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9月に閉店した、樹樹さんのあとに、12月はじめにオープンした、スペイン料理店「ウエルト」huertoを訪ねました。すっかり大改装されました。ウエルトとはスペイン語で菜園という意味だそうです。
もちいどのセンター街の駐車場前の液晶ビジョンを入って30mくらいのところにあります。そう、狭い四ノ室の辻子を入ったところです。
ワインはいろいろあり、ビールや珈琲も・・・。
ご主人にうかがうと京都で5年間2つのスペイン料理店につとめ、奈良で独立されたとのこと。ご主人は奈良大学文化財学科卒、奥様は奈良女子大学卒とのこと。ご主人は背中に8ヶ月のお子さんを背負ってのお仕事です。
新年も4日から営業とのこと。こんどは夜たずねたいと思います。
ウエルトさん、頑張っていただきたいと思います。
食べログ→ウエルト
先日、日経新聞朝刊の文化欄に大きく「清酒の源、500年後の再興
室町時代の酒母「菩提酛」を発祥の地・奈良で 八木威樹 」と載っていました。奈良の酒造りの話です。全文、有料電子版から紹介します。
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清酒の源、500年後の再興
室町時代の酒母「菩提酛」を発祥の地・奈良で 八木威樹
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正暦寺にルーツ
酒といえば兵庫の灘(なだ)や京都の伏見がまず思い浮かぶだろう。だが盆地を囲む山々から流れる清らかな水に恵まれた奈良も酒造りが古くから盛んだった。「味酒(うまさけ) 三輪の山――」で始まる額田王の和歌は早くも奈良時代に平城京周辺の山で酒が造られていたことを示す。
室町~戦国時代の酒造りについても、わずかながら資料が残っている。例えば、戦国期、興福寺の僧侶が3代にわたって書き記した「多聞院日記」。寺院で造る酒「僧坊酒」の製法を詳細に記録し、高度な酒造りの技術を今に伝える。
菩提酛仕込みのため、毎年1月、正暦寺(奈良市)に地元の酒蔵が集う
僧坊酒の一つ、菩提山正暦寺(ぼだいせんしょうりゃくじ)(奈良市)で造られた「菩提泉(せん)」は現在の清酒のルーツとされる。私たちが復活に取り組んだのがこの酒だ。
室町時代の記録で日本最古の民間酒造技術書ともいえる「御酒之日記」などによると、正暦寺では15世紀初頭から1世紀半ほどにわたり清酒を造っていたという。諸国の荘園から集まる大量の米、広大な敷地、清らかな水、それに高い酒造技術が合わさり、日本初とされる清酒が生まれた。
それまでは濁った酒のどぶろくが一般に飲まれていたが、どぶろくを漉(こ)すという作業技術により清酒(すみざけ)と酒粕(さけかす)に分けることが可能になった。ちなみに、残った酒粕で野菜をつけたのが奈良漬だ。酒母(酛(もと))に蒸し米などを3回に分けて加えることで大量の清酒を造る画期的な技術「三段仕込み」もこの頃すでに確立されていた。
発酵の種として使われる酛は寺の名にちなみ菩提酛と呼ばれた。詳細な記録は残っていないが、江戸~明治時代にも各酒蔵で菩提酛から清酒が造られていたようだ。だが、政府が酒造方法に関する規制を強め、菩提酛は姿を消す。菩提泉も幻の清酒となった。
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まず乳酸菌探し
私は大学で電子工学を学んだ後、日立製作所に入りシステムエンジニアとしてしばらく働いた。1980年代後半、30歳手前の時に、跡を継ぐため、亡父に代わって社長を務めていた叔父に呼び戻された。当時は景気が良く、叔父が売り出した1000円パックの清酒が飛ぶように売れた。だが、ピークを過ぎると、日本酒が焼酎やワインなどに押されたこともあり、出荷量は激減する。
