)

平群町の古墳巡り 

久しぶりに、同級生でウォークしてきました。奈良まほろばソムリエの会、ガイドグループの稲田英二君のガイドで15人参加。奈良まほろばソムリエは稲田君、三宅努君、丸山政憲君、私の4名がそろいました。


近鉄生駒線、平群駅に集合。最後は竜田川駅まで、5キロのコース。

烏土塚(うどづか)古墳には、稲田君が管理されている方から鍵を借りてきてくれて中にも入ることができました。明日香の石舞台に近い大きさの石室ということでした。
文は稲田英二君の資料より。
写真は当日撮りました。

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吉備内親王墓

・直径20m 高さ2mの円墳。明治34年に江戸時代

の伝承により「吉備内親王墓」として治定される。

・明治26年の調査によると「巨石が鍵の手に組まれ、

墳丘には埴輪が散布されている」とある。

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長屋王墓

・梨本南2号墳(全長45mの前方後円墳 6世紀前半)

の後円部上に築造の直径15mの円墳。

・吉備内親王墓と同様に明治34年に治定される。

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三里古墳(県史跡指定 6世紀後半)

・直径20mの円墳又は全長35mの前方後円墳の可能性があるが詳細は不明。

・横穴式石室を持ち玄室には家形石棺が納められ、金銅製馬具・直刀・鉄鏃・須恵器・土師器等が出土している。

・玄室奥に石棚と呼ばれる板石が付けられている。奈良県下では他に「岡峰古墳・槇ヶ峰古墳」の3例のみ。

・石棚の例は紀ノ川流域に散見される事から古代豪族紀氏との関係が考えられる。

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椿井城跡

・矢田丘陵の南北方向の尾根上に300m以上にわたって築造された山城で曲輪が直線上に連続する「連郭式山    

 城」の特徴を備えている。

・城主は当初椿井氏、後に嶋氏で戦国末期には筒井氏傘下の嶋左近と信貴山城の松永久秀との争奪戦となった。

 

 

Cimg35301

 

嶋左近

・中世の平群谷を支配した嶋氏の末裔。筒井順慶の代には侍大将として重用され松永久秀と戦っている。

・順慶の死後、豊臣秀長・秀保に仕えた後、石田三成に破格の待遇で家臣に迎えられるが関ヶ原の戦いで

 戦死するも謎が多い人物である。「三成に、過ぎたるものが二つあり、嶋の左近と佐和山の城」

 

 

 

平群神社(式内大社)

・祭神は大山祇神(おおやまつみのかみ)で武内宿禰が神功皇后と共に朝鮮出兵前に戦勝祈願として祀ったと

 伝えられる。

・武内宿禰の末裔の一派とも言われる古代豪族「平群氏」が祖神を祀った可能性も考えられる。

・この地は弥生時代の集落遺跡があった丘陵部分で立地的には平群の中心でもある。

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西宮古墳(県史跡指定 7世紀中)

・一辺36m、高さ7.5mの方墳。2段のテラスを持つ3段築成で墳丘の全面に貼石が施されていた。

・石室は切石を用いた優美な横穴式石室で、内部には兵庫県産出の竜山石製の刳抜式家形石棺の身部が安置

 されている。

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烏土塚古墳(国指定史跡 6世紀後半)

・全長60.5m、後円部径35m、高さ8mで平群町最大の前方後円墳。墳丘上部には円筒埴輪を並べる。

・巨石を用いた横穴式石室で玄室は長さ6m、幅2.8m、高さ4.3m、羨道は8.2mと「石舞台」に

 匹敵するほどの巨大さである。

・玄室には組合式家形石棺が納められ東側面には斜格子文の線刻が有り、石棺装飾の珍しい例である。

・出土品としては銅鏡・金銅製馬具・銀装太刀・須恵器等がある。又石室前庭部から家形埴輪・巫女・甕・

 高坏等が出土、何等かの埴輪祭祀が行われていたと考えられる。

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信貴山方向の景色。

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