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2017年9月 9日 (土)

美ビッド見て歩き*55 よみがえれシーボルトの日本博物館展

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いつも楽しみにしている,奈良新聞の川嶌一穂さんの美ビット見て歩き、今回は、大阪千里にある、国立民族学博物館の開館40周年記念特別展です。10月10日まで。
江戸時代末期の、ドイツ人のシーボルトの集めた日本の品々です。
「よみがえれシーボルトの日本博物館」展。
ちょうど先日お話を聞いた、奈良民俗研究所の鹿谷先生もこの展覧会を紹介されていました。

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以下本文を。

美ビット見て歩き 私の美術ノート *55 川嶌一穂

国立民族学博物館開館40周年記念特別展「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」展

 本展では、シーボルトの編んだ日本植物誌、動物誌、日本で収集した日本地図をはじめ、おろし金から僧侶の帽子に至るまで様々な品が展示されている。狩野探幽筆ではないかとされる「貝之図」と漆工芸品を除けば、美術的に価値のあるものはそれほど多くない。価値よりは、網羅することを目指したコレクションだ。
 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796-1866)は今で言うドイツ人である。言うまでもなく江戸時代、長崎に来ることを許された西洋人はオランダ人だけだ。何故シーボルトは1回目、1823年からの6年間、2回目、1859年からの3年間、つごう9年間も日本に滞在できたのか?
 オランダ船が長崎に入港すると、長崎奉行所の役人と通訳が船に乗り込んで取り調べる。通訳はシーボルトのオランダ語が少々変っているのに気付いたが、「山オランダ人」の訛だと見なされて、出島滞在を許された。実際にシーボルト来日の数年前、オランダ語のできないベルギー人医師が、入国を拒否されている。恐るべし!鎖国日本の外交力。
 当時、西洋で湧き起っていた民族学への関心を背景に、彼もまた西洋で日本を最初に紹介する「日本博物館」の設立を構想していた。1837年にオランダ国王に宛てた設立計画案の中で、彼はその目的を「貿易国や植民地などヨーロッパ以外の国々を対象とした国土と民族についての知識を広げること」としている。
 当時すでに200年も国を閉ざし、植物の固有種だけでもイギリスの10倍も存在する、多様性に富む日本は西洋人にとって格好のフィールドだった。一例をあげると、来日2年後に彼がバタヴィアに送った種子から増えた茶の木が、オランダ領東インド産の茶として輸出され、オランダに大きな利益をもたらしたという(高橋輝和著『シーボルトと宇田川榕菴』)。
会場に「日本の宗教」と題されたコーナーがある。第2次帰国の後に、彼がアムステルダムで実際に開いた日本展示の再現である。中央の阿弥陀三尊像の背後に、極彩色の彫刻で縁取りされた花鳥画の屏風が鎮座する。私たち日本人からすると奇妙奇天烈な展示だが、「見られる側」の違和感はいつも置いてきぼりだ。
昨年東京で本展を見て非常に心ひかれ、以来わたしの中でシーボルトがちょっとしたブームだ。在NY日本国総領事館のHPで、日本遠征艦隊の司令官に任命されたペリーに、シーボルトが自分も参加したいと申し出るが断られた、という興味深い逸話を見つけた。そう言えば、鎖国日本の扉を開けたのが、オランダではなくアメリカだったのも不思議な気がする。どこまでも興味の尽きないテーマなのである!
 
=次回は10月13日付(第2金曜日掲載)=
・ ・・・・・・・・・・・・・・・
かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。

メモ 国立民族学博物館 大阪府吹田市千里万博公園10-1。電話06(6876)2151。大阪モノレール万博記念公園駅から徒歩15分(会期中の土・日・祝日に無料シャトルバス運行)。会期は10月10日(火)まで(水曜日休館なのでご注意下さい)。

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国立民族学博物館(大阪)のHPです→http://www.minpaku.ac.jp/

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