酒蔵の跡継ぎによる「青年醸友会」では、右肩下がりの出荷量に危機感を抱き、奈良の酒を全国にアピールする方法を考えることになった。そこで出たアイデアが菩提酛による清酒を昔の記録通り造ることだった。
96年、「奈良県菩提酛による清酒製造研究会」が発足した。酒蔵15社に正暦寺や大学・研究機関などが参加。まず取り組んだのが、菩提酛を創製するのに必要な天然の乳酸菌を探すことだった。
寺境内で酛造りに適した乳酸菌を発見してこそ菩提酛といえる。奈良県工業技術センターの山中信介さんや松澤一幸さんが主導し、井戸水や草花に含まれる水分など何千ものサンプルを調べたが、なかなか成果は出なかった。2年が経過した98年、仕込みの水を確保するため、山中にある寺の境内で採取した湧き水をたまたま調べてみると、酒造りに適した乳酸菌を含んでいた。
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酒蔵同士で味競う
次はどこで菩提酛を再現するかだ。酒蔵で造ると酛の菌が強いため、蔵特有の菌が失われる恐れがあった。忠実に復元するには正暦寺で造るのが最適だという結論に達した。そして、99年、正暦寺で約500年ぶりに酛造りが復活した。
記念に「日本清酒発祥之地」という石碑を建てた。3年前から奈良市では同様の碑が建つ兵庫県伊丹市などと共同で日本酒の魅力をアピールするイベントも催しており、我々も協力している。
正暦寺の乳酸菌は冷凍保存され、毎年、新年早々に境内で行われる仕込み作業で使われる。研究会に参加する酒蔵は酛を持ち帰り、それぞれ独自の清酒に仕上げて3月下旬の品評会で味を競う。蔵ごとに味は微妙に異なるが、菩提酛を使うとクセは強いが甘くてコクがある日本酒ができる。
室町時代の清酒も恐らく似た味だっただろう。この味を後世に伝えるためにも、年が明けたら、またよい酒を造りたい。
(やぎ・たけき=八木酒造代表)
来年の3月30日まで、いま奈良県吉野郡十津川村に泊まってお得!路線バス運賃キャッシュバックキャンペーンが行われています。冬の道を安全なバスで温泉旅行、とてもお得だと思います。
くわしくは以下のHPをご覧ください→http://totsukawa.jugem.jp/?cid=15
唐招提寺の御影堂(国宝鑑真和上像や東山画伯の有名な襖絵などがありました)の曳き家工事を拝見する機会がありました。
「もと奈良市登大路町の興福寺の子院であった一条院は、天禄元年(970年)に創立し、大乗院とともに格式高い門跡寺院だった。明治の廃藩置県の伴い県庁舎として使用された。昭和37年頃、重要文化財に指定され、国から県に建物は譲渡され、その後、唐招提寺の能満院の跡地に移築され、現在に至っている。」(頂いた資料より)
近年、地盤がゆるんだりして、建物の建てつけが悪くなり、修理されることになった。ことしの4月から4年かけて修理されるが、この7月から4ヶ月間かけて曳き家工事の手法で修理されることになったということです。総工費4億5千万円とのこと。
以下は、登大路町にあったころの図面(元治元年、1864年)。
ことしも年末になり、全国高校ラグビー(花園ラグビー場)の横断幕が、もちいどのセンター街の入口にかかげられました。27日からいよいよ試合もはじまります。選手たちももうすぐ奈良の町を歩くことだと思います。高校ラグビーのHPです。→http://www.highschool-rugby.com/
素晴らしいテナーソリストであり、教育者であり、合唱指導者であった、小林正夫さんがご病気のため2016年1月22日に亡くなられました。享年61才。
実に残念なことでした。
わたしも2001年頃から何回か、「第9」などの練習で教えていただいたり、「第9」のステージにご一緒に立たせていただきました。男声のマーチをご一緒したことを思い出します。
