美ビット見て歩き 私の美術ノート *62 川嶌一穂さん
毎月楽しみにしている川嶌一穂さんの美ビット見て歩き 私の美術ノート が奈良新聞に載っていました。日本の絵の知識の乏しいのですが、今までの連載でいろいろな画家のつながりが少しずつつながっていくような気がします。
美ビット見て歩き 私の美術ノート *62 川嶌一穂
京都国立博物館 「池大雅 天衣無縫の旅の画家」展
写真 「大雅堂夫婦の図」伴蒿蹊著『近世畸人伝』(国立国会図書館デジタルコレクション)より
写真は、池大雅(いけのたいが。享保8年〈1723〉~安永5年〈1776〉)がその生涯を閉じてから10数年後に刊行された、木版本の伝記集『近世畸人伝』の挿絵である。絵や書に埋もれた狭い部屋で、大雅は三弦、妻の玉瀾が筝(そう)で合奏する夫婦の図だ。
この書の「大雅」の項の少し後に、「祇園梶子(ぎおん・かじこ)」がある。祇園で茶店を開いていた梶子は、歌をよくし、歌集まで出した。この項に掲載の一首。「雪ならば梢にとめてあすや見む夜の霰の音のみにして」雪と違って霰はすぐ消えてしまうので、降り出す時のシラシラという音を聞くのみだ、というお洒落な歌。作者の梶子は、玉瀾の祖母である。
玉瀾も祇園で茶店をしながら、夫の大雅とともに、絵を描き、詩を作り、筝を弾くというまことに幸せな一生を送った。庶民の、しかも何代も続く女性の雅(みやび)な人生を思うとき、江戸時代の文化的豊かさにただただ驚くばかりだ。
豊かさ、と言えば、身分を超えた当時の交流も印象的だ。本欄第57回(平成29年11月)で取り上げた柳沢淇園(きえん)と、大雅の出会いもその一つである。妻・玉瀾の名も、淇園の号「玉桂」の一字を贈られたものという。淇園の大陸趣味を、大雅もまた共有したことが、本展覧会「第2章」のテーマとなっている。
詩書画一体の文人画のイメージが強い大雅だが、意外にも「四季歌賛」のような、仮名書きの和歌に大和絵を添えた作品もある。日本画家・伊東深水が愛蔵したと解説にあったが、さもありなん、と思わせる琳派風の愛らしい絵である。さらに「擬光悦(光悦にならう)」と記された「嵐峡泛査図(らんきょうはんさず)屏風」は、尾形光琳作の「紅白梅図屏風」に直接つながる堂々たる大和絵だ。
現存する大雅の筆になる最も早い作品は、書の「獨楽園之記」で、何と十二歳の作。うまく書いてやろう、という気負いの全くない、むしろ枯れたと言ってもいい筆跡だ。
しかし絵の傑作は、やはり晩年に多い。たとえば「瀟湘勝概図(しょうしょうしょうがいず)屏風」。「瀟湘八景」を六曲一隻(せき)の屏風に描いたものだが、大雅の筆によって、古くから有名な大陸の景勝地が日本の親しい自然風景になっている。絵の中でしばらく遊びたいような気持のいい作品だ。
今回の展覧会は、「過去最大規模の大雅展」と銘打つだけに、150件もの作品と資料が展示されている。まさに「大河」と呼ぶにふさわしい!大雅の世界を、彼の過ごした京の地で堪能できる又と無い機会だ。
=次回は平成30年6月8日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。
メモ 京都国立博物館平成知新館 京都市東山区茶屋町527。電話075(525)2473。京阪電車七条駅下車、東へ徒歩7分。月曜日休館。会期は5月20日(日)まで(会期中展示替えあり)。
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