ザイレ暁映さん、日経新聞より
先日お会いしてお話をうかがった興福寺のザイレ暁映さんのことが日経新聞に大きく紹介されていました。日経新聞有料WEB版より
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出る杭、奈良の魅力発信 興福寺僧侶 ザイレ暁映さん(もっと関西)
私のかんさい
- 2018/6/19 11:30
ざいれ・ぎょうえい 1978年ドイツ・ハンブルク生まれ。89年に米国に移住し、カリフォルニア大バークレー校で日本古典文学を専攻。大阪外語大大学院(当時)への留学などを経て2010年龍谷大客員研究員。11年に興福寺で出家得度。
英語やドイツ語だけでなく、場合によっては日本語でお寺の案内、解説や展覧会図録の執筆も行う。普段の生活で自分が外国人だと意識することは少ないが、日本語を始めたのは米国にいた高校時代。授業を取ったことがきっかけだ。
父は物理学者で何度か来日しており、母の日本好きもあって実家は日本の陶芸や漆器が飾られていて、まるで博物館のよう。思春期に東洋思想や仏教に憧れを持つようになったのは自然な成り行きかもしれない。
もともとは日本古典文学を専攻していたが、文学の理解の手段として仏教に行き着いた。南都仏教に注目したのは誰も研究していなかったから。米国の大学院の博士課程で指導教官に「(興福寺などの教学の)唯識や法相宗を研究したい」と相談すると、「とても面白い。が、自分には専門的指導は無理だから日本に行きなさい」と言われた。
■研究者から僧侶に転じたのは2011年。南都仏教に魅せられ、興福寺や薬師寺に通い詰めるうちに転機が訪れる。
客員研究員として赴いた大学は京都にあったが、住んだのは奈良市内。物価や家賃が安かったから、というのは冗談で、研究対象と同じ土地で同じ空気を吸いたいと思ったから。それに早朝深夜に行われる法要を見たかった。興福寺や薬師寺で法要や作務に参加させてもらううちに、そこで行われていることが興味深くて、お寺にいたいという気持ちが強くなっていった。
そんな時、仲良くなった興福寺の僧侶から、「(一生に一度の口述試験の)竪義(りゅうぎ)を受けるので、手伝い役の『童子』をしてほしい」と頼まれた。
大役なので引き受けられないといったんは断ったが、二人三脚で取り組む試験勉強の過程で貴重な資料を目にすることができるとあって、説得に応じた。手伝い役をするには出家得度が必要。研究者としてためらいがなかったわけではなく、その後も米国の大学で教べんを執る中で葛藤が続いたが、学問と実践の両立は興福寺のような学問の寺なら可能だと思った。
興福寺では外国人だからといって特別扱いはない。もちろん怒られるときも同じ。そもそも僧侶には本来、名字も国籍もなく「たまたまドイツで生まれたお坊さん」だと思っている。周囲も自分のような出る杭(くい)がもたらす新しい視点を面白がってくれている。
■外国人向け観光案内施設「奈良県猿沢イン」で年に数回、興福寺の歴史や美術、教義に関する法話を行う。集まった欧米人らからは「寺には女性もいるのか」などと矢継ぎ早に質問が飛ぶ。
欧米人にはキリスト教で例示するなどして説明する。今、奈良の寺社でもアジア人観光客が急増しているが、きちんと対応できていないことがもどかしい。単なる言葉の通訳では文化や美術、宗教について正しく伝えることはできない。人材育成が急務だ。
奈良県は「NARA IS JAPAN」(奈良は日本)というキャッチコピーも使って誘客を図っている。辛口になるが、あれには違和感を感じる。そんなふうにいわれると、多くの欧米人はいまだ「ゲイシャ、フジヤマ」を想像してしまうからだ。言いたいことはよく分かるが、日本文化のルーツがある場所だという奈良の独自性をしっかり前面に出してほしい。
大阪にも住んだことがあるが、関西の良さは歴史の分厚さと地域文化が濃厚に残っていること。料理から方言まで地域ごとに文化が異なるドイツとも似ている。「奈良は奈良、京都は京都、堺は堺」と住民のプライドが高いのは素晴らしい。みんなで東京に合わせる必要なんて全くない。
(聞き手は奈良支局長 岡田直子)
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