奥様の小林かずみさんもピアニストで長年お世話になっています。
お嬢様もソプラノソリストでことし、フォーレのレクイエムを見事に歌われたのを聴くこともできました。
2018年1月21日(日)1時30分開場、やまと郡山城ホールの大ホールで追悼コンサートが行われます。知り合いも出演されます。1000円全席自由席。
NPO法人の奈良まほろばソムリエの会では現在、奈良まほろばカルタを作成中です。1月中旬には完成予定とのこと。1セット1200円の寄付で1セット手に入るとのことです。わたしも早速予約を入れました。
理事の大山さんらが目下カルタの作成とPRに大忙しです。先日の毎日新聞に続いて、サンケイ新聞でも大きく取り上げられました。
写真や記事は鉄田専務理事のブログより拝借。
なめらかな日本語で語る、イラン出身のもとサッカー選手、メヘラリさんのことが大きく毎日新聞に載っていました。奥様の佐藤奈香さんそして考古学者とはじめて知ったお父さん。
イランでパジリク遺跡の絨毯を復活させたということです。
早速、もちいどのセンター街の真ん中のOK広場前にあるメヘラリさんのお店をたずねました。向かいのナンコビル2階の特別展示室で見せてもらいました。
ひとりの職人さんが1年半かけて織り上げたものだそうです。図柄もなかなかこまかく、分厚い絨毯でした。値段を聞くと、「値段つけるのはほんとはむつかしいが、材料代やひとりの職人さんの1年半かかりきりで織ったものですから」とのことでした。直接メヘラリさんに聞いてみてください。メヘラリさんは輸入業や東京での経験などもあり、話題豊富な方です。また奥様は奈良出身、一緒にイランにもお住まいだったそうで、セミナーにもご参加、勉強熱心な方です。
もちいどのセンター街にはいろいろな方がおられ、楽しいまちです。
フジコさんが2冊目の本を出されました。
フジコさんというのは奈良もちいどの夢CUBEのCAT TIMEさんのことです。
「本を!書きました!
「底辺女子が会社を辞めて幸せになった話。」
12月8日発売です。
元底辺女子の私がどうやって猫雑貨専門店を開店しようと思ったのかというお話でございます。
私の前職をご存じの方は「会社?」となるかと思いますが、守秘義務という大人の事情で固有名詞を出せませんでした。
フジコとみんなの秘密だよ~!
夢CUBEや奈良のことについてもガッツリ触れておりますので、これからチャレンジショップ始めようかななんて考えていらっしゃる皆様にもぜひぜひ。
今年は商業出版を2冊出せてとても幸せです。
来年もいっぱい書きます。
激動の1年の良い〆となりました。」
CAT TIMEさんに本をいただきました。
早速、読みました。
そのハングリーさ。
そして徹底的にしらべまくる熱心さ。
夢CUBEに出店するため、前職をやめてからの期間を濃密に出店資金をつくるために4つの仕事をこなされた熱心さ。
費用をかけない工夫。
まわりの友人が手伝ってくれるフジコさんの魅力。
勤めていてはそれだけの時間を仕事に打ち込めないけれど、自分で好きでする仕事は苦痛にならない・・・・・。
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来年1月で夢CUBEで丸2年。
いよいよ、近くの椿井町で良い物件を見つけられ、来春には独立されるということです。大いに期待したいと思います。
ひがしむき商店街と奈良キリスト教会では光のページェント2017&チャペルコンサートを開催されています。25日まで。16日、国の重要文化財の礼拝堂でのコンサートを聴いてきました。この日は、NPO法人 奈良ピンクリボン アピールということでした。
奈良少年少女合唱隊の「アンジェリカ」。
4才の子から小学校6年生までということです。
ご指導は佐分利みどり先生。
