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2018年10月13日 (土)

美ビット見て歩き *67 「没後50年 藤田嗣治展」

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毎月奈良新聞に掲載され楽しみにしている、川島一穂さんの美ビット見て歩きは「没後50年 藤田嗣治展」です。
来週の10月19日から12月16日まで、京都国立近代美術館(岡崎公園内)で開かれるとのことです。
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美ビット見て歩き 私の美術ノート *67 川嶌一穂
京都国立近代美術館「没後50年 藤田嗣治展」

写真 藤田嗣治『自画像』 1929年 油彩・カンヴァス
 東京国立近代美術館蔵 ©Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 E2833(京都国立近代美術館提供)

 美術界では長い間、フジタ晩年の30年を支え、画家亡き後の著作権者であった君代夫人の目の黒いうちは、大規模な展覧会は開催できないと言われてきた。親鳥が大きな翼で雛を守るように、展覧会開催を拒否していた夫人が、9年前に98歳で他界し、今年がフジタ没後50年。ようやく藤田嗣治の大回顧展が開かれた。

 父・嗣章の、陸軍軍医総監としての前任者・森鷗外の助言をいれて、フランス遊学の前に東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学したフジタは、卒業制作の『自画像』を残している。世間に漕ぎ出そうとする若き日の野心的な表情を見事に描いた自画像である。
 美校卒業後パリに渡ったフジタは、当時流行していたキュビスムや、目を貼りつけたようなモヂリアニ風の作品にも取り組んだ。フジタらしからぬこれら初期の作品には、本展で初めて目にすることができた。

 1920年代に入って、乳白色の下地に細い墨の線で描くという、日本画の技法を取り入れた独特の様式が完成し、非常な人気を博した。写真の『自画像』も、そのスタイルを遺憾なく発揮した作品だが、画家はどことなく不安気な表情をして、壁の女性像も倦み疲れたような顔である。
 この自画像が制作された1929年に世界大恐慌が始まり、パリの美術界もパトロンを失って低迷し、フジタも中南米に渡った後、昭和8年(1933)、日本に帰国した。異国の風景に触発されたこの時期は、別人によって描かれたかのような濃彩の作品が多い。

 続いて『アッツ島玉砕』と『サイパン島同胞臣節を全うす』の並ぶ「作戦記録画」の部屋に入ると、再び空気が一変した。しかし暗い画面をじっと見ていると、「戦意昂揚のため」という建前とは関係なく、大作の群像作品を制作する画家フジタの素朴な「喜び」も見えてくる。

 日本の敗戦後、戦争中の国策協力を非難され、アメリカに渡るが、そこでもアメリカ人画家・ベン・シャーンらに「日本人ファシスト」画家として糾弾される。しかし戦争画を描いた日本人画家は藤田だけではないし、ベン・シャーンが米戦時情報局で制作したポスターも、いわば「戦争画」と言えるだろう。フジタは一人納得できない思いを抱いたのではないだろうか。

 渡仏して夫人共々フランス国籍を取得し、カトリックに改宗したフジタ最晩年の宗教画が最終室に並んでいるが、何故か痛々しい印象を受ける。むしろ、グッズ売り場にも置かれていた集英社新書『藤田嗣治 手しごとの家』『本のしごと』『手紙の森へ』の中の、いつも何かしら手を動かして物を作り、それを身の回りに置いていたフジタが、彼本来の姿なのかもしれない。
次回は平成30年11月9日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。
メモ 京都国立近代美術館(岡崎公園内) 京都市左京区岡崎円勝寺町。電話075(761)4111。
いい季節なので、近鉄京都線「近鉄丹波橋駅」で京阪線に乗換え、「三条駅」で地下鉄東西線に乗換え、「東山駅」下車。東へ歩き、左折して疎水沿いに歩くのがおすすめ。約10分。会期は10月19日から12月16日まで。月曜日休館。http://foujita2018.jp/
 

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