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2018年7月 5日 (木)

「韓国古代木簡と東アジア」

早稲田大学稲門会の奈良県支部主催の講演会が奈良でありました。
早稲田大学文学学術院の李成市教授の講演を1時間あまり聞くことができました。
わたしが聞いて理解した範囲でメモとして書き留めます。

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(左から、李成市先生、真ん中は中島・稲門会奈良支部長、わたし)

明治以降150年は、西欧を日本が咀嚼することで、中国、朝鮮、ベトナムは西欧を理解することができたと言える。それは漢字があったからである。

同じように、かつて中国を朝鮮三国が媒介することで日本に伝えられたと言える。

1、東アジア文化圏の中の韓国と日本、

東アジア世界を特徴づける指標として、漢字、儒教、仏教、律令。

2、朝鮮半島と日本列島の歴史の並行性

・日本の歴史のみ独立してとらえられがちであるが、538年日本の仏教の公伝はそのころ新羅でも仏教が公認されたこと。

・645年の大化の改新のころ、高句麗や百済、新羅でも国内で権力闘争があった。

・701年の大宝律令のころ、統一新羅が成立したり、渤海も成立した。

・752年の大仏開眼のころ、新羅の仏国寺・石窟庵も創建された。

・758年恵美押勝の唐風化政策の頃、新羅も郡県名を唐式に改めた。

・935年、日本では関東で平将門の乱、西国で藤原純友の乱のころ、926年渤海の滅亡、935年新羅の滅亡があった。

・1192年源頼朝が鎌倉幕府を開いたころ、1196年高麗の武臣・崔忠献が政権を掌握、崔氏政権が成立した、

など。

◎東アジアとの関係で日本の歴史を見なければいけない。

韓国でも1990年頃から木簡が多数出土した。日本ほど多くはないが貴重なものであり、日本の木簡と書く順番や内容がよく似ている。そこから言えるのは、701年の大宝律令をはさんで、それ以前の100年間は(7世紀)は日本と三韓とのつながりが、中国とのつながりより多かったといえる。

「日本書紀」では朝鮮とのことを中国に置き換えられたといえるとのことでした。

◎7世紀は日本は三韓とのつながりが強く、中国との関係は8世紀になってからと言える。

新羅と日本は669年から700年まで、新羅から日本へは25回。日本から新羅は10回。この時期、遣唐使はなかった。

◎祢軍(デイグン)墓誌にみる東アジア情勢

祢軍(デイグン)墓誌を説明されました。

そこにおける「日本」は普通名詞であり、中国からみて東方、つまり百済を言っているという説明でした。くわしい資料をいただきました。

韓国から出土した木簡から、非常に多くのことがわかるということでした。

今まで知っていた歴史をすこし覆されたようにも感じましたが、たしかに日本の歴史を日本だけで理解したり、説明するよりも東アジアとの関係で日本の歴史を見るべきであるという点は同感できました。

一緒に講演を聞いた奈良まほろばソムリエの会のおふたりももっと伺いたい話であり、奈良まほろばソムリエの会でも講演してもらいたいといっておられました。また、李成市先生もぜひ呼んでくださいとのことでした。

李成市先生の早稲田大学研究者データーベース

https://researchers.waseda.jp/profile/ja.7cf7d8ce9f2801e5a1c47bc22433fa63.html

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ついでながら、この3月に早稲田大学では歴史館ができました。ちょうど東京へ行った時、拝見することができましたが、やはり李成市先生がご担当されたということでした。

早稲田大学歴史館のHPです→https://www.waseda.jp/culture/about/facilities/rekishikan/

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