指揮は西畑賀世先生。ピアノ伴奏は渡辺真理子先生でした。偶然わたしの旧知の先生方のお世話です。
曲目は
・世界ではじめてのクリスマス
・ふるさと
・さくらさくら
・j.ラターのThe Lord bless you and keep you
・フォーレのPie Jesu
・アルカデルトのAve Maria
・フォーレのAve verum corpus
でした。
23日(土)のクリスマスコンサート18時から19時半までが本番、再度出演するそうです。(協賛金300円)
そのあと堀江光一さんのパイプオルガン演奏がありました。
現在薬師寺の国宝の東塔、三重塔解体大修理を進められています。現場へ見学する機会を得ました。
最初に、村上太胤薬師寺管長のお話。
外からの様子です。左、東塔。右、金堂。 中に入って一層目。
担当の松久保さんから説明をうかがいました。
以前、各階層別に部材が解体されていたのを拝見しましたが、いま見事に組み立てられています。できるだけかつての材料が使われています。芯柱の下の部分、2メートルほどは新しくされたそうです。
現在組み上げられている三層目の芯柱です。さらに上の部分は継ぎ足されるそうです。
さらに六層目まで組み立てられ、そのうえに10mほどの九輪や水煙がとりつけられますので、この素屋根のほぼ天井まで建てられます。目の前で拝見するととても大きく感じます。今回は、基壇の下まで発掘調査されたうえに、地中に深く14本の基礎が埋め込まれた上に、耐震構造などを加えて、組みあがっているそうです。三重塔の総重量はなんと120トンとか。
東京オリンピックの前の、2020年春に落慶をめざしているということでした。
細かな網越しに、遠く若草山が良く見えました。
組み立てに使われていたという「和釘」です。
組み立て途中を拝見できる貴重な見学でした。薬師寺様どうもありがとうございました。(写真はすべて2017年12月14日撮影。)
きょう12月15日から、春日若宮おんまつりが本番です。
1時頃からJR奈良駅を出発、もちいどのセンター街にある大宿所まで、大宿所詣でのお渡り行列です。100人くらいで商店街を練り歩きます。わたしも参列予定です。
また17日は県庁前広場からJR奈良駅~三条通~お旅所までお渡り行列があります。17日真夜中12時頃から若宮様がお旅所まで遷幸の儀があります。真夜中真っ暗な中でのお出ましはとても素晴らしいものです。そして17日夜22時頃からお帰りになる 遷幸の儀もあります。
春日大社のHPです→http://www.kasugataisha.or.jp/
お蔭様で、奈良もちいどのセンター街の起業家支援施設「夢CUBE」は、この4月10周年を迎えることが出来ました。
記念セールなどを行い、5月20日には記念式典、記念パーティーなどを行いました。
このほど、2007-2017のあゆみを、記念誌としてまとめて発行しました。
「餅飯殿12番地の奇跡」というタイトルでA4で64ページです。
かつての写真や資料を集めて各方面の協力を得て出来上がりました。深く感謝申し上げます。制作はココロネ。印刷は明新社です。思えば昨年秋から1年がかりの制作でした。
今後、お世話になった各方面に配布すると共に、視察などに来られた方には有料でお分けする予定です。
夢CUBE誕生、成長ヒストリーの見開きページです。
画像をクリックすると拡大します。
夢CUBE卒業生のコメント。
夢CUBE卒業生の方との座談会。
この5月20日の記念式典。記念パーティーなど。
そして中小企業診断士の梅屋先生の司会で中小機構の長坂課長や奈良女子大学大学院教授の中山先生、ほうせき箱の岡田さん、私による座談会。
魚谷副理事長がよみあげた「宣言」など記念シンポジウムや資料など多数載っています。
