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2018年7月 1日 (日)

興福院へ

奈良市内の佐保路にある、尼寺「興福院」(こんぶいん、と呼ばれています)には大門前までいけますが、お寺は拝観したことはありませんでした。
特に、前庵主さんが亡くなられた以降、現在は公開はされていません。
そんな折り、奈良まほろばソムリエの会の女性の皆様の「ソムリエンヌ」部会のこの2月からのお寺へのお願いが実り、拝観できる機会がありました。
特に5名だけ男性も参加して良いということで、わたしも拝観させていただきました。
お寺の皆さん、お世話いただいたMさんはじめ皆様ありがとうございました。
大門そしてつぎの中門です。
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遠くに本堂が見えます。広い庭が広がっています。手入れがたいへんだということでした。
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こちらから靴を脱いでスリッパで上がりました。りっぱな客殿を通って上がりました。
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本堂の額です。
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本堂のご本尊、阿弥陀三尊を拝観しました。天平時代の作で保存の良い、金色の木心乾漆像ということです。
本堂内は写真不可です。
お話を伺いました。
お寺は尼ヶ辻の興福院町から江戸時代初期に現在地の佐保川西町に移ってきたということでした。
きょうは特別ということで、お寺の法要の時に須弥壇に広げる、細やかな刺繍の大きな布をつぎつぎに見せていただきました。しかもその刺繍は写真に撮っても良いということでした。とても美しい刺繍でした。刺繍の裏地には、江戸時代の天保年間に奉納されたことが墨書きで鮮やかに書かれていました。昔からお寺と檀家のつながりが深いとのことでした。ほかいろいろな品は奈良国立博物館に寄託しているということでした。
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本堂は平城山の中腹という感じで、奈良市内もよく見えます。
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裏山は旧ドリームランドや奈良教育大学附属中学あたりまで広がっているということでした。
座敷で、いろいろな資料を拝見しました。明治のころのお寺の様子の絵です。
 
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大晦日には除夜の鐘もつかれるそうですが、一般には公開はしていないということでした。また、庭を愛でながら、お抹茶をいただく機会はあるということでした。裏千家の特別なお茶会だということでした。
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ともあれ、近くにありながら現在興福院は公開はされていません。めったにない機会に拝見することができました。ありがたいことでした。
 
お寺のことはウィスペキアには以下の通り書かれています。
興福院の創建については複数の説があり、中世以前の沿革はあまり明らかでない。
寺はもと添上郡興福院村(平城京の右京四条二坊、現在の近鉄尼ヶ辻駅近く)にあり、現在地に移ったのは近世のことである。創建について、寺伝では天平勝宝年間(749 - 757年)、和気清麻呂が聖武天皇の学問所を移して創建し、弘文院と称したという。『七大寺日記』(嘉承元年(1106年))には藤原百川が創建した興福尼院が前身とされている。また、護国寺本『諸寺縁起集』には、宝亀元年(770年)、藤原広嗣の妻・輪立氏の発願で創建されたとある。
古くは興福院、弘文院の2つの寺号が用いられ、本尊は薬師如来であった。前述の和気清麻呂を開基とする説は、和気氏が設立した学問所を弘文院と称したことから出たものと推測されている。
寺はその後衰退していたが、安土桃山時代に大和大納言豊臣秀長から寺領200石の寄進を受け、復興した。寛永13年(1636年)には徳川家光から再び寺領200石を寄進されている。現在残る本堂、客殿、大門はこの頃の建立である。徳川家綱代の(寛文5年(1665年))に現在地の法蓮町に移転した。上記の建物も移築されている[1]。
第2世の尼僧は、元大和郡山城主豊臣秀長の未亡人である。3代徳川家光から14代徳川家茂までの将軍の位牌をまつっている。
伽藍[編集]
大門から抜けた庭の先、中門の奥に本堂があり、本堂と渡り廊下で結ばれた客殿がある。旧地の尼ヶ辻での建物や庭園には小堀遠州が関与しているが、現在地の庭園は移転後につくられたものである[2]。
客殿 - 重要文化財。江戸時代、寛永年間頃に建てられた、入母屋造り桟瓦葺の建物。檜皮葺きの玄関が付属する。左右3室を前後2列に配し、計6室とする禅宗方丈系の平面になる。
大門 - 奈良県指定有形文化財。寛永年間建立の四脚門。
本堂 - 奈良県指定有形文化財。寄棟造、本瓦葺きで、屋根は中程に段差を設けて瓦を葺く錣葺(しころぶき)とする。内部は内陣の両脇に脇陣を設ける、浄土宗本堂特有の平面構成になる。寺の記録から寛永19年(1642年)の上棟と判明する。
霊屋 - 奈良県指定有形文化財。代々の徳川将軍の位牌をまつる入母屋造、本瓦葺の建物。奈良県下では珍しい徳川家ゆかりの霊廟建築である。内部には渡辺始興(わたなべしこう)による華やかな障壁画(奈良国立博物館寄託)がある。
Cimg15691 大門前にて。

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