美ビット見て歩き 私の美術ノート *58
毎月奈良新聞で楽しみにしている、川嶌一穂さんの美ビット見て歩き 私の美術ノートですが、今年最後は、50年前の高校時代の「手古奈のふる里」についてです。高校時代の友人と行かれたとのこと、こういう思い出は良いですね。見習って、あちこち行きたいものです。たしか旅行のPRで「大人の修学旅行」というのがありました。
美ビット見て歩き 私の美術ノート *58 川嶌一穂
手古奈のふる里 千葉県市川市真間
写真 真間山弘法寺仁王門=著者撮影
もう半世紀も前のことだが、私が女子大附高2年生のとき、山口佳恵子先生(現在日本トスティ協会芸術監督)の指導のもと、有志が集まってオペラの自主公演をした。勉強はそっちのけで、夏休みも毎日学校に通って練習に励んだ。プログラムは一幕物の『真間の手古奈』である。衣装は一条高校演劇部に貸して頂き、脚本は音楽之友社から出ていた服部正作曲の音楽台本を使用した。
美しい少女・手古奈(他に「手児奈」など複数の表記あり)を巡って男たちが争い、それを苦にして手古奈が入水してしまうという物語を下敷きにしたオペラである。
手古奈伝説は万葉集にも詠われている。
勝鹿の真間の井を見れば立ち平(なら)し水汲ましけむ手児奈し思ほゆ 高橋虫麿(巻九―一八〇八)
葛飾の真間の井戸を見れば、ここに水を汲みに通った手古奈が偲ばれることだ、という歌意。
奈良人は、万葉のふる里は奈良だと無意識に思っている。明日香村に県立万葉文化館があり、県内には万葉歌碑が230もあるのだから(奈良女子大古代学学術研究センター「万葉歌碑データベース」)当然である。
実際は、万葉集に収められた4500余首のうち、約2800首に地名が詠われ、その4分の1が奈良県の地名らしい。もちろん断トツ一位だが、県外の地名がそれ程多いというのは予想外だった。
奈良以外の地名は、巻十四の東歌や、巻二十の防人の歌などに詠み込まれている。防人の歌は、北九州の国境警備のために東国から徴集された防人に、兵部少輔(今の防衛事務次官か)・大伴家持が作らせたものである。
先月、かつてひと夏をオペラの練習に費やした仲間9人が集まって、千葉県市川市真間にある手古奈ゆかりの地を訪ねた。市川駅から弘法寺(ぐほうじ)に向かう「万葉の道」には、民家の塀に万葉歌のパネルがたくさん飾られていた。
弘法寺は、天平九年(737)にこの地に立ち寄った僧・行基が、手古奈の話を聞いて哀れに思い、その霊を弔うために建立したのがはじまりという。残念ながら明治の火災で堂宇はすべて焼失し、写真の仁王門も昭和の再建である。阿形像は火中より救出され、補修復元された貴重なお姿である。
団塊の世代の私たちは、オペラ「手古奈」を演じながら、万葉集やゆかりの地にまったく興味がなかった。長い会社勤めや子育て、介護を経て、今はお寺や古い街並みを散策するのがこの上なく楽しい。ようやく少しは成長したということだろうか!
来年正月はお休みを頂きます。みな様どうかよい年をお迎え下さい。
=次回は平成30年2月9日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。
メモ 真間山弘法寺 千葉県市川市真間4-9-1。電話047(371)2242。JR市川駅より北へ徒歩15分。
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