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10年前わたしは、2007年4月13日の夢CUBEのグランドオープンを「鹿鳴人のつぶやき」に綴っています→http://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_b032.html
また奈良の情報ブログのtetsudaさんが当時いきいきと書いてくれています→http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/aea5e8a76b66cf89bab0acff471629d0
12月15日から来年1月21日まで、大乗院庭園文化館にて入江泰吉写真展がひらかれます。同時に庭園見学もできます(100円)。https://narashikanko.or.jp/spot/park/kyu-daijointeien/
あと10分ほど歩いて入江泰吉記念・奈良市写真美術館もおすすめです。http://irietaikichi.jp/
毎月奈良新聞で楽しみにしている、川嶌一穂さんの美ビット見て歩き 私の美術ノートですが、今年最後は、50年前の高校時代の「手古奈のふる里」についてです。高校時代の友人と行かれたとのこと、こういう思い出は良いですね。見習って、あちこち行きたいものです。たしか旅行のPRで「大人の修学旅行」というのがありました。
美ビット見て歩き 私の美術ノート *58 川嶌一穂
手古奈のふる里 千葉県市川市真間
写真 真間山弘法寺仁王門=著者撮影
もう半世紀も前のことだが、私が女子大附高2年生のとき、山口佳恵子先生(現在日本トスティ協会芸術監督)の指導のもと、有志が集まってオペラの自主公演をした。勉強はそっちのけで、夏休みも毎日学校に通って練習に励んだ。プログラムは一幕物の『真間の手古奈』である。衣装は一条高校演劇部に貸して頂き、脚本は音楽之友社から出ていた服部正作曲の音楽台本を使用した。
美しい少女・手古奈(他に「手児奈」など複数の表記あり)を巡って男たちが争い、それを苦にして手古奈が入水してしまうという物語を下敷きにしたオペラである。
手古奈伝説は万葉集にも詠われている。
勝鹿の真間の井を見れば立ち平(なら)し水汲ましけむ手児奈し思ほゆ 高橋虫麿(巻九―一八〇八)
葛飾の真間の井戸を見れば、ここに水を汲みに通った手古奈が偲ばれることだ、という歌意。
奈良人は、万葉のふる里は奈良だと無意識に思っている。明日香村に県立万葉文化館があり、県内には万葉歌碑が230もあるのだから(奈良女子大古代学学術研究センター「万葉歌碑データベース」)当然である。
実際は、万葉集に収められた4500余首のうち、約2800首に地名が詠われ、その4分の1が奈良県の地名らしい。もちろん断トツ一位だが、県外の地名がそれ程多いというのは予想外だった。
奈良以外の地名は、巻十四の東歌や、巻二十の防人の歌などに詠み込まれている。防人の歌は、北九州の国境警備のために東国から徴集された防人に、兵部少輔(今の防衛事務次官か)・大伴家持が作らせたものである。
先月、かつてひと夏をオペラの練習に費やした仲間9人が集まって、千葉県市川市真間にある手古奈ゆかりの地を訪ねた。市川駅から弘法寺(ぐほうじ)に向かう「万葉の道」には、民家の塀に万葉歌のパネルがたくさん飾られていた。
弘法寺は、天平九年(737)にこの地に立ち寄った僧・行基が、手古奈の話を聞いて哀れに思い、その霊を弔うために建立したのがはじまりという。残念ながら明治の火災で堂宇はすべて焼失し、写真の仁王門も昭和の再建である。阿形像は火中より救出され、補修復元された貴重なお姿である。
団塊の世代の私たちは、オペラ「手古奈」を演じながら、万葉集やゆかりの地にまったく興味がなかった。長い会社勤めや子育て、介護を経て、今はお寺や古い街並みを散策するのがこの上なく楽しい。ようやく少しは成長したということだろうか!
来年正月はお休みを頂きます。みな様どうかよい年をお迎え下さい。
=次回は平成30年2月9日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。
メモ 真間山弘法寺 千葉県市川市真間4-9-1。電話047(371)2242。JR市川駅より北へ徒歩15分。
羽曳野市役所近くで参加の皆さんと昼食をいただいた後は、このあとは徒歩で見学しました。住宅街を通ってまずは誉田八幡宮へ。宝物館見学(国宝の馬具や神輿など)。放生橋の奥に応神天皇陵古墳が見えました。住宅街の近くの立派な八幡宮でした。
更にしばらく住宅街を歩いて、陪塚2か所を見学。すぐそばに学校や住宅が広がっています。西名阪自動車道をくぐって、古堂山古墳へ。ここは古墳の上まで登ることが出来て、東に二上山方向、そしてあべのハルカスも見ることが出来ました。また紅葉も美しく景色の良い古墳でした。
再び名阪自動車道を戻りましたが高速道路の下にも、赤面山という小さな古墳がありました。
大鳥塚古墳など経て、応神天皇陵古墳の拝所へ。その規模の大きさには驚きました。
応神天皇陵古墳
「仁徳天皇陵古墳に次ぐ全国第2位の規模で、墳丘425m。古墳の盛り土の体積では全国一の巨大古墳。墳丘は三段築成で、くびれ部両側に方型の造出しを持つ。濠と堤を二重にめぐらせています。出土した埴輪の特徴から5世紀前半の築造と考えられています。」(ウォーキングマップ資料より)
再びバスに乗って藤井寺市へ。
ふじみ緑地から歩いて津堂城山古墳へ。現在の古墳まわりがとても広々としています。
石棺も復元されていましたが、かなり大きなものでした。石棺には装飾も多くありました。
ガイダンス棟にはいろいろな掲示物もあり、天野先生からくわしい説明を聞きました。
「津堂城山古墳は、現在残っているのはごく一部であり、城に利用された歴史もあり、近くの大和川に土の多くは何らかの形で再利用されて削られたと思われる。相当大きな古墳であったと言える」ということでした。
また古墳の上部に登ることもできました。近くの子どもたちもたくさん古墳の上で遊んでいました。
応神天皇陵や津堂城山古墳を中心とした、古市古墳群をくわしい説明を聞きながら、見学できました。
また、この日は快晴で、12月とは思えない穏やかな日和に恵まれました。
紅葉も楽しむことが出来ました。
この日担当されたNPO法人まほろばソムリエの会の理事であり名ガイドの雑賀耕三郎さんらの企画で見学できました。バスに乗って予定より早く5時前、奈良に帰り着きました。
ご参加の皆様、ありがとうございました。
「結成 5 周年記念の奈良まほろばソムリエの会のバスツ アーも、いよいよ第三弾、今回は太子町、羽曳野市・藤井寺市などを訪問して、古墳時代を考えます。 このほど世界遺産への登録を目指して推薦が決まった ばかりの百舌鳥・古市古墳群のうち、羽曳野市や藤井寺市の主要な古墳を訪問し、古代日本の文化や技術を探り、 日本の歴史を考えるツアーです。「ソムリエの会ならで は」の充実の特別企画です。ぜひ、ご一緒にお出かけい たしませんか。
津堂城山古墳と復元石棺 近つ飛鳥と古市古墳群をめぐる ◆ 訪れます
●叡福寺(聖徳太子墓) ●近つ飛鳥博物館 ●誉田八幡宮宝物館 ●応神天皇陵古墳 ●大鳥塚古墳 ●津堂城山古墳 などを見学予定
●奈良大学講師 ●関西学院大学元講師 ●藤井寺教育委員会 の 天野末喜先生がご案内いたします」
ということで、12月とも思えない晴天の穏やかな日にいってきました。
朝8時奈良出発、車中で聖徳太子の話 を聞きました。
そして最初に叡福寺(聖徳太子墓)へ。
左から奥に回ると円墳になっていました。聖徳太子の母と聖徳太子と妻の3人が埋葬されているということです。
再びバスで、 近つ飛鳥博物館へ。 建築家の安藤忠雄氏
の設計ということです。
説明を聞きながら。フォト✖以外は、フラッシュをたかなければ写真はOKでした。
近つ飛鳥博物館のHPです→http://www.chikatsu-asuka.jp/
すぐ裏手には一須賀古墳群が広がっているということでした。
12月のシネマテークは、『かもめ食堂』12月8日から10日まで。奈良女子大学の講堂にて。
かもめ食堂。それは、フィンランドのヘルシンキの街角にある食堂でした。
こころをこめた「いらっしゃいませ」と、おにぎりと。
毎日ふつうで、おいしくて、小さいけれど堂々としていました。
日本人女性のサチエ(小林聡美)が始めた"かもめ食堂"になかなか客はやってこない。そんなある日、一人目のお客さん、青年トンミ(ヤルッコ・ニエミ)がやって来て...。
シネマテークのHPです→http://cinematheque.nara-iff.jp/
起業家の方に耳寄りのニュースです。
奈良もちいどのセンター街の夢CUBE、2店舗募集開始しました。
ひとつは一番奥の、現在、かき氷のほうせき箱さんのスペースです。入居して3年になりますのでご卒業。来年春、もちいどのセンター街の空き店舗に独立されるとのことです。
もうひとつは、ほうせき箱さんのひとつ手前の、CAT・TIMEさん。うまく商店街近くの椿井町に店舗が見つかり来年春ご卒業です。
くわしくは、以下のページの募集要項が載っていますのでご覧ください。→http://www.mochiidono.com/upload/pdf/358177886.pdf
4回目の「鹿鳴人のイチ押し」、北海道の新十津川町と奈良県・十津川村のおすすめを書きました。アップされましたので紹介します。
北海道の函館本線の札幌市と旭川市の間に滝川市がありますが、滝川市の西に広がるのが新十津川町です。明治22年に奈良県吉野郡十津川村を襲った豪雨で、奈良県から北海道に多くの人たちが移られ、新十津川村として開拓されました。明治時代、北海道で稲作を始め、酒造会社をはじめて起こされました。その苦労の様子やそのあとの新十津川町のことは、「奈良まほろばソムリエ」の公式ブックにも紹介されている川村たかしの大河小説「新十津川物語」にくわしく書かれています。
(画像をクリックすると拡大します)
今回は、その新十津川町からの品々です。
まず、その酒造会社の「金滴」甘酒丹切飴です。酒かすの白さであり、味も酒かすの味がします。すこし懐かしい味の飴です。一袋買って帰ると、おいしくていつの間にか食べてしまっています。
金滴 甘酒丹切飴そして新十津川メロンゼリーです。
新十津川町と母村である奈良県十津川村は村のマークも同じで、今もしっかり交流されているそうです。
一方奈良県十津川村といえば、やはり清流の鮎でしょう。その鮎を年中ご家庭で食べられるように工夫されたのが、「焼き鮎」です。そのまま火にあぶってゆずやレモンを絞って食べるのも良し、また鮎かまめし、鮎そうめんにするのも良しとのことです。
そして「ゆべし」です。古来、「柚餅子(ゆべし)」は十津川郷に伝わる柚子の保存食だったそうです。
霜の降るころ、柚子の中味を取り除き、その中に米こうじ味噌・そば粉・米粉・煎りゴマなどをすべて粉にして混ぜ合わせたものを入れ、長時間蒸したあと、寒風に約1ヶ月さらして出来上がるとのことです。十津川の秋の風物詩ということです。
十津川村の焼き鮎とゆべし。
鹿鳴人のイチ押しのページは→http://www.narano-umaimonoplaza.com/ichioshi/shintotsugawa/
全文をぜひご覧ください。
12月9日から1月14日まで奈良国立博物館では、おん祭と春日信仰の美術、特別展がひらかれます。
「春日若宮社の祭礼であるおん祭の歴史と祭礼の様子を展示する恒例の企画です。おん祭の創始から882年目となる今回は、風流行列を描いた絵巻物を展示するほか、かつて春日社の神官を務めた旧社家に伝来した史料を交えつつ、若宮の歴史や春日社の造替について概観します。」とのことです。
奈良国立博物館のhpです→http://www.narahaku.go.jp/
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